Saturday, July 23, 2005

Primer Viaje

こないだPIXUS MP770が届いた。フィルムの連続スキャン(6コマ)っていう機能があるので、大昔の卒業旅行の写真をやってみた(数日を要した。たいへんだった)。

昔のアルバムなどと照らしあわしつつ整理してみた。旧HPにUPしました。写真のサイズ、どれくらいにすればいいのかがよくわからなかったので、もしかしたらヒドく大きいかもしれない。ごめん。そして、苦労して読み取ったわりに、あまり美しくない仕上がりになってしまってる(※綺麗バージョンはCDにしまっといた)。

それにしても卒業旅行の顛末はとにっかく長文ですみません。もうしわけない。


ちょっとだけ写真を紹介。
セビージャ夜

エルヴァスの水道橋


あぁ、やっぱり重いかなぁ。どうかなぁ。ともあれ、懐かしかった。もう11年経ちましたからな。

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Sunday, October 01, 2000

Mi primer viaje 初めての旅行 [第7章] ポルトガルへ…

第6章の猛者は怒って立ち去った

私はいよいよポルトガルに戻るのだ。セビーリャまで来た道の逆回りコースを辿りました。来た道を戻るだけだから今度は楽でした。勝手知ったるといったところ。

これについては大学の先輩に驚かれた。「あぁ、Reineって、そういうこと平気な方なんだ? 来た道を戻るんだ? 俺、絶対だめだな、そういうの。また別の道を探したくなるけどな」


それはわからなくもないのです。でも、私は、ほら、スペインのガイドも地図も全く携行してなかったのでね。リスボンから右下に行けばセビーリャという認識でしかなかったから。(第2章参照) しかも、ポルトガル旅行っていう当初の予定がどんどん遠のきそうで、その時は新たな道を探したい気分ではとてもなかったのです。

vila realあっ、でも、そうだそうだ。そう言われてみると、違う道をちょっと使ったんだった。ちょっとだけね。

アヤモンテからフェリーで国境を越えるところまでは単に逆コースを辿っただけだけど、ヴィラ・レアウ・デ・サント・アントニオからファーロまではバスでなく電車にしたのでした。ちょうどその時に電車が発車するとこだったので飛び乗ったのでした。(写真は、発車する電車の窓から撮ったと思う)

大草原の小さな家みたいな光景の夕暮れ時をひた走ったのですわ。あの電車の旅もよかったです。そしてファーロで夜8:00くらいになってしまったので降りました。


もう夜遅くにさまようのは懲り懲りだからな


barco
写真は、時間が前後するがスペイン・アヤモンテのフェリー発着場。ここからファーロまでずっとアメリカ人のカップルといっしょだった。ファーロ駅からタクシーにいっしょに乗せてくれた。

彼らはたしかHotel Evaに泊まったけれども、私はペンションを探したよ。

所在地とか地図から考えて、たぶん「Pensão Residencial Oceano」だと思う。
Travessa Ivens 21
8000-474 Faro
telefone 289 823 349


faro翌日、ファーロから逆走しOlhão(オリャオン)に行きました。(写真は、たぶんFaroの建物。あの頃の写真はいったい何を撮りたかったのかさっぱりわからない)


オリャオンではますます日本人が珍しかったらしく、私が街を歩いていてフト振り返ると、子どもたちがワラワラと道に出てきては私を拝んでいました。ビルマの竪琴みたいに。「お手手の皺と皺を合わせてなむぅ」スタイルで。


オリャォンに2泊して、やっとリスボンに戻りました。
そこで街角の現金引き出し機でお金を引き出そうとしたんだが、なんだか何度も失敗したの。そしたら真面目そうな女の子3人組(ポルトガル人)が近づいてきて、やってくれました。その時、私、暗証番号教えて彼女達に叩いてもらっちゃってたんだ。直後に「これって、かなりマズいよな」って気づいたけどさ。だって、その後、襲われてそのカード奪われたらおしまいじゃないねえ?

でも、これは本当にラッキーとしか言いようのない出来事なんだが、彼女らは困ってるアジア人を純粋に助けたかっただけだったらしく、手を振って去っていきました。ありがとう。

お金を手にしてフッと一息ついてみたらまだまだ陽が高かったので、ちょっと考えて、「よし、今日のうちにシントラ入りしちゃおう!」と一気に電車に乗りました。


しかし……。電車がリスボンを出て間もなく霧が立ちこめてきましてね。シントラに夕方に着いたら、1メートル先も見えにくいくらいの濃霧でした。


これはホントに。


人生最濃の霧。


最濃。


シントラは、電車の駅から街の中心街(ツーリストインフォメーションのオフィスとかがあるところ)までが異様に歩くじゃないですか。もうツーリストオフィスも閉まりそうな時刻だったので、私は坂道をぶんぶん歩きました。そして、Officeに着いたら、「CLOSED」の札を出そうとしてるとこで。慌てて地図を貰って「ペンション」の場所を訊いたのだけど、スタッフも早く上がりたいのか、詳しく教えてくれなかった。


それで、一人てくてくと歩き始めたんですけどさ…。

濃霧だし、かなりの簡略地図だったんで、私、ぐんぐん迷って行ったのです。どんどん森の中に入って行っちゃったのね。1メートル先が見えない程の濃霧の中をね。ぐんぐん。8キロくらいの荷物を背負ってね。「かなり間違えている……」っていう自覚も無いでは無かったんですが、「いや、でも、地図だとこんな感じだ」とも思ったので。 

そこで引き返したらますます夜に突入してしまうと思ったので、進んだ進んだ。しかし「歩けども歩けども、我が暮らし楽にならざり」なんだ。


その時さ………

………


こrrrろっ、こrrrろっ」っていう奇妙な音が上の方からしてきたのね。「?」と音のする方を見たら、道路脇の高い塀のとこにチッコイチッコイお爺さんが乗っててさ、「こrrrろっ、こrrrろっ」っていう妙な音は彼の口から発せられていたのだ。


それで、その爺さん手招きするのよ。


ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!

