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Friday, April 17, 2009

Eu Tu Eles / 私の小さな楽園 [ブラジル映画]

eu tu elesストーリー
身重のダルレーニは老母を残し村を出た。しかし相手の男はついに教会に現れず、ダルレーニは白いヴェールを剥ぎ取り投げ捨て、独り町へ向かった。三年後、同じ教会の前にバスが停まる。男の子を抱きかかえたダルレーニが降り立った。

故郷の村に戻ったダルレーニに、初老のオジアスが唐突に求婚する。ダルレーニがプロポーズを受け入れ夫婦としての生活が始まるが、二人はこの小さな家庭にやがて現れるさまざまな男たちと奇妙な関係を築いていく。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

1~2か月前から5~6回BGVとして回しているんだけど、初めはけっこうキョトンとしたな。

ところで、携帯電話を買おうとする時って悩むよね。こっちの機種にあの機能がついていればいいのに、その機種は見た目なんか一番好きなんだけどあっちの機能がついていないのだけが欠点である……ってさ。

eu tu eles結婚相手を決めるのもそんなようなもんじゃん。…違うの?

この人と結婚するのっていいかもねなどと思う候補が幾人かいたとして、しかしいずれも一長一短だから悩むわけじゃん。…違うの?

結婚相手となる候補者についてスポーツのチームの戦力分析の図みたいなもの(たとえば右図のようなもの)を想像した時に、全項目が満点の人に出会えたから結婚しました♥……なんて人、あんまりいないと思うんだけど。(まぁ、「私はそうだよ!」と本人があくまでも言うのなら、それはそれでそっとしておくけど。)


とにかく携帯も結婚相手も「帯に短したすきに長し」だろ? そういう時に、「ああもう! 全員と結婚できたら簡単なのに! 一妻多夫制でがんがん行こうぜ!」って思うじゃん。ローテーション組んで三ヶ月毎くらいに彼らの家を転々としたいもんだね、っていうか、ひとつ屋根の下でみんなで暮らせば話早いね、って。

子供だってさ、いや別にこっちとしてはどの候補者の子供だって産むにやぶさかでないんだから、彼らで順番に私のことを妊娠させてくれてかまわないんだぜ、それで彼らが各自きちんと私との幸せを築いてくれるんならね、って思うじゃない。私も合点承知で、そして彼ら同士も了解し合っているのなら三方も四方も一両得で、もうそれでいいじゃん・それがいいじゃんって思うじゃん?


本作の原題は『Eu Tu Eles』。「私 あなた あのひとたち」。「私」と「あなた」と「あのひとたち」が合意の下に均衡を保って補い合って暮らせるのなら、さぞかし楽しいだろうね。私はね。夫たちはどうか知らないが。

『私の小さな楽園』は‘楽園’という邦題がつけられているだけあって、そういう羨ましい生活ができてしまった女性の物語なのだけど、ファンタジーではなくて実話だそうだからなおさら羨ましい。

「しかし本当にこれが‘羨ましい’出来事なのかどうか、よ~く考えろ>我」と、そこからは少し気を引き締めてまた数回BGVとして回しました。回せば回すほど考えこんだ。

これは、だって、貧土からのがれられない民の、ほとんど永遠に続くかと思われる閉塞感を描いた作品でもあるじゃないですか。『Flores de Otro Mundo / 花嫁の来た村』で、「途中、地平線が見えてしまうような平地と、その中央にポツンとあって牛さんが草を食んでいる牧草地を丘から見下ろす映像が入る」が、それを私は「この閉塞感はつらい」と書いた。『私の小さな楽園』でも景色は美しく大きく広がっているのだけど、あのときとおなじ息苦しさを感じた。

‘逃げる’というほど積極的な明確な意図があったかなかったかわからないが、ダルレーニはいったんは家を出て行こうとし、しかし戻らざるをえなかった。「戻るんじゃなかった」とあとあとまで愚痴るけれども彼女にはどこにも行くあてがない。親子ほど歳の離れた初老の男に嫁ぐという選択をした時に、彼女がその地に縛られることが決定した。口減らしともみえる別れを経てもなおそんな寒村にとどまるほかない。

