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Wednesday, May 26, 2010

Las Viudas de los Jueves / 木曜日の未亡人 [アルゼンチン映画]

viudas de los juevesこの作品については撮影が始まる頃にちょっとだけ触れておいたのだけど、今あらためて当時のterra.comの記事を読み返してみると、私がストーリー紹介を読み間違っていたことがわかる。読み違えたのかもしれず読み違え“させられた”のかもしれず。

あらためてストーリー紹介
2001年12月17日、アルゼンチン。要塞のように堅牢なセキュリティシステムに守られた高級住宅街のプールに、ある朝死体が三つ浮かんでいた。タノ、マルティン、グスタボ、この地区に居を構える男たちである。完璧な人生を掴み取ったこの男たちの死は事故として処理されたが……。


4組の夫婦の物語なので、公式サイトのTOP画像で夫婦関係を確認。
viudas de los jueves


でもこれでは女性陣が皆サングラスをかけていてわかりづらいので、公式サイト内の人物紹介を読んでみる。


viudas de los jueves
※公式サイトに入ろうとした時すぐに立ちはだかっているのは警備員。このゲーテッド・コミュニティーへの外部からのアクセスをセキュリティー室のモニター越しに監視している。

viudas de los juevesまず、タノとテレサの夫婦。

タノはこのコミュニティー内でも一目置かれる存在。外資系企業の社長。妻テレサとの間に二人の子供あり。仕事も家庭も順調、テニスもポーカーも強く、女にももてるとか。

タノがこのコミュニティーの言ってみれば“王”であるならば妻テレサはさしづめ“女王”であろうか。上流家庭の出である彼女にはその称号もふさわしいだろう。品の良さが全てを物語っている。誰からも沈着冷静と思われている彼女だが…。

viudas de los juevesマルティンとララ夫婦、そして娘のトリナ

マルティンは弁護士。コミュニティーにおいても倫理委員長という役職についている。勤務先は国際的な研究所である。いや、「だった」と言うべきか。リストラに遭ってだいぶ経つが妻子にそれを打ち明けられずにいるのである。

妻のララは気の強い女である。夫のマルティンがおとなしい性格なので発破を掛けるためにも強くあらねばならないと思っているのだろうか。

娘のトリナは生来向う気が強い。家の中でも外でもトリナは好き勝手に振る舞っている。自分がささくれ立っているからなのか、隣人のフアンの柔和なところに惹かれている。

viudas de los juevesロニとマビ夫婦、そして息子のフアン

ロニはタノの親友。もう何年も仕事はしていない。それでこのコミュニティを外から第三者的に眺めるようになったのかもしれない。シニカルなジョークをよく口にする。

ロニの妻のマビは不動産業を営んでおり一家の大黒柱である。この重責がゆえにマビはこの家で父親役を演ずるようになったのか。しかし身近の男たち、つまりロニと息子のフアンを理解し受け止めるのはなかなかに難しく……

viudas de los juevesグスタボとカルラは最近越してきた若い夫婦。

グスタボは会社経営者で、テニスも凄腕ときている。

若く美しいカルラ。まだ子供がいない。このコミュニティに来るのにすっかり納得していたわけではない。


Las Viudas de los Jueves - Una película de Marcelo Piñeyro
Las viudas de los jueves@IMDb

・直訳: 木曜日の寡婦たち 

監督: Marcelo Piñeyro マルセロ・ピニェイロ
脚本: Marcelo Figueras マルセロ・フィゲラス  Marcelo Piñeyro
原作: Claudia Piñeiro クラウディア・ピニェイロ

出演:
Pablo Echarri パブロ・エチャリ ... Tano タノ
Ana Celentano アナ・セレンタノ ... Teresa テレサ
Ernesto Alterio エルネスト・アルテリオ ... Martín マルティン
Gloria Carrá グロリア・カラー ... Lala ララ
Vera Spinetta ベラ・スピネッタ ... Trina トリナ
Leonardo Sbaraglia レオナルド・スバラグリア ... Ronnie ロニー
Gabriela Toscano ガブリエラ・トスカノ ... Mavy マビー
Camilo Cuello Vitale カミロ・クエーリョ・ビターレ ... Juan フアン
Juan Diego Botto フアン・ディエゴ・ボット ... Gustavo グスタボ
Juana Viale フアナ・ビアーレ ... Carla カルラ
Adrián Navarro アドリアン・ナバーロ ... 警備員

木曜日の未亡人@ぽすれん

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Comments

あれから2ヶ月近く書けなかったのでちょっと忘れてしまい気味なのだけど、語句メモだけでも。時間が経ってしまったことで本当に困るのは、何のつもりでメモしたのか、どういう語義で現われたのかなどなどを思い出せないってことだ。


・pija: 5. f. malson. pijo (ǁ miembro viril).

