« No-Do / ゴースト・オブ・チャイルド [スペイン映画] | Main | 『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~2~ »

Monday, August 08, 2011

『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~1~

アリ・ババ39さんが『Fresa y Chocolate / 苺とチョコレート [キューバ映画]: Cabina』にコメントをしたいとおっしゃるので、いっぱい書いてくださいとおねがいしていました。私がたぶん一生知らずに済ませてしまうであろうことをアリ・ババ39さんが教えてくださる。いつも本当にありがとう。

では、以下に書き写していきます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


diamond 原作と映画は「かなり違う」が印象

A: 今やキューバ映画の古典入りした感じの『苺とチョコレート』ですが、最近、原作を再読する必要があって、映画も改めて鑑賞しなおしました。

B:  1994年秋、岩波ホール20周年記念作品として公開されました。キューバ映画を見るのはこれが初めてという観客が多かったのではないか。

A:  今でも「キューバ映画はこれ1本」という人も(笑)。キューバ大好き人間には叱られそうですが、それくらいマイナーです。

B:  例年12月に首都ハバナで開催される新ラテンアメリカ国際映画祭(Festival Internacional del Nuevo Cine Latinoamericano)で最優秀作品賞に与えられる珊瑚賞のほか8部門制覇という快挙を果たしました。

A:  通称ハバナ映画祭と呼ばれていますが、これまたマイナーな映画祭です。世界が注目したのは珊瑚賞受賞ではなく、翌年のアカデミー外国語映画賞ノミネートです。キューバ映画がノミネートされたのも史上初めて。国交断絶以来の両国のぎくしゃくを思って感慨深かった人もいたのでは。

B:  残念ながら結果は露仏合作『太陽に灼かれて』のニキータ・ミハルコフの手に落ちましたが。このブログでは既にお馴染みになっているゴヤ賞スペイン語外国映画賞受賞にも輝いた

A:  当時の日本ではゴヤ賞の存在すら殆んど認知されておりませんでしたが、ベルリン国際映画祭銀熊賞の一つ「審査員特別賞」の受賞は報道されました。男優賞は『フィラデルフィア』のトム・ハンクスが受賞した。

B:  ゲイ対決ともいわれたが、残念ながらディエゴ役のホルヘ・ペルゴリアは涙を呑みました。

A:  しかし、この年のベルリンは殊のほか豊作で、金熊賞はジム・シェリダン『父の祈りを』、銀熊賞の監督賞はキェシロフスキの『トリコロール/白の愛』だったから、カリブの小さな島からやってきた『苺とチョコレート』が審査員特別賞に選ばれたのはサプライズだったのです。

B:  意外性をアピールする主催者側の政治的力学もはたらいたかな。


B: カビナさんはアップ段階では原作を読んでいないようで、いくつか疑問が出ています。

A:  まず原作『狼と森と新しい人間』は、ハバナ大学生ダビドのモノローグで進行します。物語が時系列ではなく、フラッシュバックを織りまぜての行ったり来たりです。

B:  映画は小細工なしの時系列で進むから安心して見ていられる(笑)。

A:  ディエゴは既に亡命していて、これから語られることは回想であることが分かる仕掛けです。

B:  大雑把にいうと、物語は「コッぺリア」で始まり「コッぺリア」で終わるという円環的なせいか、どうもこれで終わったという感じがしない。

A:  閉じられていないから、ダビドのその後を書いてくれなくちゃという印象でした。モノローグのなかに「 」なしに相手のセリフが挿入されることもあり、時々読み手は迷子になる。決して読みやすい小説とはいえず、翻訳も細かい工夫が凝らされ、結果かなり大胆なところもあります。

B:  キューバの歴史や文化に関する本の題名、人物名がこれでもかと繰り出されてきて、初めて目にするだけに注記がないとお手上げです。

A:  無視して読むことも可能ですが、キューバの政治体制、経済や文化的な背景を知って読むと面白いということね。映画とは登場する人物名にも違いがあり、小説と映画の受取り手の違いを考えて、うまくバランスを取っています。

B:  結果的に各国で翻訳されましたが、日本では映画化がなければ翻訳されなかった作品かもしれない。まずは海外に暮らすキューバ人、次いで国内のキューバ人向けだったのではありませんか。

