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Saturday, January 01, 2011

Novio a la vista [スペイン映画]

novio a la vista昔知人にスペインから買ってきてもらったベルランガ作品BOXのうちの一つ。1954年の作品。

おはなし
エンリケはもうすぐ16歳。学年末の地理のテストでオーストリア=ハンガリー帝国について答えることができず落第してしまった。せっかく海辺の街にバカンスに出かけてもホテルに缶詰の猛勉強を命じられる。

エンリケが思いを寄せるのは、同い年のロリ。二人は仲良しで、スパイごっこだ秘密の地図だとまだまだ子供の遊びに夢中。

ロリの母親は避暑地で出会った名門ビリャヌエバ家出身でエンジニアのフェデリコに年頃になったロリを嫁がせようと考え、どうにか二人を接近させようとする。エンリケは気が気でない。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


最初にDVDを回したときは「はて……どう観たもんか……」と目をパチパチしながらの鑑賞で、オチでは「あれ?そう来る?そっち?」と尚更パチクリし、「うぅぅぅむ」と実際に声に出して呻いたのだけど、やっぱり最初に「1918年」と示されるからにはその年になにかヒントがあると考えればいいの……か?


1918年と言えば第一次大戦が終わった年。オーストリアの休戦は11月。(オーストリア=ハンガリー帝国の解体は翌1919年のサンジェルマン条約によるのか。まあ、あれだな、こまけぇこたぁいいんだよ)

エンリケやロリたちが海辺でバカンスを過ごしているのはその年の夏ということになる。


さてここで「オーストリア=ハンガリー帝国」についてちょっと調べようとしてすぐにヒットしてしまった記事がこちら:
Berlanga, el último emperador austrohúngaro ベルランガ、オーストリア=ハンガリー帝国の“ラストエンペラー”

歴史の教科書にはオーストリア=ハンガリー帝国とは1867年に成立し第一次大戦終了によって消滅した中欧の国家であると書いてあるだろうが、ベルランガ作品のファンにとってはその帝国の消滅は2010年の11月のとある土曜日に、バレンシア出身のこの映画監督の死によってもたらされたことになる。

ベルランガは作品の中でこの帝国の名を出すことが多かった。いつも文脈おかまいなしに言及があるのだが、我々観客は彼の作品が公開されるたびにいったいどこでオーストリア=ハンガリー帝国という名が出てくるか待ち構えたものである。……略……

ベルランガマニアにとって“ラストエンペラー”はルイスその人に他ならない。そしてペペ・イスベルトはおそらく最も多くの回数「オーストリア=ハンガリー帝国」という国の名を口にした人であろう。……略……


(この記事読んだだけで涙がにじんでくるが、それはさておき) 
言われてみて思い出した、『Bienvenido Mister Marshall / ようこそ、マーシャルさん』でもこの帝国に言及があった、そういえば。


……で、だから、『Novio a la vista』はどう観ればいいのか…… (方向の決まらぬままいったん本文を投稿)


Novio a la vista@IMDb
英題: Boyfriend in Sight

監督: Luis García Berlanga ルイス・ガルシア・ベルランガ
原作・脚本: Edgar Neville エドガー・ネビル
脚本: José Luis Colina ホセ・ルイス・コリーナ  Juan Antonio Bardem フアン・アントニオ・バルデム  Luis García Berlanga ルイス・ガルシア・ベルランガ

出演:
Josette Arno ... Loli ロリ
Jorge Vico ... Enrique García Hurtado エンリケ
Julia Caba Alba ... Madre de Loli(ロリのお母さん)
Irene Caba Alba ... Tía de Loli(ロリの伯母さん)
José María Rodero ... Federico Villanueva(フェデリコ・ビリャヌエバ; 名家の出のエンジニア)

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Comments

一晩経ってもまだこの作品の読み方が決まらない。日頃は自分のを書き終わるまでは他所を絶対に読まないんだけれども、今回はもういいや、他所を読みに行ってくる。

(※正月早々まじめに白状すると、私は他人の書いたものに興味がない。病的なまでに無関心なんだ。読書の習慣があったのは22年くらい前までだ。辞書なら何百ページでも読めるけど、本は読めない。