・veta: 5. f. coloq. Aptitud de alguien para una ciencia o arte.

・agua de la canilla
→・canilla: 8. f. Arg., Bol., Par. y Ur. grifo (ǁ llave para regular el paso de los líquidos).

・¡Cabe un auto adentro del placard!
→・placard (fr.; pronunc. ; Arg., Ur.) m. Armario empotrado.

・bunker: 2. m. Refugio, por lo general subterráneo, para protegerse de bombardeos.

・capo
2. m. coloq. Arg., Bol. y Ur. jefe (ǁ superior de un cuerpo u oficio).
3. m. coloq. Arg., Bol., Par. y Ur. Persona con poder y prestigio o muy entendida en una determinada materia. Es un capo en física cuántica.

・macanudo, da: 1. adj. coloq. Am. Bueno, magnífico, extraordinario, excelente, en sentido material y moral.

・fresco como una lechuga
→・como una lechuga (inf.): Con aspecto saludable o fresco.
→・más fresco que una lechuga (inf.): Muy fresco (desvergonzado o *despreocupado).

・patalear:
1. intr. Mover las piernas o patas violentamente y con ligereza, para herir con ellas o en fuerza de un accidente o dolor.
2. intr. Dar patadas en el suelo violentamente y con prisa por enfado o pesar.

・disyuntor: Dispositivo que corta automáticamente la corriente eléctrica cuando esta sobrepasa una determinada intensidad.

・juega re-bien 「(テニスをプレーするのが)物凄く上手い」
→・re-: Con adjetivos o adverbios, puede reforzarse el valor de intensificación añadiendo a re- las sílabas -te o -quete.
例) Retebueno. Requetebién.

・el séptimo cielo: m. Lugar extremadamente placentero.

・cada dos por tres: loc. adv. Con frecuencia.

・hurra: 1. interj. U. para expresar alegría y satisfacción o excitar el entusiasmo. U. t. c. s. m.

・viaticación:

・No le des vuelta a la taba

・mandarse la parte:
→・http://forum.wordreference.com/showthread.php?t=601825: “En Argentina mandarse la parte quiere decir alardear, jactarse de algo. ”

・Prozac Fluoxetina: 抗うつ薬?

・bancar: 4. prnl. coloq. Arg. Responsabilizarse, hacerse cargo de una situación.
例) Yo me banco lo que digo.

・pileta: 6. f. Arg., Bol. y Ur. piscina (ǁ estanque para la natación).

・zafar:
5. prnl. Escaparse o esconderse para evitar un encuentro o riesgo.
7. prnl. Excusarse de hacer algo.
8. prnl. Librarse de una molestia.

・potranca: 1. f. Yegua que no pasa de tres años.

・forro: 5. m. vulg. Arg. y Ur. preservativo (ǁ funda elástica).

・implosionar:
→・implosión: 1. f. Acción de romperse hacia dentro con estruendo las paredes de una cavidad cuya presión es inferior a la externa.

・como la reina de corazones en Alicia: アリスに出てくるハートの女王みたいに(次から次へと社員の首を刎ねていった)

・estampida:
1. f. estampido.
2. f. resonancia (ǁ divulgación rápida y estruendosa de algún hecho).
3. f. Huida impetuosa que emprende una persona, un animal o, especialmente, un conjunto de ello

→・estampido: 1. m. Ruido fuerte y seco como el producido por el disparo de un cañón.

・engolosinar: 2. prnl. Aficionarse, tomar gusto a algo.

