Operación Ogro [スペイン映画]
ETAによるカレロ・ブランコ首相暗殺事件(1973年)を実行犯グループの視点で描いた作品。今回は映画そのものの話よりは、関連事項のメモをしておきます。
‘鬼作戦’という名で計画実行されたカレロブランコ首相暗殺事件についてはこれまでにもちょっと書いたことがあります。
『El Lobo [スペイン映画]: Cabina』
『La pelota vasca. La piel contra la piedra [スペイン映画]: Cabina』
ETAについては下記の作品でも触れました:
『GAL [スペイン映画]: Cabina』
『Entre las Piernas / スカートの奥で [スペイン映画]: Cabina』
『スペイン現代史』 第11章 スペインの社会問題 より
●ETAの前身EKINの出現
フランコ独裁体制下の1953年、バスク民族主義の活動家とPNV(バスク民族党、1894年結成の青年達は、同党の穏健路線に満足できず、独裁体制打倒のために闘うバスク愛国戦線としての組織EKIN((我らと共に行動を)を結成し、……略……後に結成されるETAの前身となるものである。しかし、EKINは、フランコ体制下で剥奪されたバスクの自治権の復権を目指す勢力とバスク地方の独立を目指す勢力との間で内部対立が深まり、フランコ体制による激しい弾圧が続いたので、1957年には解散を余儀なくされた。
●ETAの出現
弾圧を免れたEKINの構成員やバスク地方の若い学生たちは、フランス・バスク地方において、1959年、バスク民族解放のための革命グループETAを結成した。ETAは、マルクス・レーニン主義をイデオロギーに掲げ、バスク地方(スペイン側4県とフランス側3県)の国家からの分離独立をめざし、戦術としてのテロ活動を否定しなかった。
映画『Operacion Ogro』では、ちょうどこのEKINの解散とETAの結成のあいだ、1958年なのかなあと思われる頃が描かれています。学校でバスク語をしゃべったということで教師から体罰を受ける児童の様子など。
「おまえたちはスペイン人だ。ここはスペインの学校だ」といってピシリピシリと児童の手のひらを棒で叩いていく教師に対し、子供たちが「バスク人です」「バスク人です」と口答えし続ける。このシーンは『La pelota vasca. La piel contra la piedra [スペイン映画]: Cabina』で観たことがある。
主人公のチャビたちは子供の頃から夜間に警察の威嚇発砲をかいくぐって“レジスタンス”の落書きをして歩くなど、バスク人としての抵抗の精神を強く示していくのです。そうこうするうち、聖職者であるジョセバ先生は本格的に闘争の生活に入るため学校を去る決意を子供たちに明かします。(挨拶のことばはコメント欄に⇒)
これらがちょうど1958年のこととして描かれています。
ここから15年跳んで1973年に舞台が移ります。ジョセバのもとに集まったメンバーで、ルイス・カレロ・ブランコを暗殺するのか拉致誘拐して交渉の人質とするのかを投票で決めています。
このシーンにもありますが、当初は誘拐するつもりでETAは動き始めたんだね。(チャビ―――青年となっている―――は最初っからずっと暗殺派。「ルイス・カレロ・ブランコを暗殺することは僕たちの正義じゃないですか、奴はフランコの後継者なんですよ、奴こそがフランコ独裁主義をまとめあげてしまう人物なんでしょうが、奴がいる限り独裁体制は維持されてしまうんですよ!」と強く主張していた。)
再び『スペイン現代史』、さっきのつづきを読んでまとめると、フランコ独裁体制がバスクに加える弾圧があんまりにも酷いから、バスクの人々もだんだんとETAへの理解・共感を抱き、“暗黙の支持”を与えるようになったって。それでETAは1968年8月のサン・セバスティアン警察署長の暗殺をはじめとして軍人、警察官、政府要人を標的としたテロ行為を繰り広げ、次々に逮捕者を出しつつもどんどん強大化していった、と。
そして、
ETAの活動は、1973年、カレロ・ブランコ首相の暗殺で頂点に達した。フランコの右腕として独裁体制を存続させるために腐心していたカレロ首相の暗殺は、……略……独裁体制の崩壊につながった。
この頃にETAが政治闘争派と武力闘争派に内部分裂したということも『スペイン現代史』に書いてあります。その辺は『El Lobo [スペイン映画]: Cabina』にも描写があったと思う。内部抗争で武闘派が穏健派を処刑しちゃったりしてた。
こんな風に歴史の授業の副読本でも読むように淡々と進む作品なので、《映画》としては面白いんだかなんだかよくわからないです。現代史ものというと、どうしてもこうなってしまうのかな?
でも、《副読本》としては面白いと思うんだよ。
・ETAの中での武闘派がバスクの人々の意識からはもちろん、ETAの中ですら浮いた存在になっていく感じ
・「マドリードのタクシー運転手の半分はフランコ体制の密偵みたいなもんだ」というセリフ。(スペインの友人がこないだ「スペインのタクシー運転手は《右派》、もーね、全員だよ!」と言い切っていたのを思い出してしまう)
・当時同じように弾圧されていた労働運動の様子(ストライキとスト破り)
・ETAは労働運動で弾圧される人たちにシンパシーを覚えていたかもしれないけど、さあその逆はどうだったんだい?と。(「企業家の誘拐、爆弾、警官暗殺、君らのやってることって俺には意味があると思えないんだ」とピシャリと言われてしまったり)
・ETAの人間が射殺された時のバスクの普通の市民があげる抗議の声(と、それをもう抑えられそうにない警察側の動揺)
・アメリカ(CIA)はカレロ・ブランコ暗殺の企てを知っていながら知らんぷりをして決行に至らせたんじゃないかという説があるけど、この作品でもそれらしきセリフをETAメンバーのルケが言う。(「アメリカ大使館もすぐそばにあって、これだけ悪臭と騒音をまいているというのに、誰も疑わないなんておかしいじゃないか、俺たちがカレロを殺した方がいいって思ってる人間がいるんじゃないのか」)
……などなどが描かれています。“描かれています”より“書かれています”っていう印象なんだよ、どうも、この作品。
暗殺の場所はここかな。クラウディオ・コエリョ通りとマルドナド通りの交わる辺り。なんか看板があるよね、AlmiranteなんたらCarreroなんたらって。車が吹っ飛ぶんだ。
大きな地図で見る
ETAのメンバーが入居していたのはクラウディオ・コエリョ通り104番地。ここの地下から車道に向かってトンネルを掘った。
大きな地図で見る
Recent Comments