« July 2011 | Main | September 2011 »

Saturday, August 27, 2011

Torrente 4 Lethal Crisis / トレンテ4 [スペイン映画]

Torrente 4Latin Beat Film Festival 2011 / 第8回ラテンビート映画祭 / ラテンビートフィルムフェスティバル2011 / スペイン・ラテンアメリカ映画祭: Cabinaで上映される作品。

「ラテンビート映画祭 Latin Beat Film Festival| ラテンビート映画祭2011、上映作品12本発表!」より おはなし

マドリッド警察のはみ出し者トレンテは、ドジで怠け者で大酒飲み、おまけに不恰好な中年刑事。彼の周りでは、なぜかいつも珍事件が続発し、トレンテは否応なしにトラブルに巻き込まれていく…。……略……1998年に製作された1作目が大ヒットを記録し、以後シリーズ化された。……略……監督兼主演のサンティアゴ・セグーラ(『どつかれてアンダルシア』のニノ役)は、スペインでは国民的コメディアンとして知られている。 hairsalon

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


アピールポイントを最初に挙げておこうか:
・おっぱい星人もお尻星人も、どちらも楽しみにしていていいんじゃないかい。
・マドリードのサッカー選手などの友情出演多数


さて。
José Luis Torrente Galvánがトレンテの本名。この男は次のように形容されている:

・Un ser repugnante, machista, racista, homófobo, fascista y repulsivo. ("Torrente 4", taquillazo de la mediocridad | Suite101.net
・un policía fascista, machista, descebrado… el típico antiheroe español. (¿El cine español está en crisis? | Blog de kaiserland77.com
・uno de los personajes más políticamente incorrectos que se han visto en la pantalla: fascista, machista, racista, corrupto, alcohólico y ajeno a sutilezas, el policía José Luis Torrente (Sanfic 7 » Torrente 4 – Crisis letal


と、こういう男なので、まあ、私も眉を顰めたこと顰めたこと。下品で汚くて悪臭が漂ってくるようで、反吐が出るわ! 記憶から消し去ってもらいたいシーンもある。あたし、鑑賞後、三食くらいは食が進まなかったくらいよ。それから、上記のとおりこのおっさん políticamente incorrecto だから。ひどいセリフの連発です。それでもついニヤニヤしてしまうので居心地が悪いったらない。

だけど、だからってPC、PCっつって目くじら立てられても困っちゃうわけで。ポリティカルコレクトネスを厳守すべしという人が万が一いるならば、まあ、その人にはお薦めしない作品です。


私はトレンテの第一作はわりと「つまらない」風に片づけたけど、第4作のこれだってお話は「愚にもつかぬ」というやつだと思っています。ただ、ことばは本当に面白い。途中で語句メモをとるのを投げたほど、トレンテのことばは“豊か”です。この汚くて臭そうなおっさんの野卑で俗悪なregistroを観察し、彼と仲間のポリティカル・インコレクトネスの連打を味わう分には実に面白い作品。



ところで、先日たくさんリツイートされていたツイート(twitter http://twitter.com/#!/djaoi/status/99036186101821440)は男女の下ネタの違いを簡潔に述べたものでとても面白く読んだ。

これとは別に昔から私は、男がおそらく“下ネタ”という範疇で語っているであろう事柄には排泄物を取り扱ったものも多々あるが、女の言うところの“下ネタ”というジャンルからは排泄物は除かれている、と思っているんだよ。だからあたしたちが下ネタで頬を紅潮させて盛り上がってるところへズカズカ入ってきて排泄物だのガスの話をしないでほしい。それ、私たちにはなんにもおもしろいこと無いから。


……そんなこんなで、トレンテは男の下ネタ。

| | Comments (5) | TrackBack (0)

Tuesday, August 16, 2011

Calle Mayor / 大通り [スペイン映画]

danger この作品については割と細かく書いてしまうと思うdanger

おはなし
どこにでもあるごくありふれた地方都市。カテドラル、川、広場の柱廊、そして町一番の賑わいを見せるメインストリート。

35歳になって未婚のイサベルはさしずめ“敗者”である。18年前に修道女学校を出た後ずるずると時が経ち、独り身のまま来てしまった。もう未婚の女友達もほとんど居ない。

フアンはマドリード出身の銀行員。この町に赴任した当初は戸惑ったが、今ではcasino(=会員制娯楽クラブ)での遊び仲間もでき、毎日そこそこおもしろおかしくやっている。だが、いかんせん退屈である。この町の暮らしは単調の一言だ。道行く人の顔ぶれもそれぞれの生活パターンも判で押したよう。

だからフアンはcasinoの悪友と一緒になって他人にたちの悪い悪戯を仕掛けては楽しんでいる。すべては暇つぶし。「冗談だよ、ほんの冗談じゃないか」。

次にフアンの仲間が目をつけたのはイサベルであった。フアンが行き遅れのイサベルに求愛してその気にさせて、ついに結婚できると舞い上がる女の無様な姿を見て楽しもうという趣向である。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


