Los abrazos rotos / 抱擁のかけら [スペイン映画]
2008年、マドリード。ハリー・ケインは盲目の脚本家である。代理人を務めるジュディットとその息子ディエゴの介助もあり、仕事を精力的にこなしている。
「かつて私はマテオ・ブランコという名の映画監督だった。しかし、一通りの人生だけでは物足りないと若い頃からずっと思っていた私は‘ハリー・ケイン’という筆名を創り出し、自分が書いた脚本には必ずそう署名した。
つまり何年ものあいだマテオ・ブランコとハリー・ケインとが私という人物を共有していたわけである―――強暴とも言えるほどに突然の出来事が私を‘ハリー・ケイン’に変えてしまったあの瞬間まで」。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
面白かったです。
得手勝手な気狂いの執拗な情熱と愛憎を描くときのアルモドバルはとても面白いね。
私はアルモドバル監督作品はあまり観てきていないので他作品と比べてどうこう言うことはできないのだけど、さすがのおすぎも今回は「心が泣いた」だの「号泣した」だのとは言わんのじゃないかい? 『抱擁のかけら』は『オール・アバウト・マイ・マザー』だの『トーク・トゥ・ハー』の時みたいなぎゃんぎゃん泣き喚くような薦め方はしっくりとしないタッチの作品だと思います。
BGVとしてつけっぱなしにしておいて4回まわしたのだけど、4回りしても飽きなかったね。しかも128分という長尺なのに。ふつううううの作品だと2回り目からだってゲンナリする。たぶんアルモドバル作品でも、だ。
しかしこれは面白かった。
5回転目はしっかり鑑賞しましたが、絵として写真として本当に美しいね。アルモドバルの色彩の美しさはいつも言われることなのでしょうが。アルモドバルのような人の目ってどういう作りなんだろか。万人とおんなじ物や景色を目にしていたってこんなにビビッドに認識しちゃってるんでしょ? 凄いねえ。
これね、ビジュアルが飽きさせなかったというのは勿論なのだけど、BGVとして聞いていたときも飽きなかったのは、やっぱりぎっしり詰まったセリフが面白かったからだと思う。当たり前か。
スペイン語を勉強中という動機付けがある人にはお勧めです。そういう意味ならこれは観るといいと思う。ディクテーションができるくらいはっきりとしゃべってくれています。それから、接続法ね。接続法が多いです。かなり多い。これまで200作品くらいこのブログで取り上げてきたけど、こんなに接続法が多い作品ってそうはなかったと思う。
あとは、アルモドバルものの‘本歌取り’っぽい仕掛けも楽しめるんじゃないかな。それと、‘Father Son Relationship’っていう軸もアルモドバルでは珍しいような気がして興味深かった。
( その辺のことは、アルモドバルを熱心に観てきていないので的外れかも)
« Premios Goya 2010: candidatos / 第24回ゴヤ賞ノミネート | Main | Maras, una amenaza regional (ディスカバリーチャンネル) »
The comments to this entry are closed.
Comments
私いつもこういう↓映画情報サイトへのリンクを示しているけど、それはトラックバックを送信するためのルール・マナーであると思うから示しているだけであって、正直、この手のサイトは見ない方がいいと思ってる。
観る前に見ちゃダメなんだよ。公式サイトなんて絶対観なくていいわ。作った人には申し訳ないけど。だってたいていの場合、ぶち壊しだもん。
・抱擁のかけら@goo
・抱擁のかけら@CinemaCafe
・抱擁のかけら@象のロケット
・抱擁のかけら@映画生活
・抱擁のかけら 日本公式
・Los abrazos rotos@IMDb
まあ、私のブログも映画を観る前に読まないほうがいいと思うんだよね。映画というものを観る前には、「面白かった」「よかった」とかいう一言ですら耳に入れないほうがいい。たった一言であっても十分にフィルターたりえる。
「面白かった」と聞いて観たら面白くないセリフでも面白っぽく聞こえちゃうかもしれない。「感動したよ~」などと聞いてから観たら些細なシーンでも感動のほうに針が揺れちゃうかもしれない。
だから、……って、こういうこといろいろ考えてると、なんでこのブログ書いてるのか意味がわからなくなってくるんだよな。これを知ってから観てくれたほうが感興が増すから読んで欲しいっていう情報も、ときにはあるわけで。悩ましいね。
Posted by: Reine | Monday, January 11, 2010 00:43
↓↓ 私のいう‘ネタバレ’はかなりそれでも抑えてあると思うけども ↓↓
1) アーサー・ミラー云々
According to Martin Gottfried's biography, "Arthur Miller: His Life and Work," he and his late wife, Inge Morath, had a son, Daniel, born with Down Syndrome. Miller put Daniel in an institution in Roxbury, Conn., and never visited him.