「…もっ、森の小人だっ!」
「コロボックルかっ?」
「gnomeとも言うかっ?」


……などとパニクった私は、わき目もふらずどんどん進んじゃった。「怖ぇぇぇぇよぉぉぉっ」っつって、ポロンポロン泣きながら歩いてったのです。もう、あれだよ、アニメとかで振り子みたいに涙がブランブランしてる絵があるでしょ? あんな感じあんな感じ。

一発貫太クン?の涙がボロロロローンって振り子のようにぶら下がるかの如く。(と言ったら友人から「それって、いなかっぺ大将の大チャン?」と言われた)


そのとき道路脇の霧がすーっと晴れ、 『空 き 部 屋 あ り ま す』 という看板が見えた。そこにはぼぉぉぉぉっと灯りの灯った古宿が浮き上がってきたのですわ、濃霧の中に、そこだけ晴れてて。


あなた、そこに泊まる勇気、ある?

「『世にも奇妙な物語』とかだと、こういうところに泊まっちゃうと『奇妙な世界』に入っちゃうんだよっ。帰ってこらんないんだよっ」って思った私は、ようやくそこで引き返す勇気を得たのでした。もう、8キロの荷物を背負ったまんまぶんぶん走ったっす。インフォメーションオフィスまで、脇目も振らず。

いや、脇目、一度だけ振りました。さっきの「森の小人」がいるかどうか、それだけは横目でチラッと確認した。居なかったけどね。


結局その夜は、インフォメーションオフィス脇の4ツ星ホテル(Tivoli Hotel Sintra)に泊まったのでした。やけっぱちで、あなた、翌朝にはバスローブ着てルームサービスなんか取っちゃって。阿呆かと。もう、大変に豪奢な卒業旅行に成り果てていました。散財続きです。


やっぱりあれです。「今日のうちに」とか「なるべくリーズナブルな宿を」とか言うのはやめた方がいいね。行き当たりばったりな旅はよくないです。たとえばリスボンに到着した昼下がりにリスボンで一泊するっていう決断をしとけば、こんなに怖い目に遭わずに済んだだろうな。そして、今こうしてこの文を書いていることもなかったのだろう


友人がこのあいだメールをくれたのです:
「濃霧の森で引き返す勇気を出してよかったんだよ。ブレア・ウィッチ・プロジェクトの子達は、迷ってるかもって思ってたのに意地はって突き進んじゃってたいへんに怖い目に遭ってたのよ」


このセビーリャ~オリャォン~シントラの旅以来、私は、「新しい街に昼3時過ぎに到着した場合は、宿代に糸目はつけない」を鉄則に旅をするようになりましたよ。「急ぎの際は飛行機利用もやぶさかではない」と言うのも。


以上です。卒業旅行らしいエピソードがほとんど無いようですが…。


写真は準備中。といってもろくな写真がない。当時はなんだかよくわからない写真ばっかりだ。


卒業旅行顛末
1章: リスボン着 
2章: セビーリャを目指す
2章の補足 位置関係
3章: セビーリャ 朝~昼
4章: セビーリャ 夕~夜
5章: 余談
6章: セビーリャを去る
7章: ポルトガルへ

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Mi primer viaje 初めての旅行 [第6章] セビーリャを去る

patio気がついたときには、セビーリャで1週間もゆっくり過ごしていた私ですが、そもそもこの卒業旅行の本筋はポルトガル周遊だった。ポルトガル周遊の計画なら、かなり綿密に立てていたんだ。だから、セビーリャに腰を落ち着けてもいられないと思い、リスボンに戻る準備をした。


その日…


私の泊まってる宿のパティオ(写真)に、旅慣れた風の日本人の男性がフラッと現れた。


なんていうのかな……。猛者風味。


いがちでしょう

俺、バックパッカー歴、長いです

ほにゃららの時刻表で計画立てるのも慣れっこっす(=ほれ、よく知らんけど、ヨーロッパ全土?かなんかの列車時刻表が掲載されてるような、イギリスだかどっかの出版のガイドブックみたいなやつさ)

風呂? 風呂付の宿なんてゼータクだね、キミ。俺は共同シャワーでOK

ヒゲ? 伸ばしてます

パスポート? これ以上証印押せなくて困ってます

ちょっと下品に振る舞う方が、えっ? かっこいいんじゃなくて?

どこそこの国では、こんな危険な目に遭いました、どこそこでは大麻、吸ってばっかりだったんすよ、俺ってなんだかスゴくない?

みたいな1人旅の人っていがちじゃないっすか。いや、もちろん、上記の項目、そういう体験を積んでることは決してマイナスじゃないよ。いい体験も十分ある。少なくとも以外は。


でも、これらの経験を、他の旅行者を睥睨するための武器だと思いこんでるっぽい輩もいるでしょ? 勲章だとでも思っているのか、「どうじゃ?」って言いたげなのがプンプンと臭う人。そういう御仁はたいていの場合、宿泊先で幅を利かせており、後から来る日本人に主(ヌシ)のように扱ってもらうことで御満悦になっていがち。


そういう男が一人、私のいる宿のパティオにノソッと入ってきて、ソファにふんぞり返ったのでした。いや、本当にどうして彼はあんなに偉そうだったんだろう? 自分が泊まっているわけでもない宿で、何故にあそこまで? 私もその辺アレなので、適度に彼のプライドをくすぐってやるような合いの手を交えながら会話をしてました。

そのとき私が、「明日、リスボンに戻ろうと思うんですよ」って言ったら彼が、「えっ? マドリードまで戻ってそこから、とかじゃなくって? セビーリャから直接リスボンに行けるバスなんてあんの? 一緒に行ってもいいかなぁ?」って言ったのです。


そこで、1人で行きたい旨を巧妙に伝えるセリフが在るなら御教示願いたい


断れっこないですよ、私、人当たりいいんだもん。結局、翌日、2人でセビーリャを発ちリスボンに向かうことになった。


長距離バスステーション (プラサ・デ・アルマス)で発車まで時間が余ったので、とりあえず軽食でもということになり食べ始めたのですがね。

彼が、いやはや、『The・犬喰い!』なのですわ。咀嚼音も高らかに。あれを、もしかしてもしかすると「カッコイイ」とか「俺、武骨っ」とか思ってるんだろうか? ほら、なんせ彼、‘猛者’だから。……お行儀悪いってだけなのになぁ。