私はよく何かの作業中にBG“V”としてDVDを再生しておく。横目でチラチラ画面を見る、耳は聞くともなしに聞いている。この作品を最初に一回“鑑賞”したのも、そんな風だった。

行き遅れだ、負け犬だと世間から煽られ追い詰められている独身女が抱くであろう当たり前の結婚願望というものを、弄ぶだけ弄び嬲るだけ嬲って嘲り嗤う、いわゆる勝ち組と思しき男たちの卑劣な笑いで埋め尽くされたような作品だった。

1回見終わった時に友人アリ・ババ39さんにメールを書く用事があったのだが、そのついでに私は、「今、一度再生してみたところだけど、calle mayor、すっごく体に悪そうなんだけど、なんなのあれ!」と“殴り書き”をしたものである。

ヒロインの受ける仕打ちがあんまりに非情で、救われもせず土砂降りの雨のなか終わってしまうので、私は別作業の手を停めて( ゚д゚)ポカーンとしていた。……FIN……ってなんだよ、なにがFINだよと。こんな目に遭わなきゃいけないような何を彼女がしたというのかと、どこかで聞いたことのある、別の作品のタイトルみたいなことでも吠えたかった。


次の日も私はこれをまた横目で鑑賞した。そしてアリ・ババ39さんにメールを送った。「今日もう一回CalleMayorをBGVとして再生してみたのですけど、あたし、たぶん少しわかったと思います。暗号を解読したような気分!」

去年の今頃は、本作のフアン・アントニオ・バルデム監督のちょうどすぐ前の作品にあたる『Muerte de un ciclista / 恐怖の逢びき [スペイン映画]: Cabina』を観た。そのとき私自身が言っていたじゃないか、2サス目線で観ててもダメだって。男女の愛憎がどうした、心の闇がどうだこうだというドラマかなんかを見るように見ていたら、スペイン映画は本当には楽しめないんだ。解読する努力を楽しんだ方がいい。


糸口をつかんでから更に何度か再生したら、悲しくて胸がちょっと苦しかった。可哀想だと思った。イサベルがというよりも、あの当時のスペインという国とそこに暮らした人々が。


(簡単に書ける話ではないので、ちょびっとずつコメント欄に書き足していきます)


Calle Mayor (1956) - IMDb
直訳: 大通り

監督・脚本: Juan Antonio Bardem フアン・アントニオ・バルデム
原案: Carlos Arniches カルロス・アルニーチェス book 『La señorita de Trevélez』(⇒ 2011年8月13日 観ました

出演:
Betsy Blair ベッツィ・ブレア ... Isabel イサベル
José Suárez ホセ・スアレス ... Juan フアン

Yves Massard イヴ・マサール ... Federico Rivas フェデリコ: フアンのマドリード時代からの旧友; マドリードの雑誌“Ideas”に書いてくれるようドン・トマスに依頼するためにこの町を訪れた
René Blancard ... Don Tomás ドン・トマス: 哲学者

danger 悪友は誰が何の職業だったか、あんまりはっきり覚えてない
Alfonso Godá アルフォンソ・ゴダー ... 悪友ホセ・マリア(ペペ、エル・カルボ): 弁護士
Luis Peña ルイス・ペニャ ... 悪友ルイス: 商店の二代目
Manuel Alexandre マヌエル・アレクサンドレ ... 悪友ルシアーノ: 地元の新聞の発行人
José Calvo ホセ・カルボ ... 悪友: 医者?

Lila Kedrova ... Pepita ペピータ: 男たちがよく遊びに行く飲み屋のママ; 「飲み屋」って言っても……
Dora Doll ... Tonia トニア: フアンに惚れている、その店の女給: 「女給」って言うか……

Matilde Muñoz Sampedro ... Chacha: イサベルの家のchacha(使用人)
María Gámez ... Madre: イサベルの母


だんだん苦悩し始めたフアンがトニアを探して店に駆け込む。店名と両隣の建物の質感なども合っているようなのでここだと思う。少なくとも外観はまさにコレ。

大きな地図で見る

| | Comments (17) | TrackBack (1)

Saturday, August 13, 2011

La señorita de Trevélez

bomb 音量ちょっと注意↓↓

察するに、TVEが1983~84年にかけて“La Comedia”というドラマシリーズを放映したと。そのシリーズは20世紀(の前半など)の戯曲を毎回一つドラマ化していたと。そのうちの一話が、1984年1月24日に放映されたこの『La señorita de Trevélez (トレベレスのお嬢さん)』であったと。



"La comedia" La señorita de Trevélez (TV episode 1984) - IMDb
La señorita de Trevélez - Wikipediaですみませんが