・Biography for Arthur Miller@IMDb
2) 冒頭の若い女、綺麗だなと思って調べたら『Crimen Ferpecto』でもおっぱいだった Kira Miró。偽乳かもしれないけど美しい。
3) 病院が合計で5つくらい出てきたんじゃないかと思うんだけど、そのうちの一つはHospital Quirón Madrid
3') こんな表現はよろしくはないとも思うけど、アルモドバルは車椅子が好きなの? 気のせいかな。車椅子(Wheelchair)というタグがつきそうな作品、いくつか撮ってるよね。
4) それと今回の鑑賞中にふと覚えた既視感で気づいたのだけど、彼は走行中の車(の後部座席)にいる人をよく撮るね? 『アタメ!』の終盤みたいな。
(⇒ DÚO DINÁMICO Entrevista sobre Resistiré y Átame)
『ボルベール』はどうだったかな。『神経衰弱ぎりぎりの女たち』はタクシー乗りまくるもんね。『Tacones lejanos
』は?
4') …あれ? それとも他の監督作品でも走行中の車の中ってけっこう映るものだったっけ??? ……などと考えていて「almodovar coche」などで検索したらこんなものを見つけた。
The car driven by Lena and Harry Caine/MateoBlanco in Lanzarote is the same red car that is used in Volver (2006/I) and in the final scenes of ¡Átame! (1990).
↓↓↓
Trivia for Los abrazos rotos
既視感があって当然よね、おんなじ車だって言うんだから。
Posted by: Reine | Monday, January 11, 2010 00:58
5) もうほんとにね、降りる階段を上から撮っただけでうっとりする‘写真’となっているのがアルモドバルの凄さなのかなと思わせるところなのですが、この作品を観た多くの人がきっと言及するであろうシーンの一つが、ランサロテの風景でしょう。
下記のブログでわかったけど、ランサロテ島の la geria というらしい
‘Los abrazos rotos’ de Almodóvar: ‘La Geria’ y ‘el Golfo’ - Blog de Viajes
このような地形で行われているワインのぶどうの栽培らしいよ
・La Geria@Wikipedia
・Bilder Lanzarote: La Geria-HR, Download in Hochauflösung(←このページ、激重だった)
・File:La Geria vines.jpg - Wikimedia Commons
・La Geria - El Chupadero on Flickr - Photo Sharing! ……などなど。
5') それからオブジェ
・JUGUETE DEL VIENTO - FOBOS | Esculturas en Gran Canaria
・UNA ESCULTURA DE CÉSAR MANRIQUE EN JANDÍA | MADERA DE NÁUFRAGO por Luis Vea García
・Lanzarote On Location :: Broken Embraces: Lanzarote Guidebook
"la geria"という名称に行き着くには「lanzarote "abrazos rotos"」でググって一手間で済んだが、このオブジェを突き止めるのにはけっこう時間がかかった。25分くらいか。私は「ブログの調べ事などでは深追いを避けるべき。してたら際限がない」を心がけているので、こんなに時間がかかるのなら普通はやめちゃうところなのだけど、これはどうしても知りたかったのでしつこく調べた。
・故César Manriqueの作品らしい
・César Manrique@Wikipedia
“Pedro Almodóvar presenta Los Abrazos Rotos - Canarias24horas.com”という記事によると、「アルモドバルが9年前に島を訪れたときにゴルフォ・ビーチで撮影した一枚の写真が『抱擁のかけら』の基となったのはたしかだが、それ以前からランサロテ島はよく知っている。1986年に“欲望の法則”を撮り終わってからセサール・マンリケ氏の家で数日過ごしたことがある。」
そして、『抱擁のかけら』の重要な一シーンが撮影された場所というのが
「このカナリアの芸術家が交通事故で命を落としたまさにその場所であったという事実を、スタッフは記事で読むまでは知らなかったのである」。
へえええ。そうなんだ。
(このことは
SPOILER
として『Los Abrazos Rotos』のIMDbのトリビアにも書いてあった)
Posted by: Reine | Monday, January 11, 2010 11:22
6) それからね、カメラだけれども、ちょっとよくわからない。
trailerなんてほんとうは紹介したくないのだけども、このトレーラーの1分29秒のところで出てくるカメラ、これね、これはEOS5 QDですか?
