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Saturday, September 19, 2009

El niño pez / フィッシュチャイルド - ある湖の伝説 - [アルゼンチン映画]

nino pez開催中のLatin Beat Film Festival 09 / ラテンビートフィルムフェスティバル2009 / 第6回スペイン・ラテンアメリカ映画祭で上映されている作品。

LBFFの公式サイトによる紹介文
ブエノスアイレスの高級住宅地に住むララと、そその邸宅で働くパラグアイ人メイドのアイリン。生まれも育ちも異なる少女達は秘かに愛し合い、アイリンの故郷にあるイポア湖畔に住むことを夢見て出発の日を指折り数えていた。しかし……(中略)……重いテーマが複雑に絡み合う本作は、前作『XXY』で国際的に高い評価を得た監督が 23歳で書き下ろした小説の待望の映画化だ。

(コメント欄でいろいろと)

El niño pez@IMDb
El niño pez公式

フィッシュチャイルド-ある湖の伝説-@映画生活

監督・脚本: Lucía Puenzoルシア・プエンソ
出演:
Inés Efron イネス・エフロン ... Lala ララ
Mariela Vitale マリエラ・ビタレ“エンメ” ... La Guayi アイリン
Carlos Bardem カルロス・バルデム ... Pulido
Arnaldo André アルナルド・アンドレ ... Sócrates ソクラテス: アイリンのお父さんだった?
Pep Munné ... ララのお父さんはこの人だった?
Diego Velázquez ... El Vasco 犬のひと
Julián Doregger ... Nacho ナチョ: ララのお兄さんだった?

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Comments

昨夜のEmmeの主演女優賞のドニータ受賞についてさっそく記事になっていたので
↓↓
La argentina Emme, "encantada y feliz" por el galardón en Latin Beat de Tokio

この記事にもあるように、昨夜のティーチインではEmmeの次回作についても触れられました。次回作はSabrina Farji監督で『Kabaret Deluxe』とのことだけれども、まだIMDbにはページがないので他のサイトを:

SABRINA FARJI ENTREMEZCLA POR PRIMERA VEZ EN EL CINE ARGENTINO LA TRAGEDIA Y EL HUMOR EN EL PROBLEMA DE LOS HIJOS DE LOS DESAPARECIDOS

内容は、軍政下で合法的な手続きを経ずに軍人家庭の養子とされてしまった子供達が大きくなってからのことを描いているのだろうと思います。(そういう子供達についてはこないだ『Aparecidos』の時にもちょっとコメントしておいた)

Posted by: Reine | Monday, September 21, 2009 13:54

見てきました!
Ines Efronもやっぱりいいと思いましたが、やっぱりEmmeの演技力には参りました。
Emmeが演じるパラグアイ人のメイド。アルゼンチン人のEmmeがここまでパラグアイ人になりきれるところがすごい!パラグアイ特有のなまり、グアラニー語もすごく上手く、違和感は全然感じられなかった。

映画の内容としては、とてもいい作品に出来上がったという感じですね。ところどころ、パラグアイに関する設定にちょっと”あれっ?”と思ってしまうとこもありましたが。それ以外では、もう半分ホームシックにかかりました。

最後にエンドタイトルに"Bombom Asesino"の曲をかけてくるところが笑えました。

そういえば、舞台挨拶あと、Emmeとお話していたら、一緒に話していた人がパラグアイに住んでた頃の友人の妹でした。東京でこういう偶然があるとは...

