Arráncame la vida / 命を燃やして [メキシコ映画]
ストーリー
1932年、メキシコ、プエブラ州。カタリーナ・グスマンが町で姉や男の子たちと遊んでいるところへ男が近づいてきた。アンドレス・アセンシオというその男は30歳をこえたころだろうか。カタリーナはというと、まだ15歳であった。
アンドレスはカタリーナたちを車で家まで送ってくれた。姉が後でそっとカタリーナに尋ねる。「あの人のどこが気に入ったの? ずいぶん年上よ」。「でも、あの人の目が好きなの。手も好きだわ」。
その日からアンドレスはカタリーナの家を頻繁に訪れた。彼は俗っぽい武勇伝をあれこれと語ったものだ。カタリーナの家族の心を掴んでしまうのにそう時間はかからなかった。
アンドレスにはあちらこちらに数えきれないほどの女がいるのだとか、奴は犯罪者だとか、いろいろおぞましい噂も耳に入っては来た。いつか家族みなが後悔するだろうと言われたこともある。
「たしかに私たちは後悔することになったのです。でも、それは何年も経ってから。」
16歳のカタリーナはアンドレスに嫁ぐ。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
メキシコ版『風と共に去りぬ』という印象。
大河ドラマのようでもあり(描かれているのはカタリーナの15歳から30歳までだけなので、大河ドラマというにはちょっと短いかもしれないけれど)、テレノベラ的でもある。イサベル・アジェンデ
をふと思い出したり、『赤い薔薇ソースの伝説
』を連想したりもした。
と、とりあえず断片的な記憶をしぼって知った風な口をきいてみましたが、最終的には、あれです、『人形の家』だと思う。25年前に読んだだけなのでうろ覚えだけど。
私、『風と共に去りぬ』のひと、好きじゃないんだよね。16歳のときに観て「なんだろう、この女 ( `_ゝ´)」と思ったっきりだ。それ以降、大人の気持ちで見なおしていればまた違った印象を持っただろうとは強く思うのだが、あいにく機会に恵まれず、したがって「なんなんだ、この女」のまんまなのです、あのひとは。←名前が出てこないくらい。
しかし、私自身が‘メキシコ版・風と共に去りぬ’であろうかと言った本作のカタリーナは好きだよ。彼女が15の時から30の時までおおむね好印象を受けたし、幸せを噛みしめているであろう彼女の心の中を想像して涙がこぼれたくだりもある。
男と女の寂しさと悲しさと嘆きと諦めと愛と力とがうねっている作品です。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
(つづきはコメント欄で)
・Arráncame la vida 公式
・Arráncame la vida@IMDb
英題: Tear This Heart Out
観始めるときにメッセンジャーの名前表示の欄に『Arráncame la vida』と入れておいた。(観ている作品タイトルをそうやって記入しておくと、スペイン語人の友人があれこれとコメントをくれるから、いつもそうしている)
するとすぐにスペインの友人が、「Menuda frase te acabas de poner, qué dramática これまたなんちゅうフレーズを。ドラマティックだな!」というメッセージを送ってきた。
「いや、これ映画のタイトルなんだけど、……え? そんなに?」と聞いたところ、「pues significa ‘quítame la vida violentamente’. tus amigos se van a asustar. ‘私の命を奪って’じゃないか。君の友達はみんなビックリしちゃうぞ」。
・原作: Ángeles Mastretta
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Comments
メキシコからのオスカー候補にもなった、原作がベストセラーの作品、でも恥ずかしながらこの映画も原作者の作品もまだ接していません。
歴史モノって、ちょっとわたしがうるさ型だからなのかな、でもただ単に観る機会がなかったということで、いつか観てみます。
配役もすごいですよね。
Posted by: sabosashi | Thursday, June 04, 2009 14:10
sabosashiさん
コメントありがとうございます。
これをUPした後から今日もまだ風邪で寝込んでおり、いつもならコメント欄にいろいろと調べ事をメモっておくところ、今回はまだ何もできずにいます。メキシコの歴史は私なんかは一から調べて行かないとわからないから早くやりたいのに。
映画だけ観ていてもストーリーをとらえるのに困ったりはほとんどしないのですが、やっぱり原作と合わせて観て行った方が理解は深まるものですね。
人の殺され方なんかにしても原作のたった一文の描写の方が映画よりもエグかったりして、その辺はちょっと物足りないといえば物足りないです。(…いや、エグい映像が見たかったという意味ではなくてね
)
原作で描かれている境遇の厳しさみたいなものが、映画を通すとちょっと薄味になっちゃてるんじゃないのかなっていうのが心配になっちゃって。
またコメントをお待ちしています。
いろいろ教えてください。よろしくお願いします。
Posted by: Reine | Sunday, June 07, 2009 12:54
語句メモ
・chamaco, ca:
1. m. y f. Cuba, El Salv., Hond. y Méx. Muchacho, niño.
