Calle Mayor / 大通り [スペイン映画]
この作品については割と細かく書いてしまうと思う
おはなし
どこにでもあるごくありふれた地方都市。カテドラル、川、広場の柱廊、そして町一番の賑わいを見せるメインストリート。
35歳になって未婚のイサベルはさしずめ“敗者”である。18年前に修道女学校を出た後ずるずると時が経ち、独り身のまま来てしまった。もう未婚の女友達もほとんど居ない。
フアンはマドリード出身の銀行員。この町に赴任した当初は戸惑ったが、今ではcasino(=会員制娯楽クラブ)での遊び仲間もでき、毎日そこそこおもしろおかしくやっている。だが、いかんせん退屈である。この町の暮らしは単調の一言だ。道行く人の顔ぶれもそれぞれの生活パターンも判で押したよう。
だからフアンはcasinoの悪友と一緒になって他人にたちの悪い悪戯を仕掛けては楽しんでいる。すべては暇つぶし。「冗談だよ、ほんの冗談じゃないか」。
次にフアンの仲間が目をつけたのはイサベルであった。フアンが行き遅れのイサベルに求愛してその気にさせて、ついに結婚できると舞い上がる女の無様な姿を見て楽しもうという趣向である。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
私はよく何かの作業中にBG“V”としてDVDを再生しておく。横目でチラチラ画面を見る、耳は聞くともなしに聞いている。この作品を最初に一回“鑑賞”したのも、そんな風だった。
行き遅れだ、負け犬だと世間から煽られ追い詰められている独身女が抱くであろう当たり前の結婚願望というものを、弄ぶだけ弄び嬲るだけ嬲って嘲り嗤う、いわゆる勝ち組と思しき男たちの卑劣な笑いで埋め尽くされたような作品だった。
1回見終わった時に友人アリ・ババ39さんにメールを書く用事があったのだが、そのついでに私は、「今、一度再生してみたところだけど、calle mayor、すっごく体に悪そうなんだけど、なんなのあれ!」と“殴り書き”をしたものである。
ヒロインの受ける仕打ちがあんまりに非情で、救われもせず土砂降りの雨のなか終わってしまうので、私は別作業の手を停めて( ゚д゚)ポカーンとしていた。……FIN……ってなんだよ、なにがFINだよと。こんな目に遭わなきゃいけないような何を彼女がしたというのかと、どこかで聞いたことのある、別の作品のタイトルみたいなことでも吠えたかった。
次の日も私はこれをまた横目で鑑賞した。そしてアリ・ババ39さんにメールを送った。「今日もう一回CalleMayorをBGVとして再生してみたのですけど、あたし、たぶん少しわかったと思います。暗号を解読したような気分!」
去年の今頃は、本作のフアン・アントニオ・バルデム監督のちょうどすぐ前の作品にあたる『Muerte de un ciclista / 恐怖の逢びき [スペイン映画]: Cabina』を観た。そのとき私自身が言っていたじゃないか、2サス目線で観ててもダメだって。男女の愛憎がどうした、心の闇がどうだこうだというドラマかなんかを見るように見ていたら、スペイン映画は本当には楽しめないんだ。解読する努力を楽しんだ方がいい。
糸口をつかんでから更に何度か再生したら、悲しくて胸がちょっと苦しかった。可哀想だと思った。イサベルがというよりも、あの当時のスペインという国とそこに暮らした人々が。
(簡単に書ける話ではないので、ちょびっとずつコメント欄に書き足していきます)
・Calle Mayor (1956) - IMDb
直訳: 大通り
監督・脚本: Juan Antonio Bardem フアン・アントニオ・バルデム
原案: Carlos Arniches カルロス・アルニーチェス 『La señorita de Trevélez』(⇒ 2011年8月13日 観ました)
出演:
Betsy Blair ベッツィ・ブレア ... Isabel イサベル
José Suárez ホセ・スアレス ... Juan フアン
Yves Massard イヴ・マサール ... Federico Rivas フェデリコ: フアンのマドリード時代からの旧友; マドリードの雑誌“Ideas”に書いてくれるようドン・トマスに依頼するためにこの町を訪れた
René Blancard ... Don Tomás ドン・トマス: 哲学者
悪友は誰が何の職業だったか、あんまりはっきり覚えてない
Alfonso Godá アルフォンソ・ゴダー ... 悪友ホセ・マリア(ペペ、エル・カルボ): 弁護士
Luis Peña ルイス・ペニャ ... 悪友ルイス: 商店の二代目
Manuel Alexandre マヌエル・アレクサンドレ ... 悪友ルシアーノ: 地元の新聞の発行人
José Calvo ホセ・カルボ ... 悪友: 医者?
Lila Kedrova ... Pepita ペピータ: 男たちがよく遊びに行く飲み屋のママ; 「飲み屋」って言っても……
Dora Doll ... Tonia トニア: フアンに惚れている、その店の女給: 「女給」って言うか……
Matilde Muñoz Sampedro ... Chacha: イサベルの家のchacha(使用人)
María Gámez ... Madre: イサベルの母
だんだん苦悩し始めたフアンがトニアを探して店に駆け込む。店名と両隣の建物の質感なども合っているようなのでここだと思う。少なくとも外観はまさにコレ。
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Comments
この作品をこうしてブログに書くにあたってIMDbのFull cast and crew(Calle Mayor (1956))を見てみて、Carlos Arnichesの"La señorita de Trevélez"というのが“原作”なのかと知った。検索してみたらちょうどよいのがyoutubeにあったから見た (⇒ La señorita de Trevélez: Cabina)(←よく確かめていないけど、この1984年のテレビ放送バージョンは、、戯曲のあちこちを削ってあったとしても、セリフの一つ一つはわりと忠実にできているんじゃないかと思う)
さて、Premios Goya ゴヤ賞にはオリジナル脚本賞とは別に脚色賞というものがあって(※Premios Goya 1989: palmareses / 第3回ゴヤ賞発表で設けられた部門)、それは言うまでもなく「小説や舞台などから起こされた脚本」に贈られる賞だよね。
1936年の『IMDb - La señorita de Trevélez (1936)』、これはエドガル・ネビル監督による映画化作品だったらしいけど、それはどうやら戯曲に忠実みたいよ。
でも、それではこの『Calle Mayor』は『La señorita de Trevélez』という戯曲を元にした“脚色”なんだろうか?