だとすると、本作のおはなしの当時(=1994年)と食い違ってはいないんだよな、スペインでは EOS5 という名前で94年には売られていたでしょう?
IMDbの『Los Abrazos Rotos』のgoofにこのカメラは時代設定のミスであると書いてあるけど、それは2005年発売のEOS 5Dだと思ってるからそう思うわけでさ。
EOS5(スペイン名)ならば時代は間違ってない。
Posted by: Reine | Monday, January 11, 2010 11:46
7) ‘本歌取り’というのはさ…、「アルモドバル、ガスパッチョ、睡眠薬」とか、「アルモドバル ベッド 火事」とか、「アルモドバル イバン 待っている」 とかさ、それでもうわかると思うけど、そういうのが楽しかったね。チュス・ランプレアーベの役どころとかさ。Julieta(フリエッタ)という人名とかにニヤリとしたりさ。
8) アリ・ババ39さんがこないだメールでアンヘラ・モリーナの演技が凄いらしいと一言教えてくれましたが、なるほど!
どう凄いのかというと……楽しみにしていてください。
9) それから、とにっかくペネロペ・クルスが美しい。けど、やつれた姿もちゃんと演じてる。日本の同年代の‘女優’でちゃんとこういう写り方のできる人って、いるとしたら誰?
10) おすぎも今回は「泣いた!」とか言わないだろうとは言いましたが、実のところ私は泣いたんだよ。ジュディが名を呼ぶシーンでね。
Posted by: Reine | Monday, January 11, 2010 12:04
監督・脚本: Pedro Almodóvar ペドロ・アルモドバル
出演:
Penélope Cruz ペネロペ・クルス ... Lena (Magdalena) レナ
Lluís Homar ルイス・オマール ... Mateo Blanco / Harry Caine マテオ・ブランコ/ハリー・ケイン
José Luis Gómez ホセ・ルイス・ゴメス ... Ernesto Martel エルネスト・マルテル
Rubén Ochandiano ルベン・オチャンディアーノ ... Ray X
Blanca Portillo ブランカ・ポルティージョ ... Judit García ジュディット・ガルシア
Tamar Novas タマル・ノバス ... Diego ディエゴ
Ángela Molina ... Madre de Lena: レナのお母さん
Ramón Pons ... Padre de Lena: レナのお父さん
Lola Dueñas ... Lectora de labios (Lip Reader)
Chus Lampreave ... Portera (Concierge)
Carmen Machi ... Chon
Rossy de Palma ... Julieta
Posted by: Reine | Monday, January 11, 2010 12:21
11) Rubén Ochandiano ルベン・オチャンディアーノ
カタカナ表記っていうものには限界がある。どうしたって厳密に正確になんて書けない。たとえば私は強勢の部分には長音を入れてしまいがちだけど、入れないときも多いし。
でもね、「チャ」と「カ」は違う。
ルベン(或いはあえて言うならルベーン)とルーベンも違う。
公式サイトで「ルーベン・オカンディアノ」と書いちゃってるもんだから、そのへんてこりんな表記がはびこり、今後日本語のサイトではこの俳優の名前は「ルーベン・オカンディアノ」ってことになってしまう。パス・ベガがいつまでたっても「パズ・ヴェガ」であるようにね。
イラッとしたので私 Rubén Ochandiano に直接たずねました。「あなたの名前はどう発音するのか」と。
「……略…… あなたの名前は Rubén Ochandiano であり、私はいつも"-cha"は"charlar"の"-cha"と同じ発音だと思ってきました。
"charlar"の発音は下記のページでLISTENのボタンをクリックして聞くことができますが(http://www.wordreference.com/es/en/translation.asp?spen=charlar)、Ochandiano の"-cha"はこの"cha"ですよね?
"charlar"の"-cha"、"escuchar"の"-cha"、"cha-cha-chá"の"-cha"、そして、エルネスト・マルテル(父)がエルネスト・マルテル(息子)の母親に向かって言い放った "chantajista" の"-cha"ですよね?
