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Tuesday, December 30, 2008

La Soledad / ソリチュード:孤独のかけら [スペイン映画]

la soledad la soledadシネフィルイマジカで『ソリチュード:孤独のかけら』として放映された。(年明けて9日の6時にも放送予定です)

・2007年 カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品
2008年 ゴヤ賞最優秀作品賞、監督賞、新人男優賞受賞

■監督プロフィール
1970年、スペインのバルセロナ生まれ。2003年に初監督作品『Las horas del dia』(日本未公開)で長編デビューし、カンヌ国際映画祭の監督週間FIPRESCI賞を受賞。2作目となる本作でもカンヌ映画祭「ある視点」部門に出品し、母国スペインでは最も権威あるゴヤ賞の最優秀監督賞に輝いた。

■ストーリー
生まれたばかりの息子とともにマドリードに移り住むシングルマザーと、長年連れ添った夫と死別した後も成人した子供たちに翻弄されながら暮らす老いた母親。マドリッドを舞台に同時進行する、世代の違う二人の母親それぞれの家族が描かれる。


出演:
Sonia Almarcha ソニア・アルマルチャ ... Adela アデラ: ペドロとの間に一児をもうけたものの離婚、1歳1か月となった愛児ミゲリートを連れて実家の老父のところに身を寄せている。ペドロからの養育費はこのところ滞りがちで、会って話をしても言い訳を聞かされるばかり。町を出てマドリードに移り住む。

Petra Martínez ペトラ・マルティネス ... Antonia アントニア: 小さな日用雑貨店をやっている。夫を亡くしたが今はマノロという恋人もでき、彼との関係に幸せを感じている。三人の娘が時々家に集まってくれる。

María Bazán ... Helena エレナ: アントニアの長女。アルベルトと結婚し、娘が一人いる。リゾート地のマンションを買いたいが、頭金が足りない。アントニアに相談する。

Miriam Correa ... Inés イネス: アントニアの次女。マドリードでカルロスとルームシェアをしている。そこに新たなルームメイトとして現れたのがミゲリートを連れたアデラだった。

Nuria Mencía ... Nieves ニエベス: アントニアの三女。癌が発見され、手術を受ける。

Jesús Cracio ... Manolo マノロ: アントニアの恋人。
Lluís Villanueva ... Carlos カルロス: イネス、アデラの同居人。
Luis Bermejo ... Alberto アルベルト: エレナの夫

José Luis Torrijo ... Pedro ペドロ: アデラの元夫。今事業がうまくいかなくなっておりお金に困っている。養育費を払えない。

監督: Jaime Rosales ハイメ・ロサレス
脚本: Jaime Rosales  Enric Rufas

La soledad@IMDb
直訳: 孤独
英題: Solitary Fragments
La Soledad公式(製作会社サイト内)

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Comments

語句メモ
・duro: 15. m. Esp. Moneda de cinco pesetas.

・rifarse: 3. prnl. disputarse (= contender).
例) Quedaban pocos sitios libres y la gente se los rifaba.

・paliza: 3. f. coloq. Derrota amplia que alguien inflige o padece en una disputa o en cualquier enfrentamiento, juego, competición deportiva, etc.
例) ¡Vaya paliza que recibió jugando al mus!

・moldura: f. Parte saliente de perfil uniforme, que sirve para adornar o reforzar obras de arquitectura, carpintería y otras artes.

・canción: 5. f. Cosa dicha con repetición insistente o pesada.
例) Venir, volver con la misma canción.
例) Ya estás con esa canción.

・chillón, na: 2. adj. Dicho de un color: Demasiado vivo o mal combinado con otro u otros.

・a plazo fijo: loc. adv. Sin poder retirar un depósito bancario hasta que se haya cumplido el plazo estipulado.

・marimandona: 1. f. Mujer voluntariosa y autoritaria.

・entrada: 21. f. Cantidad que se entrega como primer pago para la compra de algo.