2. m. y f. Méx. novio (= persona que mantiene relaciones amorosas)
・tamal: 1. m. Am. Especie de empanada de masa de harina de maíz, envuelta en hojas de plátano o de la mazorca del maíz, y cocida al vapor o en el horno. Las hay de diversas clases, según el manjar que se pone en su interior y los ingredientes que se le agregan.
・gringo, ga:
1. adj. coloq. Extranjero, especialmente de habla inglesa, y en general hablante de una lengua que no sea la española. U. t. c. s.
3. adj. Am. Mer., Cuba, El Salv., Hond. y Nic. estadounidense. Apl. a pers., u. t. c. s.
・fuero:
2. m. Jurisdicción, poder. Fuero eclesiástico, secular.
4. m. Cada uno de los privilegios y exenciones que se conceden a una provincia, a una ciudad o a una persona. U. m. en pl.
7. m. Der. Competencia a la que legalmente están sometidas las partes y que por derecho les corresponde.8. m. Der. Competencia jurisdiccional especial que corresponde a ciertas personas por razón de su cargo. Fuero parlamentario.
・charro: 5. m. Méx. Jinete o caballista que viste traje especial compuesto de chaqueta corta y pantalón ajustado, camisa blanca y sombrero de ala ancha y alta copa cónica. U. t. c. adj.
・pito: 11. m. coloq. pene.
・presa:
5. f. Muro grueso de piedra u otro material que se construye a través de un río, arroyo o canal, para almacenar el agua a fin de derivarla o regular su curso fuera del cauce.
6. f. represa (= lugar donde las aguas están detenidas o almacenadas).
・burdel: 1. m. Casa de prostitución.
・enternecedor, ra.1. adj. Que enternece.
→・enternecer: 2. tr. Mover a ternura, por compasión u otro motivo. U. t. c. prnl.
・No todo es coger y cantar.
→cf. ・coser y cantar: ~ y cantar.1. expr. coloq. Denota que aquello que se ha de hacer no ofrece dificultad ninguna.
・hospicio: 1. m. Casa para albergar y recibir peregrinos y pobres.
・colecta: 1. f. Recaudación de donativos voluntarios, generalmente para fines benéficos.
慈善事業。チャリティーバザー。
・argüendero, ra
1. adj. El Salv. y Méx. chismoso.
2. f. Méx. Lengua de una persona
うそつきの
・CTM: Confederacion de Trabajadores de Mexico
→・メキシコ労働同盟
(⇒独立行政法人 労働政策研究・研修機構の より:
1936年結成のメキシコ最大の労働者団体。制度的革命党(PRI)労働部会最大の構成メンバーである。)
・licenciado, da: 4. m. y f. Tratamiento que se da a los abogados.
・escuincle, cla [escuintle, tla]: 1. m. y f. despect. coloq. Méx. niño (= persona que está en la niñez).
・「Tenía doce años cuando la guerra.」
→・cuando: 7. prep. En frases sin verbo, adquiere función prepositiva.
例) Yo, cuando niño, vivía en Cáceres.
→・cuando: [前置詞]《+定冠詞付き名詞句》
…の時,…の頃,…の間.
・Sanborns(La Casa de los Azulejos タイルの家)
・「あの建物はtalaveraでできているからPueblaを思い出すのよ」
→・talavera:
La talavera poblana
・tedio: 退屈,倦怠。
1. m. Aburrimiento extremo o estado de ánimo del que soporta algo o a alguien que no le interesa.
2. m. Fuerte rechazo o desagrado que se siente por algo.
