O signo da cidade / 星の導き [ブラジル映画]
映画祭公式サイトから、あらすじ:
……略……巨大都市サンパウロで暮らしながらも避けられない孤独感に悩み、生と死を見つめる人。そしてバラバラだったそれぞれの人生が交差していく。救いを求める中で見出したわずかな希望の光とは-。孤独に生きる人々をオムニバス・タッチで描く。
……略……サンパウロという大都市の希薄な人間関係、そしてブラジル社会に色濃く残る差別と貧困。孤独がゆえに人のぬくもりを求め誰ともつながっていないようでありながら、つながっているという大都市の人間関係を描く。
・O Signo da Cidade@IMDb
英題: O Signo da Cidade
・O Signo da Cidade 公式
監督: Carlos Alberto Riccelli カルロス・アルベルト・ヒチェッリ
脚本: Bruna Lombardi ブルーナ・ロンバルディ
出演: ( とにかく人物が多すぎる。人物把握には神経をつかう。ちょっと自信がないけど以下に説明を
)
Bruna Lombardi ブルーナ・ロンバルディ ... Teca テカ(テレザ):
「cartomante(トランプ占い師)ですよね」と聞かれた時に「astróloga(占星術者)です」と答えている。ラジオの深夜番組での人生相談も担当している。
Malvino Salvador マルヴィノ・サルヴァドール ... Gil ジル:
テカの隣の部屋に越してきた男性。家具職人だと名乗る。
Denise Fraga ... Lydia リディア:
その妻。テカに悩み相談をする。
Juca de Oliveira ジュカ・デ・オリヴェイラ ... Aníbal アニバル:
テカの父親。病院に収容されている。女好きとのこと。テカが言うには、アニバルはテカが11歳の時に女を作って出て行ったっきり何も連絡をよこさなかったらしい。
Graziela Moretto ... Mônica モニカ:
テカの友人であり、テカのラジオ番組のスタッフ。路上強盗に遭った時に機転をきかし、それがきっかけでDevanirと親しくなる。(※この女優は、『シティ・オブ・ゴッド』のブスカペの初体験の相手役だよね。「新聞記者がいいセックスできるわけないだろ」と後でブスカペに言われてた)
Fernando Alves Pinto ... Devanir
たまたまモニカといっしょに路上強盗に遭って以来親しく付き合うようになる。旅行代理店をやっているとかで羽振りはいいようである。
Luis Miranda ... Sombra ソンブラ(ジャンゴ): 看護士。
Marcelo Lazzaratto ... Rafa ハファエル: 看護士。
Rogério Brito ... Orievaldo (←公式サイトの表記):
子供が高熱を出して病院に駆け込むが誰も助けてくれない。そんな時に適切な処置をしてくれたのがソンブラだった。
Eva Wilma ... Adélia アデリア:
テカの亡くなった母親(エレナ)の親友。エレナ亡き後、テカの面倒をみてきた。テカの“育ての親”。
Selma Egrei ... Celeste セレステ:
アデリアのところでお茶を出してくれたりする女性。
Bethito Tavares ... Biô ビオ:
モニカとともにテカのラジオ番組のスタッフとして勤務している。(だったと思う)。
Sidney Santiago ... Josi:
トランスヴェスタイトで、ビオの恋人。だと思う。それでテカの番組にも一度電話で人生を語っていた。と思う。神父から性的虐待を受けていたことを告白したりなどしていたのが彼。だと思うのだけど。
Ana Rosa ... Mâe de Biô ビオの母親:
早く孫の顔が見たい。
Irene Stefânia ... Isadora イザドラ:
テカの番組に電話してきた中年の女性。もう生きていく希望を失ったと言う。息子のガブリエルだけが心のよりどころであると。
Kim Riccelli ... Gabriel ガブリエル:
イザドラの息子。母親にカンクン旅行をプレゼントしてあげようと計画を進めている。(そのお金を捻出するのにギターを売ったんじゃないかな)
Thiago Pinheiro ... Luís ルイス:
テカに占ってもらいに日参する男の子。リストカットを繰り返している。テカの占星術に依存してしまった状態と見受けられる。
Laís Marques ... Júlia ジュリア
ルイスのメモ類などをたよりにテカが探し当てた少女。
(人物がやっぱり多すぎると思う。それで散漫になっていた感もある。あちこち焦点が飛び回るせいでむしろ冗長にも感じられ、見終わってから長さを調べて95分と知った時はたいそう驚いた。観ながら132分くらいだと感じていたから)
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Comments
私の真っ先の印象は、先日のラテンビート映画祭でのチリのアンドレス・ウッド監督作品、『La buena vida / サンティアゴの光』と路線はおおむねいっしょかなあということでした。それはブラジル映画祭公式サイトのあらすじ紹介文からもうかがえるのではないですか。
ただ、『サンティアゴの光』を繊細にうっすらと覆っていた“皮”が『星の導き』には無いんだなとは思った。『星の導き』を観ている間ずっと、「sutilezaの皮が無い」「sutilezaの皮が…」と思っていた。『サンティアゴの光』から“sutilezaの皮”とやらを剥ぎ取ったら『星の導き』になるのだと私は感じていた。
“皮”ってなんだよといったところなのだけど、そういう表現しかできないような感じ方だった。
※sutileza: 微妙さ,繊細さ.
Posted by: Reine | Sunday, October 04, 2009 10:41
たとえば、あらすじ紹介文のこの二点ですがね:
これなんか、『サンティアゴの光』でも描き出されていたことだと思うわけ。
しかし『サンティアゴ~』では人と人との交差・つながりというものは、我々観客の目にはわかるけれども登場人物同士は気づいてもいなかったという点が『星の導き』とは著しく違っているのです。
『サンティアゴの光』では人々は袖がかするような接点しかない。エドムンドの後ろをテレサが歩いて通り過ぎただけ、みたいな。繋がりと言えるかどうかもわからないような繋がり方。
『サンティアゴの光』ではただ一人物乞いの女だけが他の人物と接触を持っていた。けれども彼女の名前はストーリーの中ではたしか一度も出てこなかった。つまり大都会で彼女は<人>として存在していないも同然の存在だったでしょう? でもその人のみが他者と具体的な接点を持っていた。
他方、『星の導き』では明らかに人と人とが繋がってるんだよね。具体的に。そこのところの“あからさま”具合が私のいうところの「sutilzaの皮が無い」感じだったのです。
Posted by: Reine | Sunday, October 04, 2009 10:49
それから、再びこの二文ですが:
それぞれの人生が交差していく
誰ともつながっていないようでありながら、つながっているという大都市の人間関係
『サンティアゴの光』ではこれらは私が勝手にそのように感じ取るように任されていたと思う。だからあの作品を観てもこのようには感じなかった人もいるでしょう。
『星の導き』はというと、あれらのフレーズ(のようなこと)が現に語られているわけ、テカが人生相談番組を通して語りかけるような格好で。
だから私は「ああ、こうやってあからさまに打ち出すんだな」と感じたわけです。この辺に“sutilezaの皮の無さ”を感じたわけです。
どっちがいい悪いの話ではなくさ。
Posted by: Reine | Sunday, October 04, 2009 10:55
サントラはたとえば、「As Rosas Não Falam」とか。(⇒『Serie Raizes Do Samba』など)
あと、「Sozinho na cidade」(Caetano Veloso)
Posted by: Reine | Sunday, October 04, 2009 11:35