・料理する気が起きないから外食しようといって候補に挙がるレストランは
→・El Bocho


シネフィルイマジカより:
■ポイント
直接は出会う事のない二人の女性のドラマが、独立した物語として、或いはお互いを補完し合うように展開する本作。ロサレス監督による脚本構成と、全編の約3割が二分割画面で進行するユニークな映像を通して、「同じ時空間に生きる人々の持つ共通性と差異性を描きたかった」と後に監督は語っている。

↑↑↑↑

この二分割画面というのが奏功してるんだかしてないんだか。……って書き方をしているということは、私には気に入らなかったということなのかもな。

Posted by: Reine | Tuesday, December 30, 2008 at 13:01

1回(しかも21時~24時くらいという‘おねむ’の時間帯に)観ただけだと、まだあんまりズド~ン! ガツン!と来ないな。

こないだ2月にゴヤ賞の最優秀作品賞を獲ったときも意外だ、意外だと言われたようだけれども、そうね、鑑賞に忍耐が要ったかも。

おおむね淡々と進む。おおむね。
ドキュメンタリー作品の方がまだドラマ性があるんじゃないのと言いたくなるほど、静かに静かに物語が進む。

わかりやすく言うなら、2ch実況向けではない、絶対にない、ということです。(←これじゃわかりやすくないかもしれませんが)

ただ、普通の人々の普通すぎるほど普通な暮らしを見守るうちに人間のいやなところ・弱いところ・ダメなところが見えてきて居心地の悪さを感じ始めるのがおもしろかったりもする。親族なのに、いや親族だからこそのネガティブな感情が吐き出されていくのを観ながら、我々観客は、まるでよその家で家族喧嘩が始まっちゃった真っ只中で伏し目がちにお茶をいただいているような気分で過ごさなければいけないというわけです。

Posted by: Reine | Tuesday, December 30, 2008 at 13:23

「人間のいやなところを見」せる映画ってよくあるわけだけど、大袈裟にそれを描くのはあまり難しくないのだと思う。

『La soledad』の場合は、イヤなことをあっさりと描いているのにちゃんとイヤだ。

我々も日常生活で「はぁ? なにそれ」って思うことがあるでしょ。カチンと来たりする。明らかに「(#゚Д゚)ゴルァ!!」だった場合にはすぐさま誰かにぶちまけることができるから楽だけど、うっすらとカチンと来た時は、カチンと来たのが自分だけかもしれないとか、カチンと来てしまった自分のほうがイヤな人間なのかもしれないとか、あれこれ考えてしまうから、結局は自分の中にその違和感を閉じ込めるしかなくて、したがってすっきりしないままでいることになる。

『La soledad』の登場人物たちが感じているそれぞれの‘イヤなこと’も、その類の‘イヤ’なので、それを観ているこっちまでもどかしい思いをする。

Posted by: Reine | Tuesday, December 30, 2008 at 14:05

他人に対して―――とくにその人が何かを手に入れたときなど―――「あんたのやり方って筋が通ってなかったんじゃない?」と言いたくなることってあるじゃないですか。「あんた、それ、ずるいよ」って。「出し抜いたね」「ぬけがけだね」みたいな。

そのやりくちが卑怯だと指摘したいわけです、こっちは。あんたがそれを手に入れたという結果はさておき、手に入れるまでの経緯が奇襲攻撃的でずるいと思う、と言いたいのでしょ。

こっちはそこを糾弾しているというのに、「あなた、羨ましいんでしょ!」と言ってきたりする馬鹿がいる。あんたのやっていることが正しいか正しくないかを論じてるんだ、こっちは。


私見ですが、スペイン人はこの「あんた羨ましいんでしょ」という言葉をよく用いるし、それが祟ってその言葉に縛られていると思う。

嫉妬は「スペイン人の典型的欠点のひとつ」「スペイン人自身が,嫉妬がスペイン人の性格のうち最もしばしば,そして最も強く見られる欠点であると考えている」と前に書いたけれども、自分に向けられた批判を「あんた羨ましいんでしょ」でかわそう・封じようとするのは、本当に卑しくて浅ましくてずるいね。

(日本人でスペインに暮らす人の中にも、この呪文に取り憑かれちゃったような物の見方・考え方しかできなくなってる人っている。滑稽で哀れだ)(まあ、そういうのはたいてい、元から卑怯な奴なのだ)


