Tiempo de revancha [アルゼンチン映画]
( 今回はけっこう細かいところまで書いちゃうと思う )
アルゼンチンでは1981年7月30日に公開された作品。
監督は私のたぶん好きなアドルフォ・アリスタライン(IMDb - Adolfo Aristarain)。
「たぶん」と書いたのは、彼の11作品のうち今作の他にはまだ2作品(Martín (Hache) [アルゼンチン映画]: CabinaとLugares Comunes [アルゼンチン映画]: Cabina)しか観ていないから、少し遠慮してみたわけです。鑑賞済みの3作はどれも素晴らしい。大好きだ。
おはなし
ペドロ・ベンゴアはかつては労働組合員であったが、妻と19歳の娘のある身ではいつまでもそうやって暮らしていけるわけもない。ペドロは経歴を修正してくれる業者に依頼して過去を消し、多国籍巨大企業トゥルサコ社の所有する銅山の労働者の口にありついた。
銅山に着いて仲間を紹介された時ペドロは吃驚する。かつての組合活動仲間のブルーノがいたのである。その場は顔色一つ変えずに素っ気なく自己紹介を交わした二人だが、岩陰で再会を心から喜び合うのだった。
会社の業務命令は安全基準を無視した無謀なものばかりで、死亡事故も後を絶たなかった。会社の不手際が目につき腸が煮えくり返る。ペドロは上司と衝突もしたが、ブルーノも言うとおり、ここでは「不平不満は禁物、抗議はするな、我慢我慢」なのである。
そんな時にブルーノがたいへんな計画を持ちかけてきた。「事故だよ。俺様が事故に遭うんだって。ただしペドロ、お前が精確に計算して事故を起こすんだよ」。
打ち合わせ通りにペドロが事故を起こし、段取り通りにブルーノが救出され、しかし後遺症で声を失ってしまっているという設定で、この巨大企業から金をもぎ取ろうと言うのである。裁判のあいだじゅうずっとそんな嘘をとおせるわけがないと怪訝な顔のペドロにブルーノが言って聞かせる。
「裁判なんかしねえよ。いいかペドロ、トゥルサコという会社はな、金をくれるんだ。法廷に持ち込ませないために金をくれるんだよ」。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
とても面白かった。面白かったというか、じっとりはり付いてくるような怖さで寒気がする。緊張感で息苦しい。
(コメント欄で細かく追っていきます)
・Tiempo de revancha (1981) - IMDb
直訳: 復讐の時
監督・脚本: Adolfo Aristarain アドルフォ・アリスタライン
出演:
Federico Luppi フェデリコ・ルッピ ... Pedro Bengoa ペドロ・ベンゴア
Haydée Padilla アイデー・パディージャ ... Amanda アマンダ
Joffre Soares ... El Padre: ペドロの老父; 装丁家
Ingrid Pelicori ... Lea Bengoa レア: ペドロの娘; 歯学部学生
Jorge Chernov ... Jorge ホルヘ: レアの彼氏
Ulises Dumont ウリセス・ドゥモン ... Bruno Di Toro: ブルーノ: ペドロの昔の労働組合活動仲間
Julio De Grazia ... Larsen ラルセン: ブルーノの旧知の弁護士
Enrique Liporace ... Ingeniero Basile: バシーレ技師; 駅まで迎えに来てくれた
Aldo Barbero ... Ingeniero Rossi: ロッシ技師; バシーレの上司
Alberto Benegas ... Golo ゴーロ: 最初に駅まで迎えに来てくれて車を運転してくれた仲間; 常に運転が荒い; 先住民マプーチェかとペドロが聞いたがそれは否定した
Arturo Maly ... Dr. García Brown ガルシア・ブラウン: 会社側の弁護士
Rodolfo Ranni ... Torrance トランセ: 本社社員
Jorge Hacker ... Don Guido Ventura ギード・ベントゥーラ: 社のトップ
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Comments
語句メモ(DVDに字幕がないうえに、アルゼンチン作品でアリスタライン作品で、そして私の得意ではないフェデリコ・ルッピなので、聞き取りは完全といえない)
この二語、アルゼンチン映画では必ずと言っていいほど出てくるね:
・laburo: 1. m. coloq. Arg. y Ur. trabajo (= ocupación retribuida).