・CNC: Confederacion Nacional Campesina (全国農民連合)
Posted by: Reine | Thursday, June 11, 2009 22:29
監督: Roberto Sneider (何と読んでいるかわからないけど、このインタビュアーは「ロベルト・スナイデル」と発音している)
原作:Ángeles Mastretta アンヘレス・マストレッタ
脚本: Roberto Sneider
出演:
Ana Claudia Talancón アナ・クラウディア・タランコン ... Catalina Guzman カタリーナ・グスマン
Daniel Giménez Cacho ダニエル・ヒメネス・カチョ ... Andres Ascencio アンドレス・アセンシオ
José María de Tavira ホセ・マリア・デ・タビラ ... Carlos Vives カルロス・ビベス
Isela Vega ... Gitana ヒターナ: 呪術師
Joaquín Cosio ホアキン・コシオ ... Juan フアン: 運転手(兼ボディーガード)
Jake Koenig ... Mike Heiss マイク・ハイス
Rodolfo Almada ... Gral. Aguilar アギラル
Julio Bracho ... Cienfuegos シエンフエゴス
Álex Perea ... Pablo パブロ
Camila Sodi カミラ・ソディ ... Lilia Ascencio リリア・アセンシオ
Posted by: Reine | Friday, June 12, 2009 20:37
1) 主演のAna Claudia Talancón アナ・クラウディア・タランコン、撮影時はたぶん27歳くらい。それで主人公カタリナの15歳からを演じてる。
カタリナの夫となるアンドレス・アセンシオを演ずるDaniel Giménez Cacho ダニエル・ヒメネス・カチョ。こういう、「好人物とは言いがたい男」を演じているときの彼は凄いね。
アンドレスは社会的には御立派だけれども人柄はどうも下司で狡猾な男。この30男が15歳のカタリナを口説き落とすところからストーリーは始まる。
「カタリナという名前のビーチを知ってるか」というアンドレスの誘いにカタリナは応じる。「お父さん、お母さん、心配しないで。海を見てきます」と手紙を残しそっと家を出る。
初めて海を目にしてはしゃぐ様子などは若いというか幼い、あどけない。15歳に見えてくる。
新婚の頃、アンドレスはカタリナを乗馬に連れ出すが、帰宅した時にはカタリナは筋肉痛で歩行もままならない。アンドレスが呆れたようにからかうように言う:
「馬にも乗れない、料理もできない、セックスも知らない。この歳になるまで何をやってきたんだ?」
「―――遊んでたの。」がカタリナの答えだった。
Posted by: Reine | Saturday, June 13, 2009 00:47
2) 下司とか狡猾とか言ったけど、アンドレス・アセンシオみたいな男に惹かれる気持ちはわかるよ。それは15歳の娘じゃなくてもさ。
野心家で不人情で、何度か新聞が糾弾の記事を書いたとおり、たぶん人だって―――直接手を下したかどうかわからないが―――殺しているのであろう、そういう恐ろしい男。家庭ではどうかというと、あれだけ熱心に口説き落とした幼な妻が初めての子を身籠ったそばから浮気をし、バレても悪びれず、次から次へと別の女の産んだ子を本宅に連れて来ては「お前が面倒をみてやれ」などといい、その子や母親たちについて説明を求めてみればそこでもさらにお涙頂戴の嘘をツラツラと並べたて……
これじゃぁ良いところが無いじゃないってことになりそうなのだけど、この男の、何かにつけて強引なところは悪魔的に魅力的。
この男の女でいることを女が簡単に受け入れるのは、全然不思議ではないと思う。だって強いんだもん。自信(傲慢)と野望(陰謀)と力(権力)でがんがん突き進んで行く男のそばにちょこなんと座っている生活を選びたい女はけっこういるでしょう。
Posted by: Reine | Saturday, June 13, 2009 01:16
3) あえて‘この男の女でいる生活を選びたい女はいるだろう’と書いたけど、そうなのよね、決して‘この男の妻でいる生活’ではないんだ。妻になったら、こんなどす黒いパワーに満ちてぎらついた男との暮らしは時間が経つごとに気が滅入っていくでしょう。
だから、結婚から5~6年経った頃にはもうカタリナはこういう心境です:
「私はアンドレスの愛人でいたかった。愛人だったらシルクのローブでも羽織って綺麗なサンダルなんか履いたりして、だらだら昼寝なんかしていればいい。第一、社会福祉活動からも解放されるんだわ(※既に政界入りして驀進中のアンドレスがカタリナにそのような役職をつけていた)。
それに‘愛人’というものに対しては憐みだとか同情などが寄せられがちでしょう。そして世間は‘愛人’のことを共犯者のような目では見ないもの。本妻である私はと言えば、アンドレス・アセンシオの‘公認の共犯者’だった」。
Posted by: Reine | Saturday, June 13, 2009 09:40
4) アンドレスとの交際そして結婚生活でカタリナは小さな疑問・違和感にたびたびぶつかる。16歳という幼さが故か、その都度それを素直に表情や言葉に出してしまうところが彼女の愛すべきところだと思う。
4-1) まず求婚からしてカタリナにはちょっと納得がいかなかった。いきなり家に来て、玄関に迎えに出たカタリナに開口一番「お父さんとお母さん居るかね。結婚をお願いに来たと伝えてきなさい」だから。
カ: 誰が?