A:  原作のダビドは映画のような共産主義青年同盟のステレオタイプ的な学生ではなく、ずっと知的好奇心にあふれたナイーブな青年として描かれている。ディエゴのアパートに行くことになったそもそもは、彼がちらつかせるバルガス=リョサの新作『世界終末戦争』に釣られてのことです。

B:  キューバでは発禁本の小説ですね。原作には「ナンシー姐さん」は出てこないし、ビビアンの出番も刺身のツマ程度です。

A:  ダビドはビビアンに振られてしまっているようだが完全に切れてるようでもなく、映画のように外交官とも結婚していない。ダビド以上に教条主義的な友人ミゲルがいない。

B:  反対に原作で重要と思われる人物イスマエルが、用心深く映画では消されてしまっています。

A:  目指すテーマは同じように見えながら、二つは≪かなり違う≫が印象です。

B:  しかしシナリオもセネル・パスが一人で書いていて、クレジットにもアレア監督の名前はありません。

A:  オフィシャルにはそうなっていますが、ナンシー役のミルタ・イバラによれば、二人で相談しながら大枠を決めていったようです。

B:  周知のことかと思いますが、彼女は監督夫人。

A:  『狼と森と新しい人間』1本での映画製作は無理で、物語を膨らませるためにナンシーを絡ませることにしたと。シナリオは三つの短編を素材に組み立てられている。

B:  どの映画にもいえることですが、シナリオ通りかどうかも実は分かりません。

A:  パスは原則として、シナリオを渡してしまったら撮影現場には出向かないそうです。執筆中に他人にあれこれ言われたくないから、自分も撮影現場に出かけて監督や俳優たちに干渉したくないということです。

B:  当時の監督と脚本家の力関係からすると「変更あり」も考えられるかな。

A:  そういう個所が随所に見えますね。特に助監督のフアン・カルロス・タビオと思われるユーモアがね。監督の仕事はハイ「スタート」、ハイ「カット」だけではありません(笑)。

|

« No-Do / ゴースト・オブ・チャイルド [スペイン映画] | Main | 『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~2~ »

Comments

B:  さて、カビナさんは「アイスの種類がセクシャリティとイデオロギーの対立のメタファーになっている」と言ってます。

A:  苺アイスが何故ゲイのメタファーかは、苺のピンク色が女性的な柔らかな印象を与えるからだそうです。ゲイを指す隠語の代表格は小鳥のpájaroですが、他にmariquita(テントウムシ)、cherna(メロ)やpargo(マダイ)などは共に赤色の魚で、どうやら色からの発想らしい。

B:  ダビドがコッぺリアでディエゴにナンパされたときにアイスを食べていたかどうか。


A:  小説でもアイスクリームを食べてますが、チョコレートとは書かれていません。ダビドはヘテロセクシャルだからわざわざ書くまでもないことです。

B:  映画ではお皿のような平べったい器からすくって食べていて、アイスのようには見えなかった。最後にまたコッぺリアでアイスを食べるシーンがあって、そのときは両方の器は同じだった。

A:  そうですね。コッぺリアというのは、ロシアのバレエ「Coppelia」から取ったアイスクリームのチェーン店の名だから、やはりアイスクリームかな。1966年開店だそうです。ソビエトの援助打ち切り後にはさぞかし改名したかったでしょう。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 13:20

diamond ティトンだから撮れた映画か?

B:  次に、1993年に「キューバでどうしてこの作品が制作・発表できたのか?」と驚いています。

A:  どうして、こんな反体制映画が可能だったのかという疑問ですね。テーマが≪友情、不寛容、差別≫だというような批評はよく目にしますが、いきなり核心に迫る質問です。

B:  製作された90年代前半のキューバというのは、ソ連崩壊とともに全ての援助が打ち切られ、キューバの石器時代、もはや神話の世界とも言われた。

A:  キューバ危機以後もっとも困難な時代、ソ連一辺倒だった体制への不満や批判は地下に潜っていたにしても渦まいていた。しかし、これは監督と体制が結託して作った「カストロ擁護の映画だ」と憤慨する意見もあるのです。