興味の問題だけじゃないかもしれない。体力・耐力の問題か。なにかを通しで読む根気が無い。本ですらそれならば、他人のブログはもっと読まない。自分の文は当然のことながらその先に何が書いてあるかわかってるから読めるけど他人の文はそうはいかないから目も頭も疲れるんだ。よほどリアル生活で親しかったりして人となりに好意でも無ければ読まない。

ツイートくらいならまだ読めるけど140字書かれるとつらい。という私はほぼ毎回140字きっかり書くんだけども、「こんなギッシリ書いてあるものを誰がわざわざ読むだろうか(反語)」と思いながら140字ぎゅうぎゅう詰めている)


まあ、そんなわけで他所のサイトで『Novio a la vista』についてどう書いているのかをたずね歩いた。


Miradas de Cine nº 60 [marzo07] - Estudio Luis G. Berlanga (I) - "Novio a la vista" (1954)
女の子は現実的に大人への階段を上っていくが男の子はそうではない、大人になることを拒絶するんだ、というピータパン症候群的解釈


´novio a la vista´, cine de berlanga
世代間隔絶という社会的テーマを扱っているという解釈。バレンシア州カステリョン県の新聞のサイトなので、地元ベニカッシンが『Novio a la vista』の撮影地だったということを書きたい記事。90年代にもまたベルランガはテレビシリーズ『Blasco Ibanez』を撮影するのにこの地を選んだと。

⇒ ちょっと、だから、『ぼくらの七日間戦争』っぽいクダリもあるんだよ。


Critica de la pelicula Novio a la vista
娘をできるだけいいところへ嫁がせようと躍起になるといったスペインのプチブルの在り方を痛烈に風刺している、という見方。それから第一次大戦当時のスペインでは血生臭い戦闘は他人事だったというような記述あり。


(PDFファイル) LA HISTORIA IRREVERENTE (o EL OTRO CINE HISTÓRICO)
第一次大戦が始まって“ベル・エポック”が終わってしまったことが背景に描かれている、と。それからオーストリア=ハンガリー帝国が優しくない扱われ方をしていて、ベルランガ作品はそうでなくっちゃ、という記述。

Posted by: Reine | Sunday, January 02, 2011 12:08

これがこないだの11/11~11/12のベルランガの関連記事

このころ私はこうしたベルランガの最新記事の見出しを幾つも目にして、なんかホッとしていた。年齢を考えるとそりゃあたしかにもう時間の問題なのだけど、マヌエル・アレクサンドレが亡くなったばかりでちょっと寂しかったのでね。

翌日13日の昼ご飯の席でファミリーのママがベルランガが亡くなったと言った時は「いったい何を言ってるんだ?」と思った。昨日彼がニュースにいっぱい取り上げられてたじゃないか、と。

「いや、亡くなったんじゃなくて、国境なき医師団がどうのこうののニュースでしょ?」と聞いたらママは「亡くなったのよ」と言う。「ほんとに?」「ほんとに」「死んじゃったの?」「そう」「今日?」「今日」「今日なの!?」「今日なの」とやりとりをしていたらお昼のニュースがちょうど報じた。

とてもショックだった。

Posted by: Reine | Sunday, January 02, 2011 12:27

むしろ映画制作の1954年のことを調べなきゃいけないんじゃないかと思いつつ、一応1918年のことをメモしておく。

スペインハンドブック』の“歴史”の章から:

1902年,アルフォンソ13世は成人に達し,親政を開始した.彼の親政時代は政党政治の時期(1902~23)と軍事独裁の時期(1923~31)とに区分されるが、端的に言ってこの時代は,労働・農民運動,地方自治運動の昂揚によって「1876年憲法」体制が麻痺し崩壊してゆく時代であった.……略……

……略……1914年,第一次大戦が勃発すると,スペイン国内では,親英仏派(ブルジョワなど)と親独派(地主・軍人など)とが対立したが,大戦自体にはあまり利害関係をもたず,また,モロッコ戦争を抱えていて軍事的余裕もないために,政府は絶対中立を宣言した.そこで交戦諸国からの需要の増大で,スペインの産業活動は極めて活発となった.とりわけアストゥリヤス,バスク地方の金属工業,カタルーニャの軽工業の発展が著しかった.工業製品の輸出の増加によって,スペインは,1915年から1919年にかけて初めて輸出超過を記録し,スペイン資本の蓄積が進んだ.……略……


という時代が舞台なので、子供たちが大人たちに「ロリをあんたたちの世界に引き摺っていかないでくれ」と徹底抗戦を挑むだとか、大人たちの中でも見解の相違から仲間割れしているだとかいう構図は、なにかこの時代のことになぞらえたりしてんの???などと勘繰りながら私は観ていたわけだけど、どうもそうでもないみたいで、とにかくこれは保留案件だ。

それとも制作された1954年頃のことを何かなぞらえてんの?

