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Saturday, February 19, 2011

Achero Mañas

スペイン映画『El Bola』についてアリ・ババ39さんから情報をいただいた中に、アチェロ・マニャス監督についての詳細も含まれていたのですが、『El Bola』のコメント欄からは独立させます。

Achero Mañas 公式


アチェーロ・マニャスはマドリード郊外のカラバンチェル生れ・カラバンチェル育ち

A: カラバンチェルといえば、もうエルビラ・リンドのベスト・セラー小説、マノリート・シリーズ“Manolito Gafotas”(「めがねのマノリート」)に一直線に繋がります。

B: 本名はマノリート・ガルシア・モレノなんだが、一番の親友オレホーネス・ロペスだって知らない。この界隈では渾名で呼ばれるのは、子供の世界でも「大物」なんですね。

A: 彼らも“El Bola”と同じように互いにニックネームで呼びあっています。実はオレホーネスだって「el Orejones」と渾名、マノリートの弟は「el imbecil」(清水憲男訳「おばかっちょ」)、ガキ大将“El chulito de Yihad”(同訳「ワルのジハード)という具合です。

B: またぞろ定冠詞に逆戻りしてしまいましたが、マノリートの女友達スサナは‘la Susana’、マンションの隣人ルイサも‘la Luisa’と定冠詞付きで出てきたりします。

A: こちらはニックネームではありませんが、親しみと俗っぽさをない交ぜにして使用しているようです。外国人である私たちは、そういう使い方もあるということを知ってるだけでいい。

B: この例はいたずらに使ってはいけないということですね。


マニャスは1966年、父Alfredo Manas、母Paloma Lorena の間に生れた。

父親アルフレド・マニャスは“Historia de los Tarantos”(タラント家の物語)の作者。

“Historia de los Tarantos”: ベテラン監督フランシスコ・ロビラ・ベレタが“Los Tarantos”(1963)として映画化した。アカデミー外国語映画賞にノミネートされたこともあって、邦題『バルセロナ物語』として翌年公開された。1984年の「スペイン映画の史的展望《1951~1977》」映画祭にも上映された。

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のフラメンコ版。邦題はバルセロナを舞台にしていたことから採られた。タラント家の‘ロミオ’の母親にカルメン・アマヤが扮して話題になった(=ヒターノの天才的バイラオーラ、もうフラメンコにかかわる人で畏敬の念を払わない人がいないという第一人者)。

度々来日したアントニオ・ガデスも‘ロミオ’の友人役で出演していた。


A:  母親は女優のパロマ・ロレナ、テレビの仕事が多いが、息子の第2作目“Noviemble”(2003)と第4作目となる最新作“Todo lo que tu quieras”(2010)に出演しています。

B: 映画の道に進むべく運命づけられていたような家庭環境です。

A: 「めがねのマノリート」に登場するようなカラバンチェルの悪ガキと並行して、文化的香りのあるシネアストの家庭という二つの雰囲気のなかで大きくなった。

B: 沢山の映画を両親と一緒に楽しんだと言ってます。

A: 12歳のときスケート靴とチョコレートを無断で頂いたとも、大人になったカラバンチェルっ子は白状しています。


ニューヨークのアクターズ・スタジオの俳優コースに入る

B: 最初は俳優として出発した。両親が知り合いの製作者から頼まれ、わずか5歳でデビュー。

A: デビューには違いありませんけど。ニューヨークの「アクターズ・スタジオ」の俳優コースで演技を学んでいます。

B: ハリウッドの名優どころがここの卒業生、いわゆる「スタニスラフスキーの演技理論」をメソッドにしている俳優養成所ですね。

A: 日本で公開された映画には、リドリー・スコットの『1492コロンブス』(1992)にキャビンボーイとして出ています。まだ《その他大勢》の一人ですね。

B: 米仏西合作の歴史大作、アメリカ大陸到達500年を記念して製作された。

A: コロンブスにジェラール・ドパルデュー、その妻にアンヘラ・モリーナ、イサベル女王にシガニー・ウィーバーと仲良く3カ国の有名どころが顔を揃えました。他にスペインではフェルナンド・レイ、フアン・ディエゴ・ボトーなど。コロンブスの内面が描いてあって唯の冒険映画に終わっていない。しかし膨大な製作費は回収できなかったのではないか。

B: 『炎のランナー』『ブレードランナー』の音楽監督、ギリシャの作曲家でシンセサイザー奏者のヴァンゲリスは素晴らしかった。こちらはサントラがミリオンセラー、回収できた(笑)。

A: 他に公開になったものでは、カルロス・サウラの“Dispara!”(1993、西伊合作『愛よりも非情』)にも出演。フアン・セバスティアン・ボジャイン監督の“Belmonte”(1995、西ポルトガル仏合作)では20世紀前半に活躍した闘牛士フアン・ベルモンテを演じた。

B: ベルモンテは知性とユーモアのセンスに富み、なおかつ現代闘牛術の改革者、創始者、芸術にまで高めたマタドールと言われています。

A: それで、作家のバリェ=インクランやペレス・デ・アヤーラなどのファンが多いのです。この映画では、サンティアゴ・アルバレスがバリェ=インクランを演じています。マノレーテのように《砂場》で命を落とすことがなかったのに、皮肉にも70歳のときピストル自殺をした悲劇の人でもあり、この映画には、勇気、情熱、宗教的救い、宿命論などのテーマが込められています。

B: 晩年のベルモンテを演じたのはラウタロ・ムルア。

A: 監督はイシアル・ボジャインの叔父さん。イシアル・ボジャインはスペイン映画アカデミー副会長、“Tambien la lluvia”が今年のゴヤ賞に13個もノミネートされている。コンペ外(パノラマ部門)ですが、第61回ベルリン国際映画祭にも出品されています。

B: マニャスは「ベルモンテ」撮影ちゅうに右膝の靭帯を切るという大怪我をしたそうですが。

A: 『El Bola』で主人公のパブロ少年が警官に追われて転び膝を痛める。さらに最後のほうのシーンで、大人たちへの不信から逃れようと走って転倒、また右膝を打って今度は歩けなくなってしまう。右膝だったので自身とパブロが重なってるなぁと思いました。小説にしろ映画にしろ、どれも一種の《自伝》なんですよ。

B: アルフレドのお父さんに抱きかかえられるところでウルウル。本当はお父さんにしてもらいたかったんだ。


A: マニャスは監督業と俳優と脚本と製作、二足も三足も草鞋を履いています。俳優としてはアドルフォ・アリスタライン監督の“La ley de la frontera”(1995)が最後の長編出演作品ですね。

アイタナ・サンチェス=ヒホン扮するジャーナリストが、かつて「エル・アルヘンティーノ」と呼ばれた山賊の探索記を書くために、スペイン・ポルトガル国境にその行方を探しに出掛ける話。途中で二人の男に遭遇、その一人がマニャス、もう一人の老人がフェデリコ・ルッピ。

B: その後、役者としては短編やテレビ出演が多く、映画の資金作りに俳優業をしてるのかしらん。

A: 映画祭で賞を取ることは、映画を作りつづけるうえで最善、第1作でゴヤ賞4つを含めてトータル25の賞を貰えた。それで第2作“Noviembre”が撮れたと語っています。

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