私はそれを確かめたかったのでyoutubeに行き、ちょうどあなたの名前が発音されているインタビュー映像やテレビ番組でも無いものかと探しましたが確認がとれるような映像が見あたりません。
『抱擁のかけら』日本公式サイトでは"k"であるかのように書かれているのです。そして最悪なことに、"Rubén"ではなくて"Ruben"であるかのように書いています。
つまり、夥しい数の日本のサイトにおいてあなたの名前は、"Rubén Ochandiano ルベン・オチャンディアノ"ではなくて、"Ruben Okandiano ルーベン・オカンディアノ"と表記されてしまっているのです」
これに対してRubén Ochandiano本人からの返信は、
「僕の名前の正確な発音はまさに貴女が書いてくれたとおりです。……略…… 貴女の美しい国での公式サイトで僕の名前が正しく表記されるように訂正を依頼してくださいませんか」
ということなので公式サイト作った人にさ、このことがどうにか伝わるといいのですけど。
だいたいさ、日本の配給会社にスペイン語知ってる人は一人もいなかったのか、これ。いや、本件はスペイン語知ってる知らないの問題だとは思わないよ、私は。ちょっと調べりゃわかることでしょうが。
調べるのもめんどくさいんだったらね、そこらへんのSNSの掲示板かなんかで質問でもすりゃよかったじゃん。すぐわかったでしょうがよ。
個人のブログじゃなくて‘公式’のサイトのこういう手抜きは私は好きじゃないんだよ。「手抜き仕事」ってchapuzaっていうんだよ。チャプ(-)サだよ。チャだよ。
Posted by: Reine | Monday, January 11, 2010 12:52
ああ、そうだ、語句メモはまた今度。
12) ただ一点。
公式サイトにある、観る前に見たらぶち壊しとしか思えない日本語のトレーラーで、Catorce años de mala conciencia son suficientes. というセリフには「過去を憎むのはもう十分だ」という字幕がついている。
これ、このトレーラーだけでなく映画でもこのように字幕ついてるの?
これは……どうかなあ……
訳というものには明確にたった一つのコレ!という答えがあるわけでもないし、ましてや字幕では意味が離れてしまうのもしょうがなかったりするから何とも言えないけど……、このセリフに至る会話を追ったら、やっぱりこれを「過去を憎むのはもう十分だ」と訳すのは‘ちがう’と思う。
まあ、またじっくり観たときにでも考えてみますが。
Posted by: Reine | Monday, January 11, 2010 13:35
ちょっとあたし今気づいちゃった。『神経衰弱ぎりぎり~』について私がこのブログに書いたのって、今からちょうど3年前の日だったんだわ。
なんか呼ばれたんだね。
昨夜本記事をUPするのがあと41分早かったら時刻までぴったりだったのに。
Posted by: Reine | Monday, January 11, 2010 17:59
名前表記問題ね~、私もアルゼンチン人の名前表記でいつも悩みます。
(苗字がスペイン語系じゃない人が多いので)
私が今後の名前表記を決めるってことか?と。
ただ、Ochandianoは「チルアウト!」の時点でオカンディアノ表記になってるので、前例に倣ったパターンかもしれません。
Posted by: アノ★C | Monday, January 11, 2010 22:07
大笑いさせてもらいました。ルベーン・オチャンディアーノ本人が訂正を要望しているのだから、当ブログではそうすればいいのではありませんか。『抱擁のかけら』は2月6日封切りだからパンフも刷り上がってしまっているから、今回の訂正は無理でしょうね。来年あたりには、G・イニャリトゥの“Biutiful”(2010)が公開されるでしょうから、その時は「ルーベン・オカンディアノ」でないことを祈りましょう。ハビエル・バルデムが主演ですから公開されます。