私、辟易でした。


「我々の会話を理解できないヨーロッパ人から見たら、我々2人ってどう見てもカップル…なんだよな? このジャパニーズ2人は新婚さんかい? とか思われてたらどうしよ…。それはイヤだな…」ってことに気づくのにたいして時間は要しませんでした。

バスの発車時刻になったんですがね。

いや、なに。


切符を買った時に「?ん ?来た時より、なんか安い気がする」と思ってはいたのだけどさ、はっきり発音してなかったせいで、「Ayamonteまで」を、切符売りのオネイサンが「Almonteまで」だと思って発券してたんだわ。アルモンテはセビーリャからそんなに離れてないはず。だから切符が安かったんだわ。


私、なんだか一気にブルーになっちゃって。先ほどの『The犬喰い』を目の当たりにして、その男にもけっこう辟易してたところへ、切符が違ってたからさ。幸先が悪いと思っちゃって。


いや……まぁ、そのぉ……


切符買ったのは私だったのですがね


もー、なんだか急速に、「メンドクセー、知らない人の旅のルートまでを私が責任持つのってメンドクセー、しかも、『The・犬喰い』だし…」とか思えてきて。人間関係とかどうでもいいや、何思われたってかまわないやって思えてきちゃったのね。だから、


「すいません、やっぱり私、1人でリスボンに行きたいんですけど。おひとりでどうにかしてくれます?

って言っちゃったの。失敬にもほどがあろうというもの。どこが「私、人当たりイイ」んだか。


猛者、怒ってどっかに行っちゃった。今ごろ彼はあちこちで、「セビーリャで出会った日本人女がよー」って愚痴って廻ってるかも知れません。「急に態度変わっちゃってさぁ、あの、キ○ガイっ」って。

ふふふ。もしもこれ読まれちゃったりしてたらマズいな。


もうしわけないね、貴方の犬喰い&咀嚼音がイヤだったのね。

だってさぁ、だって犬食いなんだもん。

一緒に行動してて私まで変な目で見られるのはイヤだったんだもん。


そして私は第7章でいよいよポルトガルに入ったのだ………が!


卒業旅行顛末
1章: リスボン着 
2章: セビーリャを目指す
2章の補足 位置関係
3章: セビーリャ 朝~昼
4章: セビーリャ 夕~夜
5章: 余談
6章: セビーリャを去る
7章: ポルトガルへ

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Mi primer viaje 初めての旅行 [第5章] 余談

第3章で、タクシーの運転手さんと私はテレパシーで会話をし、わりと綺麗なホテルまで乗せていってもらえたわけですが、このホテルのことがまったく思い出せなかった。

旅行から10数年が経ち、2008年の秋、これを書いています。(投稿日時の2000/10/01というのは旧サイトにこの旅行記をアップした日づけであって、今この文を書いている日付ではないです)

KLE4cさんのblogでGoogleのストリートビュー・スペイン版が開始というニュースを目にし、もしかしてあの、私にとって記念すべきスペイン第一夜を過ごしたホテルが映っているかもしれないと思ったのでした。それで、セビーリャ旅行記をこのブログにまとめなおそうと思い立ったのでした。


ホテルの名も番地も思い出せないで10年も15年も過ごしてきた。どうしても思い出せなかった。調べようとしたこともあった。でもそのたびに断念した。

ただ、あのホテルで一晩過ごし、明朝早くから起き出してサンタ・マリア・ラ・ブランカ通りまで歩いたルートはおぼろげに記憶に残っていた、というよりむしろ身体が覚えていた


「そうだ。だからあの道をサンタ・マリア・ラ・ブランカ通りから逆さまにたどればいいのだ」。そう思いついた私はGoogle Mapでサンタ・マリア・ラ・ブランカ通りを起点とし、元来た道を戻るように歩いてみた。

まっすぐに歩いてきて……そうそう……大きな通りに面していたのではなかった……奥まったところ……ここじゃない……ここか? ここの小路か?……いやここでもない……と辿ってみた。立ち止まってはストリートビュー、ダメとわかればまた歩き出し、また目星をつけてはストリートビューでぐるぐる見てみた。


…んーー、こんなに歩いたっけーー? やっぱり記憶が間違っているんだろうか、もうホテルがつぶれたのだろうか……


と、諦め半分で開いて見た小路にあったよ! あったよ!


Ver mapa más grande

この階段を運転手さんは私の荷物をかついで駆け上がってくれたんだ。そう! ここ、ぜったいここ! 行き止まりみたいなところにあのホテルはあったの、そう! ここ!

おかしな話、私、おもわず涙ぐんでしまった。よくインターネット上のいろんな新機能が公開されると、「感動ー!」とか安易に言われていて何を大げさなと思っていたのだが、これは本当に感動した。このホテルをこんな風にある種のタイムスリップで再び訪れることができようとは思っていませんでした。

・‥…━━━・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


黄金の塔の前で出会った男性二人組(第4章)。彼ら2人の出会いも珍妙だったと聞いてます。

まだ二人が知り合いでもなんでもなかった時のこと、マドリードの駅で、英語圏人とおぼしき観光客がスペイン人警察官に職務質問されて困ってたんだって。共通の言語ツールを持たない2人の人間だから無理もないね。

そこへ、AさんとBさんが別々に通りかかったらしい。なんとなく目が合ったA・B両氏は、観光客と警官に近づいていったそうだ。

英語圏人観光客: スペイン語まったくダメ
スペイン人警察官: スペイン語ONLY
Aさん: スペイン語ほっとんど知らない、英語圏留学経験者
Bさん: スペイン語はOK、英語は普通の日本人程度

この4人で会話をしなきゃいけなかった。

A君が英語で観光客に、Can I help you? 的なことを、B君はスペイン語で警官に、Le ayudo? 的なことを、 それぞれ申し出たって。そこから先は………


警察官-(スペイン語で)