話がちょっとそれますが、スペイン人の友達との他愛もないおしゃべりにおいて、無邪気な彼が無邪気に発した「¡Qué envidia! ... pero de la buena, ¿eh? (羨ましいねえ! ……いや、いい意味でよ?)」というセリフが私には印象的なものだった。

彼らも嫉妬感情が自分たちスペイン人の悪いところだという自覚はあるのではないかね。だから「今のはいい意味の‘羨ましい’だからね」と付け加える。

だって日本語で考えてごらんて。日常生活で「まじで? うらやましい~~」「え、よかったじゃん、おまえ」「超ラッキーじゃん」なんて普通のコメントでしょう。そこにいちいち「いや、いい意味で言ってんのよ」って、あんまり付け加えないでしょう、我々は。前段がよっぽど変なものでない限り。

Posted by: Reine | Tuesday, December 30, 2008 at 14:34

で、そろそろ『La soledad』のことでまとめなきゃいけないと思うのだけど、えーっと、んーーっと、長女の夫が木偶の坊過ぎ。なんだ、あいつの無神経っぷりは。夫婦そろって気配りができないな、あそこは。アントニアの表情が変わるシーンがおもしろい。

あとは、私はこの放送を録画してくださったアリ・ババ39さんの解説をお待ちしているところです。自習したけどわからなかったので補習が始まるのを待っている生徒の気分。

Posted by: Reine | Tuesday, December 30, 2008 at 14:52

 音楽なし、ゆっくりしたテンポ、二分割画面、緊張を強いられて疲れてしまう映画かしら。
 世代も立場も異なる二人の女性の人生を二分割画面を使って同時に描いていくというのが、見る前の知識としてあって、それで二人が同じ画面に2分割されて登場するのかと思っていました。

 そう、ハンス・カノーザの『カンバセーションズ』(2005)に描かれたようなデュアル・フレームの使い方ね。元恋人たちが友人の結婚式で偶然十年振りに再会する。今の二人とかつての二人、口から出るセリフと本当の気持ちのズレを巧みに二分割画面におさめていた。『孤独のかけら』のように複雑ではないが、お互いの心理状態をレントゲン写真を撮るように描いている点では同じです。

 主人公のアデラとアントニアが同時に登場するのは、たぶん1か所しかない。
 第4章バックグランドノイズの冒頭部分、左画面にアデラが公園らしきベンチに座っている。右画面には娘のニエベスとアントニアがブロック塀の前のベンチにいる個所だけね。ニエベスが雑誌を買いに席を立つと二人が画面に取り残される。アデラがタバコを吸いだすと、アントニアがそちらを見る、アデラもアントニアのほうに顔を向ける、すると真ん中の分断線が突然消えたような錯覚に陥る。
 終盤に近い部分だけに印象的でした。

 二分割画面については改めて触れるとして、まずロサーレス監督の輪郭から始めましょうか。
 1970年バルセロナ生まれ、もう額が広くなってますが、監督としては若いほうですね。子供のころは科学者になりたかったそうですが。

 経営学を学んだ後、絵画、音楽、写真の分野に興味をもち、遠回りして映画に辿り着いた。常に映画と無関係な分野にも関心があるらしく、幅の広いなかなかの勉強家みたいです。
 ブログ主の紹介にもあるように、第1作は “Las horas del dia” (2003)で、本作が2作目と寡作です。どんな作品ですか。
 
 いずれブログにも登場すると思うので簡単に言うと、世間からは恵まれているフツウの人と思われている、つまり家も仕事も恋人もある若者が、ある日突然、駅構内のトイレで見知らぬ男を殺す話です。昨年の流行語のひとつ「誰でもよかった」殺人です。
 そして、今回は自動車爆弾テロで赤ん坊が死ぬ話。

 第3作目、昨年9月のサンセバスティアン正式作品 “Tiro en la cabeza” では、ETAグループのテロリストが治安警察隊員を殺害します。
 映画祭でセンセーションを巻き起こした問題作ですね。
 勿論、3作目は未見なのでコメントできませんが、被害者でなくテロリスト側の目線で描いてあるということで、紆余曲折がありそう。