Posted by: ちゃたん | Thursday, September 24, 2009 19:07

だいぶ時間が経ってしまいましたが、昼休みに大急ぎで一つ二つコメントを。

ちゃたんさん、コメントありがとうございました。

>パラグアイに関する設定にちょっと”あれっ?”と思ってしまうとこ

いつか御時間のあるときにお聞かせください。楽しみにしています。


>パラグアイ特有のなまり、グアラニー語もすごく上手く

パラグアイのなまりについては私が観た回の質疑応答タイムでエンメが答えていましたね。大急ぎでメモったので内容にはあまり自信がない上に乱筆すぎて判読不能なのですが:

私はargentina100%です。だからパラグアイのなまりを身につけるため専門のコーチについて特訓した。

パラグアイ特有のアクセントを私がうまく模倣できていたとしたら、それはもしかすると私が歌手(とかミュージシャン家庭)の育ちであって耳がよかったというのもあるかもしれない。

パラグアイの訛りを面白おかしくデフォルメして見せるようなバラエティー番組などがアルゼンチンでもテレビ放映されているけれども私は正統なパラグアイアクセントを目指した。女優としてそこは誠心誠意努力したつもりである。

Posted by: Reine | Wednesday, September 30, 2009 12:51

ぬぉう。もうこんな時間か。じゃあ、真剣なコメントはまた後回しにして、エンメのことを。

17日にバルト9でとりおこなわれたオープニングセレモニー(?)的カクテルパーティーにてバルコニーで挨拶をするエンメを対岸から撮影しました。それをその夜のうちに印刷しておいて、次の日かその次だかに会場で差し上げました。

彼女はその日は『Mentiras y Gordas』のアナ・デ・アルマスと二人で並んで映画鑑賞をしており、アナの濃厚な濡れ場では二人でクスクス笑ったりしていました。

映画が終わり劇場の照明がついた時にエンメを見遣ったら、健康美といった感じのムチムチの太腿も露に座席で胡坐をかいていました。ほんと、可愛かった。

用意してあった前夜の写真を差し出したところ喜んで受け取ってくれ、「もうちょっと撮ってあげたかったんだけどね」と言い添えたところ、一瞬考えてから「あ。じゃあさあ、○日の上映後のティーチインのときにもあたししゃべるからそのとき撮ってよ!」と、キラッキラした目でニッコニコ微笑みながら言ってました。なんだか、「知り合いの娘さん」といった人懐っこさでありました。可愛い人だった。

Posted by: Reine | Wednesday, September 30, 2009 13:00

あとは……なんて言ってたかなあ……思い出せない…。ちょっとこの情報はウソの可能性大なので、よく読まないでください。

イネス・エフロンは2007年のLBFFで上映された『XXY』では、秘密を抱えた15歳のアレックスという人物を演じたのだけど、エンメがイネスについて何か言ってたような気がするんだよなあ…。

なんだったかなあ……「ルシア・プエンソ監督としては2作つづけてイネスを起用することで二作が似通ってしまうことを懸念もしたので……どうのこうの……」と言ってなかった??? メモが間に合わなかったんだよね、その辺。

Posted by: Reine | Wednesday, September 30, 2009 20:53

あとはEmmeが言っていた(ような気がするだけかもしれないので皆さんにも是非直してもらいたい)ことといえば……、

原作の『El Nino Pez / The Fish Boynino』はルシア・プエンソ監督の処女小説であった。犬のセラフィンの視点から書いてある作品。

violaciones, abuso de los menoresが描かれていて暗く重い作品。一般化するつもりはないけれども、富裕層には本作のララの家庭のような、外から見る分には完璧な家庭であるのに家族間のincomunicacionが散見される。家族の断絶、父母と子供のコミュニケーションの無い家が描かれていたかと思う。

私の演じたアイリンというメイドはamorとsexoとはどんなものであるのかということを知らずに生まれ育った人物で、体だけが私の持てるものである。自分の体を使ってnegociarし、manejar mi vidaしてここまで生き抜いてきたという少女である。

近親相姦などはおぞましいことだが現実に起きていることでもある。

Posted by: Reine | Wednesday, September 30, 2009 21:02

ラスト、あのあとはどうなったでしょうか。
ラストはfinal abierto。観客に委ねてあります。……ただ、最初に脚本を読んだ時は、正直、死ぬのねと思った。


強い印象を残すキャラクターを演じるとイメージが固定されてしまうことなども懸念されますがそのことに対する抵抗はありましたか?
私は特にどうということはありませんでした。シナリオに最初に目を通した時は「こりゃ凄い役だ」と思ったけれども。