B:   ちょっと待って下さい、説明が必要です。

A:  最近知った資料なのでまだ引出しが整頓されていませんが、後半で整理します。今はそういう意見もあるということを頭の片隅に入れておくだけにして下さい。

B:  ネイティブ参加のシネ・フォーラムでも聞いたことがありませんでした。

A:  しかしスペインでは上映後からあったらしい。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 13:23

B:  キューバ映画芸術産業庁(ICAIC)(Instituto Cubano del Arte e Industrias Cinematográficos (ICAIC) [cu])のドン、アルフレド・ゲバラがゲイで検閲が甘かったからだと思っていました。

A:  それも幸いしたかもしれません。ゲバラは政権中枢と結びついた特権階級の同性愛者です。それに監督がキューバ映画界の重鎮トマス・グティエレス・アレア(愛称ティトン)だったから。

B:  フィデル・カストロとアレアは、ハバナ大学の法学部の同窓生、20代からの友人関係にあった。

A:  アルフレドとフィデルも大学時代からの同志、さらにフィデルのお友達ガルシア=マルケスとはイタリアのローマ映画実験センター通称チネチッタで一緒に映画を学んだ仲でした。

B:  しかし、晩年の監督は体制と少し距離を置いていたと聞いていますが。

A:  晩年といわず、彼のフィルモグラフィを見ればわかるように、彼の映画は不寛容と官僚主義への闘いだったのではないかな。自身の健康状態も悪く、死が身近にあったのです。撮りたい映画を撮らずに消えたくないという気持ちが強かったと想像します。

B:  監督は原作を一読するなり「これを映画にしなければという義務感におそわれた」と言ってますね。

A:  少々の横槍覚悟で取りかかったと思います。

B:  撮影途中で長年コンビを組んでいた助監督フアン・カルロス・タビオにバトンタッチした。

A:  ただし最終カットはアレアです。かなり進行していた肺癌の手術をしたんです。ハバナ映画祭開催の12月には、スリムになっていましたが無事生還を印象づけました。今でもそうですが肺癌の生存率は高くない。遺作となった“Guantanamera”(1995)撮影中に再発、これもタビオが引き継ぎ、翌年4月に帰らぬ人になりました。

B:  より反体制色が鮮明、いわゆるブラックユーモア満載のシリアス・コメディ、キューバ大好きには人気がありません(笑)。

A:  原作者のセネル・パスも当時、文化普及部門で働き、ICAIC、キューバ作家芸術家同盟(UNEAC)(Unión de Escritores y Artistas de Cuba)の仕事をしていた。

B:  それも有利にはたらいたと考えていいですね。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 13:26

A:  それに原作が1990年のフアン・ルルフォ賞を受賞していてone、すでにラテンアメリカでは知名度がありました。1950年ラス・ビジャス生れ、父親は貧しい農民グアヒロ、革命により大学教育を受けられた典型的な「新しい人間」の代表といえます。two

B:  まるでダビドのコピーみたいですね。

A:  映画では、ディエゴがダビドを「スターリンのようだ」と揶揄していました。


one 原作はメキシコで出版され、1990年フアン・ルルフォ賞短編部門で受賞。1991年に創設されたフアン・ルルフォ賞Premio de Literatura Latinoamerikana y del Caribe Juan Rulfoとは別。こちらは第1回がチリのニカノル・パラ)

two 1973年ハバナ大学卒業(ジャーナリズム専攻)、「アデランテ」紙に就職、ロス・バーニョスのサン・アントニオ国際映画学校の脚本科のディレクター(1998~2001)、現在は本校の学部長。UNEACの国家顧問のメンバーの一人)

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 13:27

diamond サンタ・バルバラはアフロ系の民間信仰

B:  ナンシー姐さんが“Santa Barbara bendita”と泣きながらサンタ・バルバラ像に祈るシーンがあって、キューバにはそういう習慣があるのかと聞いています。

A:  サンテリアという一種の民間信仰です。キューバに奴隷として連れてこられたアフリカ人は、アフリカ南西部のナイジェリア、ベナン、トーゴ出身者が多い。そこから持ちこまれたアフリカ起源のヨルバ族の宗教です。聖女バルバラというのは一見カトリックのように見えますが、ルーツはアフロ系の神さまです。