・perito, ta: 3. m. y f. Der. Persona que, poseyendo determinados conocimientos científicos, artísticos, técnicos o prácticos, informa, bajo juramento, al juzgador sobre puntos litigiosos en cuanto se relacionan con su especial saber o experiencia

Posted by: Reine | Saturday, July 17, 2010 21:41

1) “事”が起きるのはmadrugada del 17 de diciembre de 2001。

外務省: アルゼンチン共和国
1999年12月に発足したデ・ラ・ルア政権(急進党)は、2001年11月の経済・金融危機に端を発した社会騒擾により任期半ばで辞任(同年12月)。この後、ロドリゲス・サア、ドゥアルデ暫定政権を経て、2003年4月に繰り上げ実施された大統領選挙の結果、同年5月、キルチネル政権(ペロン党)が発足。未曾有の経済社会危機後の国民の結束もあり、キルチネル大統領は就任直後から力強いリーダーシップを発揮し、経済及び社会的安定の回復を達成。

1990年代には、兌換制(1ドル=1ペソの固定相場)の下で、自由開放経済政策を促進。この結果、ハイパーインフレの収束、投資の増加により、高い成長率を達成。しかし、1999年1月のブラジル金融危機の影響もあり、次第に景気が低迷し、2001年後半には金融不安が金融危機や全般的な経済危機に転化。政府は対外債務の支払い停止、兌換制の放棄(自由変動相場制への移行)を行い、IMFとの交渉を行ったが難航し、2003年1月に暫定合意。


アルゼンチン経済、破綻から成長へ:日経ビジネスオンライン
2001年に950億ドル(約8兆6000億円)という史上最大規模のデフォルト(債務不履行)に陥って 


経済動向 - アルゼンチン - ジェトロ 
《デラルア政権の経済政策》
 99年12月、景気後退の中で発足したデラルア政権は、財政緊縮政策により内外の投資家の信任を取り付けるとともに、金利低下を通じた経済回復を目指した。2000年年初に20億ペソ、5月に9億ペソの歳出削減策を講じ、また労働改革法も成立させた。これらの経済政策は消費者心理を冷え込ませた。 
 2001年3月20日に就任したカバロ経済相は、競争力法を成立させ、金融取引税を創設した。債務問題では IMFとの融資条件再交渉、国内民間銀行との債務スワップを合意に導いた。また、ドルに加えてユーロを組み込む兌換法修正案を成立させた。7月には財政赤字ゼロ化政策を発表した。これらの政策は、狙いそのものは的確であったと思われるが、実現には困難がつきまとった。最終的には、経済を回復させることができないまま、デラルア政権は退陣を余儀なくされた。


アルゼンチン-経済危機とマクロ経済安定化への
道のり- 開発金融研究所報 | JICA国際協力総合研修所・JBIC開発金融研究所の調査研究情報 | JICA研究所 | JICA


http://www.youtube.com/watch?v=rH6_i8zuffs
Argentina's Economic Collapse - Part 1 of 12 (Documentary on the events that led to the economic collapse of Argentina in 2001) 


・映画の中でテレビアナウンサー:
El decreto que congela los depósitos bancarios ……略…… Ninguna persona podrá extraer de su cuenta……略……más de 300 pesos o dólares semanales, según el ministro...

Posted by: Reine | Saturday, July 17, 2010 22:00

2) タノのセリフ
こどもの頃は神を信じていた。神は絶対に裏切らないと教わった。だが本当に必要な時に神は現われなかった。次に民主主義を信仰した。民主主義は万能だと思った。民主主義さえあれば飯は食え、病気は治り、教育を受けられるんだって。今は何を信じてるかわかるか?金だよ、金。世界共通言語だ。金を持っていれば世界中から受け入れられる。金は信奉していれば必ず現われるしな。神と違って。


3) 彼らの住むゲーテッドコミュニティーの設備: ポロのコート2つ、ゴルフ場3つ、テニスコート30面、バスケ2面、サッカー2面、日勤ガードマン15人、夜勤22人、防犯カメラ……


4) ララが誰だったかを案内してコミュニティー内をカートで回ってた(シーンだったと思う)。http://en.wikipedia.org/wiki/Ryegrassの質の良さなどを説明。


4') そんな時、ここを出て行く家族がガレッジセールを開いているところを通りかかる。ララは言う:
「子供のバービー人形まで売りに出すタイプの人って……ちょっと、ねえ……。で、この期に及んでまだ『いいえ、うちはマイアミに行くんですの』なんて見栄はってるのよ」


5) 弱り切ったある夫のセリフ:
Vos me conocés mejor que nadie. Yo hice lo mismo que hizo todo el mundo. Lo que se cayó fue el país, los bancos implosionaron, el crédito se terminó ……略……

Usemos parte de la guita para saldar el crédito y vayámonos a no sé, a ... un lugar que te guste, a Miami si querés. Pero elijamos un país serio. Nosotros nos merecemos eso, ¿no? Un país de verdad, sólido.