演じている時には、登場人物、つまりアイリンに何が起きているのかを俯瞰で見ているような気がしていた。高い地点から自分自身を見下ろしているような感覚でした。このアイリンという女の子が自分に降りてきているかのようにも感じた。


エンメの演じたメイドはアイリンという字幕が出ていたが、他の名前でも呼ばれていませんでしたか?
IMDbでも作品公式サイトでも「La Guayi」という役名が示されている。)

(たしかエンメでなく映画祭プロデューサーのアルベルトが説明したと思う)
Guayiはparaguayaのことだけど、字幕では混乱を避けるために「アイリン」で通した。英語の字幕でも同様である。


ララが髪の毛を切ってしまうシーンの様子は?
あれは一回撮りだった。強烈なシーンだった。

Posted by: Reine | Wednesday, September 30, 2009 21:37

4ヶ月も前からIMDbでこの作品のことは調べたりしていたのだけど、私の視線は「Plot:」欄を見事に素通りしていたものである。

この作品をいよいよ映画祭に観に行くという日の前の晩に大慌てでこの記事を“容れ物”としてUPしておいたのだけど、その時点でも私はLBFF公式サイトのあらすじ文に目を通していなかった。

ジャケ写は映画祭準備段階から目にはしていたのだけど、ジャケ写で誰と誰がキスしているのかなんて考えなかった。それが女か男かも見ちゃいなかった。「誰かと誰かがキスしてるんだな」と目の隅でとらえていただけだった。初恋物語かと思ってたと言ってもいい。

だから……ま~あ、あなた……ラストに至るまでの私の嘆きたるや。「悲しいじゃねぇかよ!」と、誰に対するものでもなく、かといって自分に対するものというのでもなく、悲しいお話に対して「悲しいじゃねぇかよ!」と叫んでいました。参った。頭抱えた。

人間の尊厳の踏み躙られ方がむごたらしくて頭を抱えて涙を落としたわけです。

El Vasco(犬のひと)も、あの後どうなってしまったか……。容易に想像つくじゃないですか。そういうのを考えて、頭を抱えたよ。

Posted by: Reine | Wednesday, September 30, 2009 22:01

おひさしぶりです


>>パラグアイに関する設定にちょっと”あれっ?”と思ってしまうとこ

いつか御時間のあるときにお聞かせください。楽しみにしています。

実際は些細などうでもいいことなんですけど、ざっと言ったらこんなものですね。
-アイリンの父親がアスンシオン(パラグアイの首都)で売れっ子のテレビドラマ(Telenovela)の人気俳優という設定。
パラグアイのテレビ業界では、テレビドラマはないに等しいです。ましてや、俳優として食っていけるなんて夢のまた夢。


>>パラグアイ特有のなまり、グアラニー語もすごく上手く

パラグアイのなまりについては私が観た回の質疑応答タイムでエンメが答えていましたね。

これって日曜日、20日の上映でした?このとき、このことを質問したのはぼくなんですよ~。
本当に上手いんですよね。二十年以上住んでてあんまり話せないのに自分は...

Posted by: ちゃたん | Thursday, October 15, 2009 20:26

ちゃたんさん
telenovelaの俳優という設定について、コメントありがとうございました。面白いですね。Lucía Puenzoが隣国の芸能界事情をよくわからないままに小説に書いてしまった設定だったのでしょうかね。