おはなし
ティト・ギローヤ、マンチョン、トリハの三人組はcasino(=ビリヤードなどで遊んだりする会員制サロン)の遊び仲間で、いつも悪ふざけばかりしてつるんでいる。自分たちのグループに“Guasa Club(冗談倶楽部)”などと名前をつけて調子に乗っている。

パブロ・ピカベアもそんな仲間の一人。サロンの正面にあるトレベレス家の若く可愛らしいお手伝いさん、ソリータに気がある。しかしサロンの常連客、ヌメリアーノ・ガランもおなじくソリータを狙っているらしい。

“冗談倶楽部”の会員ではないヌメリアーノが恋敵となっていることが気にくわないピカベアは“倶楽部”の連中にこのことを訴え出た。“倶楽部”はヌメリアーノにソリータから手を引くようにと脅しをかけたがまったく気に掛けていない様子だったので、それではと、ヌメリアーノがもうこの街にも居られなくなるような悪戯を仕掛けた。

その悪戯とは、フロリータに―――トレベレス家の家長ゴンサロが何よりも大事にしている行かず後家の妹フロリータに―――ヌメリアーノの名を騙ったラブレターを出して愛の告白をしてしまうというものだった。

フロリータはすっかりその気で、ゴンサロもヌメリアーノを妹の婿となる男として祝福に来る始末。おろおろするヌメリアーノを尻目に、結婚式の段取りがどうのこうのと、話はどんどん進んでしまう。

ゴンサロはフロリータにちょっと軽口を叩いただけの男を病院送りにしたこともあるほどの妹思いの人物なので、今回のようなオオゴトになってしまった後ではヌメリアーノはどのような目に遭うか知れたものではない。“冗談倶楽部”の悪戯だと言い出すきっかけを逃したヌメリアーノは窮地に立たされる。

しかし“冗談倶楽部”の、とりわけティトの悪戯はエスカレートするばかり……。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


・作者はCarlos Arniches(カルロス・アルニチェス; 1866~1943)という劇作家。(⇒ Carlos Arniches - Página principal 20世紀初めのスペイン演劇界において傑出した存在)

劇場で上演されるばかりでなく、テレビドラマ版・映画版も数多くある。
⇒・"Lo tuyo es puro teatro" La señorita de Trevelez (TV episode 2000) - IMDb
⇒・"Estudio 1" La señorita de Trevélez (TV episode 1971) - IMDb
⇒・"Teatro de siempre" La señorita de Trevélez (TV episode 1969) - IMDb
⇒・IMDb - "Primera fila" La señorita de Trevélez (TV episode 1963)
penCalle Mayor / 大通り [スペイン映画]: Cabina
⇒・IMDb - La señorita de Trevélez (1936)

| | Comments (1) | TrackBack (1)

Thursday, August 11, 2011

Primos / マルティナの住む街 [スペイン映画]

danger わりとサラっと観たので注意点がいくつかありますdanger

おはなし
結婚式の直前に婚約者から別れを切り出されうちひしがれるディエゴ。いとこのフリアンとホセ・ミゲルが元気づけようとするがディエゴの嘆きはそう簡単に薄らぐものでもないようだ。

やがてホセ・ミゲルが一人の女性のことを思い出す。「マルティナ……」。10年前、ディエゴが童貞を喪った相手である。この従兄弟三人組が子どものころに夏ごとに避暑に行っていた村、コミーリャス。そこでディエゴはマルティナに恋をして、永遠の愛を誓った。

マルティナを探しに行こう―――。三人はコミーリャスに向かう。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


来たるLatin Beat Film Festival 2011 / 第8回ラテンビート映画祭 / ラテンビートフィルムフェスティバル2011 / スペイン・ラテンアメリカ映画祭で上映される作品。


私はイベロアメリカ映画を観る人が増えてくれた方が嬉しいから、たとえば『Mentiras y gordas / セックスとパーティーと嘘 [スペイン映画]』でも映画祭の前に悪く書くことはなかった。でもこの作品は、何度かBG“V”として再生を終えた現時点では、あまり褒めようという気がしていない。残念なことだ。

ダニエル・サンチェス・アレバロ監督や主演のキム・グティエレスの仕事を離れたところでの親しげな関わり合い方をいつも微笑ましく思っているから、そういう個人感情からもあまりネガティブなことは書きにくいわけだけれども、でもやっぱりこれは『Azuloscurocasinegro / 漆黒のような深い青 [スペイン映画]』ほど好きではない。監督、プロデューサー、撮影、キャストの幾人もが重なってはいるけれど、出来栄えが大きく違う。


日ごろから私は劇中で主人公がステージに上がって歌ったり踊ったり、そして観客がヒューヒュー、ヤンヤヤンヤというシーンを含む作品は好きではないので、その点でもこの作品が肌に合わなかったのかな。ああいうの、寒いっていうか痛いっていうか片腹痛いっていうか、「目のやり場に困る感じ」でダメなんだよ、私。土ワイのファッションショーみたいな寒々しさを感じてしまうんだよ。(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は除く)


