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Monday, August 08, 2011

『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~2~

(前章からお読みください ⇒ 『苺とチョコレート』(Fresa y Chocolate)について ~1~: Cabina


diamond子供は独り歩きをする

A:  分かる範囲でしたが、カビナさんの疑問に応えられたでしょうか。友情・不寛容つまり差別・同性愛などは、昨今では映画のテーマとして珍しくも何ともありません。しかし、これに「反体制」と「自由への希求」という要素が加わると、俄然別の顔が現れてきます。本当のテーマはこちら、と言いたいのですが。


B:  積み残しになっている「カストロ擁護の映画だ」と憤慨している話から入りましょう。


A:  順を追って簡単にご説明すると、亡命キューバ人のネストル・アルメンドロス(Néstor Almendros - IMDb)とオルランド・ヒメネス・レアル(Orlando Jiménez Leal - IMDb)が1983年に“Conducta impropia”というドキュメンタリー(Mauvaise conduite (1984) - IMDb)を撮った。「不適切な振舞い」とでも一応訳しておきます。これが【1】です。

B:  キューバの同性愛者差別を糾弾して、当時かなり話題になりました。

A:  これを見たアレアが、要約すると「キューバと縁を切ったはずのネストル(・アルメンドロス)が、こんな負の部分を図式化、単純化した辛辣なドキュメンタリーを今更どうして撮ったのか理解できない」と怒った。さらに彼は既に撮影監督として成功しており、あるステータスも勝ちえている、彼の才能に相応しくないと。


B:  アルメンドロスは体制批判で革命後間もない1962年にフランスへ亡命していますね。


A:  アレアはいつかこの回答として映画を、それもドキュメンタリーでないフィクションで撮りたいと考えていた。そこへパスの中編『狼と森と新しい人間』が現れ映画化を決意した、この中編が【2】です。

B:  アレアが前述した「これを映画にしなければという義務感におそわれた」に繋がるわけですね。するとこの『苺とチョコレート』がその回答というわけ?

A:  そうです、そしてこの映画が【3】です。“Encuentro de la cultura cubana”(1996年夏号 four)という季刊雑誌のインタビュー記事で延々と語っています。このインタビュー記事が【4】です。私が知らなかっただけで新資料でもなんでもないんですけど(笑)。

B:  アレアは1996年4月に死去していますから、これはアレア追悼号ですね。


four  ENTREVISTO Tomas Gutierrez Alea por Michael Chanan “Estamos perdiendo todos los valores”pp71~76
亡命キューバ人がマドリードで発行している高レベルの季刊雑誌。インタビュアーのマイケル・チャナンはイギリスのドキュメンタリー監督、ローハンプトン大学「映画&ビデオ科」の教授でもある。著作多数、ラテンアメリカの映画や音楽に通じ、イギリスでのラテンアメリカ映画紹介に尽力している。)


A:  ええ、そうです。その後、亡命キューバ人でバルセロナ在住のロヘール・サラスという作家が、アレアは「キューバの同性愛者に自由があったかのように描いている。事実とはあまりにかけ離れていて、フィデリスタ擁護の映画」と噛みついた。

B:  つまり、このサラスが憤慨したひとですね。

A:  1998年11月に“Ahora que me voy”という13編からなる短編集をスペインで上梓した。そのなかの‘El cordero, la lluvia y el hombre desnudo’という副題付きの1編“Helados de pasion”(仮訳「情熱のアイスクリーム」)がそれ、これが【5】です。

B:  副題の「子羊と雨と裸の人間」は、パスの「狼と森と新しい人間」の語呂合せというかパロディなのかな。

A:  サラスはこの短編集をパスに捧げていて、「まったく忠実とは言えないが、自分が亡命する前のキューバが息づいている」と評価しています。サラスはパスが中編を書くにあたってキューバのゲイ世界を取材したときの協力者。ディエゴの人格形成に多くの資料提供をした。サラス自身はtravestiつまり異性装者、男ですから女装愛好者、勿論差別の対象者です。1981年にスペインに亡命するまで、ハバナの国立美術館で働いていた。

B:  じゃ、サラスはディエゴの分身なのかな。

A:  彼は現在、「エル・パイス」紙の舞踊欄のコラムニストのかたわら、バレエの衣装や舞台装置のデザインをやり、あの巨大服飾誌「ヴォーグ」の仕事もしている才人です。(Roger Salas - Roger Salas - ELPAÍS.com

B:  原作にディエゴの「得意分野だったバレエ・・・」とか、「日本の唐傘をさし、舞台衣装みたいな服装の彼は・・・・ブレスレットだらけの手を振る・・・」とか描写されているのは、サラス情報だ。