>このことを質問したのはぼくなんです

ごめんなさい、私、これまでずっとちゃたんさんのことを女性だと思っていました

これからもパラグアイのことなどいろいろと教えてください。お願いします。

Posted by: Reine | Tuesday, October 20, 2009 09:56

盛り沢山な舞台装置に振り回される
A: 芝居の大道具、つまり同性愛、近親相姦、尊属殺人、政と官の癒着などに目が奪われて、真のテーマが拡散してしまった印象を受けました。監督自身の処女小説の映画化ということで、ちょっと力みすぎじゃないかな。脚本を一人で手掛けたことも、ブレーキが利かず裏目に出たかもしれない。

B: 冒頭の立てつづけのフラッシュバックはインパクトこそありましたが、時の経過が少ない分、現時点がどこなのか分かりにくい。後半は髪型とか、演じた役者が違うことで解消されていましたが。

Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, November 03, 2009 15:20

プエンソ監督前作『XXY』(2007)
A: 『XXY』(2007)は、Sergio Bizzioの短編「Cinismo」の映画化で、脚本は共同執筆でした。筋はシンプルでしたが深いテーマ性があり、見終わったあとに静かな感動を覚えました。
B: 表面的には両性具有がテーマのように見えましたが、不寛容と差別、真のテーマは「人生の選択権は誰にあるか」でした。

A: 誰でもが遭遇する普遍的な事柄がテーマでした。ジェンダーとしてではなく、性器兼備としての両性具有は充分ショッキングではありましたが、それは舞台装置でした。ですから主人公は、生れてくる子供が両性具有であることを知りながら、敢えて出産に踏み切った両親、特に過去の選択が正しかったかに苦悩する父親でしょう。2作に共通しているのは、人と変わっている人間を受け入れることの困難さ、古風な要素と鋭い現代性が共存していることです。

Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, November 03, 2009 15:31

エンメさんを迎えてのラテンビートQ&A
B: それでは本作に戻って、まずコメントや映画祭のQ&Aから入りましょうか。

A: Reineさんがキャスト紹介でクエスチョンマークを付けていた人物、あれは「?」を外していいと思います。ただし、薬物治療中のナチョが兄か弟か微妙ですね。

B: ララの年齢を何歳に設定してるかに由ります。ティーン・エージャーでは幅がありすぎます。アイリンは、パラグアイで13歳のとき出産、その後ブエノスアイレスに来て、目下19歳に設定した、と監督が語っています。
A: アイリンは19歳とはっきりしています。各紹介記事では、それぞれライターの印象で17歳~20歳とまちまちですけどね。二十歳未満だから未決囚を収容する拘置所も未成年者用でした。ララアイリンより二、三歳下ですかね。二人とも実年齢より六、七歳下を演じたわけです。十代と二十代は体の変化の著しい時ですから、少し無理があったかも。特にエンメは成熟していて十代には見えない。

B: しかし、大人の女性が経験することを卒業しているという設定です。一方のララ役、監督談話によると、ララ役探しに7カ月費やしたが徒労に終わり、結局、前作『XXY』起用のイネス・エフロンに決まったそうです。
A: 前作のイメージ壊しを、観客も含め全員でやらなければならない。やはり連続起用は挑戦ですよ。私は2作品の間に、脇役でしたがルクレシア・マルテルの『頭のない女』 (2008・同年ラテンビート上映)やダニエル・ブルマンの『El nido vacio』(2008)を見ていました。ブルマンのは別として、『XXY』が強烈だったせいか、“アレックス”がチラチラしました。

Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, November 03, 2009 15:32

B: Q&Aで、「監督が、2作続けてイネスを起用することで似通ってしまうことを懸念して」か、「イネスが、2作続けてやると似通ってしまうので、共演者には前作と違う人を希望した」か、どっちだったでしょうか。
A: 通訳者は後者だったように思います。「へえー、女優がそこまで要望できるのか」と驚きましたから。しかしエンメがどう答えたか私には分かりませんので自信がありません。私の聞き違いで前者かもしれない。