・guita: 3. f. coloq. Dinero contante.
・yanqui: 3. adj. estadounidense.
・tano, na: 1. adj. Arg. y Ur. italiano (= natural de Italia). U. t. c. s.
ロッシがペドロに「君にはpasta de líderがあるよ。大事なことだ」
・pasta: 8. f. Carácter, modo de ser o disposición natural de una persona.
トゥルサコ社のベントゥーラという富豪はmedio de palo verde以下のちっぽけな話に10分以上の時間を割くことは無いと言われている男。
↓
un palo verdeとは?
⇒100万ドルのこと
・¿alguien sabe palabras de vocabulario argentino y su significado? - Yahoo! Respuestas
>un palo verde: un millon de dolares
・1 palo verde = millón de dólares - WordReference Forums
・fraguar: . tr. Idear, discurrir y trazar la disposición de algo. U. m. en sent. peyor.
・cana: 1. f. vulg. Arg., Bol., Chile, Col., Perú y Ur. cárcel (= de presos).
・rajar: 9. intr. coloq. Arg., Cuba y Ur. Irse de un lugar precipitadamente y sin que nadie lo advierta. U. t. c. prnl.
・しゃべれなくなってプレゼントでもらったのがスピークアンドスペルというおもちゃ。
→・Speak & Spell Texas Instruments simulator - Speak and Spell - retro toy emulator
→・Speak & Spell (toy) - Wikipedia, the free encyclopedia
→・Speak N' Spell commercial 1980 - YouTube
Posted by: Reine | Saturday, January 21, 2012 15:21
( これから先、ストーリーを細かく読んでいきますから )
↓
( けっこう書いちゃうからね )
↓
1) 最初に本社で求職面接だが、担当者のトランセがペドロの経歴に目を通し「申し分ないですねえ。政治活動もなさっていないようだし」と言う。もちろんそれはペドロの“修正後”の経歴である。
ペドロはすぐに優等生の返事をする。「時間を無駄にしたくはないので」。
トランセも張り付いたような笑顔で「組合活動から距離を置くのは大変だったんじゃないんですか」と探りを入れてくるが、ペドロも「政治は政治家に任せておけばいいでしょう。私はただいい給料を払って貰えれば、他になんにも興味がありませんね」と模範解答。無事に採用が決まった。
2) ペドロは就職が決まったと老父に伝えに行く。息子のことなどお見通しの老父は厳しい。
父: 会社はお前のこと知らないのか
ペ: 知らないよ
父: どうやったんだ?
ペ: 業者に頼んでね。いろいろ用意をしてくれるんだ。ただ、職務経歴は飾りもんってわけ
父: 文書偽造か。過去を消してくれるんだな
ペ: ちょっと変えるだけだよ。トゥルサコから見りゃ俺は聖人君子なんだよ。組合活動だとかストライキだとかとは一切関わりなしのね。『政治は政治家に任せておけばいいでしょう』だ
父: おまえ、鏡で自分の顔を直視できるのか?