まあ、いっか。
今日のところはこのへんで。
別の作品を見始めるわ。 

あ、一つメモ:
・¡qué risa, se me encoge la camisa! あーおもしろい(棒 シャツが縮んじゃうくらい(棒 

Posted by: Reine | Sunday, January 02, 2011 13:24

私がこの作品をあっさりと「保留案件だ」などと言ったっきりにしておいたのは、ええ、もちろんって言ったら厚かましいのだけど、アリ・ババ39さんがぜったいぜったい何か書いてくれるはず!と思っていたからです。

思っていたばかりではなく、別件にかこつけて「アリ・ババ39さん待ちだから!」などとねだっていたのですが、実をいうと。

私がせっついたこともあってか、さきほどアリ・ババ39さんから“原稿”をいただきました。ありがとう!

この涙のマークはなにも「コメントありがとう、助かったよ」という感謝をオーバーに表現するためのものではなくて、アリ・ババ39さんから届いた“原稿”を読んで流した共涙であります。

今夜にでもご紹介いたします↓↓↓


注: これまでにもくりかえし言っておくべきだったのだけど、アリ・ババ39さんからいただいた“原稿”にリンクのURLをつけたり、妙に太字にしたり、思わぬところで切ったり改段したり、『  』であるべきじゃないところで『   』を使ったり……そういうの、すべて私のしわざですからね。 

もしもそういう記号的なものの用い方が「あれ?少し変だな」ってところがあったとしたら、それアリ・ババ39さんのせいじゃないから。私がやってること。


それではペースト開始します。
↓↓↓

Posted by: Reine | Friday, January 28, 2011 15:47

A: ベルランガの登場は久しぶりです。そもそもこのブログに本気でコメントしたいと思ったのは、大好きなベルランガの“Tamano natural”(Life Size)が掲載されたからでした。これは『等身大の恋人』という邦題で公開が決定していたにもかかわらず、当時でもバカバカしいとしか言えないような理由で頓挫してしまいました。

B: 東欧最大級といわれるチェコのカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭で「世界の十大監督」の一人に選ばれながら、カンヌやヴェネチア映画祭で話題になりながら、日本公開がゼロというのは不思議です。


1984年、日本におけるスペイン映画元年
A: 1984年秋の《スペイン映画の史的展望 1951~1977》(東京国立近代美術館フィルムセンター開催)で『ようこそマーシャルさん』と『カラブッチ』が紹介されただけでした。しかしこれは本当に画期的なイベントでした。

B: スペイン映画がこれだけ纏まって紹介されたことは、かつてなかったことでしたね。

A: 約1ヶ月間にわたって23本のスペイン映画が紹介され、映画関係者に「目から鱗が落ち」たと言わしめた映画祭です。その後すぐ、スペイン文化省主催の第1回スペイン映画祭が開催され、ポスト・フランコ体制下の10本が上映され、こちらも大盛況でした。

B: カルロス・サウラやビクトル・エリセのように両方で紹介された監督もおりましたが、ベルランガはかかりませんでした。

A: もともと寡作な監督、この時期には“La escopeta nacional”(1977、国民銃)、“Patrimonio nacional”(1981、国有財産)、“Nacional Ⅲ”(1982、ナシオナル・第三部)、いわゆる「ナシオナル」三部作を撮っております。

B: スペインでは爆発的な人気を博して、監督も多くのファンを獲得したんですね。どれか選ばれてもよかった。

A: 個人的には《スペイン映画の史的展望》が、『カラブッチ』でなく“El verdugo”(1963、死刑執行人)を選んでくれてたらと今でも思っています。5年後の1989年に第2回スペイン映画祭が開催され、わずか7本と小規模だったせいか、この時も選ばれませんでした。