Posted by: Reine | Saturday, July 17, 2010 22:30

この5)のセリフなんか思いきりそうなんだけど、この作品、観てると寂しくなっちゃって困ったんだよな。みんな疲れ切っちゃってて、空っぽになっちゃってて。誰も幸せでなくて。どこにも幸せはなくて。

富んでいる者も心の中は(あるいは「家庭の中は」)空虚です、みたいな描き方はステレオタイプといえばステレオタイプだなと感じはしたけれども。

コミュニティー内で「今日は白い服で♥」なんていうドレスコードつきの浮かれたパーティーを催して、憂き世からは遠い生活を送っているかに見える彼らがこれでは、外界の庶民はどうやって2001年を生き延びようとしていたのかね。それを思って辛かった。

(で、2002年のW杯は第1ラウンドで敗退だったんだよなあと思うとね…)

Posted by: Reine | Saturday, July 17, 2010 22:44

6) タノはBarrio de Caballito の中流家庭の出だと言っていた。http://es.wikipedia.org/wiki/Caballito_%28Buenos_Aires%29


6') マルティンの反抗的な娘が出かけようとする。マルティンはそれを止める。

父: どこに行くんだ
娘: villa Los Tigrecitos よ
父: バカを言うんじゃない!
娘: パパはアドベンチャーツアーなんかは興味ないんだもんね。タダで楽しめるのに。
父: お前はどこにも出かけないんだ!

これさ、“Villa los Tigrecitos”っていう地区が凶悪で有名だったりするわけ???と思って、アルゼンチン人の友人に「なんかわかる?それともこの地名ってただのフィクション?」と質問してみた。

「下層で治安よくない地区かな。たとえばマラドーナはVilla Floritoの出身だけど、あそこは貧困地区なんだよね。

アルゼンチンだとそういう下層の地区には“Villaなになに”っていう名前がつけられがちなの。だから誰かのことを侮蔑的に言いたい場合に“es un villero”と表現したりするわけだ。犯罪者、泥棒、ワル、怠け者……そういうイメージをひっくるめちゃう感じで」


( ..)φメモメモ
・villero: Persona que vive en la villa miseria.

Posted by: Reine | Saturday, July 17, 2010 23:10

全世界が断崖絶壁に立ったリーマン・ショック

A: 本作はクラウディア・ピニェイロの同名小説の映画化、2005年度「クラリン・アルファグアラ賞」受賞作品です。クラリン賞のうち小説部門に与えられる賞ですね。
B: アルゼンチンでも有名な文学賞、これはベストセラーになりました。

A: 音楽、スポーツ、芸術部門の受賞者名を挙げれば、この賞の大きさが分かります。
B: 例えば、昨年鬼籍入りしたメルセデス・ソーサ、英雄マラドーナ、世界的指揮者バレンボイム、天才ピアニストのアルゲリッチ、『瞳の奥の秘密』のリカルド・ダリン…

A: ベストセラー小説を“El metodo”(2005)以来沈黙したままのピニェイロがメガホンを取るというので、製作発表段階から話題になりました。
B: キャストも豪華版、でも受賞から少し時間が経ち過ぎてませんか。

A: これは勿論憶測の域を出ませんが、監督の決心には2007年の米国サブプライムローン問題に端を発したリーマン・ショックが背中を押したんじゃないですか。
B: 2008年9月の名門投資銀行リーマン・ブラザーズの破産、百年に一度という世界恐慌、依然終りが見えませんが。

A: 他人事だった南米アルゼンチンの悲劇を全世界が実感することになりました。小説のテーマが一挙にグローバル化し、今なら世界に受け入れられるのではないかと。
B: 映画祭で監督来日でもないかぎり、確認の機会はありませんね(笑)。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, July 26, 2010 21:07

打ち砕かれた「幻想のエデン」

A: 大まかに言ってピニェイロ監督の作品は深層が巧みで、表層だけに惑わされていると面白さも半減します。この作品はサスペンスでもミステリーでもなく、特に陰謀があるわけでもありません。
B: 導入部は薄暗い青と黒を基調にした映像のなかに、車を運転する女性の不安そうな顔が点滅する灯りに浮き上がる。急カーブをきって走り去る車中の女と男の顔は、何か事件が起こったことを予感させる。