ア: 俺とお前さんがに決まってるだろう。
カ: まだ私に結婚を申し込んでもいないのに? あなた何様のつもりよ。
ア: 何様って、アンドレス・アセンシオだよ。ほら、ごちゃごちゃ言ってないでさっさと車に乗ってなさい。
4-2) 結婚の届けに署名する時ついつい旧姓のグスマンと書き入れてしまうカタリナ。アンドレスに直されます。
ア: そこはAsencioって書かなきゃだめだ。
カ: それじゃあなたはGuzmánって書くのね?
ア: 違う違う、そういうもんじゃないんだ。俺がお前さんの面倒を見るんであって、お前さんが俺の面倒を見るんじゃないからな。お前は俺の家族になったというわけ。俺のものなんだ。
カ: “あなたのもの”ですって!?
4-3) 軍人であったアンドレスとアメリカ人実業家ハイス(ヘイス?)の関係は密で、裏でも表でもつながっている様子。カタリナは「マイク・ハイスと何のビジネスをしてるの?」と尋ねるがアンドレスは言い捨てます:
「お前と暮らしてるのは仕事の話をするためじゃないぞ。お前はお金が欲しかったら欲しいだけ俺に言えばいいんだ」
4-4) カタリナ自身、新婚2~3年はこのようにも感じていた:
「アンドレスは私のことをまるでおもちゃのようにとっておくといった感じだった。ばか話を話して聞かせたり週に3回セックスをするためのおもちゃとして。
まぁ、私にとっては、家賃や光熱費を払ってくれて馬だのチョコレートだの、とにかく私の気の向くままの暮らしができるだけのお金を彼が稼いできてくれることが大事であった」
Posted by: Reine | Saturday, June 13, 2009 10:33
5) もっといっぱい書いてしまいたいのだけど、ストーリー全部書いちゃいそうだからここら辺で黙ります。この作品、この先日本で観られるようになるかもしれないからね。あまり書けない。
これまでに見てきたように、カタリナはアンドレスによって、まるでお人形のように欲しがられ愛でられ弄られ飾られていたわけです。
町でのナンパから始まってカタリナの初体験、求婚、新婚と、その3年間ぐらいはカタリナもおとなしくアンドレスを受け入れていたと思う。我が侭を通すと言ったって「食事時にはあたしはジュースを飲みたいのよ」くらいの可愛いものであって。
カタリナの人格の中で何かが芽吹いたのは、アンドレスが軍人から政治家へと転身した時だったんじゃないかな。
結婚から3年ほど経った頃、アンドレスはプエブラ州知事の正式な候補となった。その頃からカタリナの生活は変わっていった。アンドレスへの陳情を通しやすくしたいと考える人々がまずカタリナの所へ陳情に訪れるようになったため、社会を知り夫の人柄を知り、ものを考えるようになる。
これを転機としてカタリナ自身が変わり、アンドレスへの思いも変わり、二人の立ち位置が変わって行ったと思う。
Posted by: Reine | Saturday, June 13, 2009 11:38
6) しかしアンドレスはその変化に気づくのが遅かった。
6-1) 政治家として好スタートを切った彼は妻をPresidenta de la beneficencia pública del estadoに任命した。
「そんなのあたしは無理だわ。辞めさせて」とカタリナは言ったが、「外すわけにはいかない。なぜならお前は私の妻だから。女房ってのはそのためにいるわけだから」とアンドレスは言った。この時点で彼の妻の扱い方は従来通り。
6-2) 一人の女性から衝撃的とも言える陳情をされたカタリナがそのことでアンドレスを問い詰めた時にも、
ア: あたしは何もわかりませんって言っておけばいいじゃないか。
カ: だって、私、ほんとに何が何だかわからないのよ。
ア: だからそれでいいじゃないか。
カタリナは陳情に来た女性の思いに応えてあげたいけどどう応えていいかがわからなくて苦悩しているわけだから、この時点でもう昔のカタリナとはだいぶ違って来ているのがわかる。けれどもアンドレスの妻の扱い方はまだ変わってない。
二人の気持ちがどんどん離れて行く。カタリナは着実に別の人間に成長して行っているのに、アンドレスの意識がなかなか変わっていかなかったことが破綻のおおもとなのだなあと見ていた。
6-3) カタリナがカルロスという若く前途有望なオーケストラ指揮者と知り合う。二人で散歩している時にSanborns(La Casa de los Azulejos タイルの家)の脇を通る。
カタリナ: この建物、大好きなの。
カルロス: 君の将軍におねだりすればいいじゃないか。
カタリナはムッとするがカルロスは続ける:
「この辺り一帯を君の旦那さんは買い漁っているんだよ。君がそんなに好きならサンボーンズだって買えるだろう。どうも君はアンドレス・アセンシオがどういう立場の人間かわかっていないようだなあ。君が望むものは何だって手に入るっていうことなんだよ?」。
このことをカタリナはその夜アンドレスにぶちまけるのです。「あったま来ちゃうわ! あの人、私を馬鹿扱いしたのよ」と。