ちょーーーっとそれはどうかなと思ったよ。たしかに「casinoでつるんだ野郎どもが婚期を逃した女性に偽りの愛の告白をする」という筋は同じだけど、『Calle Mayor』はその先はもはやまったく違うおはなしになっていると思うんだよ。ここまでおはなしを膨らませて創り出したものでも“脚色”と言われちゃうんだなあ、まあそりゃそうなんだけども、という感じ。
Posted by: Reine | Wednesday, August 17, 2011 00:25
『Calle Mayor』と『La senorita ~』を見比べたら、なんだかほとんど違うおはなしだという印象を抱くと思うよ。
後にバルデム監督自身が、「源泉はカルロス・アルニーチェスの『La señorita de Trevélez』だが、私はあの“冗談”をベースに据えて、そこから50年代のスペイン社会の概括的な批判、そして、スペインの女性の―――もっと正確に言うと地方都市のプチブル階級の未婚女性の―――おかれた状況についての分析を展開していったのだ。」と書いたらしい。(⇒ たぶんそれはこの著書において
Y todavía sigue)
源はそれとして、それでは支流はというと、バルデムは下記を挙げたみたいだ:
こうした要素を一つに編み上げるようにして、「属する社会の倫理的・文化的制約から決して逃れられずにいる、とある女の状況を描いた」のだとバルデムは書いた。らしいよ。
Posted by: Reine | Wednesday, August 17, 2011 01:19
とりあえず、語句メモを
・dar la lata [dar lata a alguien]: 1. frs. coloqs. Molestarlo, importunarlo, aburrirlo o fastidiarlo con cosas inoportunas o con exigencias continuas.
・raja(d)o, (d)a: cobarde, persona que decide no realizar lo pactado.
・beatería
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
マドリードから旧友フェデリコがやって来て、フアンはバルでいろいろこの町での暮らしを説明します。話がchicasに及んだところでフェデリコが質問します。そこからのやりとり。たぶんこんな感じ:
F: ¿Sales con alguna? 誰かと付き合ってたりする?
J: ¿Quieres decir que si tengo novia? 恋人がいるかってこと?
F: No. Quiero decir que si sales con las mujeres. いや、単に誰かと付き合ってたりするのかって。
J: ¿Con qué mujeres? No te entiendo. Ah, ¿tú preguntas si tengo un plan? 誰とだよ? え?なに?どういう質問? ああ、俺が誰か(one night standで)遊びたい女でもいるかってこと?
F: Ja, ja, ja. No. Plan, no. Que si sales. ははは。いや、そうじゃなくて。だから、“つきあってる”女の人がいるのかってことだよ。
J: Ah, bueno, pues, no, no se puede. ああ、それは……いないな。無理なんだ。
F: ¿No se puede? 無理?
J: Claro. Puede salir un día ¿y eso qué? Pero ¿si sales más? ちょっとつきあって、それで? もっとつきあったらどうするんだよ?
F: ¿Qué? どうなるんだよ?
J: Pues, que la gente dice que sois novios. もう正式なおつきあいなんですねって思われちゃうだろ。
F: ¡¿Ah, sí!? え、そう?
J: ¡Sí, hombre! Por eso, o tienes plan con una chica o eres novio. Si eres novio, para casarte. También puede romper, claro. El Calvo lo hacía bien. そりゃそうだろ! だから、(one night standで)遊びたい相手なのか、もしくは正式な恋人か、どっちかしかないんだよ。正式な恋人なら、もうイコール結婚相手なわけ。まあ、破局ってこともアリだけどね。エル・カルボの奴はそこんところうまくやったんだよ。
F: ¿Y si tienes plan? もし、じゃあ、(one night standで)遊びたい場合はどうすんの?
J: Es difícil. 難しいんだな、これが
F: Es difícil porque las chicas son decentes. 女の子たちがみんな堅いってわけか。
J: No es eso. Si tienes plan con una, todos tus amigos lo van a saber y todo el mundo también. Por eso, ellas se andan con mucho cuidado, porque luego, como no pesquen a un forastero...いや、そういうわけでもないんだ。もしも誰か一人の女とちょっと遊びたいなと思うだろ、そうすると仲間にはばれちゃうわけだよ。ってことは町中に知られるわけ。だから女たちは用心深く立ち回ってるんだ。だってそりゃそうだよな、この町の男じゃない奴を釣り上げないと…(ここで会話中断)
ここは、私の訳で合っているのかわかりません。salir conをフェデリコがどういう定義で使っていて、フアンはどういう語義だと解釈しているのか、二人のあいだの食い違いが、ちょっとよくわからなかったんだ。
そこで、facebookで、上記のダイアローグを添えて友人たちに質問をしてみた。
1. どうして最初のうち話が通じないのか。
2. この二人の男はそれぞれsalir conを何だと思っているのか。
3. 1956年当時は現在の語義(下記)となにか違っていたりしたのか。
salir: 2
(con) intr. Ir juntas de paseo, al cine, a un baile, etc., dos o más personas.
(con) Hacerlo frecuentemente como preludio de un noviazgo.
(con) Mantener una relación amorosa con alguien:
例) Sale con un chico desde hace un año.
それに対してのレスポンス:
「La expresion “salir con” es muy polisémica. En la sociedad de los 50 era antesala de ser novios formales y tener plan era siempre querer tener relaciones con quien seguro no querrias que fuera tu novia」
とか他には
「“salir con”が、“異性とステディな関係にある”を意味しているんだけど、それが『じゃあ、イコール、結婚』ではなくて、もうちょっと軽い、結婚に直結しているわけでもない男女のつきあいにすぎないというのは、56年当時ならひょっとしたらまだまだ新しい概念だったのじゃないか。だから首都マドリードからやってきたフェデリコはそういうつもりで“salir con”してる女性でもいるかいと聞いた、と。一方、地方都市にいたフアンは“salir con”はイコール“noviaがいる”であり、イコール“じゃあ結婚前提のおつきあいなんでしょ”という概念でいたもんだから、そこで食い違いが生じているのではないか」
っていうような内容だった。
その解釈がいちばんこのシーンにぴったり来るかなと感じたので、なるべくそういうニュアンスで上述通り訳してみたのだけど、難しいな。ちょっとよくわかんなかったんだな、ここの会話のニュアンス。
私、よくわかんないんだよね。“salir con”って何だよというのは『ヌード狂時代』の時にもブツブツ言ったと思う。“つきあう”って何だよ?