B君-(日本語で)

A君-(英語で)

観光客-(英語で)

A君-(日本語で)

B君-(スペイン語で)

警官-(スペイン語で)

B君………


という具合に延々やったらしいです。国籍は?名前は?ここで何してるんだ?に始まり、延々と。それが縁でA君とB君は友達になりましたってさ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


ところで、スペイン語ですが。

ポルトガル語科の教授が昔、「スペイン語は全く勉強してませんでしたが、ポルトガル留学中にちょっとスペインまで旅行に行く際、電車の中でザッと文法書を読んだら後は問題無しでした」と言っていた。

そういえば私も、リスボンからセビージャまでのバスの中で旅の六カ国語会話会話集(※たしか、間違えてポルトガル語の入っていないのを持っていってしまっていた)をいっしょうけんめい読みましたよ。

「ポルトガル語のあの単語がスペイン語ではこうなるわけね。ほほぅ。ふむふむ。えっと、それで、んっと」っていうのをダダダとギューッと詰め込んでおいたら、後はそんなに困らなかった。ような気がする。

スペイン語の音はポルトガル語よりはっきり聞こえたのだと思う。聞き取るのはポルトガル語より楽だったよ。だからこそ、一人で、ガイドブックも地図も持たなくても1週間楽しく過ごせたんだろうって思う。


後年、スペイン語を勉強し始めてからスペイン語学科の人々が言ってるのをよく耳にしたんだけど、「スペイン語をやってるからポル語も簡単にわかります」って。あれ、違うと思うのね。

スペイン語学習者が、スペイン語と似ているからポルトガル語を理解できるって思い込んでるのは、たいそう安易かつ危険な発想だと思ったわけ。ポルトガル語はそう簡単には聞き取れないだろうと思う。書き言葉ならたしかに酷似してるから読解にはほっとんど何の支障もきたさないだろうけどね。

あれは、でも、逆ならばおおむね正しいと思う。つまり、ポルトガル語学習者がスペインに立ち寄って、「あぁ、言ってることけっこうわかるじゃん、うん、うん」って思うのは大いにありうる。スペイン語の方がポルトガル語よりもずっとずっと音がクリアに聴こえる(と、このセビーリャ旅行を通して私は実感した)のでした。

だけど、スペイン語の音に慣れているという人がポルトガルにフラッと立ち寄って、はたしてポルトガル語を理解できるかどうか、ってのはけっこう疑問です。


さて、旅の続きを話します。第6章ではいよいよセビーリャを去ろうとします


卒業旅行顛末
1章: リスボン着 
2章: セビーリャを目指す
2章の補足 位置関係
3章: セビーリャ 朝~昼
4章: セビーリャ 夕~夜
5章: 余談
6章: セビーリャを去る
7章: ポルトガルへ

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Mi primer viaje 初めての旅行 [第4章] セビーリャ(2)

3章でヒラルダの塔に登ってまでみたのにM子・K子には会えなかった。16時を過ぎた頃、私は黄金の塔に行ってみた。

だって、当初の約束の待ち合わせ場所はそこであり、しかもその日の17時~19時だったのですよ? M子達は来る筈だと思うでしょうが。昨日会えなかったのなら、今日、本来の待ち合わせどおりに来るはずだと思うでしょうが。


cocheその時私は、見なくてもいい観光馬車を見てしまった。観光客を乗せて街中の観光スポットを走る馬車。

キラリン! 私、ひらめきました。

おじさんとの交渉に入りました。これで街をまわればどこかしらで彼女たちを目撃できるかもしれないと思ったのです。

値段は街を一周で3500ペセタ。その日の新たな宿(=『拠点』とやらに決めた安宿)は3000ペセタ。一泊分よりも高い馬車料金なのよ。悩んだとも。だが、ここは一つ腹括って乗るしかあるまい。


この旅行、『腹括って』ばっかりじゃないか。


乗りましたよ、しかも助手席に乗りましたってば。馬車に乗ろうとしたとき、運転手さんが足で踏んでカランカランと鳴らして馬に合図を出す鐘のボタンを、私が何度も踏んでしまったので、そのたんびに馬クンがぶるるるっと言いました。

のちのちこのセビーリャ旅行の件を友人に話したけど、さおりちゃん(仮名)のお気に入りシーンは、私が国境の川べりでパンを貪るところらしい(第2章)。他の友人に話すときに私がそこを割愛すると脇で聞いてて叱るのよね。「あれ、言ってくれなきゃヤだ、パンを食べるとこ。ちゃんとあそこしゃべってよ」って。

そして由梨絵ちゃん(仮名)のお気に入りシーンは、この馬車の助手席らしい。

「だって、外人観光客が家族連れで乗ってるのなら見たことあるけど、未だかつて‘独りで’乗ってる人って、あたし見たことないよ?

しかも、あんた、助手席って。

……家族連れの末っ子とかがはしゃいで乗ってる席だよ、あそこは」


馬車は走り出した。

私は‘目を皿’である。御者のおじさんの説明なんて聞いちゃいない、そもそも理解しちゃいない。「これが○○像」って言われれば「はぁ、○○像ですか…」、「これが○○公園」って言われれば「はぁ、○○公園ねぇ…」ってオウム返ししていただけだ、いま思い返すと。

だからたとえば、今これら2枚の写真を見ても、なんの建物/像なのか、私には見当がつかないのね。誰か、名称がわかったら教えてください。
estatua edificio


私の目線は絶えず行き交う人々を追ってました。凝視です。M子たちを見かけるんじゃないかと思って。

でも、馬車も徒労に終わった。3500ペセタの散財。


torre再び黄金の塔に戻り、私はジッと待った。その時、日本人の男の子2人組Aさん・Bさんに声をかけられました。

彼らはセビージャに詳しく、こういうふれあい(?)が好きだったようで、「なんだか面白いじゃん」と言った。そして目についた日本人の若者を捕まえては、片っ端から声をかけ、M子&K子探しツアーを組んでくれました。

どんどん日本人の子が集まってきて、「さっきあっちの方へ歩いていく似たような2人組を見た」とか情報をくれるわけです。そのたんびに「俺が行ってきてやる」と走って追跡してくれたりした。


結局、その夜も見つからず、彼らと6、7人で飲みました。(ちなみに彼ら2人の出会いも珍妙だったと聞いています


さて、私とM子たちは、セビーリャで落ち合ったらその後は南下してフェリーでモロッコ入りしようと計画していたのだ。だけど、旅慣れたAさん・Bさん曰く、

「それは本当に危険」「スペインからモロッコに入るのにフェリーでTangerまで行って、っていうのはけっこうヤバいよ」「女2人組とか3人組ってのがなおさら」

らしいのよ。だから、尚のこと、私はM子とK子を捕まえてモロッコ行きを断念させなければと思ったのだった。だが、しかし…。


本題はここから。


え゛っ?って感じ?