A: 画面が薄暗いため観客はスクリーンに集中せざるをえない、監督の意図は成功しています。この導入部はスピードもあり全体のスローペースに比べてまずまずの出来ですね。男の死体が三つ、深海のような色調のプールに漂っている。観客は誰と誰なのか視線を凝らす。やがてスクリーンに「2001年12月17日」が現れる。

B: この日時が重要なポイント、そして陽光ふりそそぐ白の世界に突然導かれます。
A: 一挙に数ヶ月前にフラッシュバックしていき、このフラッシュバック部分がメインだということが分かる仕掛けになっています。この映画はスリラー仕立てで始まるものの、謎解きや犯人探しが醍醐味の映画からはほど遠い。

B: 冒頭の三つの死体は、お馴染み「コロンボ刑事」のように手早く何が起こったかの結果が示される。三人が何者なのか、単なる事故か、何か事件性のある他殺か、集団自殺かは不明だが《結果》だけが知らされる。コロンボと違うのは何が起こったかではなく、どうして起こったかの《原因》が複雑な点です。

A: フラッシュバックを重ねながら核心に迫っていくのですが、過去の各エピソードが近接していることや登場人物の多さが禍して分かりやすいとは言えない。評価が低い原因です。
B: かなりアルゼンチン映画を見慣れている人でも、登場人物の四家族の関係を即座に識別するのは容易じゃありません。Reineさんの手際よい顔写真入りの人物紹介が役立ちます。

A: 2001年暮れ、アルゼンチン全国民を奈落の底に陥れたそもそもの原因を探ること、ブエノスアイレス近郊の《アルトス・デ・ラ・カスカーダ》というミクロコスモスに暮らす新興リッチマン階級の社会意識や、新自由主義経済学者が推し進めていた政策に賛同して未来を約束されたエゴイスティックな社会モデルが、なぜやすやすと崩壊してしまったかがテーマでしょうね。表層は連続テレドラ風ですが、奥は深い。

B: 三つの死体は、90年代末から推進されてきた経済の、社会の、モラルの亀裂のメタファー、死者たちのセンチメンタルな相互依存が浮き彫りになります。
A: それは寡婦となった妻たちにも言えます。ネタバレになるので名前は出せませんが、生き残った男が誰か、それがこれを端的に象徴しています。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, July 26, 2010 21:09

歴史を遡ると見えてくる――タノの独白

B: 舞台となったゲート・コミュニティや当時の社会経済情勢については、Reineさんブログに詳説されているので屋上屋を重ねることは止めましょう。
A: そうですね。90年代の政治経済だけに問題があるのではなく、アルゼンチンの近代国家としての脆弱さが根源的にあったこと、ラテンアメリカ諸国がおしなべて抱えている長期にわたる軍事独裁制と未成熟な民主主義、民族問題など多義にわたっておりますね。

B: Reineさんが、タノの長い独白を全文翻訳してくれています。このセリフはキーポイントになる。
A: 鏡の前で自分を凝視しながら自嘲的に言うところね。2001年にミドルエイジだった人々は、青春時代が軍事独裁時代と重なるんです。

B: 昨年暮に思いがけず開催された2009スペイン映画祭で話題になり、今年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したカンパネラの“El secreto de sus ojos”(『瞳の奥の秘密』)は軍事独裁制直前の混沌を描いていて、主人公たちは本作の前の世代の人々です。

A: 切り口は勿論異なっていますが、合わせてご覧になると本作の深層が浮き上がってきます。カンパネラとピニェイロの新作が2009年のアルゼンチン代表作と言われる所以です。

B: ピニェイロも“Cenizas del paraiso”(1997、『ボディバッグ死体袋』2000年2月発売VHS)が1998年のアカデミー賞外国語映画賞アルゼンチン代表作に選ばれています。

A: 日本では当時無名だったピニェイロの作品に字幕が入って発売されたのは、多分アカデミー賞のアルゼンチン代表作になったからで、字幕は英語からの翻訳でしょう。

B: 次の話題作“Plata quemada”(2000)のアルゼンチン公開は2000年5月、マイアミほかアメリカ各地のレズ&ゲイ映画祭で上映されたのは2001年になってからですから、『ボディーバッグ~』のVHS発売後のことです。

A: 『ボディーバッグ~』は1998年のゴヤ賞外国語映画賞を受賞していますが、ゴヤ賞は今でこそ一部で認知されるようになりましたが、当時それが考慮されたとは思えません。アメリカ公開で話題を呼んだことが、逆にアルゼンチン代表作になったとも考えられます。何事によらず米国主導、「始めに言葉ありき」ではなく「米国ありき」です。