Posted by: Reine | Wednesday, August 17, 2011 20:25
フアンが「女となにかあったら、すぐに町中に知れ渡っちゃうだろ」というとおり、この町ではみんなのことが筒抜け。カフェで窓の外を眺めていれば、通る人みんなの情報を即座に挙げられる。
夕暮れ時にメインストリートを歩こうものなら、顔見知りに挨拶をするので忙しくて散歩どころではない。
皆が皆、顔見知りで、皆が皆、fisgón(詮索好き)。皆が皆を観察している。
林の中で男と女が二人きりでいれば、神学生などは振り返り振り返り通っていく。これはある意味こわいシーンだと思った。
(……略……)カトリック信仰のために.我々の神学,我々の哲学,我々の文学,そして我々の芸術の基盤であり,本質であり,最高の美であるカトリック信仰のために――― ……略……
……略…… フランコは政治家としてこの健全な宗教心を巧みに利用した.まず最初に内戦時には十字軍運動の思想を利用した.続いてカトリックの宗教的儀式やシンボル,および価値観のすべてを政府として支持した.いわゆる新国家は,権力の高みから宗教教育や信仰生活を押しつけた.……略……
……略…… スペインは教会に手を引かれて歩み始めた.教会法制は客観的に言って国教,すなわち国家カトリック主義とよばれる考え方を具体化し実践しつつあった.……略……
……略…… 国民1人当りの所得水準は極めて低く,その配分も均等ではないという状況の下で,スペインは戦いの苦い経験にかり立てられるかのように,過去の時代の宗教的理想に戻っていった.
教育と結婚はカトリック教の管轄の下にのみ行われるようになった.道徳や習慣を始めとしてスペイン人のすべての生活は,教会が示す規準に照らし合わせて判断されることになった.思想統制の手段として,報道出版に対しきわめて厳しい検閲制度が設けられた.すべて国家のお墨付きを頂戴しなければならなくなったのである.
こんな時代の真っ只中の映画だから、神学生が振り返り振り返り行く姿というのは、けっこう恐いものだったと思う。「見てるぞ!
男と女の関係というスキャンダラスな面ばかりが人の注意をひくわけではない。たとえばフアンが通りを行く一人の男を指してフェデリコに説明する: 「あの男はちょっと変わってるんだ。もともとこの町の人なんだぜ、なのにいつも一人で歩いてんの」。
皆が皆を監視している社会。
この町を覆う密室性・閉塞感といった空気の圧力は、イサベルを騙して楽しもうぜというこのたびの企画において騙す“色男”役をフアンが押しつけられた理由のひとつでもある。
フアンだって最初は「なんで俺がそんなことをしなきゃいけないんだよー」と抵抗もしたのだ。でも、仲間内でただ一人よそ者であるフアンは、「みんな結婚しちゃってるし、この町の人間で性格とかも知られちゃってるから、騙そうったってそもそもギャグが成立しないわけよ。独身でよそ者のお前が適任!」と説得されてしまった。
それでもまだ気乗りがしなかったフアンだったが、「こいつは結局俺たちの友達でもなんでもないからなあ。マドリードに友達がいるから。所詮こいつはrajaoだぜ」と嫌味を言われて煽られたので、売り言葉に買い言葉的にその役を引き受けてしまった。
Posted by: Reine | Wednesday, August 17, 2011 21:37
だからね。
この点でも『Calle Mayor』は『La señorita de Trevélez』とは大きく違ってるんだよ。
『La senorita ~』ではセニョリータに求愛をした(ことにされちゃう)のはヌメリアーノだけど、言ってみれば彼だって被害者だもん。陥れられたんだから。“冗談倶楽部”の悪戯に巻き込まれたんだ。
だけど『Calle Mayor』のJuanはどうだよ。
最初こそ尻込みしたけど、やり始めたらとことんまでやっちゃったんだ、この男は。
まずイサベルに言い寄る時は、仕事を休んで接近したんだ。そして、「仕事などかまわないんです。貴女と知り合う方が大事だったから」と言う。これで「Quiero salir con usted.」と言われたら信じるなというほうが無茶だろう。
フアンに言い寄られてからのイサベルの突っ走り方が《ノーガード戦法》過ぎて、「セニョリータ、それはまずい」と言ってあげたくなったりもするんだよ。でもね、セマナ・サンタの行進の列の中にいるイサベルのところまでわざわざ来てだね、耳元でずっと口説き続けてだね、ましてや衆人環視のその状態で「結婚してくれ!」と大声で叫んだんだ、フアンは。
そこまで決定的に求愛をされた女の人に対して、いったい誰が「行き遅れのお嬢さん、この男には用心しなさいよ。嘘をついているかもしれないじゃないか。事を急くでないよ」などと忠告するかよ。急くに決まってるだろう、何を寝惚けたこと言ってんだ、女には体の限界があるんだよ。
イサベルが結婚の夢を募らせたのも無理は無いでしょう。いや、夢どころじゃないでしょう、これ、もう。公然と求婚されたのだから。
そこまでフアンは共犯者なんです。いや、結果的には主犯なんだ。『La senorita ~』のヌメリアーノとは立ち位置がまるで違う。
ここから先は、フアンが良心の呵責にちょっと苛まれたりもするけど、事態はどんどん進んでしまいます。後戻りができない。
ダウンタウンの松本の、「これはあかん、これはあかんで~」という叫び声がずっと頭の中に響いてた。本当に「これはあかん
」展開になっていくのです。
Posted by: Reine | Wednesday, August 17, 2011 22:30
イサベルはフアンにハリウッド映画の特に恋愛モノが好きだと話す。「台所がすごく綺麗よね。何もかも白くて綺麗なの」。
フアンが言うんだ、「でもあんなのはぜんぶ“嘘”なんだってさ」。
35歳を過ぎたイサベル。ここへ来て「愛している」「結婚してくれ」という言葉にまで裏切られたのなら、生きていくのは相当に苦しいだろうよ。廃人街道を歩み始めたっておかしくない。
イサベルが地獄の苦しみを味わうと知っていて、それを正面切って忠告してくれたのはマドリードからやってきたフェデリコだけだった。
そればかりか、この町に残り続けてはイサベルの心を殺してしまうことになるからと、フェデリコはマドリードに避難するようにとまで言ってくれる。「僕がご一緒しますから」と。
真実を知らされたイサベルは、フアンと踊り明かすはずだったダンスホールで一人呆然と立ち尽くす。磨き上げられた床も、ごてごての飾り付けもすべてが幻、すべてが自分への罠だった。イサベルは凍り付いた表情で立ち去った。
マドリード行きの列車の発車時刻が迫る。フェデリコは駅でイサベルを待つ。イサベルは……イサベルは来た。駅までやって来た。
しかし切符売の係員に「どちらまで?」と聞かれてイサベルは愕然とするのだ。どちらまで……いったいどこに行くのだろう。どこにも行けない。この町を捨ててどこに行けと? 行くあてなどない。どこにも行けない。この古く窮屈な町を彼女は離れられない。