言葉は面白い。ただ、こないだ友人が言っていたことだけれども、セリフの面白さが字幕に入りきるだろうかという懸念があります。一つ一つのセリフの単語数が多いからね(短い時間に速く詰め込んである)。聞き取りは楽なレベルではないと思う。

万一セリフのおかしみやテンポの良さが字幕では伝わらなかった場合、この作品に他にどれだけの魅力の貯金があるだろうか。私はそれをハラハラと見守るような気分です。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

Tuesday, August 09, 2011

Operación Ogro [スペイン映画]

ETAによるカレロ・ブランコ首相暗殺事件(1973年)を実行犯グループの視点で描いた作品。今回は映画そのものの話よりは、関連事項のメモをしておきます。

鬼作戦’という名で計画実行されたカレロブランコ首相暗殺事件についてはこれまでにもちょっと書いたことがあります。
eyeEl Lobo [スペイン映画]: Cabina
eyeLa pelota vasca. La piel contra la piedra [スペイン映画]: Cabina

ETAについては下記の作品でも触れました:
eyeGAL [スペイン映画]: Cabina
eyeEntre las Piernas / スカートの奥で [スペイン映画]: Cabina



『スペイン現代史』 第11章 スペインの社会問題 より

hairsalon ●ETAの前身EKINの出現
フランコ独裁体制下の1953年、バスク民族主義の活動家とPNV(バスク民族党、1894年結成の青年達は、同党の穏健路線に満足できず、独裁体制打倒のために闘うバスク愛国戦線としての組織EKIN((我らと共に行動を)を結成し、……略……後に結成されるETAの前身となるものである。しかし、EKINは、フランコ体制下で剥奪されたバスクの自治権の復権を目指す勢力とバスク地方の独立を目指す勢力との間で内部対立が深まり、フランコ体制による激しい弾圧が続いたので、1957年には解散を余儀なくされた。

●ETAの出現
弾圧を免れたEKINの構成員やバスク地方の若い学生たちは、フランス・バスク地方において、1959年、バスク民族解放のための革命グループETAを結成した。ETAは、マルクス・レーニン主義をイデオロギーに掲げ、バスク地方(スペイン側4県とフランス側3県)の国家からの分離独立をめざし、戦術としてのテロ活動を否定しなかった。hairsalon


映画『Operacion Ogro』では、ちょうどこのEKINの解散とETAの結成のあいだ、1958年なのかなあと思われる頃が描かれています。学校でバスク語をしゃべったということで教師から体罰を受ける児童の様子など。

「おまえたちはスペイン人だ。ここはスペインの学校だ」といってピシリピシリと児童の手のひらを棒で叩いていく教師に対し、子供たちが「バスク人です」「バスク人です」と口答えし続ける。このシーンは『La pelota vasca. La piel contra la piedra [スペイン映画]: Cabina』で観たことがある。

主人公のチャビたちは子供の頃から夜間に警察の威嚇発砲をかいくぐって“レジスタンス”の落書きをして歩くなど、バスク人としての抵抗の精神を強く示していくのです。そうこうするうち、聖職者であるジョセバ先生は本格的に闘争の生活に入るため学校を去る決意を子供たちに明かします。(挨拶のことばはコメント欄に⇒)


これらがちょうど1958年のこととして描かれています。


sandclock ここから15年跳んで1973年に舞台が移ります。ジョセバのもとに集まったメンバーで、ルイス・カレロ・ブランコを暗殺するのか拉致誘拐して交渉の人質とするのかを投票で決めています。

このシーンにもありますが、当初は誘拐するつもりでETAは動き始めたんだね。(チャビ―――青年となっている―――は最初っからずっと暗殺派。「ルイス・カレロ・ブランコを暗殺することは僕たちの正義じゃないですか、奴はフランコの後継者なんですよ、奴こそがフランコ独裁主義をまとめあげてしまう人物なんでしょうが、奴がいる限り独裁体制は維持されてしまうんですよ!」と強く主張していた。)


再びbook『スペイン現代史』、さっきのつづきを読んでまとめると、フランコ独裁体制がバスクに加える弾圧があんまりにも酷いから、バスクの人々もだんだんとETAへの理解・共感を抱き、“暗黙の支持”を与えるようになったって。それでETAは1968年8月のサン・セバスティアン警察署長の暗殺をはじめとして軍人、警察官、政府要人を標的としたテロ行為を繰り広げ、次々に逮捕者を出しつつもどんどん強大化していった、と。

そして、
hairsalon ETAの活動は、1973年、カレロ・ブランコ首相の暗殺で頂点に達した。フランコの右腕として独裁体制を存続させるために腐心していたカレロ首相の暗殺は、……略……独裁体制の崩壊につながった。hairsalon

この頃にETAが政治闘争派と武力闘争派に内部分裂したということも『スペイン現代史』に書いてあります。その辺は『El Lobo [スペイン映画]: Cabina』にも描写があったと思う。内部抗争で武闘派が穏健派を処刑しちゃったりしてた。


こんな風に歴史の授業の副読本でも読むように淡々と進む作品なので、《映画》としては面白いんだかなんだかよくわからないです。現代史ものというと、どうしてもこうなってしまうのかな? 