B: アルモドバルの『欲望の法則』やホセ・ルイス・クエルダの『にぎやかな森』などが上映された。

A: 2作とも翌年劇場公開されました。この映画祭は作品数こそ少なかったのですが、スペイン映画史に残る監督の代表作が揃っておりました。

B: アルモドバルはこの年、『マタドール』『神経衰弱ぎりぎりの女たち』なども公開され、ちょっとしたブームでした。バルセロナ・オリンピック(1992)が近かったことの影響もあったでしょう。前置きはこれくらいにして軌道修正しましょう。

Posted by: アリ・ババ39 | Saturday, January 29, 2011 19:15

検閲に苦しんだベルランガ
A: さて本作は、『ようこそマーシャルさん』のカンヌ映画祭での大成功の後だけに風当たりも強く苦労したのではないでしょうか。いろんな意味で彼の代表作とはいえません。厳しい検閲のため内容が変質させられたこともあり、ベルランガ自身も作品に不満だったようです。

B: カンヌでの成功が検閲側を刺激したということですね。若手の場合、手持ちの資金も少ないから、検閲のみならず外部の圧力には不本意ながら従わざるを得ません。

A: 検閲側としては「マーシャルさん」のテーマは、大戦後のアメリカによる欧州復興計画のチグハグさや当時ハリウッドを吹きまくっていたマッカーシズムを皮肉ったもので、反体制映画とは考えなかった。なにしろアントニオ・バルデムとの共同監督作品1作があるだけの新人、チェックも甘かったのでしょう。

B: スペイン人のアナクロニズムを同時に笑い飛ばしていても、反フランコとは思わなかった。だからカンヌに持って行けたのかもしれません。

A: 実際はスペイン国民や外国人はそれだけとは思わなかった。それで《注意人物》となり検閲は厳しくなり、しつこく引っ掻きまわされたあげくボツになったホンが山ほどあるということです。

B: スペインの検閲は完成した作品をカットしたりモザイクを掛けたりするのではなく、脚本が通過しないと撮れないんですね。

A: 本作のテーマは、男の子のピーターパン症候群的解釈、世代間隔絶の社会的テーマ、娘の良縁探しを風刺したもの、いろいろ考えられます。まずテーマに入る前に、本作が「マーシャルさん」の次の作品であること、1955年5月に開催された「サラマンカ国民映画会議」前の作品であること、イタリア・ネオレアリズモの影響下にあること、脚本家のラファエル・アスコナに出会う前であることを押さえておきたいと思います

B: ベルランガ映画を語るとき、製作年の時代背景、衝突しながらも二人三脚でいくつもの難局を乗り越えてきた盟友アスコナについての言及は落とせません。

Posted by: アリ・ババ39 | Saturday, January 29, 2011 19:16

A: 原案はコメディの巨匠エドガー・ネビル、製作者も大物のベニト・ペロホ。ネビルの古い脚本を翻案したものです。

B: そうそう、ベルランガの母方の伯父さんは、18世紀に起原をもつスペイン伝統の一幕物の喜劇サイネテの作者、その影響もありますね。ハッピーエンドにすることで本当のテーマをカムフラージュするやり方、ひねりを利かせる方法です。

A: エドガー・ネビルは当時の映画界の重鎮、伯爵家の出身で外交官でもあった。文化担当官としてアメリカのスペイン大使館に勤務していたこともある自他共に許す第一人者。ベニト・ペロホもサイレント時代から活躍していたやり手の監督・プロデューサーです。50年代には監督業を止めておりますが、早くからトーキーがやりたくてフランスやハリウッドに行って映画を作ったシネアストです。

B: 駆出し監督としては、検閲を通すために大物をカシラに据えて煙幕を張る、トンガってばかりはいられないということですか。こういう大物の後ろ盾があったればこそ、検閲も手加減して日の目を見たのかもしれません。

A: ベルランガは、ジョゼット・アーノが扮したロリ役に、まだブレイクする前のBBベベことブリジット・バルドーを起用したかったそうです。しかし、他の作品に出演中でスペインに来られない。ぺロホは待つわけにいかない、とベルランガの希望をあっさり蹴ってしまった。不本意でも飲むしかない。