オジアスに目を向けてみる。
彼がダルレーニに出会うまでに送ってきた歳月は‘人生’などとは言いがたい、ただの‘時間’でしかなかったのではないか。彼はこれまでラジオを聴く以外に何をしてきたのだろう。非生産的な日数を重ねてきただけではないか。

広い野がすぐそこにあるけれども彼は耕すことができない。若い女房をもらってもその子宮を活かすことができない。ダルレーニという人は男と交わるとすぐに妊娠してしまうような豊饒の土壌の持ち主なのに。農耕の作業も生殖の行為もできずに老いてしまったオジアス。

長い長い時間をかけて硬化した性格はダルレーニを得てもすぐには変わらなかったけれども、ダンスに出かけるくらいの遊び心は取り戻すことができたようだ。彼はダルレーニを離したくない。どんなに奇異でときに屈辱的あっても、その結果ダルレーニをとどまらせることができるなら彼は決断をするわけだ。

この物語をオジアスの視点で眺めると悲愴感すら覚えるかもしれない。ダルレーニを離さないためのオジアスの執念は、やがて彼にある決断をさせる。結婚式のときに撮った一枚の家族集合写真をじっと見詰めた翌日、彼は大きな決意を胸に家を出る。ダルレーニらはオジアスを見つめる。

さっき私は三方も四方も一両得でええじゃないかと書いたけれども、彼らをとらえたラストショットは‘三方一両得’ではなくて‘三すくみ’というにふさわしい構図だった。

「私」と「あなた」と「あのひとたち」が立ちすくんでいた。


そこで流れてくるのが『Lamento Sertanejo』という曲。このタイミングで流れるこの詩は重い。

「(字幕) そこにいるために / 閉ざされた奥地の / 内陸の森の中 / サボテンや芋畑の中 / 私はほとんど何も知らない / 私はほとんど友達がいない / 私は街にいられない / 静かに生きていたい / 柔らかいベッドは好きじゃない / ベーコンのない食事は知らない / 私はほとんど話さない / 私はほとんど何も知らない / 私は道に迷った牛のようだ / 牛の群れのように 理由も知らずに」

Por ser de lá / Do sertão, lá do cerrado
Lá do interior do mato / Da caatinga do roçado.
Eu quase não saio / Eu quase não tenho amigos
Eu quase que não consigo / Ficar na cidade sem viver contrariado.

Por ser de lá / Na certa por isso mesmo
Não gosto de cama mole / Não sei comer sem torresmo.
Eu quase não falo / Eu quase não sei de nada
Sou como rês desgarrada / Nessa multidão boiada caminhando a esmo.

Eu tu eles@IMDb
私の小さな楽園@ぽすれん
直訳: 私、あなた、彼ら
英題: Me, You, Them

私の小さな楽園@goo
私の小さな楽園@象のロケット
私の小さな楽園@映画生活
私の小さな楽園@シネマトゥデイ

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Comments

監督: Andrucha Waddington
脚本: Elena Soarez

出演:
Regina Casé レジーナ・カゼー ... Darlene ダルレーネ[ダルレーニ]
Lima Duarte リマ・ドゥアルテ ... Osias オジアス
Stênio Garcia ステニオ・ガルシア ... Zezinho ゼジーニョ
Luiz Carlos Vasconcelos ルイス・カルロス・ヴァスコンセーロス ... Ciro シーロ[シロ]
Nilda Spencer ... Raquel ハケウ: オジアスの妹

Eu tu eles@Wikipediaによれば、3人の夫との共同生活を送っていたMaria Marlene Silva Sabóiaという女性についての記事がそもそもこの映画の製作の動機となったそうで、映画化にあたって彼女には1500ヘアウ、さらに興行収入の3%が支払われることとなった、とのこと。