ここまでの3章は前置きです。大事なのはここから。


彼女たち2人はその日すでにモロッコ入りしちゃってたんだぜ。


ぱぁどん?


いいですか?

・21日に私が日本を出る
・彼女たちは10日前くらいにスペインの北部から旅を始めている
・24日夕方17~19時が当初の待ち合わせ時刻
・それを向こうの都合で23日に来てと、一日繰り上げた
・23日にどうにかこうにかセビーリャに着いたが、彼女たちの電話口での‘不手際’で宿名などを教わってなかった私は23日に会えなかった


ならば、24日の待ち合わせ時刻に来いよ。


と思わないですか?


彼女たちは、23日に「Reineちゃん来なかったねぇ」と言い、24日の早朝にはサッサとセビーリャを発っていたのだ。


あったし、こーゆー不手際、許せないのよね。22日の夕方に私に電話してくるときに、何が一番大切な情報なのか、考えて行動してよって。小銭をたくさん用意してから電話せぃ、宿の名前正確に記憶せぃ、電話番号覚えぃ、だ。小銭がなくなってから、あんな不十分な連絡じゃダメだってことに気づけってばとか、気づいてからもう一度電話してよ、などなどは今でも思う。


ガキの使いじゃあるまいしと。


しかも帰国後に彼女達によくよく聞いてみると、2人が泊まっていたのは、サンタ・マリア・ラ・ブランカ通りじゃなかったんだ。


ったく。(ぶつくさ)


私はその時、K子たち宛に葉書を出して、「死ろす」と言いそうな勢いでした。しかし私は実はそれから1週間セビーリャに滞在しました。彼女たちに会えなかったといってポルトガルにとって返すのもなんだなぁと思ったのでね。

必死で地図を見つめながらM子とK子を探し回ったので、今でもセビーリャの地理には全く困らないかもしれないと密かに思ってる。路地まで憶えている。と思う。

この‘事件’から2年半後に両親とスペイン旅行をしたときも、セビーリャの入り組んだ町並みをひょいひょいすり抜けてバス停から迷わずにスタスタと歩き、私がサッサと可愛らしい宿を確保したとき、普段ぶぅぶぅ文句を言いがちな父もさすがに褒めた。「まさか、こんなにこの街のことをわかってるとは思わなかった」と。

そりゃぁね、あれだけ地図を見ながら走りまわれば、イヤでも記憶に残るのよ。


セビーリャ事件は終わってみればあまりにも楽しかったので、帰国してからはM子たちに怒ることも全くなかった。

最初のリスボンへの電話のときに「無理だよぉぉぉ」ってか細く言うからもう来ないかと思ってた」そうだ。わからないでもない。そう思ったのも無理はない……かも知れない……。

まぁでも、「あぁ、いいよいいよもう。なんせセビーリャは楽しかったから」という感想の方が勝つので、それで流している。


このセビーリャ騒動で知り合った人々とはその後もけっこう連絡してました。ヒラルダの塔を一緒に登った女の子からは、後々手紙が来て。

「あの日セビーリャにいた人たちの同窓会、開きましょう」「あの日、セビーリャにいた日本人はたぶんみんなReineさんのこと知ってたよ。会う人会う人、Reineさんのこと言ってたよ」とあった。


さて、第5章では余談を扱おうと思います


卒業旅行顛末
1章: リスボン着 
2章: セビーリャを目指す
2章の補足 位置関係
3章: セビーリャ 朝~昼
4章: セビーリャ 夕~夜
5章: 余談
6章: セビーリャを去る
7章: ポルトガルへ

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Mi primer viaje 初めての旅行 [第3章] セビーリャ

第2章でようやくセビーリャに到着し、よろよろとバスを降りた私)

スペインのタクシーは悪質だなんだと日本を発つ前にさんざっぱら予習していた私だが、ここは一つ腹を括って乗るしかあるまい。

乗りました。怪しげなスペイン語で、「カテドラル、ソバ、友達2人ワタシ待ッテルラシ」「私ノ友達、2人、待ッテルネ、私、行カナイトネ、ワタシ探スネ」みたいなことを言った。

そしたら運転手さんが


宿は全部、カテドラルのそばなんだぜ?」って……。


そ、そんなぁ……。きっ、聞いてないっ。


(冷静に考えると、前の晩の電話ではストリートの名前だけは彼女たちは叫んでくれていたんだよね。ギリギリ最後に。でも、このとき私は通りの名前をすっかり忘れていたのだ。動転してたの)


だけどそのとき、ビビビ、わたくし電波を受信しました。

運転手さんと私の間にはある種のテレパシーのようなものが働いたのだった。彼のスペイン語はわからないけど、彼の言ってることはわかった(気がした)のよ。彼は間違いなくこう言っていた。はず

「今夜のところは俺が適当なホテルに連れてってやるから、値段次第でお前はそこに泊まってしまえ。そして明日の朝元気になったらその後ゆっくり友達を探せ」

そして彼の言葉に従い、彼が見繕ってくれた三ツ星ホテル(※第5章参照)に私は泊まった。悪質でもなんでも無かったよ、運転手さんありがとう。運賃600ペセタのところ、200ペセタもチップをあげたらしい(←当時のアルバムにそのようにメモしてある)。