B: 俳優起用の目利きでもあったんだ。吹替えだからフランス人でもよかったわけですね。 

A: そうです。J・アーノもフランス人です。

Posted by: アリ・ババ39 | Saturday, January 29, 2011 19:17

男は子供も大人もピーターパン症候群
A: 英題は“Boyfriend in Sight”、資料では「一見、恋人」と翻訳されてますが、どうですかね。最初のタイトルは“Quince anitos”または“Loli se viste de mujer”だったそうです。

B: 女の子の15歳というのはいわゆる社交界デビューの年齢、もう一つは女の子の名前《ロリ》を入れている。どちらにしろ男の子役エンリケよりロリが主役、ベルランガの目は思春期のロリに向けられている。

A: ベルランガは、繊細で気分や、性に目覚めかけた年頃の女の子に興味があり、上で紹介されているMiradas de Cine nº 60 [marzo07] - Estudio Luis G. Berlanga (I) - "Novio a la vista" (1954)にも、ロリは“Placido”(1961、プラシド・心優しき者)に登場するマルティタに繋がっている(podría establecerse una continuidad del personaje de Loli en la Martita presente como rol secundario de Plácido)とあります。

B: 先ほど触れたラファエル・アスコナと組んだ最初の長編ですね。


A:  横道にそれますが、ナボコフの『ロリータ』の刊行は1955年ですが、1953年には既に完成していた。表面的には中年男の少女性愛という衝撃的な内容のためアメリカでは出版できず、最終的にはフランスのポルノグラフィの出版社が刊行しました。

B: ベルランガのところにニュースが届いていたかどうか分かりませんが、なんとなく連想したくなります。ロリ役にBBを起用したかったことなど考えると。

A: この小説が悲喜劇か政治小説かの読みは、コケティッシュな美少女ロリータと大学教授ハンバートのメタファーの取り方で解釈が変わると思います。

B: キューブリックが1962年に映画化していますね。ベルランガは1963年の“Tamano natural”では少なくとも頭の片隅にあったと思います。

A: テーマは全く別ですが、《実物大》のドールに流れ込んでいるかもしれません。

Posted by: アリ・ババ39 | Saturday, January 29, 2011 19:18

B: さて、最初ロリは親に反抗してロングドレスを着ることを嫌がります。

A: しかし、夏が終われば逆にセーラー服を拒否してドレスを選ぶのです。

B: 「もう、こっちのほうが似合うでしょ」と飼い犬に話しかけると、ワンちゃんは「うん、うん」と同調する。ベルランガらしいブラック・ユーモアですが、要するにエンリケとのプラトニックな恋をおしまいにし、よりステータスが高く財力にも富んでいるエンジニアのフェデリコを選ぶ。

A: フェデリコの成金ぶりも可笑しいが、母親たちの《羨望の的》です。母親や娘たちが現実直視型なのも、夫の社会的地位や経済力で妻の評価が定まった時代には当たり前すぎると揶揄っているわけです。結婚はあくまで家と家がするもの、自由恋愛など以てのほか、いくら反抗しても無駄ですよ、と映画は当てこすっているんですね。

B: しかし非難できません、不釣り合いな玉の輿結婚などは後ろ指を指された時代です。夏休みが終わっても男の子のまんまのエンリケは、曇った窓ガラスに指文字で「Loli」と書く。

A: 一方ロリは、早くも《良縁の相手》に鞍替えして「Federico」と書く。一見ユーモラスなシーンの中にもベルランガの生来のペシミストぶりが窺えます。


B: 第三者には逃避に見えても、本人的には苦しいから、ピーターパン・シンドロームの若者は増えつづける。

A: 日本ではモラトリアム人間というのが一般的かな、アイデンティティの確立を先延ばしにして大人になりたがらない。仕事や家庭内の重圧に向き合えない。もっともスペインの専売特許とは言えませんが。

B: 先述のMiradas de Cine~の筆者のように、スペイン映画に根深いコンセプトの一つとして、ビクトル・エリセを例に挙げる人もいます。

A: 妻も娘もありながら昔の恋人を求めて失踪してしまう『エル・スール』の父親のことですかね。

Posted by: アリ・ババ39 | Saturday, January 29, 2011 19:19

世代間の摩擦は万国共通
B: 中流階級のお嬢ちゃんお坊ちゃんにしても、今から見ると幼すぎます。15歳といえば中学生、男子の制服が半ズボンというのもびっくりです。抵抗の仕方も子供っぽい。