 ロベール・ブレッソンの作品を思い起こさせるという批評がありますが。
 個人的には最近の監督として、ミヒャエル・ハネケラース・フォン・トリアーの仕事に似てるかなと感じました。ブレッソンは大げさな演技を嫌い、余分なものをそぎ落として映像を極力簡素化したことや、音楽やプロの俳優を起用しない、監督になる前に画家、写真家だった経歴も似ています。ヌーベル・バーグの監督たちに影響をあたえた監督として、オールドファンには忘れられない人。最近ではあまり放映されませんが、紀伊國屋からDVD-BOXが出ています。
 ロサーレス自身も尊敬する監督の一人に選んでいるようです。

 そうですね、他にゴダールアントニオーニベルイマン。スペインではエリセの『エル・スール』イバン・スルエタの ”Arrebato” (1979)。カイエ・デュ・シネマの同人たちが熱狂的に支持したニコラス・レイの『大砂塵』、忘れるわけにいかない作品としてデ・シーカの『自転車泥棒』を挙げています。『大砂塵』の原題は ”Johnny Guitar” といって、ペギー・リーの歌う主題歌「ジョニー・ギター」は日本でもヒットソングになりました。スルエタのは未見ですが、この監督の作品は当ブログに載ってるかしら。1943年サンセバスティアン生まれ、おもしろい経歴の監督で、ホセ・ルイス・ボラウハイメ・チャバリリカルド・フランコ、アルモドバル等とのコラボもしている。
 監督のアウトラインがおぼろげながら見えてきましたので、デュアル・フレームに話を戻して登場人物の「孤独」に移りましょう。

Posted by: アリ・ババ39 | Saturday, January 10, 2009 at 10:56

アリ・ババ39さん、お待ちしていました。

今年もよろしくお願いします。(単なる時候の挨拶っていうんじゃなくてホントに「今年もいっぱい書いてね」とお願いしているようにも見えますが、そうです、お願いいたしますwink

固有名詞にIMDbのページなどをあてがってみましたので、後でご確認ください。こうしてアリ・ババ39さんに映画作品の横のつながりを拡げていただけるのは嬉しいです。ありがとうございます。


そうそう。私も右にアントニア、左にアデラなどと出てくるのかと思っていました。最初の最初のメモにも「右、女帰宅。」と書いていました。「左」では別の人間の様子が進行すると思っていたのです。


>もう額が広くなってますが
↑ しーーーーっ。言わないであげて。delicious


>“Las horas del dia”
>いずれブログにも登場すると思うので

そうでした。これもたしか私の《アリ・ババさんから借りる作品一覧表》に入っていた作品でした。今年中にはなんとかします!

Posted by: Reine | Saturday, January 10, 2009 at 11:42

 まず、この作品はエピローグを含めると5章に分かれている。第1章「アデラとアントニア」で、手際よく二人の主人公が紹介されるが、物語はアデラに比重がかかっていますね。
 アデラが主演でアントニアが助演という感じです。全体のおよそ3分の1が二分割画面と紹介されていますが、半分ぐらいあった印象なんですよ。
 それは1台の固定カメラで撮影している場合でも、画面が垂直線、つまり柱、窓枠、ドア、桟などで執拗に仕切られているからじゃないかな。出だしの「LA SOLEDAD」というタイトルが消えると、北スペインらしき山並みを背景にした牧場で、のんびり牛が草を食んでいる。真ん中に1本のポール、なんのポールか分からないが立っていて、のっけから画面が分断されている。

 カメラが室内にあって戸外にいる人物を撮っているときでも、真ん中に太い窓枠があって、観客が近づくのを邪魔している印象。声は聞こえてくるが後ろ向きなので表情は読み取るしかない。
 疲れますね。最初にアデラが息子のミゲリートと玄関から入ってくるシーン、入口のある右側はカメラが室内に設定されているが、左側の居間を撮るカメラは屋外にある。それでカメラの眼は窓から部屋の中を覗き見するようになっている。両方ともロングショット。電話がかかってくるとアデラは右端から出ていき、遠回りするような感じで左端から居間に入って来て受話器を取る。左はアデラの後ろ姿の全体像、右は正面向きのアデラのクローズアップ、ここで初めて顔がわかる。