でも、《副読本》としては面白いと思うんだよ。

・ETAの中での武闘派がバスクの人々の意識からはもちろん、ETAの中ですら浮いた存在になっていく感じ

・「マドリードのタクシー運転手の半分はフランコ体制の密偵みたいなもんだ」というセリフ。(スペインの友人がこないだ「スペインのタクシー運転手は《右派》、もーね、全員だよ!」と言い切っていたのを思い出してしまう)

・当時同じように弾圧されていた労働運動の様子(ストライキとスト破り)

・ETAは労働運動で弾圧される人たちにシンパシーを覚えていたかもしれないけど、さあその逆はどうだったんだい?と。(「企業家の誘拐、爆弾、警官暗殺、君らのやってることって俺には意味があると思えないんだ」とピシャリと言われてしまったり)

・ETAの人間が射殺された時のバスクの普通の市民があげる抗議の声(と、それをもう抑えられそうにない警察側の動揺)

・アメリカ(CIA)はカレロ・ブランコ暗殺の企てを知っていながら知らんぷりをして決行に至らせたんじゃないかという説があるけど、この作品でもそれらしきセリフをETAメンバーのルケが言う。(「アメリカ大使館もすぐそばにあって、これだけ悪臭と騒音をまいているというのに、誰も疑わないなんておかしいじゃないか、俺たちがカレロを殺した方がいいって思ってる人間がいるんじゃないのか」)

……などなどが描かれています。“描かれています”より“書かれています”っていう印象なんだよ、どうも、この作品。


暗殺の場所はここかな。クラウディオ・コエリョ通りとマルドナド通りの交わる辺り。なんか看板があるよね、AlmiranteなんたらCarreroなんたらって。車が吹っ飛ぶんだ。

大きな地図で見る

ETAのメンバーが入居していたのはクラウディオ・コエリョ通り104番地。ここの地下から車道に向かってトンネルを掘った。

大きな地図で見る

| | Comments (12) | TrackBack (1)

Monday, August 08, 2011

『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~3~

(第1章: 『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~1~: Cabina
(第2章: 『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~2~: Cabina


diamond ディエゴの部屋は知識のミニ宝庫

A:  ディエゴの部屋に一歩足を踏み入れると、ダビドでなくとも口をポカンです。キューバの守護女神カチータCachitaは前述しました。字幕にあるような聖母マリア像ではない。

B:  中央上部の人物が先ほどのホセ・マルティですね。

A:  その真下で葉巻をくわえているのがホセ・レサマ=リマ、『パラディソ・楽園』の著者、レサマ式ランチが狂言回しになっている。

B:  ダビドが君の「お父さん?」と訊いた人。入る早々目に飛び込んでくる官能的な抽象画は誰のですか。

A:  セルバンド・カブレラ=モレノ(1923~81)というキューバの画家の絵です。ピカソの「青の時代」の雰囲気があった。ニューヨークで美術を学び、スペインやフランスで活躍、ミロやクレー、キュービズム、印象主義、表現主義の影響を受けている。キューバで知ってる画家といえば彼しかいない(笑)。

B:  彼が選ばれたわけは何ですか。

A:  1954年にアレアとフリオ・ガルシア=エスピノサが共同監督して「エル・メガノ」という20分のドキュメンタリーを撮った。それに彼の描いた木炭画のシリーズが使用されたようで、それかな。(⇒ El mégano (1955) - IMDb

B:  アレアの画家へのオマージュが込められている。

A:  それに革命前も後も繊細なエロティシズムあふれる絵を描いた。勿論、革命後は農民、民兵、ゲリラ兵、一般女性も描いて生き延びましたが、革命後も絡み合う男の裸像、剥きだしのペニスを描いた。でも猥褻な感じを受けません。現在多くの作品が世界各地の美術館に所蔵されています。

B:  あの部屋には細かな仕掛けがあるんですね。

A:  2008年生誕85年を祝ってハバナで開催された展覧会には、官能的な方は展示されませんでした。他にソプラノのリタ・モンタネル、フェルナンド・オルティス、フリアン・デル・カサルなど。

B:  オルティスは前述しました。フリアン・デル・カサルはロマン主義のデカダンな詩人と言われています。

A:  19世紀のペシミスティックな感受性豊かな詩人、1863年生れ、30歳という短命でした。モデルニスモの詩「風にそよぐ葉」「降る雪に」「胸像と抒情詩」など。ディエゴと同じホモセクシュアルでした。