ようやっと寝ようとして電気を消した瞬間に思い出したんだ。「サンタ・マリア・ラ・ブランカ通りだ!」って。だからまた服を着替えてフロントに行き、「地図下さい」と言ったの。

エルコルテイングレスというデパートがサービスで作って配布している地図だと思う。エルコルテの店舗が在る街なら、ツーリストオフィスとかホテルフロントなんかに、たいがいはこの地図を置いてあるんじゃないかな。

「エルコルテはココ」っていうマークがしっかり入っているのね。もちろん私はこの旅行の時点ではそんなことは知らなかったから、「なんだか緑の三角のマークがあるなぁ」と思ってただけでしたが。


翌朝
スペインとポルトガルの時差がもはや省略されたんだっけ? えっとなんだっけ? 同時刻なんだったっけ? それともスペインが一時間早かったんだっけ? 早いとしたらなんなんだろう? えっと、何時なんだろう? 私が持ってきた目覚ましはどこの時間なんだろう?

と混乱をきたした私は、たぶんスペイン的にはとんでもない早朝に起き出して、地図を片手にサンタ・マリア・ラ・ブランカ通りを探した。スペインなんかでは通りの名がプレートに掲げてあるからこういう時には助かるね。


そしてサンタ・マリア・ラ・ブランカ通りに辿り着いた。


「ここねっ。ここにあるペンションに行けば、彼女達はまだ寝ているはずねっっ」と意気込んで、その角を曲がった…。



Ver mapa más grande



……ペンションだらけだった。


…………


…あっ…

…………


アリババと40人の盗賊かよっと思いつつ私は片っ端から起こして回った。「日本人ノ女2人イルカ?」と訊いて回った。ずいぶん迷惑な話だ。


だがどこにも彼女たちは居なかったのです。


私はいったんホテルに戻りました。朝9時頃にチェックアウトして、サンタ・マリア・ラ・ブランカ通りに移って、一つのペンションにチェックインした。当然その方が安いからね。そのペンションを拠点にして半日かけて街を探せば2人はきっとまだセビーリャ観光をしているだろう、会えるだろうと思ったのでした。


そして私の一日が始まった。もうスペイン語もかなり強引に使っています。

日本人旅行客(時期的に、主に学生)はたくさんいたので、会う人ごとに捕まえちゃぁ、M子・K子らしき2人組を見かけなかったかどうか聞いて歩いた。カフェバーの紙ナプキンに、私の名前と私のペンションの名前を書いて、「丸顔の女(M子)とタヒチ顔の女(K子)を見かけたら、この紙を渡してください」と頼んで回った。

その時、ヒラルダの塔が目に入ってしまったのね。すごく高くって、でも観光名所で、でも登るのは大変で、建築に相当な時間を要したもんだから、たしか途中で△△様式になったりそこから上は○○様式に変わったりしてるとか…それくらい高い塔ではなかったかな?


……ここは一つ、腹括って登るしかあるまい。


登った。あの二人は絶対にこういうところを見る筈だと思ったのです。だから登った。(その途中で知り合った日本人の女の子とはその後しばらく文通が続いた)。登りきったらゼェハァゼェハァですわ。そりゃぁもぅ。


しかし、居ないのです。街中探しても居ないのです。(第4章へつづく


卒業旅行顛末
1章: リスボン着 
2章: セビーリャを目指す
2章の補足 位置関係
3章: セビーリャ 朝~昼
4章: セビーリャ 夕~夜
5章: 余談
6章: セビーリャを去る
7章: ポルトガルへ

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Mi primer viaje 初めての旅行 [第2章 補足] 位置関係

第2章の行程を図解。

ポルトガル
portugal

スペイン
spain

国境
frontera
Vila Real de Santo Antonio ヴィラ・レアウ・デ・サント・アントニオ
Ayamonte アヤモンテ

車をまっすぐ飛ばした場合、たぶんこんな感じになるらしい図
directo

つまり、直通だったならこうなるらしい
Total distance:  398 km
Travelling time:  03 h 44 mn
Average speed   106 km/h


その場合、わざわざリスボンから真南へ下りていくことはしない。まっしぐらに南東のセビーリャに向かってひた走っている。だけどローカルバスを乗り継いで行こうとすると、Total distance: 398 kmでは無いし、Travelling time: 03 h44 mでは無かったのです。


Ver mapa más grande


道のり
リスボンから真下というか南南東に下りていき、ファーロ

ファーロから真横というか東に向かい、ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ(国境)

そこからフェリーで、アヤモンテ(スペイン国境)

そこから横に行って、ウエルバ

まだまだ横に行って、ようやくセビーリャ。


時間  
リスボンを9:50に出て

ヴィラ・レアウに着いたのが15:30

そこをフェリーが出発するのが16:25

アヤモンテに着くのが17:00前

アヤモンテをバスが出るのが18:00

ウエルバを過ぎるのが20:00

セビーリャに着いたのが 22:00近く


というわけで第2章に戻る


卒業旅行顛末
1章: リスボン着 
2章: セビーリャを目指す
2章の補足 位置関係
3章: セビーリャ 朝~昼
4章: セビーリャ 夕~夜
5章: 余談
6章: セビーリャを去る
7章: ポルトガルへ

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Saturday, September 30, 2000

Mi primer viaje 初めての旅行 [第2章] リスボン~セビーリャ

第1章

彼女たちからは連絡など一切入らぬまま夜が来た。

私はその夜(=つまりリスボン初夜)、子供の頃から文通していたポルトガル人の女友達に会った。ホテルまで来てくれたのだった。7~8年間文通していた相手と初めて会って抱き合うっていう喜びも束の間、私はさっそくセビーリャまでの道を聞いた。

彼女によると、リスボン-セビーリャ間の直行バスがあるにはあるらしい。私の肚はその時には既に決まっていた。


行くしかあるまい」。


翌23日朝7時半、起床。
時差ボケのせいか頭もはっきりしていませんでしたが、私は朝食をとりに食堂まで行きました。そして、ボーイの目を盗んでいろいろ食材をちょうだいしました。ジャムとか。そして、パンを何枚か取って来てはサンドイッチを作り、それをサササッと洋服のお腹のとこに隠し持つ格好で食堂を出た。

だって、パン屋でまた困ったら困るじゃないか。


いよいよチェックアウト。
朝のリスボンの町に足を踏み出した私。もうその時には昨日の挙動不審が嘘のように、全力でポルトガル語です。火事場の馬鹿力ってことですよ。とにかくしゃべりまくり、尋ねまくり。「バスステーションはどこ?」から始まり、地下鉄に乗って、バスステーションまで着いてインフォメーションセンターに直行。

「セビーリャまでのバスは?」と聞くと、オネイサンが「うーん残念」って顔をして、「直行バスは毎日出るわけじゃないのよ」と言う。がっくり肩を落とすと「今日はあったわ」と言う。安堵と喜びで目がキラキラしちゃった私に対し今度は、「でもね、7:30に出たのよ」と!