 大体がこんな風ですね。モンタージュの大変さが伝わってきます。
 もう一方の家族、アントニアには三人の娘エレナ、ニエベス、イネスがいる。イネスがニエベスを妹と言うシーンがありますが(字幕)、スペイン語ではどちらにも訳せる。私はニエベスが次女だと思っているんです。このニエベスに癌が見つかって入院することになるシーン、看護師と一緒に親子が病室に入って来る。ここは1画面なのにドアや壁の仕切りが立ちはだかって、まるで3分割された感じです。
 電話のシーンでも、アデラは両側に半開きになった開閉窓の窓枠と横桟の真ん中に佇んでいる。

 ミゲリートを失ったあと、アデラが入浴する凄まじいシーン覚えています? バスローブに着替えたアデラがベッドにポツンと腰かけている。カメラは廊下から室内を映していて、手前に入口のドア、奥に外窓とカーテン、その向こうにベランダの柵、縦線で4分割されている。
 音楽もセリフもなくアデラも微動だにしないから、観客はおのずとアデラの孤独に引きずりこまれてしまう。
 こういうショットが多いから、たぶん二分割画面が実際よりも多く感じられるんですね。

 場面展開もおもしろい。第1章から第2章「都会」への移行。
 アントニアがニエベスを残して病室から出て行くと、唐突にアデラがマドリッドの新居の下見をしている。全くの説明抜きでアデラが村を出て都会に移動したこと、すでにアクションを起こしていたことが分かる仕掛け。ここでアデラの同居人となるイネスとの出会いがあり、二人の主人公の接点らしきものが暗示される。

 普通二分割はシンメトリー的な位置に人物をおいて、垂直な軸で分断する。しかしロサーレスは意識的にメソッドを壊している。
 おおむね徹底している。例えばアデラとパブロ、アデラが正面を向いているときはパブロは軸側の横向き、パブロが正面だとアデラは反対に横向き、この繰り返し。実際は向き合って喋っているのだが、もはや修復不可能なほど気持は離れている。二分した仕切りの陰で本当のバトルが進行している。
 長女エレナとイネス。二人の関係はこじれている。エレナが横→正面→横→正面に対して、イネスは完全にその逆方向。

 ニエベスとイネス。良好とはいえないが、アンチ長姉では団結している。左側のイネスはやや左向き、右側のニエベスはやや右向き、ここは定石通りのシンメトリー。見た目にはソッポを向いて話しているように見えるが、実際はイネスが右でニエベスは左に座っているんですね。
 離れているようで離れていない? 芸が細かいですね。

 イネスと同居人のカルロス。恋愛関係はなさそう。二人の場合、イネスが正面ならカルロスも正面、イネスが横向きならカルロスも横向き。お互い空気のような存在なのかも。
 カルロスとアデラ。一緒に穏やかに食事をしていて、カルロスが傷心のアデラを慰めようと旅行に誘うシーン、左側にクローズアップのカルロス、右側にロングショットのアデラ、二人とも真ん中の軸方向の横向き。ややしつこく誘うカルロスにアデラが苛々し始めると、突然、例の正面→横→正面→横が始まる。
 二分割でセリフをカットするだけでなく、他人が心の中に踏み込んでくるのを拒絶している。枠が二つあることで、それぞれ自分自身の孤独の中に閉じこめるのに成功しています。
 観客にあまりサービスしない、地味で職人芸的な映画が、ゴヤ賞のような大賞に選ばれたあれこれ、各俳優たちの魅力、口数の少ないアントニアの目の演技、どこの家庭にもある親子姉妹の微妙なズレ、男性たちに向ける監督の厳しい目・・・などを。