B: パラグアイ在住20年という投稿者が、「パラグアイにテレドラはないに等しく、俳優として食べていくのは夢のまた夢、アイリンの父親がテレドラの人気俳優だったはずがない」とコメントしていましたが。
A: びっくりしました。最初、資金不足で全撮影をアルゼンチン国内でやり、イポア湖には行ってないから、そのことかなと思っていたのに見当違いでした。エコ・ツーリズム用写真や映像で見たイポア湖とは印象が違っていましたのでね。イポア湖は国立公園のなかにある三つの潟湖のなかでも、その美しさで有名なんだとか。イポア湖は、現実と幻想の境界線を指す重要なシンボルでしたから、資金不足は残念だったでしょう。


B: 小説は10年ほど前に書かれていますが、この映画の時代背景は何時ごろでしょう。
A: 1990年代後半ぐらいかな。アルゼンチンが国家破産する前の印象ですが。時代は小説が書かれた時期や場所にリンクするとは限りませんし、小説と映画もリンクしないケースが多々ありますから想像でしかありません。ララアイリン、エル・バスコの3人が出かけたディスコや母親のパーティーでかかっていた曲から割り出せるといいんですが。場所はブエノスアイレス近郊の高級住宅街でしょう。

B: つまり90年代として、アイリンの父親ソクラテス・エスピノが人気俳優だった時代は、壁に貼り付けてある若い頃の写真から類推すると、かなり前になります。なおさらテレドラ俳優というのは有り得ませんね。


A: 5~6年前、ジャイカJICAの仕事でパラグアイに住んでいた友人や、帰国したばかりの知人がおりまして、パラグアイの日刊紙「abc」電子版を折に触れ覗いています。国土も狭く人口も少ない農業国で開発はこれからの国ですが、サッカーやハリウッドのゴシップ記事、ハリウッド映画封切りの案内と、若者群像は他の中南米諸国とさして変わらない印象でしたので驚きました。
B: ネット情報には限界があります。海に出口がなくブラジル、アルゼンチン、ボリビア、ウルグアイに取り囲まれ、南米でも一番情報が届かない国がパラグアイ、デング熱で死者が出たりすると、NHKも渡航者向けに安全情報を出すくらい(笑)。

A: でも、駐日パラグアイ大使田岡功氏は徳島県出身の日系人、パラグアイへの投資・援助額は、日本が世界ナンバーワンだそうです。

Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, November 03, 2009 15:34

小説の語り手は犬のセラフィン
B: 軌道修正しましょう。エンメのグアラニー語、パラグアイ訛りの習得は、専門のコーチについて特訓を受けたとか。歌手でミュージシャンの家庭で育ったことが幸いしたとも語っていました。
A: 「耳」が抜群なんでしょうね。監督によると、このコーチがアルゼンチン在住のパラグアイ人俳優コラル(Perla Coral Gabaglio)と彼女のお母さんだそうです。監督も「エンメはあっという間にマスターした」と褒め、エンメ起用は正解だったとも。監督の母方の祖母もパラグアイ育ち、ただ少女の頃にブエノスアイレスに来たのでアクセントは忘れてしまっていた。パラグアイには親戚もいて、シンパシーがある由。

B: アイリンの父親役アルナルド・アンドレもアルゼンチン在住のパラグアイ人です。自国では生計が立たないので、才能流出が起こっているということでしょうか。
A: 彼がコラルを含めて他のパラグアイ人俳優を紹介したそうです。エンディングにはパラグアイのグループLos Potrankos>の名前もありました。

B: エンメさんによると、小説は犬セラフィンの視点で書かれたということでした。
A: 小説は読んでませんが、マラガ映画祭(4月)のインタビューで監督自身が語っています。セラフィンは、“ルンファルド”というポルテーニョ(ブエノスアイレスっ子)にしか通じないスラングで物語を進行させている。

B: 初期の歌タンゴはこのルンファルドで歌われていたとか。イタリアはジェノバからの移民のスラングですね。
A: そう、泥棒仲間が符牒として使っていたとも。映画の語り手を犬にすることに興味がわかず、ルンファルドの翻訳も難しかったということです。