B: アメリカが「神」かどうかはさておき、その現状は変わっておりません。


Plata Quemada
邦題「逃走のレクイエム」; 第10回東京国際レスビアン&ゲイFF2001・「炎のレクイエム」; 第1回ラテンビート2004

Reine注:
この『炎のレクイエム』は英題“Burnt Money”、原題“Plata Quemada”。Hispanic Beat Film Festival 04 / ヒスパニックビートフィルムフェスティバル2004 / 第1回スペイン・ラテンアメリカ映画祭で上映された作品です。

「炎のレクイエム」で検索してヒットする『マタドール~炎のレクイエム~』(ペドロ・アルモドバル監督作品)とは別物です。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, July 26, 2010 21:11

こんにちは!お久しぶりです。
わたしは,これはなかなか良く出来た映画だなと思いました。「タノ」役のパブロ・エチャリの演技の下手さが気になったけど・・・(笑)。

Posted by: e_m | Tuesday, July 27, 2010 01:47

e_mさん、お久しぶりです
アルゼンチン映画を観てここに書き留めるときはたいていe_mさんのことを思い出しています。コメント楽しみにしておりますのでよろしくね

パブロ・エチャリ……。

彼についてのことなども含め、アリ・ババ39さんからコメントを預かっていますのでこのあとご紹介します。
↓↓↓

Posted by: Reine | Thursday, July 29, 2010 17:41

原始時代にワープしたアルゼンチン

A: 当時アルゼンチンは「コラリートcorralito」と呼ばれる銀行預金の一部凍結に追い込まれ、自分のお金なのに自由に引き出せないという事態に追い込まれていました。更にこれまで1ドル1ペソだっ為替レートが1ドル3ペソに、つまり対ドル300%の下落ということです。
B: 映画のシーンでも「預金引出しは1週間に300ペソ」とテレビアナウンサーが報じていました。1週間にたったの100ドルです。当時、シャッターの下りた銀行を取りまいた預金者が、凹んだ鍋釜を叩いて抗議している姿を海外ニュースが配信していました。

A: 人口3500万人のうち1900万人が貧困層、うち840万人が最貧困層となり、地域通貨の発行や、地域センターでの物々交換と原始時代に逆戻り。
B: ゲート・コミュニティから退去せざるを得なくなった人が、ガレージセールをしているシーンがありましたが、高級「露天商」です。

A: 児童は給食にありつくために欠席者がいなくなった、ゴミ収集の必要がなくなった、と真偽のほどは分かりませんが聞かされましたよ。
B: 当時日本で暮らしていた知人が、家族に送金しても引き出せないから送金するな、手渡ししか確実な方法がないんだと溜息ついてました。家族宛ての送金も制限されたんですね。

A: ブエノスアイレスのホテルに宿泊したビジネスマンが、真夜中にリヤカーとか乳母車とかを押す音がするので、「こんな時間に何をしてるのか」と不審に思って通りを見下ろすと、地方からゴミあさりに来た人たちだった。私が直接聞いた話で、「通りからゴミが消え、回収業者も失業した」と思いましたね。
B: 段ボールや古紙より価値のあった電線とかプレートのような金属類が、切り取られたり剥ぎとられたり、世の中も日増しに物騒になった。ガードマン派遣会社、セキュリティー関連の企業が業績を伸ばし急成長したとか。

A: ですからアドリアン・ナバーロ扮する警備員の役は、非常に重要な意味をもっています。彼は、エクトル・オリベラ監督の“Ay Juancito”(2004)に、フアン・ドゥアルテ(エバ・ペロンの兄)役で主演してます。アルゼンチン批評家協会賞新人賞などを受賞している実力派、90年代からテレビで活躍している役者のようです。

B: 警備員というのは、冷めた第三者的立場でコミュニティの住人を観察できる或る意味で危険な人。雇われ人ながら雇い主の弱点や秘密を握っています。
A: 1ヵ所しかない門扉は、彼の許可なしに通過できない。堅固で安全な要塞都市は、見方を変えると一種の鉄格子のない《刑務所》でもあるんです。後でマルティンとララ夫婦の娘トリナ、ロニーとマビー夫婦の息子フアンに触れながら、この新しい世代と警備員の存在を考えてみたいと思います。

Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, July 29, 2010 17:42

タノ《王》にオーラを感じたか

B: ゲート・コミュニティの華やかさに目を転ずれば、このユートピアがいかに外の世界と隔絶していたかが分かります。《女王》テレサの誕生日に集う白づくめのリッチマンたち、使用人にまで白の衣装を義務づけるなんて、恐れ入る成金趣味。

A: 原作を読んでないので小説にこういう個所があるのかどうか知りませんが、エドガー・アラン・ポーの『赤死病の仮面舞踏会』をロジャー・コーマンが映画化した『赤死病の仮面』(1964)-狂乱の宴、ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』(1969)のヨアヒム男爵の誕生パーティを彷彿させるという読者コメントがありました。どちらにしろ異様な風景ですね。
B: 監督は見てるでしょうが、参考にしたかどうか、これまた確認できません(笑)。

A: 小説の面白さが映画になかった、前作“El metodo”のほうが良かった、予告編が面白かったのでDVD買ったのにバッド・チョイスだった、平板な演技にがっかりした、等など感想は自由ですが。
B: 小説と映画は別物、しかし不人気の原因がシナリオにあるのか、俳優たちにあるのか。

A: 本作のような群像劇でも核になる役者というのが必ず設定されます。ここではタノですね。果たしてパブロ・エチャリが向心力のあるオーラを発していたかどうか。
B: 彼は「炎のレクイエム」が日本初登場ですか。

A: 多分そうでしょう。逃走劇で車を運転していた青年エル・クエルボ役、主役のノリエガとスバラグリアの迫力に押されて影がうすかった。1969年ブエノスアイレス生れの40歳、“El metodo”にも出演している。ラテンビート2009で上映されたポップコーン・スリラー「フォーエバー・ジュリア」(2003)は、平均視聴率40%という超人気の連続テレドラ、彼はこれでお茶の間のハートを掴んだ。

B: タノとテレサのカップルは崩壊寸前、世間を繕うためにあの常識外れのパーティをセッティングした。
A: 背景に言葉にならない恐怖が潜んでいる。二人の会話は鏡という仕切りを通さないと成立しない。この鏡は、あちらとこちらを隔てる象徴的な溝ですね。ですから鏡の多用には深い意味があります。

B: 妻テレサはハイソサエティ出身だが、携帯電話の終りに「バイ」なんて英語を使っている。所詮上流の下、由緒ある家系とは思えない。テレサには新たな愛が始まりかけている。

Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, July 29, 2010 17:43

架空パラダイスに沈澱している本当の恐怖

A: 思想や利害の共通性、類似性がこのパラダイスの基本だが壊れやすい。国際資格を持つエリート弁護士マルティンでも時代の波は避けられなかった。マルティン役のエルネスト・アルテリオは、1970年7月ブエノスアイレス生れ、名優エクトル・アルテリオが父、よく似てます。
B: ピニェイロの長編第1作“Tango feroz”(1993)に親子で出演、パブロ・エチャリと同じく“El metodo”にも。
A: エミリオ・マルティネス・ラサロ“El otro lado de la cama”(2002)、“Los 2 lados de la cama”(2005)に出ている。(後者は日本スペイン協会創立50周年記念事業「スペイン映画祭2008」に『ベッドサイド物語』のタイトルで上映された) コミカルな役もこなし出演本数も多いが、賞には恵まれない。ゴヤ賞もノミネートに終わっている。

B: 妻ララは自分が正当に評価されていないと不満、言葉の端々からテレサへの対抗心が見てとれる。ために夫の大異変にも、ここに沈澱している本当の恐怖にも気付かない。

A: 住民間にも当然ランクの違いがあって上下関係ができている。小説では娘トリナは養女らしい。つまり暗黙の差別を受けて息苦しく、自分の居場所が見つからない。映画もそれを反映させてトリナの人格形成をしたのではないか。
B: わざと突っ張ってハッパを吸ったり、危険なスラム街の名を口にして父親を怒らせたりね。

A: でもここが幻のユートピアであること、破滅に向かっていることを見抜いている。「新世代の代表者」として登場させているんですよ。傷を舐めあっている親世代に毒を盛ること、自分が傷つくことを恐れない。

Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, July 29, 2010 18:19

B: ロニーとマビー夫妻と息子フアン。三人は家族の団結に《努力》しているが、歯車は噛みあわない。マビーはロニーを愛しているが、夫はそれが重荷になっている。ここから脱出したいのだろうか。

