Macario [メキシコ映画]
この文はある意味“ネタバレ”不可避
子だくさんのマカリオは森で集めた薪を売って糊口を凌いでいる。女房も町の富家の洗濯女をして少しは稼いでくるが雀の涙といったところで、一家は極貧に喘いでいる。日々の食事にすら窮するマカリオらを尻目に、町の金持ちは“死者の日”の飾りの細部に至るまで贅を尽くしている。
マカリオは食事をとるのをやめた。「お腹が空いていないの?」と女房にきかれてマカリオは「腹が減ってるかって?生まれてこのかたずっと腹は空きっぱなしだよ」と答える。
「俺は喰うことしか考えていないんだ。ひもじい思いのまま死んでいくのさ。俺はもう誰かに食べ物を分けなきゃならない暮らしはたくさんだ。自分だけ腹一杯七面鳥を喰いたい。誰にも分けたくない。“誰にも”ってのは、子供たちにもってことだ。俺だけで喰いたい。喰いたいんだよ!それができないんだったらいっそもう何も喰わずに死んでいきたい」。
女房は女房で金持ちの女から無慈悲な仕打ちを受け、ひもじさと惨めさと憤りに突き動かされるようについに盗みを働いた。マカリオのために盗んだ七面鳥を女房は子どもたちからも隠し通す。そして「一人でお食べよ」とマカリオを仕事に送り出したのであった。
その日森に入ったマカリオが七面鳥を食べようと包みを開いたところ、どこから現われたのか、怪しい男らが入れ替わり立ち替わり分けろ分けろと声を掛けてくる。一人目は悪魔、二人目は神様であった。マカリオは分け与える気などさらさらない。悪魔にも神にも。
しかし「何千年も食べ物を口にしていない」と訴えた三人目の男には分けてやることにした。
食べ終わるとその男はマカリオに礼をすると言い出した。地面から湧き出た水をマカリオに渡し、「私が病人の床の足の方に立っていたらお前はその水を病人にお遣り。一滴だけで十分だ。でも私がもしも病人の枕元に立っていたら、お前はもうなんにもしないことだ。その人は死ぬんだから。もう私が連れていくんだよ」と言う。
男は死神であったのだ。
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…………これは……まんま『死神』の展開じゃないか。
と、ここで「え?どうしてどうして?」と思って映画をいったん停止しあれこれ検索してみると、そうか、『死神』っていう演目は西洋からの翻案だったのだね。知らなかったわ!
『死神』という咄についてはコレ!という原作はまだ調べがついていないが、とりあえずこのメキシコ映画『Macario』はIMDbによればB. Travenという作家の『The Third Guest』を原作としているようだ。そしてそのB. Travenという人は謎の多い人らしいです
というわけで、死生観の面白さを味わうだけでなく、子どもの頃から馴染んできた落語の世界まで覗くことができて、二重に面白い作品でありました。いやあ、圓生につながるとは全く予想していなかった。
残念ながら日本のアマゾンでは扱いが無いようだ。
以前友人に「死者の日って?」と聞かれて、死者の日について言及のありそうな書籍を検索したことがあるので羅列しておこうと思う:
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