B: 声優の問題もあったでしょうか。
A: セラフィンはセラフィム、またはセラピムとも、9階級中最高位の熾天使(してんし)のこと。神の使者として派遣され人間を守護するエンジェル。つまりラストシーンで、致命傷を受けたセラフィンが一命を取りとめ、一緒にイポア湖に向かう意味は、二人にとって“光”なのです。

B: 限りなく“闇”に向かって突っ走っているように見えますが、伊達にセラフィンに重傷を負わせたわけではないんだ。「二人はこれからどうなるのでしょう」と心配していたお客さんがおりましたね(笑)。
A: 幸福感に満たされるのは瞬時の間、幸せは移ろいやすく儚いものですから、『テルマ&ルイーズ』アルゼンチン版になるかも。

Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, November 03, 2009 15:36

ルシア・プエンソの愛読書はギリシャ神話
B: 愛と狂気とパッションをテーマにした小説を書いたのが23歳のときということですから、かれこれ10年になります。
A: 依頼があって書いたわけではなく、当時は出版の当てもなかったから、刊行の話が舞い込むまで草稿のままだったようです。小説のテーマは自由と無処罰、ドラマティックな構成もなく、ただ人物を泳がせていたということです。刊行は2004年、大分経ってますが、『XXY』よりは前です。

B: 二人の愛は複雑で世間は受け入れませんが純粋なもの、二人は自由を求めて脱出する。ララの犯罪もアイリンの父ソクラテスも法的には裁かれず、まさに無処罰です。
A: 小説も映画もテーマは変わっていないということです。アルモドバルの『ボルベール』のテーマの一つでもありました。夫と愛人を火事に見せかけて焼き殺したライムンダの母、義父を刺殺した娘パウラ、娘の殺人を隠蔽したライムンダ、三人とも裁かれませんでした。

Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, November 03, 2009 15:37

B: プエンソは、まだ2作しか監督しておりません。
A: ライターとしては、主にテレビですが10年以上のキャリアがあります。日本でDVDが発売された『娼婦と鯨』(2004)は、父のルイス・プエンソ、今春スペインの文化大臣に転身して話題を振りまいたゴンサレス・シンデと三人の共同執筆です。

B: “水子伝説”を背景に、こういうてんこ盛りのテーマを調整するのは大変です。
A: 水子伝説は古今東西ありますが、これはグアラニーの伝説そのままでなく、それに着想を得て創作されたもののようです。イポア湖に彼女の物語と似た神話があり、それは子供でなく大人だったそうです。少女の頃からギリシャ神話に親しみ、グアラニーの神話を読んだのは15歳頃と語っています。


B: 犬の名前がセラフィンなのを思い出しました。「西洋文明を知るには聖書とギリシャ神話に親しめ」は、耳にタコですが実感です。
A: 伝説の起原はなにか、神話の背後には何が潜んでいるのか、延々と今日まで伝えられてきたのは何故か、神話の普遍性を考え始めたらわくわくします。プエンソは自分とは別世界のグアラニー語に魅せられて、現在から過去に遡っていったんでしょう。

B: フィッシュチャイルドは、ギリシャ神話に出てくる上半身女性で下半身鳥の尾をしたセイレンのミニチュアみたいだ。
A: セイレンは複数の性格を有しておりますが、そのなかに風を鎮める力、死者を冥府に送る役目があるとされています。そう言えば、あの湖の水面はいやに静かだった。

Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, November 03, 2009 15:38

社会性のあるテーマに魅力がある
B: 同性愛といえば、昨今ではテーマとして目新しくも珍しくもありません。しかし尊属殺人、近親相姦と並ぶと、なにやらおどろおどろしい。