このハビエルだって『ノーカントリー』でオスカー俳優になる前は、ジャヴィエルだった。イサベル・コイシェが原音に近く表記されるまでにも大分時間がかかりました。『死ぬまでにしたい10のこと』(2002)ではイザベル・コヘットでした。スペイン・カナダ合作、言語は英語だったので仕方ないかなと。まさに古典的川柳「ギョーテとは俺のことかとゲーテいい」です。
個人的には長音の有無は拘りませんね。だからルベン・オチャンディアノでもOK派です。アルモドバルだって正確には‘do’にアクセントがあるからアルモドーバルになります。厳格好きというか長音好きは、ギリシャ神話中最大のヒーロー、ヘラクレスをヘーラクレース、キューバの作家カルペンティールは、長音入りが主流ですが絶対イヤと入れさせない翻訳者もいます。
オチャンディアノの日本初登場は、多分シネフィルが放映したボジャインの『花嫁の来た村』(1999)だと思いますが、脇役だったのでカタカナ表記はありませんでした。DVDになったダニエル・カルパルソルの『非情戦闘区域』(2002・2003DVD)では、ルベン・オカンディアノと長音なし。フェリックス・サブロソの『チル・アウト!』(2003・2008DVD)でルーベン・オカンディアノと間違った場所に長音がはいり、次のマヌエル・ロンバルデロの『抱かれる女』(2007・2008DVD)が踏襲、今回も右へ倣えしたわけですね。
『チェ/39歳の別れ』とか『タパス』にも出演しているが、そちらはどうなっているか。配給元は松竹のようですから、いろいろ調査総合して決めたんでしょう。個人的にはタイトルがね、もう少しなんとかならなかったのでしょうか。
Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, January 12, 2010 12:30
アノ★Cさん、アリ・ババ39さん、コメント投稿できたのですね。よかったです。
時々ココログがコメントを受け付けてくれなくなるのです。私もですよ、「スパムです」って、あたしのブログだよ!っていつも苦笑いです(←苦いのが9、笑うのが1)。
そうですね。踏襲したのでしょうね。
踏襲したってことがぬるいと私は思うのですけどね。松竹ともあろうものがなに手ぇ抜いてんだって。楽をするなよ。デカいんだから、と。
これ、どうすっかなあ……あんまり書くべきでないことだけど、敢えて書いとこうかな、この記事を松竹から読みに来た(巡回してるっぽい)痕跡が確認できているということ。だから直せるんだったら直してはいかがですかと申し上げたいところだけれども、刷り上がったものは直せないでしょうね。
‘ギョエテ問題’は永遠の課題ですね。でも解決は無理だし、解決しなくてもしょうがないです。
Penélopeは私だって「ペネロペ」と書くしかない。でも「ペネロペ」という一語をPenélopeと発音できるのはスペイン語がわかってる人だけなんだよね。Penélopeは「茅ヶ崎」と同じアクセントであって、決して「川崎」とか「立浪」と同じアクセントではないんだよね。………なぜここで立浪。
そんなことを思ってみてもしょうがない。
でもね、しつこいようだけど、チャとカくらいのレベルになっちゃうと見過ごすことはできないな。大手のやらかしたことなら尚のこと。
Posted by: Reine | Tuesday, January 12, 2010 12:52
余談ですが、「あなたのchaは○○のchaと同じ発音ですよね」という例を思いつこうとするとき、意外とめんどくさかった。cha- で始まるような語を探しちゃうと、なーんかやっぱりいい意味の単語って少ないような気がするな、cha-。
たとえば「あなたの -cha- はchapuzaのcha」ってさ、言われた側はいい気分しないと思うのね。「chantajeのchaですよね」もヤでしょ?