ペ: 父さん、俺だって喰ってかなきゃいけないんだよ
父: いつかカーッとなって、言っちゃいかんことをおまえは言っちゃうだろうが。それですぐに首にされて追い出されるんだ。そしたら今よりも悲惨だぞ。その時には金も無けりゃプライドも無くしてるんだからな! 母さんが死んでてよかったよ。息子がこんなに腰抜けだなんて知りたくはなかっただろうからな
Posted by: Reine | Saturday, January 21, 2012 16:13
喰うため・生き抜くために信念とか正義感とかかなぐり捨てなきゃいけなかった時代なんだよね。(ちょっとニュアンスは違うけど、フアン・ホセ・カンパネラ監督の『El mismo amor, la misma lluvia [アルゼンチン映画]: Cabina』でもたしかそういった時代の空気は描かれていた気がする)
『Tiempo de revancha』が1981年7月30日公開だと、真っ先に書いておいたのはそれが重要だと思うからです。
『ラテン・アメリカを知る事典』の「アルゼンチン」の項より(←随分おおざっぱだな):
……略……軍部は76年3月蜂起してビデラ Jorge Rafael Videla 将軍が大統領に就任した.この軍政は人権抑圧の非難を国際的に浴びたが、(《五月広場の母親たち》の項参照),厳しい弾圧政策によってゲリラ運動をほぼ壊滅させた.しかしインフレをはじめとする経済問題を克服するにいたらず,国民の不満は高じるばかりであった.
82年4月ガルチエリ Leopoldo Fortunato Galtieri 大統領はフォークランド(マルビナス)諸島をイギリスから奪還することで国民の不満をかわそうとしたが失敗し,逆に国民の軍政批判を一挙に噴出させる結果となった.
『Tiempo de revancha』で具体的に日時が示されているのは冒頭、源泉徴収票みたいなもの???を打っているタイプライターの日付で、1980年12月31日です。
つまり軍政はまだまだ終わっていないし、「軍政批判を一挙に噴出させ」たフォークランド紛争も発生していない時がこの作品の“現在”です。
それを思って観ると、カメラの映し出すものの一つ一つや、登場人物の一言一言がとても怖く感じられるはず。
Posted by: Reine | Saturday, January 21, 2012 16:29
トゥルサコ社本社は採掘作業を急がせるばかりで作業員の安全確保などなおざりもいいところ。
現場作業員たちはこんなやり方ではいつか事故が起きると口々に言う。バシーレら技師にその辺を訴えてみたことはないのかとペドロが尋ねると、皆一様に「仕事は続けたいからねえ」と目を逸らしてしまう。
火薬の量を増やせという指示にペドロはぶち切れて気は確かかとバシーレ技師に詰め寄る。バシーレは「上からの命令なんだよ。大丈夫だよ。注意してりゃあ大丈夫だって!」と取り合わない。
はたしてペドロの危惧したとおりに事故が起こり仲間が幾人も死んだ。遺体を見送るや、早速ロッシ技師が口止め工作をしてくる。
「俺が黙っていたとしても、もう他にも…」とペドロが言いかけるが、ロッシ技師は「いや、いや、大丈夫なんだ、それは」と確信を持っているのだった。
ゴーロはペドロにこんな話をする。
「先住民にとってはもっと酷いことがあったんだ。この辺は白人が入ってくるまではマプーチェの土地だった。戦うべきだと主張する者と、無駄だと言う者とがいたんだ」
それでどちらが勝ったのかと問うペドロにゴーロがアッサリと言う。
「どっちも負けたよ」。
Posted by: Reine | Saturday, January 21, 2012 16:52
ブルーノがこの奇妙な計画を持ちかけてきた当初、ペドロは乗り気でなかった。「爆発を俺が起こして? お前が岩穴に閉じ込められて? 救出されて? で?」と話している時にブルーノがタバコの火を自分の腕に押しつけて必死の形相で耐えてみせる。
ペドロは呆気にとられる。ブルーノは言うのだ。
「俺はなんか言ったか? 声を出したかよ? ペドロ、俺は“mudo(唖者)”なんだよ。俺が喋ろうとしないかぎり誰も俺に喋らせることはできない。俺は岩ん中から助け出されたら“mudo(唖者)”になりきってみせる!」
怖いでしょ。
体制はどんな圧力をかけてでも喋らせようとするだろう。それに耐えてみせるのに、どれほどの覚悟が必要か。
体制が反体制を取り締まると言ったら、ふつうは異議を唱えて大声をあげる反体制を体制が黙らせるという構図なのだけど、この映画ではそれを裏返した構図で作っているんだよね。それがすごく怖いし、すごく面白いと思った。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