A: 尊属殺人といっても偶発的なのでは。アイリンと父親の決定的な密会を目撃して、そのことで完全にアイリンを失ってしまう。ララが多量の睡眠薬入りミルクで自殺しようとしたのか、それを父親に飲まそうとしたのかが曖昧だったのでは。作っている最中に父親が入ってきてミルクを所望する。二つ並んだコップのうち、父親がどちらを選ぶか運命でしかない。ララは制止することもできたがしなかったから、結果的には尊属殺人になりましたが。
B: 多数のカプセルがテーブルに散乱していたから父は気付いていたはずです。カメラは故意にコップを映さず、父親がどちらを手にしたか観客には知らせなかった。


A: 父親は当時の病めるアルゼンチンの上流階級を象徴しているようにも解釈できます。この仮面夫婦は完全に崩壊していて修復不可能、その意思もない。彼は判事としての人生にピリオドを打ちたがっていた。夕食時に4人で記念撮影をしますね、ああ、これが父親の最後の写真になる伏線だなと思いました。娘が愛おしく、レスビアンでアイリンを愛していることを知りながら、お金でアイリンを弄ぶ。
B: 屈折度が複雑、自らを破滅に追い込んでいるようでした。お金を渡すことで辛うじてパトロンとしての優位性を示そうとするが、アイリンの若い肉体の虜にもなっている。自分の才覚と肉体でひとり闘ってきた人間がもつ自信とふてぶてしさ、女の怖さをアイリンに感じました。

A: ここでは権力の逆転がおこっている。ララも二人の関係に気付いており、それが脱出に拍車をかけていたわけです。二人が逃走資金に絵画を売り飛ばすシーン、持ち出すのを父親は窓から目撃しており、アイリンも見られたことに気づいて窓に向かって笑いかける。この家で主導権を握っているのはメイドかと感じさせる瞬間でした。父親役のペプ・ムネーはバルセロナ生れ、スペインのテレビを始め、イタリアやドイツ映画にも。コメディーもこなし、『アナとオットー』(1998)、『娼婦と鯨』(2004)に出演している。
B: ピラミッド型の権力構造の揺らぎは、警察幹部と刑務官の癒着による児童買春、それを取り持つ裏社会の暗躍にも見てとれます。警察署長が小娘に射殺されるなんてスキャンダラスこのうえない。

A: ここらへんの描写は現実味に欠けますね。ララが厳重な警備を潜り抜けられるのも、初めて銃を手にした人間が、ピストルを取ろうと動いた署長に弾を命中させるのも(笑)。
B: 政治家の邸宅のようでしたが、悪事を働く場所の警備としては抜け穴だらけでした。こういう政治家と官憲の癒着は、軍事独裁時代の闇を引きずっている感じを受けました。

A: 逮捕されないのは犯罪者だけと皮肉られた時代でした。この警察署長役は、オスカー俳優ハビエル・バルデムの兄カルロス・バルデムが演じました。バルデム家は有名な映画一家ですが、プエンソ家も同じ。ルシアの兄妹4人とも映画界で仕事をしてるとか。
B: 強面でこういう悪役にはぴったりです。『チェ39歳/別れの手紙』(2008)に出演してますね。
A: 他に公開作品では『ペルディータ』(1997)、『アラトリステ』(2006)、『宮廷画家ゴヤは見た』(2006)などに。未公開作品には主役脇役ふくめて列挙するのが大変なくらいあります。

Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, November 03, 2009 15:40

B: ララをガタガタの車で屋敷に案内する、違法賭博の“闘犬”を調教しているエル・バスコ役、ディエゴ・ベラスケスは初めて見る顔、17世紀のスペインの大画家と同姓同名です。
A: ショートやテレビに出ていますが、これが長編映画としては初めての大役のようです。前年にマルティン・カランサの第1作「Amorosa Soledad」に出たのが繋がりかも知れません。主役のソレダ役がイネス・エフロン、その父親がリカルド・ダリンです(この二人は『XXY』で父娘を演じました)。カランサ監督は助監督としての経験が豊富、そのうちアレハンドロ・アグレスティの『バレンティン』(2002)は見た人も多いのでは。