「イサベル、逃げたくないのか? イサベル、生きるんだ、生きなきゃ駄目だ。生きなきゃ駄目なんだ。生きるんだよ。生きないと!」…動き出す列車からフェデリコが必死に叫ぶが、イサベルはついに飛び乗ることをしなかった。
驟雨の中、とぼとぼと町の大通りを歩くイサベル。濡れ鼠の女をみて物陰で嗤っている4人の男たち。
大通り沿いのイサベルの自宅には、今夜のダンスで着るはずだったドレスを着せたマネキンがある。マネキンの脇にそっと立ったイサベルは、雨の打ちつける窓ガラスを虚ろな目で見つめていた。
FIN
………だから、FINって何だよ! 何がFINだよ! と、私がわなわなしたのも当然だろう。なんて悲しい話なんだよ!
「この町はどこの町でも無い」と作品冒頭でナレーションが説明するんだ。だけど、この町は「スペイン」だよね。スペインという国だよね。スペインの社会だよね。
そしてイサベルはあの時代の「スペインの庶民」なのだろう。映画で見るアメリカに憧れても「あれは嘘だよ」と言いくるめられてしまう存在なんだ。アメリカの繁栄なんて、スペインの窮乏なんて、そんなもの無いんですよ、と。
フアンの仲間のあの野郎どもは、時代によって旨い思いをした側の人間だとかシステムそのものだとかを表しているのかな。庶民を虐げて、気晴らしに慰み者にするのね。自分たちが傷つかない限り、他者がどうなっても構うこたぁねえよ、と。
トニアはイサベルが可哀想だというのは理解しているが、だからといって働きかけるでもない。イサベルの女友達、町の人はイサベルを不健全な好奇心で見守っているようだ。あるいは不活発な無関心で見放しているようだ。
社会全体が傍観者なのね。
民はスペインから逃げられない。フェデリコという新しい視点をもった声が、「生きろ、現状を脱して本当に人間として生きろ、生きるために動け」と警鐘を鳴らしてくれても、イサベルは逃げ出せない。変え方がわからない。その先がわからないから。切符の行き先が思いつかないから。
だからこの町に残ってしまったのでしょう。自分の尊厳をズタズタに引き裂いて、陰で嗤っているような連中がいるこの町に、ずぶ濡れになって戻って来てしまった。
フアンは? さっきも書いたとおりフアンは共犯であり主犯なんだ。あの頃のスペインという国のおおかたの人々がフアンなのでしょう。
イサベルに対するこの残酷な仕打ちを引き起こしたのはフアン自身なんだ。最初だけちょっと抗ったけどね、あとはやり過ぎってくらい自分でもどんどん乗っていったじゃないか。それでいて自責の念がどうだこうだと煩悶してみせる。
そして結局、逃げ出してしまった。目の前でのたうち回るイサベルを救えるのは、そこまで彼女を追い込んだ主犯である自分しかいないのに。自分だけがイサベルの運命を変えられる存在なのに。
責任をとらずに逃げてしまった。
なんて悲しい話だろう。内戦から約20年、独裁体制終結までもあと約20年。そういう1956年のスペインの話。
Posted by: Reine | Wednesday, August 17, 2011 23:26
第Ⅱ部 フランコ時代(1939~1975年)
第1章 社会システム
2 1939年~73年の反体制運動
(……略…… 反体制運動はなんやかやでうまく進まなかったというようなことが書いてあって……略……)
反体制運動は1956年に大きな転換期をむかえた。同年1月にマドリードで、「学生自由会議」の結成にむけて学生運動が展開されはじめた。官製のSEU(大学学生組合)を解体しようとする考えは、教育省が実験的に数ヶ月前から開いていたサークル「新時代」に集うすべての学生の間で大いに支持された。
学生自由会議結成の要求に対して、当時マドリード大学の管理をめぐって主導権争いをしていた二つのグループ(ファランヘ党側と、1928年にマドリードで創設された世俗的で権力志向の強いカトリック団体オプス・デイ側)から強い反発が生じた。1956年2月1日から同大学の複数の学部は、デモ・集会・暴力・襲撃などの舞台になった。その犠牲となった学生追悼集会が開かれた同月10日、緊張は頂点に達した。デモは組織者側の予測を超えて拡がろうとしたが、警察力によって抑えられた。……略……
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
3 ねばり強かったフランコ体制
(……略……この体制が長続きしたのは、反体制勢力が一致団結できなかったからと、それプラス、その他の理由をここからいくつか挙げていって……略……)
……略……反体制と見なされたあらゆる行動に対する警察の追及も、フランコ体制をねばり強く続かせたひとつの要因である。「政治・社会部隊(ブリガダ・ポリティコ・ソシアル)」という名の特務機関は毛細状のスパイ網を張り巡らしていた。しかもその抑圧的な行動は、武装警察と治安警備隊を介して組織的に展開された。酷い扱いや拷問さえ頻繁に行われた事実をわれわれは、ほとんど常に無視された多数の告発によって知っている。……略……
Posted by: Reine | Thursday, August 18, 2011 22:20
あちこちで見かけたことをまとまらないままメモしておきます:
・バルデム監督はcomunista。(ちなみに甥っ子のカルロス・バルデムは自分の信条について“Zurdo, muy zurdo”と表現してる ⇒ Carlos Bardem: «Pese a que me dan sólo papeles de malo soy un cursi». Ideal)
・1956年の2月、『Calle Mayor / 大通り』の撮影の開始後まもなく、フアン・アントニオ・バルデム監督はBrigada Político Social(上述)の牢屋に入れられちゃった。それで撮影は中断したらしい。15日間だったかな。
・これが、上述のマドリードの大学で勃発していた学生運動とちょうどおなじ頃。
(
この辺りのことは、たぶん『Explore y descubra curiosidades del Madrid oculto
』の中でも触れられている。⇒
Juan Antonio Bardem, miembro del entonces ilegal Partido Comunista, fue arrestado en pleno rodaje del film Calle Mayor (1956) y llevado a los sótanos. Posteriormente fue liberado y su largometraje, uno de los primeros del “nuevo cine español”, se convirtió en icono del neorrealismo cinematográfico que revolucionaría el cine en España.