これ一つとっても、妻の考え方が昔とは全然変わってきていることがわかるはずなのに、アンドレスはこれでも気づかなかった。アンドレスはいつまでもカタリナのことは「女の子ちゃん」扱いをしていた。そしてあろうことか、サンボーンズの建物を本当にカタリナへのプレゼントとしてしまったのだ。
しかし皮肉にもと言うべきか、この一件でカタリナはカルロスに強く惹かれるのである。
アンドレスの愛情は愛情と言えるかわからないけれども、物質的にはいつも自分の妻を満たしてやろうという意思は、15歳のカタリナをアイスクリーム屋でナンパした日から一貫している。そこはぶれないのだ。
だけどその‘愛情’の向かう先にカタリナはもういなくなっていたというわけ。
Posted by: Reine | Saturday, June 13, 2009 12:14
7) 私は、だから、アンドレス・アセンシオという男を嫌いになりきれなかった。ずいぶん年下のお人形のような妻の反抗にあって腸煮え繰り返るような時も、彼がある程度はこらえたり受け流しながら接しているような姿も見られたから。
いや、本当にヒドいのよ。ヒドいこといろいろやってきている卑劣な男ではあるよ。自分の敵を惨殺してきたりもしているでしょう。自分の手は汚さずに。
ある人などは殺されてバラバラにされて籠にいれられた状態で発見されたりしている。(※小説ではその籠は被害者自身の家の前に置かれていた、とある)
娘に対してもアンドレスはずいぶんと冷酷なことをしたと思う。それでも…、ってどこかでアンドレスを哀れに思ったり庇いたくなったりする自分がいる。新婚当初カタリナはアンドレスの安否を気遣って泣き濡れることすらあったというのに、その二人の気持ちがどんどん離れて行くのが可哀想ではあった。
Posted by: Reine | Saturday, June 13, 2009 12:27
忘れてた
8) 「Don Porfírioの頃から、今くらい発展を遂げた時代ってなかったんじゃないかしら」というセリフ。
→・ポルフィリオ・ディアス@Wikipedia
・『ラテン・アメリカを知る事典
』より抜書き
(以下、改行などは私が勝手に):
メキシコの政治家,大統領.
在任1877-80年,1884-1911年.
米墨戦争(1846-48)で国防軍に参加,1854年の自由主義派によるアユトラ革命に加わり,のち対フランス干渉戦争で活躍して国民的英雄となった.
……略……
76年武力によって実権を掌握し,のち35年間にわたって事実上独裁体制をしいた.独立(1821)後初めて達成されたディアス長期安定政権の下で,メキシコは外国資本の導入と特定の民族資本家および地主階級の優遇政策をとり,目ざましい経済成長と近代化をなしとげた.
しかし急激な近代化は激しい貧富の格差と不公平を生んだ.その結果,政治の民主化を求める声が高まり,やがてマデロによる再選反対運動が起こるとともに,全国各地で土地を求める農民運動が活発化した.
1910年11月全国一斉蜂起を呼びかけたマデロの<サン・ルイス・ポトシ計画>によって革命が勃発し……略……
Posted by: Reine | Monday, June 29, 2009 17:48
9) だいじなセリフひとつ:
「Aquí tenemos una cosita. Con esto se siente. ¿Ves? Súbete la falda ... aquí, ese timbre. Y claro tiene muchos otros nombres.
Cuando estés con alguien piensa que ahí queda el centro de tu cuerpo; que de ahí vienen todas las cosas buenas. Piensa que por ahí sientes, oyes y miras. Olvídate de que tienes brazos y cabezas. Tú ponte ahí... ¡Verás si no sientes!」
Posted by: Reine | Monday, June 29, 2009 17:57
10) 「Aguirreの野郎が石油を国有化しやがったから…ウンヌン」
石油の国有化?
現実には誰に当たるのか?
・ラサロ・カルデナス@Wikipedia
・『ラテン・アメリカを知る事典
』より抜書き
(以下、改行などは私が勝手に):
カルデナス
……略……大統領(1934-1940)となる.就任後は,前任者カジェスを追放し,反動化した革命政府を労働者や農民の支援によって立て直し,1917年憲法の約束した諸改革を実行した.
(……略…… 土地を農民に再分配 ……略……)
アシエンダ内に居住するペオンにも土地を分配し,外国人地主の土地を接収し,商業的農業地帯では<集団エヒード(共用地)>を組織して土地の集団利用をはかった.
その他,鉄道の国有化(1937),労働争議に端を発した石油産業の国有化(1938),民族系中小企業の育成など,メキシコの経済的独立と資本主義の発展をはかった.