A: でもルイ・マルの映画に登場する戦前の男の子も半ズボンですね。まあ、これは1918年というか1953年当時の上中流階級のカリカチュア、子供に劣らず大人もかなり幼稚です。わざとそうしたのですよ。ベルランガは権力側のバカげた側面に対して辛辣な目を忘れなかったが、バルデムのような正攻法は取らなかった

B: 世代間の意思疎通はどの時代も上手くいかない。かつて「今時の若者は、…」と言われた世代が、何時の間にやら同じことを言うようになる。

A: ストレスと同じで適度の断絶は社会の原動力にもなり、一概に悪いと言えない。本作では子供と大人の世代が何のメタファーになっているかです。世代間隔絶といえば、スタッフ側にもいえると思います。ネビル=ぺロホ VS ベルランガ=バルデム=コリーナの水面下でのバトルです。

B: コリーナ(José Luis Colina)というのはベルランガと同郷の仲間ですね。二つの世代ではユーモアの質が違うというか何かしっくり行かないということですか。

A: 目指す方向が異なっていたと思います。ベルランガが「テーマが変質した」と反発しているのはそのことでしょう。中流階級の能天気な避暑地暮らしや良縁探しを皮肉ったりするだけでなく、もっと権力への抵抗が無駄である現実を描きたかったと思います。本作のドタバタやギャグは一世代前のコメディを踏襲したものです。


B: 撮影はスタジオを飛び出しロケーションが主です。イタリア・ネオレアリズモの影響ですね。ベニカシムの人々をエキストラにお祭り騒ぎで行われたとか。

A: 混乱続きだったようですね。ベニカシムはバレンシア州のカステリョン・デ・ラ・プラナ県にあるリゾート地、現在でこそ人口1万8000の有名な避暑地となりましたが、当時はナイナイ尽くしだったということです。映画的には内戦前の高級リゾート地、外国の国賓級の避暑客で賑わったというサン・セバスティアンあたりを想定しているのでしょう。

B: 紳士は背広にネクタイにカンカン帽、ご婦人方も盛装しているので扇子が手放せない、男の子の縞々のワンピース型水着、恋の語らいは糸電話、ローラースケート、クリケット、落とし穴ごっこ、子供側の武器が松ぼっくりとは!

A: 当時のファッションも楽しいですが、耳の遠くなった紳士の補聴器が昔の聴診器のようなラッパ型、初めて見ました。クラシックカー、SPレコードに蓄音器などなど懐かしい小道具が揃っています。

Posted by: アリ・ババ39 | Saturday, January 29, 2011 19:20

1918年じゃなく1953年が問題?
B: まず「1918年、ヨーロッパ」という字幕を入れ、明確な時代設定をしています。

A: 女スパイが高官らしき軍人のポケットから秘密文書を抜き取っているシーンは、終わったばかりの第1次世界大戦のスパイ合戦をからかっているわけです。抱き合った二人の顔は映りませんが、色仕掛けに弱い殿方をも皮肉っているのでしょう。

B: カップルでないオンナとオトコは要注意。もっと後で、夫たちの流し目を警戒した御婦人方が、おひとり様の美人避暑客を目の敵にするシーンに繋げている。


A: 王宮から皇太子らしきセーラー服の男の子が出てきて車で学年末試験会場に向かう。試験官が「ブルボン王朝についてご存じのことをお答え下さい」と促すと、件の皇太子は「えーと、ブルボン家の歴代国王は、フェリペ5世、ルイ1世、フェルナンド6世、……フェルナンド7世、イサベル2世、アルフォンソ12世、それからパパ」とすらすら回答、見事合格します。

B: 《パパ》というのはアルフォンソ13世、この少年は王位継承者第1位ながら王位に即けなかった後のバルセロナ伯爵になるわけですね。

A: 1953年段階では即けるかどうか不明ですが、結果的に即位できなかった現国王フアン・カルロス1世の父親になります。フランコは即位させる気がなかったから、かなりキワドイ個所です。