)
・マドリード大学で生じた紛争で法学部は閉鎖され、その後、学生運動という枠組みを越えて拡がりをみせた。ちょうどこの頃にバルデムも逮捕されて収監されたが、フランス当局の口添えがあって数週間後に釈放。
・バルデムは逮捕されたパレンシアは彼への風当たりが強いと見て、ロケ地をログローニョに変えた。(撮影は他に、室内の様子などはマドリードの撮影スタジオで、丘の上から見下ろすようなシーンはクエンカで、あと町の様子とかはログローニョとかパレンシアとか、そんな感じだったと思う。もうどこに書いてあった情報か思い出せないので曖昧。すみません)
・この作品は検閲の面では厳しく見張られたけど、フランスとの合作ということで救われた面が大きいとか。
・そもそも逮捕されたバルデム監督の釈放に一役買ったのもフランス側製作陣。
・ヒロインのイサベルを演じたベッツィ・ブレアもハリウッドでブラックリストに載っていた(から米国を去り欧州の映画界に移って来た)人
She recounts movie gossip dutifully and the unpleasantness of McCarthyism righteously-a proud leftist, she found herself blacklisted-but the book becomes more compelling as she moves past Rodeo Drive.)
⇒ Betsy Blair - Biography
⇒ The Memory of All That: Love and Politics in New York, Hollywood, and Paris
(
・バルデム監督はベッツィ・ブレアを起用したけど、ベッツィはすでに『マーティ [DVD]
』で似たような境遇のヒロインを演じていて注目していたのかな、と。
・バルデム監督は前の年の『Muerte de un ciclista / 恐怖の逢びき』でカンヌに行った時に、『Marty (1955) - IMDb』でおなじくカンヌに来ていたベッツィ・ブレアに『Calle Mayor』の話をした。
・ベネチアではpremio Especial de la críticaの受賞だけ。
・アメリカ人女優ベッツィ・ブレアの演技は審査員をたしかに圧倒したが、この作品は彼女の声をエルサ・ファブレガスで吹き替えていたので賞の審査対象から外れた。
・スペインで上映されたバージョンとフランスバージョンはけっこう違う。検閲で削られた。修道女や神学生のシーン、愛情表現のシーン、地方の保守性が描かれているようなシーンの多くが削られた。
・公開されてみると、フランスとの合作だというのにフランス人は『Muerte de un ciclista / 恐怖の逢びき [スペイン映画]』の方が好きだと言う。これがバルデムには興味深く思えたのだとか。イタリア人は『Calle mayor』の方が好きだと言っていたから。しかしそれは現代のわれわれの視点で考えるとそう不思議なことでもなく、当時のイタリアの社会状況がスペインに似ていたからであろう。フランスではなくて。ということらしい。
Posted by: Reine | Thursday, August 18, 2011 23:43
他にもまだまだとりとめもなく感想やら受け売りやらを:
・私は『Elsa y Fred / エルサフレド [アルゼンチン映画]: Cabina』や『El Bosque Animado / にぎやかな森 [スペイン映画]: Cabina』『Amanece, que no es poco [スペイン映画]: Cabina』のマヌエル・アレクサンドレが刷り込まれているので―――それらぐらいしか観てないので―――、彼のことはフレドみたいな柔和な老紳士だとか、ほのぼの天然系のじいさんだと思っちゃっているのだけど、実際のマヌエル・アレクサンドレは「女が好き」なプレイボーイだったらしいよね。
昨年亡くなった時のテレビニュースでも“褒め言葉”として「女たらしだった」と解説されていたと思う。生前のインタビューでも「人生でなによりも好きなものと言ったら二つ: 女とエボシガイ」と語っている ⇒ "Me gustan las mujeres y los percebes" · ELPAÍS.com ←「『ははーん、この女はなんか俺に望んでるんだな』と思った相手にかかるまでだよ」とか答えてる。色男だったんだなあ。女をずいぶん泣かしてそうだ。
『Calle Mayor』におけるマヌエル・アレクサンドレ(演ずるルシアーノ)は、実に軽薄で、酷薄な男だったよ。黒いマヌエル・アレクサンドレです。(『Tamaño natural [スペイン映画]: Cabina』ではけっこう乱暴な人柄を演じてたような記憶がある)
・イサベルの母親を演じたMaría Gámez - IMDbは、エドガル・ネビルの方の映画化作品、『IMDb - La señorita de Trevélez (1936)』の時には、セニョリータを演じていたらしいよ。
・作品公開から30周年となる86年、バルデムゆかりの出演者・関係者を海外からも招いて記念式典をという話が持ち上がった。その時の(?)逸話として、当時の出演者を起用して『Regreso a la Calle Mayor』という作品を撮るという構想が生まれた。らしい。のかな?(←どこに載ってたか思い出せない)
⇒ PDFファイル www.cervantesvirtual.com/descargaPdf/regreso-a-la-calle-mayor--1/
そしてこれはなんだろう? 2000年頃のもの?読み始めたばかりだけど面白そう。(時は2000年、論文を書こうとしている女子学生が“イサベル”を訪ねて、『Calle Mayor』はフィクションではなくほぼドキュメンタリーだったのでしょう?と質問をぶつけるところから始まるみたい)
・この作品が作られた1956年と言ったら、50年代の前半が終わって後半に突入という時期だけど、つまりそれはスペイン社会およびスペイン映画に変革の訪れようとする時期だったのだ、と。