B:  当時の教会がカトリック以外の宗教を禁じたので、両方を融合させて従来の信仰を守ったんですね。

A:  シンクレティズム【syncretism】(諸説混合主義)といって、異なった宗教を融合させた重層信仰です。サンタ・バルバラは風や嵐をつかさどるヨルバの女神イアンサン、夫は雷と火の神チャンゴーで、サンテリアではヒエラルキーの頂点に立つ重要な神です。

B:  グアヒーラの女王セリナ・ゴンサーレスの十八番「サンタ・バルバラ」に出てくる。「チャンゴーばんざい、サンタ・バルバラに祝福あれ~」のチャンゴーですね。

A:  映画にはセリナ・ゴンサーレスの名前は出てきませんが原作には出てきます。逆にサンタ・バルバラは、原作にナンシーが登場しないこともあって出てきません。

B:  二人でウィスキーを飲むシーンがありましたね。グラスに注ぐまえにディエゴが「まずオリシャス神に」と言って数滴床にウィスキーを垂らした。

A:  これもサンテリア、オリシャーはアフロ系の神々の総称です。最初にサンテリアの重要性に言及したのがフェルナンド・オルティスという文化人類学者。

B:  キューバの文化・歴史を語るときには、欠かせない重要な人です。

A:  この人の名前は原作にも出てきませんが、ディエゴ作成の≪ダビド必読書一覧表≫には『キューバにおける砂糖とタバコの競合』(Contrapunteo cubano del tabaco y el azucar/Cuban Counterpoint of tabacco & sugar (Letras Hispanicas, 528)という著作名が出てくる。映画では何も言及されませんが、ディエゴの部屋にベタベタ貼ってある数枚の写真の中にちゃんとあります。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 13:32

diamond ディエゴがヒマワリの花束を抱えているのは……

B:  またディエゴがヒマワリの花束を抱えて登場するにも訳があるとか。

A:  実は原作では花束は抱えていない。ヒマワリはハバナの守護者「ヒラルディージャGiraldilla」のシンボル花なんです。Giraldillaはgiralda の縮小辞、人や動物を象った風見ですね。

B:  ハバナで最初に目に入るのがフエルサ要塞のドームてっぺんのヒラルディージャ像。ラム酒‘ハバナクラブ’のラベルにもなっている。

A:  勿論、現在のはレプリカですが、最初の女性提督がモデルです。ディエゴが帰宅して最初にしたことは、抱えてきたヒマワリを花瓶に挿すことでした。これでディエゴの人格の一端が分かる。


B:  後方に聖母マリア像がありましたが。

A:  聖母マリアではありません。サンテリアの‘Virgen de la Caridad del Cobre’愛称Cachitaカチータというアフロ系の女性神、これもシンクレティズムの一つです。Caridadの意味は「慈悲」ですから、仏教でいえば観世音菩薩のようなものです。


B:  Cobreは銅ですが……

A:  神とか仏は、自分を象徴する≪シルシ≫、経典とか宝殊とか武器を常に携えています。観世音菩薩なら蓮華、聖ペテロなら天国の鍵、海神ネプチューンなら三叉の熊手など。カチータのシルシは銅です。


B:  像の前にボートに乗った漁師みたいな人形が置いてありましたが。

A:  この3人だかの漁師はメタファーになっています。「沿岸警備隊に発見されずに小舟で無事マイアミに脱出できますように」というわけです。常に見張られているディエゴは「どうか捕まりませんように」と祈るのですね。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 13:35

B:  これに関連して、カビナさんが「Yo soy....vamo, tu la sabe. Tambien soy creyente」(字幕:僕は・・・見てのとおり、神の存在を信じている)の真ん中のフレーズは、見ての通りゲイだ、という意味ではないかと書いていますが。

A:  ちょっと判断が難しい。前回ダビドを怒らせて帰してしまったことで、カチータに「連れ戻して」と泣きついたのに聞き入れてもらえなかった。もう二度と会えないと諦めかけていたダビドが突然現れた。ああ、やっぱり聞き入れてくれたんだ。驚きつつも嬉しさを隠しきれないディエゴは、カチータに感謝の蝋燭を灯し手を合わせる。うーん、字幕とも取れるかな。