で、「エルネストが言ったchantajistaのchaですよね」に逃げておいたという次第です。
Posted by: Reine | Tuesday, January 12, 2010 13:23
問い合わせフォームから「Rubén Ochandiano」のカタカナ表記についての指摘を送信しましたが、公式サイトが修正済みですね。(この2~3時間だと思う)
回答等対応も非常に早く、さすが老舗と感服の至り。素晴らしい対応でございました。
今後の刷り物とDVD等の商品についても、きっと正しい表記となっていくことでしょう。
Posted by: Reine | Thursday, January 14, 2010 22:32
「ルベーン・オチャンディアーノ」に訂正されてましたね。最初から完璧は難しいわけで、こういう迅速な対応はファンにとって理想的です。マテオ・ブランコ役のルイス(Lluis)・オマールも、ずっとルイスで紹介されていますが、彼自身は「リュイス」とカタルニャ語風に発音しているかもしれませんね。
1月17日に開催されたゴールデン・グローブ賞・外国語映画賞に、『抱擁のかけら』は最後まで絡みましたが、結局ハネケの「ザ・ホワイト・リボン」が受賞、カンヌのパルムドールは強いと感じたことでした。しかし、いくらスペイン映画贔屓でも、これは順当な結果と納得しないわけにはいきません。
劇場公開が目前ですからヨイショも営業妨害も控えねばなりませんが、本作のようなフィルム・ノワール風のメロドラマ+ブラック・コメディは、どうしても分が悪い。特に今回のようにパルムドール受賞作品が競争相手では苦しい。もともとアルモドバルはプロットで観客を魅了する監督ではありませんから、手法は新しくても本質は良質なメロドラマ、ブラック・コメディ作家。巨匠ガルシア・ベルランガの優等生といってもいいでしょう。
アルモドバルのファンには二つの流れがあって、『グロリアの憂鬱』(1984)または『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(1988)あたりまでが好きな人と、『オール・アバウト・マイ・マザー』でオスカー監督になってからの作品を好む人に分かれるようです。大勢は後者だと思います。前者のファンの中には最近の作品を全然見ないアルモドバル・ファンも結構います。個人的には前者に属しますが両刀使いです。
両刀使いのファンにお薦めの鑑賞法は、プロットを追っていると少し退屈すると思うから、本作では過去の作品や監督へのオマージュが殊のほか満載されているので、そこらへんを楽しんでみるのもいいかもしれません。自作品以外でも、ロッセリーニの『イタリア旅行』とか、ビリー・ワイルダーの『七年目の浮気』のマリリン、『ティファニーで朝食を』のオードリーなど、既にあちこちで指摘されているほかにも楽しめます。
ハリウッドを代表するメロドラマ監督ダグラス・サーク、『死刑台のエレベーター』のルイ・マル、『血を吸うカメラ』の鬼才マイケル・パウエル、ベルイマン、フェリーニ、なにかしかプロットに絡んでいて、ただのオマージュではないようで、例えば失明とか交通事故とかね。
レイネさんもアルモドバルと交友関係のあったランサロテ出身の芸術家セサル・マンリケに触れていました。彼が1992年73歳で交通事故で亡くなった、その悲劇の場所が映画と重なるそうです。映画の中にはマンリケの美しいオブジェが見事映像化されて繰り返し挿入されます。撮影監督ロドリゴ・プリエトをメキシコから招んだ甲斐があったということです(ゴヤ撮影賞から外れたのが残念)。
オビエド出身の芸術家パトリシア・ウルキオラの作品も登場します。日本でも人気のモローゾ・ブランドの椅子がヒント、オンラインで日本でも購入できるのでファンが多い。そちらに興味のある人にはすぐ分かりますが、本来そのシーンにあるはずのない作品、監督の遊び心というかイタズラ心ですね。
兄ペドロの作品17作のうち15作に出演している製作総指揮のアグスティンも、一瞬だが彼だけになるので探しやすい。『海を飛ぶ夢』でハビエル・バルデムの甥になったタマル・ノバスは、今回はマテオのラサリーリョ兼秘書役(『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』へのオマージュかしら)、若い女性のファンが増えるかも。その母親役のブランカ・ポルテージョも今までで一番いい。
忘れてはいけないのがルベーン・オチャンディアーノ、バイセクシュアルな難しい役を演じわけました。権力的な父親への復讐、これこそアルモドバル映画の重要テーマです。アルモドバルの主人公たちは、巷で言われているような女性陣ではなく男性陣なんですね。『ボルベール』のように母娘の父親はスクリーンに出てこなくてもです。監督は古いスペインの「負の父親像」を描いたのでした。
アルベルト・イグレシアスの音楽は、もうことさら書くまでもありません。こちらはゴヤ作曲賞にノミネートされました。既に受賞歴も多いが外せないほど素晴らしいということでしょう。いささか時代遅れのプロットでもベッドシーンがイマイチでも、楽しみ方は沢山あるということです。
Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, January 19, 2010 17:44
アリ・ババ39さん、コメントありがとうございます。いつも心待ちにしています。アリ・ババ39さんのコメントをいただきたい作品があと150くらいはあるのです。
・por avatares de: 1. m. Fase, cambio, vicisitud. U. m. en pl.
・me convertí en …
・¿Qué medidas tienes?
→・medida:
・¿Puedo pasar... o vas a echar otro?