・有名な「políticamente ineficaz, socialmente falso, intelectualmente ínfimo, estéticamente nulo e industrialmente raquítico 」というバルデムの発言はまさにこの頃(1955年5月、サラマンカ)のもの。(この発言については、『Muerte de un ciclista / 恐怖の逢びき』の時にアリ・ババ39さんが説明してくださったので、あちらをどうぞ)
Posted by: Reine | Friday, August 19, 2011 10:24
“Venga a + 不定詞”の文が出てきたわ、そう言えば。
→・perífrasis VENIR A + 不定詞: Cabina
こちら↑よりはむしろこちらで↓説明してあります
→・El Otro Lado de la Cama / The Other Side of the Bed [スペイン映画]: Cabina
Posted by: Reine | Sunday, August 28, 2011 09:36
A: カビナさんブログにプロット、時代背景、トリビアも満載だから、更に付け足すコメントもないような気がします。1950年代のスペイン映画界の状況についても、バルデム監督の前作『恐怖の逢びき』で触れました。
B: 次作の“Venganza”(1957「復讐」)と三部作になっているということですが。
A: これもカンヌ映画祭に出品されたのですが、柳の下にいつも泥鰌は居ないという結果に終わった。つまり検閲で主題がカオス状態になり、大物役者の演技も冴えなく完全な失敗作だった。この失敗の痛手は大きくバルデムは袋小路に入り込んだしまったとまで囁かれた。「大通り」と『恐怖の逢びき』は、一見してテーマは繋がっていないように見えますが、核になるテーマは一貫しています。
B: スペイン映画といっても、ヒロインのベッツィ・ブレアはアメリカ人、エルサ・ファブレガスの吹替え、前作の主役ルチア・ボゼの吹替えも彼女だった。
A: 他にもイヴ・マッサール(フェデリコ)、ドラ・ドル(トニア)、ルネ・ブランカール(ドン・トマス)など脇役にフランス人が多く、リラ・ケドロヴァ(ペピータ)はロシア出身だがフランスで活躍していた。スタッフもフランス側で固めていますが、どう見てもスペイン映画ね。
B: 撮影監督ミシェル・ケルベルはフランス映画の大ベテラン、音楽のジョゼフ・コスマはフランス映画では知られた作曲家です。
A: カビナさんも触れていたように、パレンシアで撮影中の2月にマドリード大学で紛争がおき、バルデム監督も逮捕された。15日間(諸説あり)勾留されたが、それを救出してくれたのがフランス側の圧力でした。
B: 海外からの経済援助が焦眉の急だったから、体制側も海外メディアに敏感でした。
A: 国庫は火の車、民主的な政府であることを示す必要もあり釈放は合作のお蔭です。内戦勃発時に14歳という年齢もあって銃こそ手にしませんでしたが、共和派のコミュニストで活動家でもあったから、それだけで色メガネの≪検閲≫を受けていた。
B: この頃の監督は「外国の俳優を使うのが気に入っていた」とも言われていますが。
A: スペイン人より気に入っていたということではないと思いますが、国際的な配役は話題性からも多くの観客を呼び込めます。それにスペイン女優には制限が大きく、ベッドシーンは言わずもがな、キス・シーン、胸元が大きく開いた洋服も御法度だった。
B: フアンとイサベルのキスは小鳥が嘴で突いているようだったし、胸の開いたトニアの洋服もぎりぎりセーフだった(笑)。
A: 恥知らずな女として、スペイン女優だったら検閲は通らなかったと思う。『恐怖の逢びき』でルチア・ボゼのざっくり背中に切れ込みのあるドレスも、彼女がイタリア女優だったから検閲を通過した。
B: 皮肉にもトニアが「恥知らず」と卑怯なフアンを責めていた(笑)。日本でDVDになるアダルト一歩手前のような一連の映画からは想像できません。都会からやって来るフェデリコ役がフランス人なのも意識してやったことかな。
A: 首都マドリードが外国、舞台となる小都市がスペインと考えることもできます。登場人物は当時のスペイン中産階級の特徴をそれぞれ担っているわけですから。人物だけでなく背景、カテドラル、町の中心を流れる川、アーケードのある広場、題名にもなった「大通り」ですね。
B: スペイン語の“calle mayor”は、メイン・ストリートというだけでなく独特の意味をもっている。
A: パリのシャンゼリゼ通り、ニューヨーク5番街とかと同じね。‘大通り’は人と人が出会い、歓談したり、恋人を待ったりする場所です。イサベルは恋人との出会いを夢見て散歩に出掛ける。そうやって18年間、待って待って、やっと出会えたのがフアンでした。
Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, September 11, 2011 12:04
B: 雨の夜道を1台の車が観客に向かって走って来る冒頭のシーンは、パレンシアの‘大通り’でしょうか。ちょっと『恐怖の逢びき』のシーンを思い出しました。
A: 止まった車から棺桶と燭台が運び出されたことで葬儀社の車と分かる。のっけから死人かいと思っていると、突然マンションの窓が開いて棺桶が道路に降ってくる。窓から身を乗り出した老人が拳で胸を叩いて「わしはまだ生きとるぞ!」と叫んでいる。
B: それでこれがロクデナシどもの暇つぶしのイタズラであることが分かる。とても笑えない不気味な印象を与える導入の仕方です。
A: それも仲間の連帯を強めるため、「連帯」は本作のキーワードの一つです。老人の“¡Estoy vivo!”という怒鳴り声は、もしかして「エストイ」じゃなく「エスパーニャ」かもしれない(笑)。とても結婚もし父親でもあるらしい大人のやる冗談とは思えない。10代のガキがやること、つまりバルデムは「スペインはまだ青二才だ」と言ってるのでしょう。
B: 地元の中産階級らしい4人組は別々の「立派な」職業についている。フアンもマドリードから赴任してきた銀行員、同じ階級に属し少し前の内戦では勝ち組に属していたという設定です。
A: 対するイサベルも女子修道院の学校を出ている良家の子女、35歳という年齢から逆算すると1920年代初めの生れ、厳しい内戦をくぐり抜けてきたとは思えない幼さです。良家の子女というのは、女中さんなしでは主婦が務まらない「mocita」(子供みたいな大人)、宗教に偏ったブルジョアの女子教育の在り方、戦後20年もキーワードです。