政治面では労働者,農民,公務員の組織化を援助し(メキシコ労働者組合,全国農民連合,国家公務員組合連盟),部会制(労働者,農民,一般人,軍人)の導入により国民革命党をメキシコ革命(1938)党に改組した.
この改組は労農大衆の政治参加を拡大したものの,同時に政権党による大衆操作を容易にし,40年以後の右傾化への歯止めをなくす一因ともなった.
……略…… 評価については今なお分かれるが,カリスマ性豊かで,国民から最も慕われた大統領である.政権党の大統領候補による全国遊説を始めたのも彼である.……略……
Posted by: Reine | Monday, June 29, 2009 18:39
11) まあ、小説だからといえばそれで終わっちゃう話なんだけども、登場人物には一応なにかしらモデルがあるのではないかと考えながら検索していたら、Fundación Biblioteca Virtual Miguel de Cervantes内のこんなページを見つけた:
>General Rodolfo Campos, may have been inspired by Avilo Camacho (1940-1946).
Manuel Ávila Camachoのことかね。
→・Manuel Ávila Camacho@Wikipedia
……で、この人はいいもん?わるもん? そこが私にはわかっていないのですがひとまずφ(`д´)メモメモ...
Posted by: Reine | Monday, June 29, 2009 19:38
12) アンドレスがカタリナの足を「おまえさんの足はずいぶん可愛いな。気づかなかったよ。日本の女の足みたいだ」という。
小説ではこんなくだり:
Un día en el desayuno Andrés descubrió que me había crecido el pelo y que su brillo era lo mejor que había visto en años, encontró que mis pies eran más lindos que los de cualquier japonesa ……略……
映画ではこんなセリフ:
¡Qué pies tan bonitos tienes! No me he fijado. Como de japonesita.
あれは……んっと……纏足かなんかと勘違いしてるわけじゃないよね?
Posted by: Reine | Monday, June 29, 2009 19:43
13) あとは……カシケ、カシキスモについて書いておけばいいのかな。
また『ラテン・アメリカを知る事典』より抜書き
(以下、改行などは私が勝手に):
カシケ
もともとは西インド諸島の原住民のことばで酋長を意味した。新大陸のスペイン人征服者や植民者が西インド諸島以外のインディオ社会の指導者にもこの語を当てるようになったので,植民地時代に征服者とインディオ社会の仲介者として機能したインディオ社会の指導者を意味するようになった.
征服者,エンコメンデロ,コレヒドール、宣教師はカシケを通じてインディオ社会を支配し,代りにカシケは税と強制労働を免除され,乗馬や武具・洋服の着用を認められ,土地の長子相続権が認可されたので,広大な土地所有者となるものもあった.しかし,植民勢力に不都合なものは容易に座を追われ,……略……
カシキスモ
現在のラテン・アメリカでは,カシケは政治的なボスを指すことが多いが,軍事力を背景に独裁的支配を行うカウディーリョや軍人とは異なり,軍事力に依拠せず,またその影響力は一般に地方政治にとどまる.
その権力の基盤も,地方の経済的有力者との特別な結付きを通して築き上げた支配・服従,ネットワークにあり,こうした体制をカシキスモ caciquismo とよんでいる.
ラテン・アメリカの政治では,フォーマルな政治体制の中にカシキスモ的要素が補完的に存在している場合が少なくない.