B:  アールヌーヴォーのランプ、中国製らしき陶磁器の薬瓶も並んでいた。

A:  オスカー・ワイルドの『サロメ』やフロベールの『マダム・ボヴァリー』の挿絵を描いたビアズリーも。ビアズリーも26歳の若さで一生を駆け抜けた。

B:  ワイルドも同性愛者でしたね。大拙の禅の影響か、ディエゴの法被は泣かせる。

A:  欧米では禅は宗教ではなく哲学です。ドアの内側に眼の形の張り紙があった。“Te estan mirando”、いつも誰かがお前を見張っているという意味。

B:  ナンシーの部屋にはビートルズの写真が貼ってあったが、こちらはマリリン・モンローでした。

A:  敵の杯ウィスキーもあるしね。ただしラジオカセットはソ連製だそうで、部品を輸入しキューバで組み立てた。これを持っているのはオカマ、というのも主にオペラを聴いたりバレエを見たりするのはオカマだから。

B:  ストレートも見たり聴いたりする(笑)。


A:  原作にあっても映画にセリフとして出てこない人でも、ディエゴの部屋などにさりげなく登場しているのが分かります。映画はかなり楽観的な終わり方をしてますが、ICAICの最終検閲を考えると頑張ったと言えるかも。

B:  両方の根底にパスの楽観主義があるからだと思う。小説の読者と映画の観客では質も量も格段に違いますが、互いの多様性を認め合うことの必要性というテーマは同じです。

A:  キューバでは、政治や社会を論じるときの教科書になっている、とパスも語っています。

B:  革命の行きすぎは映画の中でも語られますが、助監督のフアン・カルロス・タビオもUMAPに行かされたそうです。


A:  舞台となった1979年、製作された1993年、キューバも変化している。パスもビデオテープではあるがハリウッド映画を見ることができるようになり、スピルバーグをテープで見ていると。

B:  欲を言えば、二人の心の葛藤がもっと描かれていたなら、普遍的な心理ドラマになったかもしれない。ちょっと物足りない。

A:  欧米に続いてアメリカでも同性婚を認める州が増えている。「夫と妻」欄も「配偶者1と2」になる。現在は表向き米軍も同性愛者の軍務を禁じているが、秋には全面的に撤廃する。いまや結婚の形も流動的、人間の価値を決めるのが時代精神なら、現在の一夫一婦制も変わらざるを得ません。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~2~

(前章からお読みください ⇒ 『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~1~: Cabina


diamond子供は独り歩きをする

A:  分かる範囲でしたが、カビナさんの疑問に応えられたでしょうか。友情・不寛容つまり差別・同性愛などは、昨今では映画のテーマとして珍しくも何ともありません。しかし、これに「反体制」と「自由への希求」という要素が加わると、俄然別の顔が現れてきます。本当のテーマはこちら、と言いたいのですが。


B:  積み残しになっている「カストロ擁護の映画だ」と憤慨している話から入りましょう。


A:  順を追って簡単にご説明すると、亡命キューバ人のネストル・アルメンドロス(Néstor Almendros - IMDb)とオルランド・ヒメネス・レアル(Orlando Jiménez Leal - IMDb)が1983年に“Conducta impropia”というドキュメンタリー(Mauvaise conduite (1984) - IMDb)を撮った。「不適切な振舞い」とでも一応訳しておきます。これが【1】です。

B:  キューバの同性愛者差別を糾弾して、当時かなり話題になりました。

A:  これを見たアレアが、要約すると「キューバと縁を切ったはずのネストル(・アルメンドロス)が、こんな負の部分を図式化、単純化した辛辣なドキュメンタリーを今更どうして撮ったのか理解できない」と怒った。さらに彼は既に撮影監督として成功しており、あるステータスも勝ちえている、彼の才能に相応しくないと。


B:  アルメンドロスは体制批判で革命後間もない1962年にフランスへ亡命していますね。


A:  アレアはいつかこの回答として映画を、それもドキュメンタリーでないフィクションで撮りたいと考えていた。そこへパスの中編『狼と森と新しい人間』が現れ映画化を決意した、この中編が【2】です。

B:  アレアが前述した「これを映画にしなければという義務感におそわれた」に繋がるわけですね。するとこの『苺とチョコレート』がその回答というわけ?