A:  レサマ=リマ(Jose Lezama=Lima)がディエゴの間接的な分身かと想像していたんですが。なにしろ、レサマ=ディエゴ説もあるくらいですから。サラスが特に拘るのが、「僕は君が思うような高尚な人間じゃない」で始まるディエゴの告白シーンです。

B:  コッぺリアでダビドをナンパしたときのイキサツを語るところですね。

A:  ディエゴは“Por eso, por eso, te he pedido muchas veces un abrazo porque pensaba que al abrazarte me iba a sentir mas limpio”と続ける。

B:  字幕は「だから君に・・・抱いて欲しかった。僕自身が清められる気がしたから」となっている。


A:  この‘limpio’に拘った。辞書では「きれいな・清潔な」のほかに「公正な・純粋な」という語義もある。

B:  迷わず後者だね。「清められる」というと「汚れ」を落とすみたいな強い感じになる。しかしサラスは前者にとったんだ。

A:  小説にはこんなセリフはなく、「こんな下らないセリフはなかったじゃないか」という怒りかもしれない。多分「ホモは穢れているから矯正しなくてはならない」という苦い体験に直結したのだと思う。

B:  日本語字幕も踏み込みすぎ、ピュアとかフェアの感じだと思う。差別というのは、する側にその意識がなくても、される側が差別と感じれば差別になる。

A:  個人的には原作と映画は違っていいという立場です。パスの台本で舞台化もされています。3つを比較すると微妙に変化して面白いのです。


B:  それはまた別の話、深入りは止めましょう。

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Comments

A:  サラスは、自分の短編集の構想は亡命以来あたためてきたもので、書き直しを繰り返して17年間推敲したとも語っているんですね。

B:  じゃ、必ずしも映画に憤慨して書いたと言えないですよ。アルメンドロスに戻ると、『不適切な振舞い』の公開は1983年、1980年4月に起きたマリエル港事件が関係していますか。

A:  亡命を求めたキューバ人12万5000人強がマイアミに亡命した。理由は政治的経済的のほか、多くの同性愛者、体制側からアメリカを混乱させる目的で意識的に送り出された犯罪者も含まれていた。

B:  当然、亡命したくない人も大勢いたわけだ。

A:  ドキュメンタリーは、マリエル港脱出組のレイナルド・アレナスのような同性愛者や友人フアン・アブレウ、女装愛好者、既に亡命していたパディージャ事件のエベルト・パディージャ、他にアメリカを代表するリベラル派の作家スーザン・ソンタグ、原作、映画の両方に名前の出てくるスペインの作家フアン・ゴイティソロ、等々の証言で構成されています。

B:  若い頃の二人は、一緒に映画も作り、トマス、ネストルと呼びかわした間柄だった。だから「ブルータス、お前もか」という思いかな。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 14:04

A:  アルメンドロスは、1930年バルセロナ生れ、1948年兵役忌避のため父親と一緒にキューバに来ました。映画は主にニューヨークやチネチッタで学んでおり、ずっとキューバにいたわけじゃない。アレアが映画構想中の1992年にエイズで亡くなりましたから、この映画は見られなかった。

B:  その活躍や数々の受賞歴からしてアレア監督より知名度がありましたね。

A:  フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール、テレンス・マリック、ロバート・ベントン・・・など、錚々たる名監督と仕事をして、キューバ島では到底おさまり切れない才能でした。

B:  ベントンの『クレイマー、クレイマー』は映画ファンじゃなくても見てるし、一時期彼はロメール映画の専属カメラマンでした。

A:  そうね、ロメール・ファンには忘れられない撮影監督です。マリックの『天国の日々』でアカデミー撮影監督賞受賞、アラン・J・パクラ『ソフィーの選択』でもノミネートされた。アレアはアルメンドロスが「集めた証言がウソばかりとは言わない。同性愛排除は事実だし、UMAPのことでは責任も感じている。しかしキューバのある特定の状況の一部を語っているに過ぎない・・・結果的には真実を追求しながら大嘘の映画を作った」とも語っている。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 14:06

B:  ヒットラーの『我が闘争』も視点を変えれば、戦争賛美映画とも反戦映画とも取れるということと同じかな。インタビューは何年ごろですか。

A:  正確に確認できておりませんが、遺作「グアンタナメラ」(1995)には触れておりません。『低開発の記憶』(1968)、「ある点まで」(1983)(Hasta cierto punto (1983) - IMDb)、『公園からの手紙』(1988)(Cartas del parque (1989) - IMDb)などには言及しておりますが。多分1994年半ばあたりと思います。