私は7:30に起きたんだ。間に合うかってのよ。再びうなだれた。


「今日中にセビーリャに行かなければならないの」と言うとオネイサンが妙案を。「直行バスは無いけど、ローカルを乗り継いで行くって手があるのよ」



リスボン

Vila Real de Santo Antonio
(ポルトガル側国境の町)

フェリーで国境越え

Ayamonte
(スペイン側国境の町)

Huelva

Sevilla

地図を大きく

「これなら行けなくもないわよ」って。(位置関係図を別ウィンドウで開きます


「で、ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ行きのバスは?」と訊ねると、「あと5分で出る」って! そこから猛ダッシュですよ。バタバタと切符を買って、地下の発着場に駆け降りて、とりあえず飛び乗った。


朝9:50頃に私はリスボンを発った。


Vila Real de Santo Antonio 15:30、ポルトガル側国境ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオに着いた。

川べりで犬が寝そべっていた。私はそこで国境の川を見つめながら、「向こう岸がスペインか」と睨み付けながら、朝作っておいたサンドイッチを頬張ったのだ。周囲にパン屋は無かったので大正解だった。


「国境越えフェリーの出発は?」と切符売り場で訊くと、16:25だと言う。


遅い、遅すぎるっ。セビーリャに最悪19:00なのにっ。


しかし、フェリーを待つしかない私。待って、乗った。

16:25、私を乗せたフェリーはゆったりとポルトガルを離れ、ポンポンポンポンとのどかな音を立てて国境を越えた。じきにアヤモンテに着いた。


アヤモンテのバス乗り場に行くとセビーリャ行きのバスは18:00発だという。

遅い、遅すぎるっ。セビーリャに最悪19:00だと言うのにっ。


そこで私はふと客待ちのタクシー群に目をとめたのだった。近づいていって、かなり怪しいスペイン語で聞いた(※アヤモンテはかなりポルトガル語とスペイン語のちゃんぽんであると感じられたが、やっぱりそこはスペイン語で)。

「セビーリャまでいくら?」。

2万ペセタだそうな(=当時の15,000円前後だろうか)。当時の大学生にとって15,000円は、印象としては高くない。ましてやそれでセビーリャの待ち合わせに間に合うのならいっこうにかまわない。「わかった。行ってください」と頼んだ。しかし運転手さんにアッサリと言い放たれました:


あんたは行きたいかもしれねぇけど、俺ぁ行きたくないよ。悪いこたぁ言わないからバスで行けよ、バスで。って言うか、バスで行ってくれ。あと1時間で出るから」。


涙を飲んで、バスの切符を買った私。
1時間も何もすることが無かったので、その辺のバルに入った。


「卒業旅行でいったい何歩歩けるのかしらん? くすくすっ」などと思って万歩計を着けていたのだが、気づいた時には、万歩計はトイレに流れていました。日本を出てからわずかに2日くらいしか経ってないというのに。まだまだ全然歩いてなかったなあ。


18:00、私はアヤモンテを発ちました。ウエルバ経由、セビーリャ行き。
「セビーリャに着いたら教えて下さい」と運転手さんに頼み、私は彼のすぐ斜め後ろの席に陣取りました。だが、これはローカルバス……。1コ1コ停まるんです。そのたびに「セビーリャ?」と質問しては、「まだまだっ!」と煙たがられました。(こないだサザエさんかちびまるこで、小学生がおんなじことをしていました)


ウエルバ着が20:00
辺りはとっぷりと日暮れていました。セビーリャに着くのはすごく遅くなるな……。夜遅くにセビーリャでまごまごするのと、ここで一夜宿泊して明日の朝一番に始動するのと、どっちが賢明だろうかと、ちょっとした決断をここで迫られました。


しかしここまで来たらセビーリャにその夜のうちに行くしかなかったのだ。だって、


スペイン語ができないじゃない、私。
M子・K子と合流しさえすれば、スペイン語は二人がやってくれるんだから。

そして、私はスペインの地図やガイドは持ってなかったんだから。

※彼女達に「私たちが持ってるからダイジョブ、ダイジョブッ」とかなんとか言われていたんだと思うし、荷物も重かったので日本から持っていってなかったんだと思う。六カ国語会話集だけをかろうじて持っていた。そして、リスボン-セビーリャの位置関係だけ出国前に見てあったというだけ。

リスボンから右下に進めばセビーリャだな」程度の認識だった。


22:00、セビーリャ着。真っ暗。私は真っ青ね。
夜ですよ、夜。夜だ、夜。もう夜。でも、子供らがサッカーをしているのが見えた。「今度こそ着いたよ、セビーリャだぞ」とゲンナリ顔で教えてくれた運転手さん。


「着いたはいいが……ここからどーすればいいわけ?」と悲痛な面持ちで私はバスを降りた。(第3章へつづく


卒業旅行顛末
1章: リスボン着 
2章: セビーリャを目指す
2章の補足 位置関係
3章: セビーリャ 朝~昼
4章: セビーリャ 夕~夜
5章: 余談
6章: セビーリャを去る
7章: ポルトガルへ

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Mi primer viaje 初めての旅行 [第1章] 準備~リスボン