A:  そうです、そしてこの映画が【3】です。“Encuentro de la cultura cubana”(1996年夏号 four)という季刊雑誌のインタビュー記事で延々と語っています。このインタビュー記事が【4】です。私が知らなかっただけで新資料でもなんでもないんですけど(笑)。

B:  アレアは1996年4月に死去していますから、これはアレア追悼号ですね。


four  ENTREVISTO Tomas Gutierrez Alea por Michael Chanan “Estamos perdiendo todos los valores”pp71~76
亡命キューバ人がマドリードで発行している高レベルの季刊雑誌。インタビュアーのマイケル・チャナンはイギリスのドキュメンタリー監督、ローハンプトン大学「映画&ビデオ科」の教授でもある。著作多数、ラテンアメリカの映画や音楽に通じ、イギリスでのラテンアメリカ映画紹介に尽力している。)


A:  ええ、そうです。その後、亡命キューバ人でバルセロナ在住のロヘール・サラスという作家が、アレアは「キューバの同性愛者に自由があったかのように描いている。事実とはあまりにかけ離れていて、フィデリスタ擁護の映画」と噛みついた。

B:  つまり、このサラスが憤慨したひとですね。

A:  1998年11月に“Ahora que me voy”という13編からなる短編集をスペインで上梓した。そのなかの‘El cordero, la lluvia y el hombre desnudo’という副題付きの1編“Helados de pasion”(仮訳「情熱のアイスクリーム」)がそれ、これが【5】です。

B:  副題の「子羊と雨と裸の人間」は、パスの「狼と森と新しい人間」の語呂合せというかパロディなのかな。

A:  サラスはこの短編集をパスに捧げていて、「まったく忠実とは言えないが、自分が亡命する前のキューバが息づいている」と評価しています。サラスはパスが中編を書くにあたってキューバのゲイ世界を取材したときの協力者。ディエゴの人格形成に多くの資料提供をした。サラス自身はtravestiつまり異性装者、男ですから女装愛好者、勿論差別の対象者です。1981年にスペインに亡命するまで、ハバナの国立美術館で働いていた。

B:  じゃ、サラスはディエゴの分身なのかな。

A:  彼は現在、「エル・パイス」紙の舞踊欄のコラムニストのかたわら、バレエの衣装や舞台装置のデザインをやり、あの巨大服飾誌「ヴォーグ」の仕事もしている才人です。(Roger Salas - Roger Salas - ELPAÍS.com

B:  原作にディエゴの「得意分野だったバレエ・・・」とか、「日本の唐傘をさし、舞台衣装みたいな服装の彼は・・・・ブレスレットだらけの手を振る・・・」とか描写されているのは、サラス情報だ。


A:  レサマ=リマ(Jose Lezama=Lima)がディエゴの間接的な分身かと想像していたんですが。なにしろ、レサマ=ディエゴ説もあるくらいですから。サラスが特に拘るのが、「僕は君が思うような高尚な人間じゃない」で始まるディエゴの告白シーンです。

B:  コッぺリアでダビドをナンパしたときのイキサツを語るところですね。

A:  ディエゴは“Por eso, por eso, te he pedido muchas veces un abrazo porque pensaba que al abrazarte me iba a sentir mas limpio”と続ける。

B:  字幕は「だから君に・・・抱いて欲しかった。僕自身が清められる気がしたから」となっている。


A:  この‘limpio’に拘った。辞書では「きれいな・清潔な」のほかに「公正な・純粋な」という語義もある。

B:  迷わず後者だね。「清められる」というと「汚れ」を落とすみたいな強い感じになる。しかしサラスは前者にとったんだ。

A:  小説にはこんなセリフはなく、「こんな下らないセリフはなかったじゃないか」という怒りかもしれない。多分「ホモは穢れているから矯正しなくてはならない」という苦い体験に直結したのだと思う。

B:  日本語字幕も踏み込みすぎ、ピュアとかフェアの感じだと思う。差別というのは、する側にその意識がなくても、される側が差別と感じれば差別になる。

A:  個人的には原作と映画は違っていいという立場です。パスの台本で舞台化もされています。3つを比較すると微妙に変化して面白いのです。


B:  それはまた別の話、深入りは止めましょう。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~1~

アリ・ババ39さんが『Fresa y Chocolate / 苺とチョコレート [キューバ映画]: Cabina』にコメントをしたいとおっしゃるので、いっぱい書いてくださいとおねがいしていました。私がたぶん一生知らずに済ませてしまうであろうことをアリ・ババ39さんが教えてくださる。いつも本当にありがとう。

では、以下に書き写していきます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


diamond 原作と映画は「かなり違う」が印象

A: 今やキューバ映画の古典入りした感じの『苺とチョコレート』ですが、最近、原作を再読する必要があって、映画も改めて鑑賞しなおしました。

B:  1994年秋、岩波ホール20周年記念作品として公開されました。キューバ映画を見るのはこれが初めてという観客が多かったのではないか。

A:  今でも「キューバ映画はこれ1本」という人も(笑)。キューバ大好き人間には叱られそうですが、それくらいマイナーです。

B:  例年12月に首都ハバナで開催される新ラテンアメリカ国際映画祭(Festival Internacional del Nuevo Cine Latinoamericano)で最優秀作品賞に与えられる珊瑚賞のほか8部門制覇という快挙を果たしました。