Posted by: Reine | Saturday, April 18, 2009 at 10:22

ニュー・ブラジリアン・シネマ―知られざるブラジル映画の全貌』では『Central do Brasil / セントラル・ステーション』を第9章「ミレニアムの終わりにブラジル人が想像するセルタン」で扱っていたが、同じ章で『私の小さな楽園』についても詳しく解説してある。

※以下、改行は私が勝手に
※漢数字は私が勝手にアラビア数字に
※俳優名など省略

pen ……略…… アンドルーシャ・ヴァディントンの二作目の長編『私の小さな楽園』は、良質な大衆映画のお手本である。この作品は、ブラジル国外でも好評を得た(2000年のカンヌ映画祭のイベントの一つではスタンディング・オベーションを受けた)。セアラ州の田舎町で、同じ屋根の下、三人の夫と一緒に暮らす一人のセルタン女性の実話に基づく物語である。

……略……セアラ州の田舎町である。そこではダルレーネという女性が、三人の夫とともに一つ屋根の下で暮らしている。オジアスは家の持ち主であり、正式な夫である。ゼジーニョは穏やかで料理が上手く、シーロはまだ若い。

ダルレーネは、三人の男のそれぞれの長所を利用しながら生活を営む。安心と優しさとセックス、つまりは人が配偶者に望むすべてである。話のうま過ぎる、豊かな想像力の産物とも思えるが、これは、セアラ州の農村部でマルレーネ・サボイア・ダ・シルヴァという女性が経験した実話である。……略……

Posted by: Reine | Saturday, April 18, 2009 at 10:36

penこの作品独自の強みは、セルタンを舞台にしているという事実に由来すると考えられる。道徳的に保守的であることで知られるブラジルの中心部では、ダルレーネの物語は、たとえばイパネマ[リオの高級住宅街。有名なビーチがある]を舞台とするのに比べて、ずっと衝撃的である。

ダルレーネが自分の人生を支配するジレンマを解決しようと試るのは、象徴的ではあるがより中立的な舞台に転換したこのセルタンなのである。

彼女は、セルタンの女の常として現実的である。暮らし、あるいは生き延び、子供を育て上げなくてはならないし、喜びや幸福や静寂を手に入れ、何かを夢見て、十分な安心を感じることも必要である、

中産階級の主婦ならだれでも同じことを切望するであろう。人生の試練に酷使され、打ちのめされながらも、変わらず陽気で魅力的な一般庶民の女とて同じである。その意味では、『私の小さな楽園』は民主的な映画であり、辛い生活を少しでも耐えられるものにしようとするダルレーネの歩みを、愛情をこめて紹介する。……略……

……略……『私の小さな楽園』は、絶望的な貧困のまっただ中で、自分なりの幸福を作りあげる登場人物を通して、この不安定な性格(※Reine注: ブラジル人の、極端から極端への気分の変化っていう特徴的な気質を指すらしい)を正すために妥協することを提案する。……略……

Posted by: Reine | Saturday, April 18, 2009 at 10:38

pen……略……人生は芸術の模倣であると信じる人ならば、マルレーネがジョルジェ・アマードの小説の一つを地でいこうとしたのだと考えるかもしれない。『未亡人ドナ・フロールの理想的再婚生活』(ブルーノ・バレット監督のブラジル映画史上最大のヒット作。1977年)の女主人公は、刺激(病みつきのギャンブラー、ヴァディーニョ)を求める。一方、生活のバランスを保つために、安慎(薬剤師テオドーロ)を必要とする。

ダルレーネは、三人の男性の支えを必要としているが、ドナ・フロールよりもずっと地に足が着いていた。……略……end

Posted by: Reine | Saturday, April 18, 2009 at 15:25

そして、ドナ・フロールとダルレーネとを対比していく:

ドナ・フロール: 才能ある料理の先生
ダルレーネ: 農村の労働者、農婦

ドナ・フロール: バイーアの中流下層階級
ダルレーネ: 土地なし農民

ドナ・フロール: 都会暮らし
ダルレーネ: 「田舎、つまり映画の中で1960年代に経済的抑圧の悲劇に見舞われる神話的な土地、セルタンに暮らす。」
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