ブルーノは、裁判などそもそも必要なく、示談金をふんだくることこそが目標であるとペドロにわからせる。分け前は半々にしようと言うのでペドロはたしなめる。
「半々はダメだ。お前は岩んなかに閉じ込められて失声症のふりまでしなきゃいけないのに、俺が半分ももらうなんて、そんなのは変だ」
「ペドロ、お前は俺の友達だろ。お前だけは俺を裏切ったりしない。俺はお前に値段をつけることなんてできないんだよ」
ここはもうね、Ulises Dumontっていう俳優がこの世にいないんだなあなどとも思ってしまってね、非常にグッと来るシーン。
ストーリー自体に頭を切り換えてみてもだね、ああいう厳しい時代にここまで信じられる友をしっかりと持っていられるなんて、どれだけ重みのあることかと思うと、胸が締め付けられるよ。
前述の『El mismo amor, la misma lluvia』ではたしか、そういう“友情”を、裏切ったわけじゃない、裏切ったわけじゃぁないんだけれども、友に手を差し伸べてあげられなかった人々の後悔が描かれていたと思います。
Posted by: Reine | Saturday, January 21, 2012 17:36
( ここからはもっともっとストーリーにふれます
↓
( ぜんぶ書いちゃうくらいの勢いで書いちゃうと思う )
↓
さて、“事故”が発生し、“mudo(唖者)”となったのはペドロ・ベンゴアだった。
ブルーノがペドロに紹介した弁護士ラルセンは、このケースならばトゥルサコ社から30万ドルは引き出せると踏んでいる。
1980年の30万ドルとはペドロたちアルゼンチンの労働者にとってどれくらいの価値だったのかがピンと来ない
・円相場の推移(年別)
・米ドル/円(USD/JPY)-1980年1月~1980年12月の為替相場の日足チャート
・アルゼンチン・ペソ - Wikipedia:
以後、インフレの進行による桁数の増加に対処する目的で、過去4回通貨単位の呼称が変更されている(括弧内はデノミ率及び実施直後の対U$Sレート):
1970年1月1日 「ペソ・モネダ・ナシオナル」→「ペソ・レイ($)」(100分の1 U$S1=$3.5)
1983年6月1日 「ペソ・レイ」→「ペソ・アルヘンティーノ($a)」(10,000分の1 U$S1=$a11.5)
もっとぱっと見てわかるような資料、無いかな。
Posted by: Reine | Saturday, January 21, 2012 18:20
ラルセンという老獪な弁護士は、トゥルサコ社のトップ、ベントゥーラ(以下、社)に面談を要求する。
弁: 御社はこれまでにも何人も死亡事故を起こしていますよね。安全基準を守っていないからですね。スピード化ばかりに気をとられていて火薬の量も異常だから事故が絶えない。重大な怠慢ですよ
社: 証拠はありませんよね
弁: ペドロ・ベンゴアさんがこちらの証拠ですよ。私の言葉を裏付けてくれる証人なら他にもいますよ
社: 証人なんてみんなベンゴアさんのように“mudo(唖者)”になるかもしれませんねえ……
ベントゥーラがやはり手強いのでラルセンは切り札を出す。トゥルサコ社がかつて鉱量調査の際に地質学者を買収して虚偽の報告をし、投資額を釣り上げただろうと揺さぶりを掛けたのだ。
大スキャンダルであるから、さすがのベントゥーラも顔色が変わる。「いくら欲しいんだ」。
ラルセンが30万ドルを要求するとベントゥーラはペドロに対して苛立ちを露わにし、「あんたの価値はいつの間にそんなに高騰したんだよ。うちの会社はあんたを買い叩いたけど、あんた文句一つ言わなかったそうじゃないか」。
この一言でペドロの中で何かが切れた。「俺は売り物じゃねえよ」。ペドロは筆談で宣戦布告をした。50万ドルと積まれてもペドロはもはや示談には応じない。労災で裁判に訴えてトゥルサコ社のスキャンダルも暴露する道を選んだのだ。
ブルーノは「お前に値段をつけることなんてできない」と言ってくれた。あの言葉がここでこうして起爆剤になったわけですね。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
あと一歩のところで50万ドルという高額示談金が手に入ったのにペドロが態度を急激に硬化させて取り分がゼロになってしまったから、今度はラルセンがぶち切れる番である。
ラルセンは発狂しそう。
「ベンゴアよ、50万ドルだぞ。50万ドルだ! お前、刑務所に入れられてもいいのかよ! いつまでも“mudo(唖者)”のふりなんてできやしないんだぞ! ヤツら、どんな手を使ってもお前をしゃべらせるからな。
俺だってあんな野郎ら、好きじゃねえよ。あいつらに一泡吹かせようと思ったら、金を毟り取ってやることだろ。ちがうかよ!