「部屋に入ってもいい?…それとも貴方もう一発ヤる?」
→・このotroは echar un polvo の polvo(6. m. coloq. vulg. coito.)を指すと思われるので、ここはヤると訳していいと思うんだ
・¡Todo manga por hombro!
→・andar algo ~ por hombro: 1. fr. coloq. Estar en gran abandono y desorden.
・polo: 2. m. Prenda de punto que llega hasta la cintura, con cuello, y abotonada por delante en la parte superior.
・quedar en: 7. intr. Ponerse de acuerdo, convenir en algo.
例) Quedamos EN comprar la finca.
・niñato, ta:
1. adj. Dicho de un joven: Sin experiencia. U. t. c. s.
2. adj. Dicho de un jovenzuelo: Petulante y presuntuoso. U. m. en sent. despect.
・quitarse de encima a alguien o algo: 1. fr. Librarse de algún enemigo o de alguna importunidad o molestia.
・biopic: película biográfica
・una puntita de cristal
→・cristal: éxtasis líquido.
つづきはまた今度書き足します
Posted by: Reine | Saturday, January 23, 2010 23:41
(2週間経ちましたがつづき)
(本文を書いたのがもう1か月前なので忘れてかけてる)
・「エクスタシー要る?」などと大声で言うものだから「おい、もっと慎重に頼むよ」とたしなめたところ、「だけど誰も居ないじゃん ¡Pero si hay dos gatos!」。
・puntero, ra: 2. adj. Más avanzado y reciente dentro de su mismo género o especie.3. m. y f. Persona que descuella en cualquier actividad.
・dar el alto: 2. fr. Declarar curada a la persona que ha estado enferma.
・癌で弱ってる父親は病院からまるで追い出されるかのように退院させられた。医師は「僕が休暇なので」と言ったらしい。それを聞いてレナは「¿Pero cómo que de vacaciones? 休暇ってどういうことよ!?」と激怒する。
→・cómo que
・de perros: 1. locs. adjs. Dicho de una cosa: Que es sumamente molesta y desagradable.
・tiene pinta de estar forrado
→・pinta: 8. f. Aspecto o facha por donde se conoce la calidad buena o mala de personas o cosas.
→・forrar: 2. prnl. coloq. enriquecerse
・vamos al grano
・el padre le anuló y le arruinó la vida. その父親は息子の存在を消し息子の人生をメチャメチャにしたのさ。
最初の le はleísmoだよね。「息子(直接目的語)をanular(他動詞)した」の「息子」を代名詞で言い換えるんだから lo と言うべきなんだけど le って言っちゃうってやつ。
次の le は間接目的語。「(その息子にとっての)人生(直接目的語)をarruinar(他動詞)した」。
・「Me temo que yo no soy el escritor que buscas. 僕は君がお探しの脚本家ではないと思うよ」
temer + 直説法
temer + 接続法 の違い
・「Lo es. いや、あなたはそう(=僕がさがしている脚本家)なんですよ」
lo の使い方
・(直訳的に訳しとく→) 「Diego, por favor, no es el momento. ディエゴ、やめて、今はその時ではないわ」「¡Para ti nunca lo es! 母さんにとってはいつだって‘その時’じゃないんだよ」
lo の使い方
・「(今頃になってエルネスト・マルテルの息子が現れるとは) ¿Qué querrá ahora? 何が目的だろうか」
・No te pido que te lo tires ...
→・35. intr. coloq. Poseer sexualmente a alguien. U. t. c. tr. y c. prnl.
・No te reprocho que nos hayamos separado,
sino que vivas con un hombre.
↑
接続法の最初の頃の授業でこういう文をポンと出されて「結局この人はreprocharするって言ってるの?しないって言ってるの?」と聞かれたことを今でも思い出す。するの。この人はreprocharするの。「別れたことを責めているんじゃぁないのよ、あんたが男と住んでいるってことを責めてんの」。
・Si no hubieras estado obsesionada
con la fortuna de mi padre, te habrías dado cuenta tú solita. 俺の親父の財産に目が眩んでいなかったら君も気づいていただろうに(⇒ 実際は ⇒ 俺の親父の財産に目が眩んでいたから君は気づかなかった)
→ 過去の実現しなかった事柄(過去の事実と反対の事柄)について述べる
[条件節]接続法過去完了
[帰結節]直説法過去未来完了
条件説の接続法過去完了は ra形・se形 のどちらでもよい.