A:  通称ハバナ映画祭と呼ばれていますが、これまたマイナーな映画祭です。世界が注目したのは珊瑚賞受賞ではなく、翌年のアカデミー外国語映画賞ノミネートです。キューバ映画がノミネートされたのも史上初めて。国交断絶以来の両国のぎくしゃくを思って感慨深かった人もいたのでは。

B:  残念ながら結果は露仏合作『太陽に灼かれて』のニキータ・ミハルコフの手に落ちましたが。このブログでは既にお馴染みになっているゴヤ賞スペイン語外国映画賞受賞にも輝いた

A:  当時の日本ではゴヤ賞の存在すら殆んど認知されておりませんでしたが、ベルリン国際映画祭銀熊賞の一つ「審査員特別賞」の受賞は報道されました。男優賞は『フィラデルフィア』のトム・ハンクスが受賞した。

B:  ゲイ対決ともいわれたが、残念ながらディエゴ役のホルヘ・ペルゴリアは涙を呑みました。

A:  しかし、この年のベルリンは殊のほか豊作で、金熊賞はジム・シェリダン『父の祈りを』、銀熊賞の監督賞はキェシロフスキの『トリコロール/白の愛』だったから、カリブの小さな島からやってきた『苺とチョコレート』が審査員特別賞に選ばれたのはサプライズだったのです。

B:  意外性をアピールする主催者側の政治的力学もはたらいたかな。


B: カビナさんはアップ段階では原作を読んでいないようで、いくつか疑問が出ています。

A:  まず原作『狼と森と新しい人間』は、ハバナ大学生ダビドのモノローグで進行します。物語が時系列ではなく、フラッシュバックを織りまぜての行ったり来たりです。

B:  映画は小細工なしの時系列で進むから安心して見ていられる(笑)。

A:  ディエゴは既に亡命していて、これから語られることは回想であることが分かる仕掛けです。

B:  大雑把にいうと、物語は「コッぺリア」で始まり「コッぺリア」で終わるという円環的なせいか、どうもこれで終わったという感じがしない。

A:  閉じられていないから、ダビドのその後を書いてくれなくちゃという印象でした。モノローグのなかに「 」なしに相手のセリフが挿入されることもあり、時々読み手は迷子になる。決して読みやすい小説とはいえず、翻訳も細かい工夫が凝らされ、結果かなり大胆なところもあります。

B:  キューバの歴史や文化に関する本の題名、人物名がこれでもかと繰り出されてきて、初めて目にするだけに注記がないとお手上げです。

A:  無視して読むことも可能ですが、キューバの政治体制、経済や文化的な背景を知って読むと面白いということね。映画とは登場する人物名にも違いがあり、小説と映画の受取り手の違いを考えて、うまくバランスを取っています。

B:  結果的に各国で翻訳されましたが、日本では映画化がなければ翻訳されなかった作品かもしれない。まずは海外に暮らすキューバ人、次いで国内のキューバ人向けだったのではありませんか。

A:  原作のダビドは映画のような共産主義青年同盟のステレオタイプ的な学生ではなく、ずっと知的好奇心にあふれたナイーブな青年として描かれている。ディエゴのアパートに行くことになったそもそもは、彼がちらつかせるバルガス=リョサの新作『世界終末戦争』に釣られてのことです。

B:  キューバでは発禁本の小説ですね。原作には「ナンシー姐さん」は出てこないし、ビビアンの出番も刺身のツマ程度です。

A:  ダビドはビビアンに振られてしまっているようだが完全に切れてるようでもなく、映画のように外交官とも結婚していない。ダビド以上に教条主義的な友人ミゲルがいない。

B:  反対に原作で重要と思われる人物イスマエルが、用心深く映画では消されてしまっています。

A:  目指すテーマは同じように見えながら、二つは≪かなり違う≫が印象です。

B:  しかしシナリオもセネル・パスが一人で書いていて、クレジットにもアレア監督の名前はありません。

A:  オフィシャルにはそうなっていますが、ナンシー役のミルタ・イバラによれば、二人で相談しながら大枠を決めていったようです。

B:  周知のことかと思いますが、彼女は監督夫人。

A:  『狼と森と新しい人間』1本での映画製作は無理で、物語を膨らませるためにナンシーを絡ませることにしたと。シナリオは三つの短編を素材に組み立てられている。

B:  どの映画にもいえることですが、シナリオ通りかどうかも実は分かりません。

A:  パスは原則として、シナリオを渡してしまったら撮影現場には出向かないそうです。執筆中に他人にあれこれ言われたくないから、自分も撮影現場に出かけて監督や俳優たちに干渉したくないということです。

B:  当時の監督と脚本家の力関係からすると「変更あり」も考えられるかな。

A:  そういう個所が随所に見えますね。特に助監督のフアン・カルロス・タビオと思われるユーモアがね。監督の仕事はハイ「スタート」、ハイ「カット」だけではありません(笑)。

| | Comments (10) | TrackBack (0)

« July 2011 | Main | September 2011 »