A: レオナルド・スバラグリアはピニェイロの秘蔵っ子、監督の8作品のうち6作に出ています。彼ほど公開作品に恵まれている若手俳優を思いつきません。
B: スペイン映画にも、『10億分の1の男』(2001)、『ユートピア』(2003)、『カルメン』(同)、『サルバドールの朝』(2006)などに出てますね。
A: 『炎のレクイエム』はスペインとの合作、これでヨーロッパへの足掛かりを掴んだ。まさに幸運の女神的作品です。それに忘れていけないのがデビュー作『ミッドナイト・ミッシング』(エクトル・オリベラ・1986)です。1970年6月ブエノスアイレス生れですから、まだ15歳だった。
B: 1988年公開時タイトルは『ナイト・オブ・ペンシルズ』だった映画ですね。


A: ロニーは長らく髪結いの亭主をしている辛い男の役、出番は少なかったが屈折した夫の心情をうまく表現していた。話が逸れますが、ヘラルド・エレーロの“El corredor nocturno”(2009)では主役、掛け持ち撮影だったのかもしれない。ベテランのミゲル・アンヘル・ソラとのタグ・マッチ、興味が湧きます。
B: ヘラルド・エレーロといえば、スペイン映画アカデミー会長経験者でもある大物プロデューサー兼監督、本作の製作者にも名を連ねています。他にも『炎のレクイエム』『瞳の奥の秘密』、古くはケン・ローチの『大地と自由』(1995)等に参画しています。

B: フアンを演じたカミロ・クエーリョ・ビタレは、これがデビュー作だそうです。
A: なかなかいい、将来が楽しみです。ケージに守られたお坊ちゃんは学校が上手くいってない。しかしトリナと同様冷めた目を持っている。こういう密室社会で育った世代が大人になったらどうなるかです。

Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, July 29, 2010 18:23

B: グスタボとカルラ、ちょっと遅れてきた世代。グスタボは多額の負債を抱えているらしく押し潰されそうになっている。激しやすい性格をコントロールできず、秘密の臭いがぷんぷん。美貌のカルラも一人になると不安と不信に怯えている。

A: フアン・ディエゴ・ボットは、1975年8月ブエノスアイレス生れ。両親も姉さんも同業という俳優一家、ただし父親とは2歳で死別している。よく見る顔だから省略しようと思いましたが、公開作品は意外と少ないですね。
B: ヘラルド・ベラ監督の“La Celestina”(1996・『情熱の処女―スペインの宝石』2003・DVD)、アドルフォ・アリスタライン“Roma”(2004・『ローマ』; ラテンビート2005)、ルイス・リョサ“La fiesta del chivo”(2005・『ヤギの祝宴』; ラテンビート2006)など。
A: どれも劇場未公開作品、公開されたグレゴリー・ナヴァ『ボーダータウン―報道されない殺人者』(2006米・2009DVD)にチョイ役で出てましたね。スペイン語映画は一部を除くと本当に不遇です。

Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, July 29, 2010 18:24

生き残りをかけて抵抗する

B: 当時を引きずっている観客に、冷静な批評は難しい。
A: そうですね、自分たちとは別世界に暮らす人々に敵意さえもっている。あんなエゴイスティックな守銭奴に情けは無用という感情論ね。また、映像の中で起こる悲劇が自分たちとあまりにかけ離れすぎていて、自分を重ね合わせられる登場人物に出会えなかった。

B: ピニェイロの掘り下げも中途半端だったし、タノの並みの演技が全体を拡散させたかも。

A: 個人なり組織なり、または階級や時代が終わるときには、誰でも生き残りをかけて戦う。作品名を挙げたらキリがないほど多い。しかし掘り下げに成功すれば観客は納得する。ただ、作り手の旗色がはっきりしていて、反対側を批判する映画、例えばマイケル・ムーアの映画、私は全く評価しません。
B: 一歩間違うとデマゴギーになる。本作でピニェイロは彼らを悪として描いていない。

A: ただ、各人の内面のカオスがきちっと描かれていたかどうか。多分メタファーが分かりにくかったと思う。観客の好みに合わせて後ろを歩いていては映画は作れない。しかし一歩も二歩も先を歩かれると観客はソッポを向く。
B: なにしろ次から次と量産されていますから、昔のようにじっくり待ってくれない。

A: アルゼンチンの監督で言うと、ラテンビートでも紹介されたパブロ・トラペーロやルクレシア・マルテルなんか、残念ながら前を歩きすぎの監督です(笑)。

Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, July 29, 2010 18:24

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