B:  アレアには、キューバを出て外国で映画を作る誘いがあったと聞いています。

A:  そういう誘惑との闘いだったようです。反体制者からは「体制のプロパガンダ」と揶揄され、体制側からは「体制批判の映画を作っている」と非難された。彼の良心は二つに引き裂かれていたのですね。

B:  そういう視点を加えると、アルメンドロスの告発も、アレアの理想主義も、サラスの怒りも理解できる。しかし三人とも相互不信に陥っていて、自分に甘く、相手に対して「不寛容」だ。

A:  他人の考えを変えるのは容易じゃない。誰の言い分がより正しいかは誰に寄り添うかで分かれる。作品のヨシアシを決めるのは、作り手の意図がどこにあったかではなく、受け手がどう取ったかです。作品を公にするということは、ひとたび手を離れると「子供」は独りで歩き始める。だから作り手は子供を送り出すときは覚悟しなければなりません。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 14:16

diamond 戯れに恋はすまじ

B:  同性愛といっても、ホモとヘテロの組み合わせではシリアス・ドラマにはなりにくい。

A:  これは愚かなプライドが引き起こす政治コメディでしょうね。最初は非常に不純な動機で始まった「戯れの恋」ですから。

B:  ディエゴがダビドを落とせるかどうか、外貨つまりドルを賭けて始まった。小説ではダビドが主人公ですが、映画ではどちらかというとディエゴの感じです。


A:  ハバナ映画祭の主演男優賞はペルゴリアが貰いました。ダビド説、ディエゴ説、両人説とありますが、私はディエゴ説。彼の名演技が理由ではなく、弾圧に屈して愛するキューバを去るリスクを負うのはディエゴ、「セックスは人生の一部ではあるが、人生のすべてではない」と悟るのもディエゴだからです。

B:  小説でダビドは「二人の友情を通して僕は変わった、自分が目指していた人間よりずっと自分らしくなった」と言っている。変わったのはダビドだ。

A:  異性愛のビビアンが愛のない結婚を選ぶ理由はいたってシンプル。彼女は豊かな暮らしを求め、島からの脱出が目当てで外交官と結婚したんでした。ホテルに行きながらダビドを焦らして、ウソみたいだがやらせなかった。

B:  まさかダビドが断念するとは思わなかった(笑)。ストレートも純粋な愛で結ばれるわけじゃない。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 14:28

A:  ディエゴはダビドが好き、ダビドはナンシーが好き、そしてディエゴはナンシーのかけがえのない友人、三人のおかしな三角関係は、キューバの愛のあり方に何かを示唆している。

B:  いずれダビドも亡命せざるを得なくなる。恋占いが凶と出たとき、ナンシーの「お願い、1年はこのままに、彼を奪わないで・・・」というセリフがそれを象徴している。

A:  そうですね、すでにダビドは別の活動家にスパイされている。ゲイに取り込まれた人間は、共産主義青年としても、秘密情報員としても用済みです。ダビドも1年後にはキューバを去らねばならなくなる。ナンシーのセリフの意味は、そういうことです。

B:  イグナシオ・セルバンテスの「さらばキューバ」を聴くのは、その伏線だ。

Adios a Cuba‏ - YouTube 


A:  オペラについて言うと、原作ではフィレンツェから届いたばかりのレコード、マリア・カラスが歌うヴェルディの「椿姫」を聴くのだが、映画では「トロヴァトーレ」のアリア“恋はバラ色の翼にのりて”に変わっている。

B:  ディエゴの「本を読んで想像の翼を広げて飛んでみない?」という決め台詞に合わせたのかな。他にも音楽監督ホセ・マリア・ビティエルには魅了されますね。

A:  アレアはさりげなく体制批判をしています。例えば、建物入口にある町内会掲示板というか壁新聞の標語の作者がホセ・マルティとある。five

B:  ちゃんと読めるようにはっきり映る。

A:  ところがこれはマルティ作ではないそうです。両陣営に尊敬されているキューバの英雄がホセ・マルティ。このようにキューバ独立の英雄にしてキューバの大詩人をプロパガンダに利用していることを皮肉っている。

B:  「友情が終り、義務が始まる」のスローガンとか、スターリンの「働かざる者、食うべからず」よりマシなんじゃないですか。


five “Los debiles respeten, los grandes adelante   
   esta es una tarea de grandes Jose Marti“  
  「弱者よ自尊心を、強者よ前進を
これこそ人民の努め    ホセ・マルティ」
ホセ・マルティJose Julian Ma1ti (1853~95)、詩人・革命家。ベッケルの影響を受け、キューバのモデルニスモの先駆者。「イスマエリージョ」1882、「素朴な詩」1891、5月19日病死。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, August 08, 2011 at 14:33

Posted by: Reine | Monday, August 08, 2011 at 14:39

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