B: 口答試験の次の番がエンリケ、皇太子が立ち上がった立派な椅子に座ろうとすると、お前の椅子はこっち、とばかり普通の椅子にさっと取り換えられる。

A: エンリケは尻もちつきそうになる、これなんかネビルのユーモアね。彼への出題は、オーストリア・ハンガリー二重帝国についての質問。友人から渡されたアンチョコ持参で臨むがしどろもどろ、夏休み明けに追試を受ける羽目になる。

B: カビナさんが触れていた「オーストリア・ハンガリー帝国」、エンリケは「オーストリア・ハンガリー帝国はムニャムニャ」と、虎の巻用のハンカチを盗み見たり、序でに吹き出る汗を拭ったりして乱発していた。歴史が苦手なのはエンリケだけじゃない。


A: 我が国民も忘れっぽくて無関心だ。だから時代背景は1918年というより製作時の1953年にあると思います。スペインは30年以上経っても旧態依然、他のヨーロッパ諸国がタテマエだけにしろ民主主義を勝ち取ったというのに、わが国の夜明けはいったい何時なんだ、という思いです。

B: 《1918年》とわざわざ字幕を入れたのには意味があると。スペインは第2次世界大戦には参戦しなかったが、もっと残酷な内戦の傷跡に苦しんでいた。


A: 若いシネアストたちは、表現の自由がないこと、自分たちの映画が作れないことに苛立っていた。それが1955年の「サラマンカ国民映画会議」の開催、バルデムが読み上げたという有名な宣言書になるわけです。( Reine注: 『Muerte de un ciclista / 恐怖の逢いびき』に詳しいコメントがありますからね!! )

B: この映画のテーマは、見方次第で前述したどれにも当てはまります。

A: どの監督にも言えることですが、特にベルランガの場合は、作品を1本ずつ切り離さず時代の流れの中で見るほうがいい。どれから見るにしろ楽しみ方は幾通りもあります。すでに作品の大方がクラシック入り、シリアス・ドラマ、コメディ、エンターテインメントが複雑に絡み合っておりますね。

Posted by: アリ・ババ39 | Saturday, January 29, 2011 19:21

転換点、ラファエル・アスコナとの出会い
B: 脚本家の第一人者アスコナとの出会いは、1950年代の終わり頃です。

A: アスコナの容赦のないブラックユーモアとベルランガの祝祭的なドタバタが上手く連結した。アスコナとの第2作目“El verdugo”(1963、「死刑執行人」)がいい見本です。

B: 各登場人物に振りかかる不条理性や孤独感は身につまされます。

A: 詳しいコメントは「死刑執行人」の項に譲るとして少しだけ触れたい。「死刑~」がヴェネチア映画祭のコンペに選ばれるや、スペイン政府は硬化して上映を妨げようとして、西伊2国間の外交問題にまで発展してしまいました。イタリア側としては国家間の問題にしたくなかったが、スペイン政府は同じ年にコミュニストの反体制政治犯やアナーキストなど3人の死刑を執行したことをちらつかせて牽制したんです。

B: しかし、それが却って映画祭主催者の態度を硬化させたのか、「国際映画批評家連盟賞」に選んでしまった。

A: 時期的にはベルランガの映画についての国際的評価は未だしでしたでしょう。そこでイタリア駐在のスペイン大使が、国家としてのスペインを中傷するものだと公然と非難したんです。

B: まさに泥仕合、本国からの要請があったんでしょうね。

A: フランコ自身も「ベルランガは共産主義者じゃないが、それよりタチの悪いサイテイのスペイン人」と言ったそうです。

B: 札付きの悪党にされちゃった。2010年のノーベル平和賞騒動を思い出します。それでベルランガはスペインでは映画が撮れなくなったんですね。

A: 一国を代表する指導者のすることではありません。次作の“Las piranas”(“La boutique”1967、ブティック)はアルゼンチンとの合作、あちらで撮っています。これもアスコナの脚本、以後1987年の“Moros y cristianos”(モーロ人とキリスト教徒)まで全て彼が担当しています。

B: 公開寸前でお蔵入りしたという『等身大の恋人』は厳密にはスペイン映画とは言えませんね。

A: オリジナル版はフランス語、主人公役のミシェル・ピコリはベルランガの分身とも言われていますが、彼との出会いもアスコナに劣らず重要です。ベルランガは世紀末の1999年、「映画を撮るのはこれでおしまいにしよう」と決心してピコリを呼んだんです。