Posted by: Reine | Monday, June 29, 2009 22:14
■メキシコで400万部を記録した大ベストセラー小説の映画化
2009年アカデミー賞外国語映画賞のメキシコ代表作品に決まったときの報道ぶりは、メキシコならではの現象でした。まだ候補作5作品に選ばれたわけでもないのに、もうパルムドール受賞作「クラス」や、ゴールデン・グローブ賞受賞の『戦場でワルツを』(10月公開邦題)などと覇権をかけて争うかのような興奮ぶりでした。日本の『おくりびと』の静かさに比べると(関係者以外誰もノミネートされるとは思ったいなかった?)、そのお国柄が分かります。結局のところ5作品には残れなかったんですね。
実在の軍人政治家マキシミノ・アビラ・カマチョ(Maximino Ávila Camacho@Wikipedia)の生涯に着想を得て作られた壮大な歴史ドラマは、1985年にアンヘレス・マストレッタが出版した同名小説の映画化です。
アンドレス将軍として登場するアビラ・カマチョは、第54代メキシコ大統領になったマヌエル・アビラ・カマチョの《お兄さん》、自身もプエブラ州知事になった。国民から「El Presidente Caballero」と呼ばれた誠実な弟とは性格も異なって、権力志向の強い博打好きの権謀術数に長けた人物だったようです。「英雄色を好む」を実践した人物で、これは当時としてはさして珍しいことではない。映画では女遍歴だけでなく、政界汚職・暗殺・裏切りと、何でもござれが描かれます。
1970年代から80年代にかけて、《ペン》でフェミニズム運動を援護射撃したアンヘレスによると、マキシミノの生涯についての知識は詳しくなく、彼が持っていたパッション、権力に対するエネルギーに魅せられ、そこへ架空のヒロイン、カタリーナの《愛》と理想化肌の音楽家カルロスを絡ませて、革命後の混沌としたメキシコを描きたかった、ということです。いわゆる伝記映画ではなく、マキシミノの生涯にインスパイアされて書かれた小説の忠実な映画化です。
作家自身も脚本に参加、小説と映画が別物であることを理解していて、スネイデル監督が意図したエモーションに全面的に賛同している。「小説のすべてを映画に反映することは不可能、しかし自分は充分満足している」ということです。影響を受けた女性作家に、ジェイン・オースティン、フアナ・イネス・デ・ラ・クルス、座右の書として、G・マルケス、ボルヘス、バルザック、エトセトラを挙げている。
Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, September 13, 2009 20:05
主役の二人は、公開作品も多く情報も豊富、他のブログでも読めるから簡単に。
しかし、このマフィアのドンは、カタリーナを小さな世界から脱出させてくれ、夢を与えてくれた男である。平凡な主婦とは違う《女の生き方》があることを、新しい扉を開けてくれた人物でもある。女性が台所の格子窓から男性優位の社会をじっと眺めるだけの時代にあって、これは貴重だ。
メキシコ以外の映画でも活躍、まだ確定ではないがスペインからも出演のオファーがきている。「アルモドバルとも仕事がしたいですか?」「どの監督がいいとかじゃなくて、プロジェクトが大切」と優等生の答え、美人だけでなくアタマもいいんだよ。
Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, September 13, 2009 20:09
ホセ・マリアの愛称チェマで目下人気急上昇。素顔のチェマはキリストのような長髪がトレードマーク。「Plata quemada」(『炎のレクイエム』として第1回ラテンビート上映)に出演していた頃のエドゥアルド・ノリエガとレオナルド・スバラグリアを足して2で割ったような美男。
(
「Plata Quemada」には、本映画祭で上映されるアルゼンチンのテレノベラ「フォーエバー☆ジュリア」の主人公ディエゴをやるパブロ・エチャリ(Echarri)も出ていた。LBFF公式サイトでは、パブロ・エッカリと表記されている。LaLa TVの表記によったのでしょう。)
映画デビューは、アントニオ・バンデラスが怪傑ゾロに扮した『マスク・オブ・ゾロ』(1998)、バンデラスの若い頃を演じた。映画に絞っているのか連続テレドラには出ていない。データによると、父親が有名な舞台監督ルイス・デ・タビラということです。記者会見の折り、「お父さんから演技指導を受けてますか」とか、「何か助言を受けましたか」と聞かれるのは、そのせい。
『命を燃やして』では、アンドレスが権力を手にした男なら、カルロスは権力を渇望しながら未だ手にできてない男である。理想家ながら権力志向、それが彼の運命を決める。これ以上は書けない。カタリーナに恋するわけですが、映画が終わってからも「アナとチェマの恋は続いている」などと書かれていますけど、興味本位のウワサにすぎないのかホントなのか、真相はご想像を。
今年4月に封切られたメキシコ・コロンビア合作「Amar a morir」(2008)で主役に抜擢された。フェルナンド・レブリハの第1作、撮影はグアダラハラ(メキシコ)、カルタヘナ(コロンビア)で行われた。メキシコのテレビ番組では、もはや興味の対象はこちらに移ったようです。
Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, September 13, 2009 20:41
以前はジャヴァイア、ハヴィエルなどと表記されましたが、ハビエル・バルデムが『ノーカントリー』でオスカーを貰ったこともあって、昨今では見かけなくなりました。アギレサロベもアグィレサロベでしたが、ウディ・アレンが『それでも恋するバルセロナ』で撮影監督に起用したせいか、これもなくなりました。