※その映画(『ドナ・フロール~』)、こないだけっこう探して回ったんだけど、入手はなかなか難しそう。ブラジルの友人に頼んでみようと思っている。
Dona Flor and Her Two Husbands [DVD] [Import]
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Posted by: Reine | Saturday, April 18, 2009 at 15:27

あぁ、そうだ。
本文で私は「貧土から逃れられないどうのこうの」と書いたけど、舞台となっているこの地域が実際貧土なのかどうかは私はよくわかっていません。

要調査

Posted by: Reine | Monday, April 20, 2009 at 00:23

あとは、まぁ、とりとめのない感じで:

smileオジアスがダルレーニに結婚を申し込むのに、新しく建てたあの家に住んでいいぞ、これはあんたにとっても好条件条件だと思うぞと始める。そして、ダルレーニのことを口下手なりに褒めて行く。

「美人だし、頭もいいし…」というところまではダルレーニはニンマリと満足そうに聞いていたくせに、「じきに婆さんだぞ」と言われるや、あからさまに不機嫌な顔になって舌打ちまでする。そういうところが、ダルレーニの図太く憎めないところであって、魅力と言えば魅力なんだろうか。


happy02気難しい吝嗇家の中年男に金にあかせて結婚させられて隷属させられこきつかわれる寒村の女性の逃げ場の無さを描く―――ほら、『大地の子』の妹のあつ子の境遇みたいな、ああいう―――のかと思いきや、ダルレーニはとてもそういう感じではなかった。

ダルレーニは開けっぴろげでふてぶてしくて逞しくて…。なーんか肌の色の濃いような子が生まれてしまって誰もが「とりあえず、お疲れ……」って思いそうなところを、「産むのを誰も手伝ってくれなかったからこの子の肌の色は黒くなったのよ」などとしれっと言ってのける。


・ダルレーニは料理は下手っぴーらしく、オジアスは「我慢して食べている」と打ち明けたりする。なんだか、そういうところでプフッと笑えたりする作品でもあるんだよなあ、これ。

Posted by: Reine | Sunday, May 10, 2009 at 15:25

confidentオジアスの妹のハケウはダルレーニに「私は亭主は一人でたくさん」と言ったりする。ダルレーニがオジアス以外の男と何をしてきたか・しているか、ハケウはお見通しなんだろうよね。

だから、えーっと3人目の出産が無事に済んだ時かなんかに、ハケウはオジアスに「Cornudo! (=この寝取られ男が)」かなんか吐き捨てるように言ってなかったっけ?


そんなハケウのセリフの字幕で気になったのは、ダルレーニに二人目が生まれたシーン。「父親もさぞ鼻が高いだろうよ」とハケウが言う。(字幕が「父親も」となっている)

セリフ自体は「オジアスもさぞ鼻が高いだろうよ」と言っているだけなのね。

ここを、「オジアスも」って名前を出すのと「父親も」って含みを持たせたセリフにするのとでは、ちょっとニュアンスが違っちゃうと思うんだよね。

後者だとこの子の父親はゼジーニョであるとハケウはわかっているうえで当てこするかのように「父親も」と言っているようにも見えるじゃんね。私は最初はそう思ったよ。

いや、まぁ、ハケウはこの子の父親がゼジーニョだとわかっていると思うよ。わかっているとは思うけど、ここはきちんとOsiasという役名を出す方が、訳に変な色がつかなくていいと私は思ったんだよな。

まあ、どっちでもいいや。おんなじだ。

Posted by: Reine | Sunday, May 10, 2009 at 15:41

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決して美人ではないけれど、大地のようにおおらかで太陽のように明るい女性ダルレーニは新郎に逃げられ、3年後小さな息子と共に村にもどる。 失意の彼女に、初老の頑固者オジアスが結婚を申込んだ…。 愛のヒューマンドラマ。... [Read More]

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