B: スペインで一般庶民がなんとか3度の食事が摂れるようになったのは、1950年代にはいってからと言われています。
A: しかし前作にも出てきたように、勿論スラム街はまだ存在していた。カビナさんが検閲で削られたシーンにふれてましたが、その具体例の一つがスラム街。イサベルが教会の慈善行事でスラム街の子供たちに粉ミルクを配布するシーンが削られた。常に検閲との闘いで、譲歩を強いられた結果、不満の残る作品だったらしい。
B: スペインの恥を晒すのはけしからん。しかし万国共通だからか、街路で客引きしていた「立ちんぼ」のシーンは見逃されてました。
A: だいたいワインで有名なリオハ州の州都ログローニョで撮影されたということですが、建築中のマンションのシーンはクエンカです。冒頭で紹介される小高い丘から一望する町の全景もクエンカでしょうか。二つの塔をもっているログローニョのカテドラルは映らなかった。
B: しかしゴチック様式のカテドラルはログローニョです。すると、エブロ川、メルカード広場、ポルタレス大通りということになる。
A: クエンカは現在では世界遺産にも登録され、崖に建つ宙吊りの家は観光スポットです。室内は前作同様マドリードのチャマルティン・スタジオです。
B: しばしば響いてくる教会の鐘の音、三人ずつ並んで歩く黒ずくめの神学生、ポプラ並木、毎日出会う同じ顔ぶれ、退屈しのぎの誰かれの噂話……紛れもなくスペイン地方都市の典型だ。
A: 一見にこやかに挨拶してるようで、実は互いに探りあっている怖ろしい「隣り組」社会です。
Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, September 11, 2011 12:05
B: イサベルのようにブスでもない健康で気立ての良い教育もある良家の子女が、婚期を逃しているという意味は何でしょう。
A: ブスで貧乏のせいで無学だったら結婚できなくても自然かしら。イサベルの結婚適齢期といわれた40年代は、相手も戦死、身分違いや対戦相手の男性とは結婚できなかった時代です。バルデムが問題にしたのは、過去の内戦の傷を引きずった≪現在≫だったと思う。美人のベッツィ・ブレアをミスキャストという人もおりますがね。
B: スペインは内戦を総括できずに現在に至っている?
A: 若い観客は「もう内戦物は見たくない」と言うかもしれませんが、終わってないから相変らず作られている。スペイン映画起死回生のため戦争でもしようか、という笑えない冗談もあるくらいです。
B: この映画でロクデナシどもの餌食になるのはイサベルですが、実は小心と見栄のせいで窮地に陥ったフアンの混乱ぶりを楽しむのが4人の目的のように思えた。そして観客からいちばん笑われているのが「連帯」しなければ何もできない彼らです。
A: フランス映画で大当たりをとったフランシス・ヴェベールの『奇人たちの晩餐会
』(1998)を見たとき、テーマが似ていてびっくりした。知的インテリを自称する出版社社長と友人たちは毎週水曜日に晩餐会を開く。出席者はこれぞ大バカという奇人変人をゲストとして連れてくるのがルール。そのおバカぶりを競って暇つぶしをするという趣向。しかし、本当に笑われたのはゲストじゃなくインテリたちというブラック・コメディ。
B: 今は亡きジャック・ヴィルレが「ほんとうのおバカは誰なの?」と知識階級をキリキリ舞いさせた。
A: 所詮フアンはよそ者、自分たちは家族のしがらみで自由でないのに、あいつは独身を謳歌しているなんて不公平だ。フアンは調子にのってイサベルを欺くことで敗者となってしまった。狭量な中産階級のシンボル的存在の敗北を描いている。
B: サスペンス風に描かれた建築中のマンションで一瞬イサベルに殺意を抱くフアン、エブロ川の橋から濁流を見下ろすフアン、彼は充分すぎる代価を支払った。
A: 一方イサベルは時代や階級制度の犠牲者ですが、フアンの目的は不純でも出会うことで今までのフラストレーションを一気に爆発させている。むしろ勝者だったという見方もできる。
B: 騙されたと分かってからのイサベルは、かつてのmocitaイサベルではない。一時逃れを拒んで、この不寛容な小都市で生きることを選択した。
A: イサベルが飼っている小鳥のように籠の中から出られない、出ようとしても一体何処へ飛んで行けばいいのか分からないから、フェデリコの差し出す手に掴まれない。多くの人がそう解釈していますが、雨の中を真っすぐ歩いていくイサベル、窓ガラスから大通りをじっと見つめるイサベルの目はそう解釈するには厳しすぎる。イプセンの『人形の家』と同じく、本当のドラマはFinから始まると思う。
B: 出札窓口の駅員が「どちらへ、どちらへ?」と行き先を尋ねている。イサベルはじっくり行き先を考えればいいが、トランプのババを引かされたとはいえフアンはここには居られない。では、あのロクデナシ4人組にはどんなお仕置きをしたらいいのだろう。
Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, September 11, 2011 12:08
A: 「大通り」はカルロス・アルニチェスの戯曲『トレベレスのお嬢さん』の映画化ですが、アルニチェスはサイネテ作家でしたから語り口は辛辣ですね。
B: 類似作品として、北イタリアの小都市を舞台に余暇をもて余している5人の若者の日常を描いたフェリーニの『青春群像』
(1953)がよく挙げられます。
A: フェリーニが自分の青春時代を語った映画、中の1人がフェリーニです。また青年将校がお金欲しさに年上の伯爵夫人を籠絡して最後に捨てるヴィスコンティの『夏の嵐』
(1954)、青年士官が年上の女に戯れの恋をしかけて捨てるルネ・クレールの『夜の騎士道』
(1955)などもヒントにしたかもしれない。当時『青春群像』も『夏の嵐』もスペインでは上映禁止でしたが見てたでしょうね。
B: バルデムがロルカの戯曲『老嬢ドーニャ・ロシータ』を本作の下地としたらしい、とカビナさんが紹介されていた。この指摘はニュースです。
A: バルデムの“Y todavia sigue”は、監督が亡くなった同じ年2002年に刊行されている。1950年代にロルカの戯曲云々を語ることは危険すぎることでしたが、この本で初めて明かしたのでしょうか。
B: よく引用される『トレベレスのお嬢さん』は、テーマの違いから、もしかして煙幕張りだったかもしれない。