★ハビエル・アギレサロベは、1948年バスク自治州ギプスコア生れ。北スペインの光と水を撮らせたら、彼の右に出る者がない。文字では、その凄さを書き表せない。
どんな監督と仕事をしたか列挙するのが一番の早道と考える。映画祭上映を含めて公開された作品をメモランダムに:
ホセ・ルイス・クエルダ『にぎやかな森』1987
ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』1992
カルロス・サウラ『愛よりも非情』1993
イマノル・ウリベ『時間切れの愛』1994 『ブワナ』1996
フリオ・メデム『ティエラ』1996
ピラール・ミロー『愛は奪った』1996
モンチョ・アルメンダリス『心の秘密』1997
ハビエル・フェッセル『ミラクル・ペティント』1998
アレハンドロ・アメナバル『アザーズ』2001 『海を飛ぶ夢』2004
ペドロ・アルモドバル『トーク・トゥ・ハー』2002
ミロス・フォルマン『宮廷画家ゴヤは見た』2006
上記のウディ・アレンなど。
Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, September 13, 2009 20:47
未公開の作品のうち、ご覧になっている方が多いと思われる作品に、フェルナンド・トゥルエバ「La nina de tus ojos」(1998)、ピラール・ミローの「Beltenebros」(1991)、ダビド・トゥルエバ「Soldados de Salamina」、アルメンダリス「Obaba」(2005)とかあります。
最近は海外の仕事が多くなって少し残念、ジョン・ヒルコット「The Road」(2009)に続いて、次回作も『クラッシュ』のポール・ハギスとのコラボとか。
こうして列挙してみると、彼の映画に対する、こだわりというか、哲学と言ってもいい「何か」が見えてきます。彼が言うには「自然の光は友人であるが、時として敵にもなる」と。自然光は時間と共に表情を変えてしまう。その一瞬を捉えるために、じっとファインダーを見つめているのではないか。太陽光だけでなく、星明かりで撮るときも同じでしょう。タランコンが日によって18時間も働いたと語っているのは、アギレサロベのせいかも。
昨年の本映画祭で上映されたレイガーダスの『静かな光』でも、主人公の妻が死ぬ場面で同じようなことがあったという。雨の中で死ぬシーンを撮りたいが、一向に雨が降ってくれない。人工的に降らせればいいんじゃないの。納得しない監督は2~3週間、ひたすら雨を待ったという。来日した主役のコルネリオ・ウォールの話に、会場は感心したり呆れたり。
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物語の流れは大体想像つきますが、映像はそうはいかない。お金掛けただけあってロケ地もハンパじゃないし、国立芸術院宮殿内部の撮影使用料なんて高額だったでしょう。公式サイトの予告編でも或る程度分かりますが、やはり劇場の大画面で確かめないと。映像だけでも、それに忘れちゃいけないのが音楽。メキシコ屈指の作曲家にしてピアニスト、アグスティン・ララのタンゴ「命を奪って」(曲名はこちら)ほか、クラシック、デューク・エリントンの「A列車で行こう」、勿論、マリアッチも。
スネイデル監督の紹介は、LBFF公式サイトゲスト紹介欄、MARYSOL さんのブログに詳しいからジャンプしてください。
Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, September 13, 2009 20:51
今日の監督Q&Aから。(聞き間違いとかあると思いますが、雰囲気だけでも。)
この映画は小説をベースにしている。小説は実在のカマチョ大統領の弟(兄?)をモデルにしている。撮影期間は9週間。衣装は当時のものを再現するため、半分以上がこの作品のために特別に作られた。
Posted by: Abetchy | Friday, September 18, 2009 01:03
Abetchy! これは本当にありがとう。いやいつもありがとうだけども。
なかなかここまで聞き取って書き取ってこられるものではないので、Abetchyにはこれからの他の作品についても期待してしまいます。
私はその質疑応答の頃はたぶん10F(?)で酔っぱらっていたと思います。Sneider監督は ――― Fesser監督もWood監督も ――― 気さくに写真撮影などに応じてるご様子でした。
Posted by: Reine | Friday, September 18, 2009 01:13
要点をコンパクトに纏めていただけて助かります。二、三付け足しますと、アンドレス将軍のモデルは
マキシミノ・アビラ・カマチョ(1891~1945)、第54代大統領マヌエル・アビラ・カマチョ(1896~1955)のお兄さんです。通訳者は<弟>としましたがどちらにも訳せますね。(モデルについては、アリ・ババ39のコメントの冒頭に書きました。)
カルロスのモデルとして監督が挙げた、カルロス・チャベス(1899~1978は)、祖父の代からの音楽一家、ストラヴィンスキーの影響が濃い音楽家。メキシコ交響楽団、アメリカの放送会社NBCが、トスカニーニのために設立したNBC交響楽団をトスカニーニ不在時に指揮した。
もう一人のエドゥアルド・マタ(1942~95)は、チャベスのもとで学んだ指揮者・作曲家。UNAMメキシコ国立自治大学交響楽団、ダラス交響楽団、ロンドン交響楽団でもタクトを振った。少し時代が違いますね。
Posted by: アリ・ババ39 | Saturday, September 19, 2009 09:09