B: 最後の作品はピコリで〆ようと、それが“Paris Tombuctu”ですね。

Posted by: アリ・ババ39 | Saturday, January 29, 2011 19:22

ありがとう、マエストロ、サヨナラはなし
A: 2008年3月にアスコナが急死したというニュースは衝撃的でした。81歳とはいえ現役でしたからね。小説の脚色したものですが“Los girasoles ciegos”が同時くらいに届いた。

B: ベルランガには弟を失ったような悲しみだったでしょう。

A: それから2ヶ月も経たない5月、セルバンテス協会本部にある‘Caja de las Letras’というボックスに重要書類を預けに現れた。

B: すっかり老人になって車椅子でした。保管した書類の内容はマル秘なんですね。

A: 生誕100年目の2021年6月12日に開封することになっていて、鍵はセルバンテス協会長カルメン・カファレル氏に預けられました。公開されればフランコ時代の弾圧などが明かされるかもしれません。


B: 昨年11月13日に訃報が伝えられると、一斉にマスコミは惜別と感謝のことばを報道しました。

A: 20世紀のスペイン映画の謙虚な天才、彼ほど笑いと皮肉を交えてスペインを語ってくれた人は他にいないと。遺族によると「穏やかな」旅立ちだったというのが慰めです。

B: 「我がマエストロ」と常日頃からベルランガを尊敬していたアルモドバルも馳せつけ、エル・パイス紙にも哀悼の辞を寄せていました。

A: 映画の手法は違っていても、アルモドバルは正真正銘ベルランガ学校の教え子です。

B: マドリッド市にベルランガの名を冠した《ベルランガ・ホール》というのが出来たそうですが。

A: ベルランガ映画の全資料が集められたようです。「ようこそマーシャルさん」や「死刑執行人」とか全部揃って見られるそうです。2010年6月に開会式、ベルランガも車椅子で駆けつけ、それが公けの席の最後になりました。頬を伝わる涙を拭っている姿から、間もなくの旅立ちを予感した人があったかもしれません。

B: ベルランガは役者でもあった。他人の苦しみを分かち合おうという「国境なき医師団」のキャンペーン(Pastillas contra el dolor ajeno)に出演しましたね。11月初め頃にYouTubeで見ました。

A: 主旨に賛同して自らカメラの前に立ったようです。おそらくこれが役者といわず全仕事の最後でしょう。その静謐な佇まい、穏やかで優しさにあふれた映像に心が洗われます。1分40秒の短さ、スペイン語が分からなくても心は通じます。

Reine注: こちらの映像です  http://www.youtube.com/watch?v=e4eMDXzGa3Y


B: 最後はベルランガ追悼になってしまいました。

A: そうですね。わたしは評論家になりたくありませんから、客観的な立場から映画を語ろうと思ったことはないんです。自分の辿ってきた人生に即して、その時々で気に入った映画を選んでいるだけです。だからスペイン人からこんなに愛されていながら日本で1本も公開されなかったことが残念です。

B: 2010年、韓国の釜山国際映画祭が特別プログラム「フランコ時代の傑作スペイン映画」をやりました。

A: ブニュエルの『ビリディアナ』、バルデムの『恐怖の逢びき』、カルロス・サウラの『狩り』『カラスの飼育』に混じって、「死刑執行人」も上映されました。東京フィルメックス映画祭を持ち出すまでもなく、最近の韓国映画は元気です。韓国でやれたことが日本でやれないことはない。


B: 赤裸々で優しく、ラディカルで思いやりのあった映画の詩人ベルランガ、ありがとう。

A: サヨナラはなしね。

Posted by: アリ・ババ39 | Saturday, January 29, 2011 19:22

そして私Reineは、このアリ・ババ39さんの“原稿”を微調整しながらさめざめと泣いていたのでした。

アリ・ババ39さん、本当にありがとう。

えーっと、つ、次はつまり…『Placido』と『El Verdugo (死刑執行人)』についてコメントをいただけるのかな。(←こら)

……((o(´∀`)o))ワクワクして待っています。

(特に『死刑~』はブログが知らない人に読まれるっていう意識が薄かった頃に書き留めたメモなので、あんまり書いてなかったと思うので)

Posted by: Reine | Saturday, January 29, 2011 19:29

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