B:  彼が信じているのはサンテリアということですね。

A:  原作に同じシーンはありません。それに原作での信仰告白は最初の出会いシーンで語られる。つまり、ダビドを自宅に誘い込むまえに、自分は「一つ、オカマだ、二つ、神を信じている、三つ、体制とトラブルを起こしたことがある……」と説明するわけです。原文は「……Dos: soy religioso.……」と使用単語も異なるんです。

B:  二つの単語の明確な違いはあるんですか。どうも原作のほうはキリスト教徒の雰囲気です。

A:  微妙です。他にディエゴのセリフ「神は間違っている。カール・マルクスはもっとひどい」というところの神は「Dios」、「マルクス主義者もキリスト教徒も~」ホモの居場所を認めないから云々、また「もしも私が敬虔なカトリック信者で来世を信じていれば、(現世は)どうでもよかった」という個所もあってクリスチャンではない印象です。

B:  しかし、小説では亡命が決定してからのディエゴの様子が語られ、その中に「詩集を片手に、キリスト磔刑像をもう一方の手に持って、というのも彼の信仰心は深まっていたからだが」という個所が出てきます。

A:  そこでまた混乱してしまう。出来ることなら作者に確認したい(笑)。個人的には映画と同じサンテリアかな。私はお寺にも神社にも行きます。

B:  前のパートナーらしいヘルマンの彫刻は、手に聖痕があるようなキリスト像だった。

A:  当時のキューバでは、共産主義と相入れないとして宗教は表向き禁止されていましたから、ゲイ同様迫害の対象でした。スターリン曰く「宗教は毒酒である」。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 13:36

diamond サンディニスタ勝利のテレビ画面はドキュメンタリーか

B:  ハバナ大学の学生たちがテレビで見ているのは、生ニュースかドキュメンタリーか。

A:  私は疑問も持たずに生ニュースと考えていました。従って1979年7月19日のニカラグアのサンディニスタFSLN勝利のニュースを学生たちが見ていると。小説にはこのシーンはありません。

B:  原作でディエゴが持っていたバルガス=リョサの単行本『世界終末戦争』の刊行は1981年です。

A:  ですから映画では齟齬をきたすので、1969年刊の『ラ・カテドラルでの会話』に変更したと思ったのです。1979年以前の作品から選ぶとすれば、左翼活動に失望する青年やホモが登場する本作はピッタリです。

B:  ディエゴがコッぺリアを皮肉って≪アイスクリームのカテドラル≫と言ってるのも理由の一つか。

A:  小説では1980年代のどこらへんか明確ではありませんが、1980年か81年以降~上梓した1990年の間としか言えない。仮に1981年とすると、小説の中でディエゴは「30歳」と言っているから、パスと同世代になる。

B:  映画では、ディエゴ役のペルゴリアが「ディエゴはだいたい40歳ぐらい・・・出演したとき27歳でしたので実年齢より上の人物を演じることになった」と語っています。

A:  映画は30代後半の印象でしたね。ここいらにも違いがあります。単行本に推薦文を書いたメキシコの文芸評論家モンシバイスthreeは、「革命から30年後」として80年代終りにしています。これだとディエゴは革命前後の生れとなってしまうから無理が出てくる。


three カルロス・モンシバイス(1938~2010)は、ジャーナリズム記事、文芸論、メキシコやラテンアメリカの現代思想の形式を刷新したといわれている。その功績により2006年度フアン・ルルフォ賞を受賞、作年秋死去。ボラーニョの『野生の探偵たち』に登場している)

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 13:38

B:  ディエゴは、識字運動にも参加したが、生産支援部隊(UMAP)(Unidades Militares de Ayuda a la Producción)の件で捕まっているとも言っている。

A:  この組織の目的は犯罪者やゲイの矯正です。サトウキビ刈入れ、製糖工場、建設現場に軍から派遣された。そのあまりの過酷さに、UNEACが抗議して中止させた。期間は諸説あって、Wikiは1965~68、単行本注記は1966~71です。いずれにしても短期間です。

B:  全体を総合すると、小説の時代背景は1980年代前半でしょうかね。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 13:39

Posted by: Reine | Monday, August 08, 2011 at 14:01

The comments to this entry are closed.

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/33847/52423210

Listed below are links to weblogs that reference 『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~1~:

« No-Do / ゴースト・オブ・チャイルド [スペイン映画] | Main | 『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~2~ »