A: 本書は、映画制作のいきさつや政治信条を異にしていたが友情で結ばれていたガルシア・ベルランガのこと、スペイン共産党党首サンチャゴ・カリージョのことなど、監督の内面が吐露されているようですから、スペイン映画史として興味が湧きます。
B: ロルカの『老嬢ドーニャ・ロシータ』はコメディとして書かれた。
A: 初演前から期待もされ、期待通り大成功を収めた戯曲です。しかしコメディとはいっても、『血の婚礼』や『イエルマ』と同じように悲劇だと観客は感じとったらしい。イアン・ギブソンの『ロルカ』
によると、当時ただ一人の女性演劇評論家だったマリア・ルス・モラレスは、「…唇に笑いを、そして心には悲しみをもたらす」と記したそうです。
B: 重要テーマが似ているということですか。バルデムは後にテレビシリーズで“Lorca, muerte de un poeta”(1987「ロルカ、ある詩人の死」)を撮っていますね。(Lorca, muerte de un poeta (TV Series 1987–1988) - IMDb)
Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, September 11, 2011 12:09
B: 圧迫するような教会の鐘、修道女の寄付金集め、薄暗い静寂、SLの煙、居酒屋の自動ピアノ、隣人の棚卸し、闘牛の真似、空き缶サッカー、壁の花など1950年代の風俗史の側面もあります。
A: 『恐怖の逢びき』と重なるシーンもありますね。因みに4人組の1人ルシアーノを演じたマヌエル・アレクサンドレ、女中チャチャ役は監督の実母マティルデ・ムニョス・サンペドロ、この二人は前作ではチョイ役でした。
B: 半世紀以上前の映画ですから監督を含めて多くが旅立ってしまいました。
A: ベッツィ・ブレア(1923生れ)はカンヌ国際映画祭2005の「ある視点」の審査員として姿を見せましたが、2009年に亡くなりました。今でも活躍しているのはフアンを密かに想っていたハイミスのトニア役ドラ・ドルぐらいかも。ブレアは10代でデビュー、当時ジーン・ケリーと結婚していてハリウッドでは難しい年齢にもなっていた。
B: ハリウッドでの女優寿命は残酷なほど短い。それでヨーロッパに活路を見出そうとしていた。
A: 『マーティ』(1955)がカンヌ映画祭でグランプリを取ったことがきっかけでしょう。監督は俳優監督の先駆けバート・ランカスター。彼は反戦主義者でもあって政治活動にも積極的に参加していた。50年代初めのハリウッドに吹き荒れたマッカシー旋風は下火になりつつありましたが、ランカスターはブラック・リストに載っていた。ブレア自身も危険を感じていたかもしれない。
B: ヨーロッパ映画ベスト50にも選ばれ、1996年の「スペイン映画ベストテン」では第9位に選ばれています。イデオロギーに縛られた教訓主義で多くの誤りも犯しましたが、優れたシネアストだったことに疑いの余地はありません。
A: テーマだけでなく、画面構成、カメラワーク、照明の的確さに驚きます。やはりフランコ時代のイコンとして人々に必要とされているのですね。
Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, September 11, 2011 12:11
アリ・ババ39さん、コメントをありがとうございます。お待ちしていました。この作品などはもう観る前からアリ・ババ39さんになにか書いていただけるだろうって期待していました。
(そして、そろそろ催促のメールでも送ってしまいそうでした)
> バルデムがロルカの戯曲『老嬢ドーニャ・ロシータ』を本作の下地としたらしい、とカビナさんが紹介されていた。この指摘はニュースです。
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これなのですが、どこで見かけた情報だったか、もう一度探してきました。Virginia Guarinosという人の文章にありました
・SISIUS: Ficha personal: Virginia Guarinos Galán
13ページの“El propio Bardem dice”から14ページの“sujeta a las limitaciones éticas y culturales de su clase”の辺りです。それの出典が「 (Bardem: 2002:288)」と示されていて、辿っていくと『Y todavía sigue』という本に書かれていたことなんだろうなというわけです。
> 当時ただ一人の女性演劇評論家だったマリア・ルス・モラレスは、「…唇に笑いを、そして心には悲しみをもたらす」と記したそうです。
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これについてのMyMEMO ⇒ LORCA AND THE TELLURIC IDENTITY: FEDERICO GARCIA LORCA: A LIFE, by Ian Gibson
Posted by: Reine | Sunday, September 11, 2011 12:26
Virginia Guarinos の“Calle Mayor. Mujer y Teatro”を大急ぎで斜め読みしました。これを読んでからコメントしたほうが良かったかも(笑)。
バルデムがロルカの戯曲に初めて言及したのが、“Y todavia sigue”だったことが確認できました。「アルニチェスの戯曲で煙幕を張った」は言いすぎでも、彼の知名度や人気を利用して興行成績アップに繋げようとした強かさも伝わってきました。イサベルが『トレベレスのお嬢さん』のフローラから引き出された人格だったことは間違いありませんね。
バルデムに興味があったのは女性ではなく、フランコの懐に抱かれて社交クラブで無為な日常に満足している中産階級の男性だったこともはっきりしました。
またフェデリコ・フェリーニの初期作品を探るうえで重要と言われる『青春群像』が、バルデムに限らず多くの映画人に影響を及ぼしたのは、戦後のヨーロッパを被った空虚が男性を蝕んでいたからかもしれない。
Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, September 11, 2011 17:38