じゃあ、わかったよ、てめえ一人でやれよ。てめえ一人で死ねよ! 弁護士でも雇ったらどうだよ。あんたには必要だよ。負けるに決まってる裁判を引き受けるヘボの弁護士がどっかに一人ぐらいはいるんじゃねーの! ああ、あとな、あとボディーガード雇えよ。二人だ、二人ぐらい雇っとけよ!
運が良かったらあんた盆の窪から一発で撃ち殺してもらえるかもな!」
Posted by: Reine | Saturday, January 21, 2012 18:22
この辺でやめておこうかな。
相当こまかく書いてしまったけど、何かが忍び寄ってくる不気味な恐怖や閉塞感は、こんなんでは説明し切れていないです。それはもう観ないとわからない。観て欲しい。ここまで書いちゃっといてなんだけど。
本当にこういう映画、もっともっと観られて欲しい。
ここまで書いちゃっといてなんだけど。
さて。
「作品を観ながら『やーめーてー』と声に出して叫んでしまった」というようなこと、私はこれまでにも何度か書いたと思う。それは本当に声に出していたわけよ。「Σ(゚Д゚;) ヒャッ」とか「(/ω\) キャッ」とか。「 ワ゛━━━━Σ(゚д゚;)━━━━!!」とか。
今回のは過去最大だったかも。「ぃひゃーーーーーっ、やめてぇぇぇぇっっっ」って叫んだわ。隣の部屋に聞こえるぐらい。
今もまだイヤ~な汗かくわ
Posted by: Reine | Saturday, January 21, 2012 18:39
正直言うと、この数週間は「DVDを観る」という専用の時間はとれず、これもDVDを再生しておくだけでろくに画面を見遣ることもできないようなスタイルで一度目は“観た”。
そのような再生ではセリフの丁寧なヒアリングはできていませんよ。ましてやアリスタライン監督で、ましてやルッピですからね。(※ア監督の脚本はセリフの量が多くてよどみなく喋りがち。そしてルッピの喋り方はけっこう私の耳には苦手。今回ルッピは喋らないからその分わたしは楽だったけど)
だけど、そんなBGVとしての再生であってもわかるんだよ、これは凄い作品だってことは。時々耳に入ってくるセリフだけでも、いい作品とそうでない作品には歴然たる差があるもんだと私は思っています。
前回の『¿Y tú quién eres? [スペイン映画]: Cabina』とはまったく違うんだよ。
一つの対象を褒めるために別の対象を腐すのは好ましい事と思わないけれども、書き留めておこうと思います。『Y tu quien eres?』をあそこまで腐したのはBGVのようにいい加減な鑑賞だったからじゃないのかっていう自問に答えるためにも書き留めておこうと思います。
全っっっ然ちがうよってことを。
どんな見方―――というか“聞き方”―――をしたっていいものはいい、いいと思えないものは思えない。
だいいち、『Y tu ~』の方が『Tiempo de revancha』よりも再生の回数は多いんだから。あっちの方が観てるっちゃぁ観てる。
Posted by: Reine | Saturday, January 21, 2012 18:47