大昔の卒業旅行の話。90年代前半の話。

初めての一人旅、初めての海外旅行、初めての飛行機。

私にとっては大胆な旅行計画だったのです。 というのも、私は飛行機が嫌いだったのでね。ジェットコースターにさえ乗らない主義だから。「ジェットコースターの事故なんて滅多に聞かないじゃないか」と思ってみても、また、他人からそのように言い聞かされても、「いや、私が乗った時に限って落ちるのだ、事故は起こるのだ、きっとそうだ」と、心底嫌ってた。飛行機に対する思いも同じ。乗りたくなかった。

だけど、私よりも1年早く就職しちゃっていた友人に「Reineちゃん、今しか行けないよ、就職しちゃったらまとまった休みなんて取れないよ」とはっきりと言われ、ようやく決意しました。「ポルトガルを1ヶ月かけてまわりましょう」。

緊張でぷるぷるしながら準備を進めました。


行程
・出発は2月21日の21:55くらいの、時刻は忘れたがとにかくエールフランス最終便。
・パリ着が2月22日早朝、ドゴール空港で仮眠して乗り換え
・リスボン着が2月22日朝10時くらい  

だったと思う。

ところで、ちょうど同時期に大学同期M子さんと一学年下のK子さんという二人組はスペイン旅行を計画していた。それで私の出発前に彼女達から電話があった:
「私達ちょうどその頃スペインを周ってますから、Reineさん、あなた、どっかで落ち合いましょう / そうだ、Reineさん、あなた、セビーリャまで来てくださいよ / 時間的には、そうねぇ……うまく合わせるとしたら……2月24日だね / その頃なら私達もスペインの北をまわってそろそろ南部に入ってる頃だと思うから」

私は「まぁ、22日朝にリスボンに着いて、24日夕方セビーリャ入りなら……やってやれないこともないでしょう」と思って承知した。


待ち合わせ確認
・24日の17時から19時
・セビーリャ、黄金の塔の前
・とにかくお二人はその2時間はその近辺で私の到着を待っていてください


スペイン語事情
・K子さんはスペ語の授業を取っていたからある程度わかっていただろう。
・M子さんはお父さんが南米勤務なのでわかっていただろう。
・私は英語は忘れたし、ポルトガル語もおろそかだ。ポルトガル語なんてブラジルの歌しか知らない。スペイン語は全く知らない。本を開いたこともなかった。


旅行経験
・2人は旅なれていた
・私は初めての海外
・というか初めての飛行機
・本州から出たのっていったら、初島に行ったとき以来?


さて、2月22日、現地時間の朝10時に私はリスボンになんとか着きました。

そこで全くポルトガル語が聞き取れないことに気づいて蒼ざめた。タクシーの運転手さんの言っていることがわからない。何語??? 日本から予約しておいたホテルに着いたが、今度はボーイの言ってることがわからない。何語??? 

呆然としていると彼はゆっくりと言い直してくれた。「Is … it … cold?」と綺麗な英語で発音していたのだった。ブルブルッなんて唇を震わせながら、「おーさむ!」と身を縮めるジェスチャーまで混ぜて。こっちが「ポルトガル語で来る」と思って身構えてんのに英語なんかでしゃべってくれるから……。

それにしても「Is it cold?」が聞き取れないとは! 部屋を出て行く時のボーイさんの、気の毒な人を正視しづらいみたいな、憐憫の情にあふれたあの目つきは今でも忘れない。


お腹が空いたのでホテルを出たが、何も買えない。いくらなのかを尋ねることができたとしても返答が聞き取れない。パン屋で小銭入れを見つめて為すすべもなく突っ立っていると、隣にいたおじさんが「これとこれね」と言いながら硬貨をつまんで選んでくれた。それでやっとパンは買えた。

私はとんでもないことに身を投じてしまったことを悔いた。
「こんなことなら卒業旅行なんて思いつかなければよかった / あと1ヶ月なんて私はきっと死むー、死んでしまう / FIXチケットだけど、もう帰国してまえ」と。 私はホテルに小走りに戻るや、毛布をかぶってふて寝をしていた。泣きベソです。泣き寝入りとはこのことか。

そのとき枕元の電話が鳴った。 「……は、はろぉ?」とビクビク出ると、M子・K子だった。


「Reineちゃん? 着いた?」

―――……着いたよ…… (かなり弱々しく)

(すごく元気) 「あのさぁ、私達さぁ、1日早くセビーリャに着いちゃったのね。もう今日着いちゃったのぉ。 それでね、Reineちゃんにも1日早く来て欲しいのよ」

―――1日早く…って…………あしっ、明日ってことっ?

(快活に) 「そぉっ!」

―――あた、あたしさぁ…すっごく弱気なんだけど…。(かぼそく)……もう、街の人何言ってるかわかんないしさぁ、英語もわかんないしさぁ…。……行けるのかなぁ…? 行けるのかなぁ? 怖いよ、無理だよぉ…… (消え入るように涙声で)(これがいけなかったのだ)……まぁ、頑張ってはみるつもりだけど…

「あのねぇ、私達が泊まってるのはねぇ、サンタ・マリア・ラ・ブランカ通りだから。 んとねぇ、カテドラルのそばっ」

―――宿の名前は?

(電話口でゴニョゴニョしゃべってる) 「わかんないや」

―――わかんないって、ちょっとっ

「ごめーん、宿のカード持ってくるの忘れちゃった」

―――電話番号はっ?

「知らない、カード持ってきてないもん」

―――あの、あのっ、それじゃぁ、宿の場所とかなんか、えっと、なんk…

「あー、ごめんっ、小銭なくなっちゃうや。切るね!」

―――ちょ、ちょっと待って、待ってっ! (悲痛な叫び)

「サンタ・マリア・ラ・ブランカ通りだからっ。じゃあねーん」

―――もしもしっ、もしもしっ

……(ツーツーツー)…… (第2章へつづく)


卒業旅行顛末
1章: リスボン着 
2章: セビーリャを目指す
2章の補足 位置関係
3章: セビーリャ 朝~昼
4章: セビーリャ 夕~夜
5章: 余談
6章: セビーリャを去る
7章: ポルトガルへ

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