B: 人生を達観したような醒めた役どころに、女性ファンがつきそうです。
A: いわば都会の闇の部分を担っている役。クールな彼が二人の遁走劇に熱くなって手助けするのが後半の山場でした。彼はアイリンを愛していたのですが、アイリンは違ったみたいです。ララと違ってアイリンの人格は強さと弱さを行ったり来たりしてミステリアスです。


B: アイリンと父ソクラテスの父娘関係も分かりにくい。一親等の近親相姦はそうザラにある話じゃありません。
A: 小説ではアイリンをレイプするのは兄で、父ではないそうです。多分大物俳優アルナルド・アンドレの起用が先にあって変更せざるを得なかったのではないか。

B: 自分の過去と向き合い死者を悼みながら、それなりに代償を払っているが、13歳の娘が払った代償には遠く及ばない。今や娘は異国で罪を着せられ囚人となっている。この家庭も母親不在、テーマの一つに母性の崩壊があるのでしょうか。
A: もともと母性の存在など錯覚なのです。唐突ですがナボコフの『ロリータ』を思い出しました。中年男の早熟な美少女への愛を描いたと言われますが、権力を持つ者(男)が持たない者(少女)を、力で征服する物語です。ここにあるのは「愛」に見せかけた男の「権力」です。

B: 「どうして?」とソクラテスに詰め寄るララに、彼はアイリンへの愛を口にします。ララアイリンへの愛と同等に置こうとします。
A: 似て非なるもの、ララが憤激するのも当然です。ベテランとはいえ、アンドレも役作りに苦労したでしょうね。苦みばしったところが私のタイプですが。

Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, November 03, 2009 15:41

B: 外国人差別も描かれました。グアラニー差別だけじゃないようですが。
A: 隣国同士の移民問題は複雑です。経済的移民は本国で食べていけないから移民するわけです。ララの隣家のメイドもパラグアイ人でした。アルゼンチンが豊かとは思えませんが、パラグアイより少しはマシです。

B: バラエティ番組でパラグアイ訛りが茶化される、とエンメさんもコメントしてました。アイリンはちゃんとした調べも受けられずに拘留され、買春までさせられる。かなりショックでした。
A: 大胆不敵なテーマに挑戦してます。フィクションとはいえ、ここまで描くにはそれなりの裏付けがないとできません。リスクを覚悟で撮ったのでしょう。ララの父親がアイリンにグアラニー語で歌うことを強要するシーン、ララとナチョは気色ばみ非難の目を父親に向けます。

B: 強要に悪意がなかったとは言えません。これも監督の異議申立てのサインでしょうか。
A: ララが上流階級のシンボルであるカールした金髪をバッサリ切るのは、白人優位主義との決別、力をもつ男性への変貌を意味しています。ララの「自由」を求めて家を出ていくことの意思表示です。

B: 自由は人が人に与えるものではない。

Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, November 03, 2009 15:42

初めまして。Kooと申します。
この作品鑑賞しましたが、謎が多くあれこれ検索していたらこちらにたどり着きました。大変勉強になりました。
南米の映画を数本観る予定なので、またお邪魔させていただきます。

Posted by: Koo | Saturday, October 09, 2010 16:21

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Berlinale 第59回ベルリン国際映画祭の金熊賞受賞作品です。今日始まったTOKYO FILMeXでも上映されます。 FILMeXのサイトから紹介文: 1976年生まれの女性監督による2作目で、ベルリン映画祭で金熊賞を受賞した。メイドとして働き始めた若い女性の日常を通して、1980~2000年にペルー農村部を襲ったゲリラによるテロがもたらしたトラウマを静かに描いた秀作 ……という作品です。モチーフがモチーフだけに、私は苦手なのでは?といささか不安でしたが、気に... [Read More]

Tracked on Tuesday, November 24, 2009 12:35

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