・dineral: 1. m. Cantidad grande de dinero.
・me gustaría que estuvieras al tanto por si
aparece o llama, ...
→・al tanto: 1. loc. adj. Al corriente de, enterado. 例)Estar, poner, quedar al tanto.
(続きはまた後日)
Posted by: Reine | Tuesday, February 09, 2010 21:43
・a no ser que sea absolutamente necesario
→・a no ser que + 接続法: もし…でないならば
・mogollón: 5. adv. coloq. mucho (= con abundancia).
・cachondo, da: 2. adj. Dicho de una persona: Dominada del apetito venéreo.
・estar empana(d)o, (d)a: estar atontado, no enterarse de nada, estar confuso, distraído.
・se me daba muy bien contar historias: ~するのが得意[上手]だった
・no tienes por qué verla: あなたが彼女に会わなきゃいけない理由は無い
・si lleva dos años con ese hombre ...: (estandoやviviendoが省略されている)
・hay que llevarse bien con …: ~とうまくやっていく
・golpe bajo: 2. m. Acción malintencionada y ajena a las normas admitidas en el trato social.
また後日。
ちなみにレナが急にマテオの事務所を訪ねた時にマテオが書いていた脚本はこんな感じ。吃音のカルロスという登場人物というと何やら思い出されるよね:
↓↓↓↓
JULIETA
Justifícala, ¡encima!
CARLOS
(Con mucho esfuerzo, tartamudeando cada sílaba)
JULIETA
Ahora no. Estoy demasiado irritada y me pones nerviosa.
CARLOS
?????? si tartamudea o no, depende de la persona que tenga al lado. Con su
Posted by: Reine | Sunday, February 14, 2010 22:59
やっとみました。
スペイン語力もさほどない私ですので、日本語字幕を信じて(?)鑑賞しました。
作品を重ねるごとに予算の高さとなぜか品を感じさせてきている大好きなアルモドバルですが、初期の安そうなセットや派手なだけで質の悪そうな衣装がもう見れないのか・・・とちょっと残念です。
全体のストーリーも「好きです」と公言するのに恥ずかしさを伴わずすむ様な感じでした。
ただ個人的に、なんでだよ、とか、訳わかんねー、とか
しまいには、つまんねーと言われてた作品に愛着があったのでだんだん遠のいていく憧れの先輩の成功を喜びつつ少し寂しい気分って感じでおります。
ただ、Lola Duenhas の演技や、Carmen Machin とのやりとりの辺りはすごく良くて、勝手に安心しました。
それにしても、映画に対する、ひとつの作品に対する深い尊敬の念を感じるアルモドバルが、コンスタントに現在期待されてるような作品を作らなければならないであろう今の状況と日々どう戦っているのか気になります。
遊びと思ってた過去の作品へのオマージュも、実は生真面目なあまりちょっと焼き直ししたくて、常に新作に取り込んでるのかと思ってしまう。
reineさん、監督のインタビューなどあったら教えてくださいね。あーでもスペイン語力が・・・。勉強します!
Posted by: devota | Saturday, July 10, 2010 21:35
devotaさん
私はアルモドバルの作品をたくさんは観てきていないので、初期の頃と比べてどうとかここ最近の作品の傾向がどうとか、そういうことがコメントできないのが痛いですね。
ただ一つ言えるのは、一作品、二作品……と(順番ばらばらに)観ていくうちに少しずつ好きになってきているということかな。私、アルモドバル作品を数を観てなかった時はもっと冷淡だったと思います。
これからもどんどん観ていかないといけませんね。
監督のインタビューは……たしかvagabundaさんが触れていらしたような……アルモドバル新作「抱擁のかけら」。
Posted by: Reine | Saturday, July 17, 2010 23:29
Ochandiano=オチャンディアノの検索で辿り着きました。IMDbでは、Alternate Names:Ruben Otxandianoとあり、txaはカタルーニャで「チャ」なのでオチャンディアノでよさそうですね。
ところで、Isabel Coixetは、私もかつてコイシェと表記していましたが、これもカタルーニャ系で
http://ja.forvo.com/word/isabel_coixet/#ca
こんな風に発音するようです。
Posted by: emanon | Thursday, December 23, 2010 18:51