Posted by: アリ・ババ39 | Sunday, January 11, 2009 at 16:24

アリ・ババ39さん
早くコメントくださいねとばかり、年明けからちょくちょくメールでせがんでいたわけですが、その甲斐があったわ!と、いま私はホクホク顔です。

アリ・ババ39さんの上記のカメラ・画面についての解説を読んでいる間、シーンごとの記憶がつるつると呼び出されて、「そうそう、そうだったそうだった / そ…そうでした / そー、そうだったよ / あーそーかーっ」とφ(゚Д゚ )フムフム…頷いてばかりいました。

こういうの、アリ・ババ39さんから先に教えてもらってから観てたら映画はもっと面白いのかもしれません。……と思いかけたけど、いや、違うんだな、やっぱり。

やっぱり、素で観てキョトンとしてみて、そのあとでこうして推理・解説されてみて「そうだったのかー」と‘腑に落ちる’プロセスの方がたぶん楽しさが増すと思いました。


あと、姉妹構成。あれは私はアリ・ババ39さんとは違って、

  エレナ(別荘購入): 長女
  イネス(反発): 二女
  ニエベス(手術): 三女

だと思いました。なんでそう思うに至ったかは思い出せません。

ただ、スペイン語の「hermana」だと年上・年下がわからないんだよなあと思い、その区別に注意しながら映画を見ていたのはたしかなので、なにか思うところがあってそういう‘結論(っていうか仮説)’に辿り着いたのだとは思います。

なんでそう思ったんだろうなあ。きっかけが思い出せない。

実家の売却をめぐって口論する中でエレナがイネスに発した「貴女羨ましいんでしょ」のセリフかなあ。そのセリフは長姉から三女へ向けられるより、長姉から次女へぶつけられた場合の方が攻撃力は増すと思うんだよね。(あの三姉妹に限らず、たぶん一般論的に)

長姉エレナが「アンタ、あたしが羨ましいんでしょ(なぜなら私はもう結婚して出産して持ち家もあるところへもってきて今は別荘まで買おうとしている、それにひきかえアンタはどうよ、未婚だし未だに他人とのルームシェアじゃない、あたしはいわゆる‘女の仕事’をぜんぶ終えたけど、アンタ負け犬予備軍よ)(※カッコの中は私の想像・創造)」と攻撃した場合、すぐ下の妹に対しての方がより有効だと思うんだよね。

一人とばして末の妹にそのセリフをぶつけてもあまり打撃にならないんじゃないかと。「あたしが姉さんをうらやむ理由って何? 言ってみなよ」が通るから。三女から半笑いでそう言い返されちゃったら、長姉としては形勢不利になる。藪蛇というか。

三女にはたいした打撃にならないと長姉はわかっているイキモノだと思うの。あれは二女にぶつけてこそのセリフだと。

そんなこんなを想像して、私はイネスは二女、ニエベスは末っ子と位置付けたのかもしれません。

(※まあ、こんなこと言ってて三人年子だったとしたら私はいったいどう思うのかな)

Posted by: Reine | Monday, January 12, 2009 at 12:33

高校一年の英語の教科書で、「日本だと米、稲、ごはんなどと区別しますが英語だとriceはriceです、日本語だと兄か弟かは別個の単語ですが、英語だとbrotherです。文化の違いです」みたいな長文を読んだのだけど、

それにしたって実際英語人とかスペイン語人は「兄か弟か」は気にならないものなの? この映画だって「二女か三女か」彼らは気にならないんだろか。彼ら(英語人や西語人)は、製作者が人物像を造る上で、また観客が解釈する上で、その区別って別に要らないじゃんと感じてるものなの?

なんだか不思議だわ、やっぱり。

Posted by: Reine | Monday, January 12, 2009 at 13:32

あーー、いや、でも待てよ……。
午後中考えていましたが、やっぱりイネスが末っ子かも?

  エレナ(別荘購入): 長女
  ニエベス(手術): 二女
  イネス(反発): 三女

こうなのかな。わっかんないなあ。監督にお手紙出して聞いてみようか。「(゚Д゚)ハァ?」って言われちゃうか。

こういうのをわかりたいのにわからない時、英語人や西語人はウズウズしないのかね。何度も言うようだけど。

だって、やっぱり映画を離れて日常生活においても、兄弟構成は人格形成に影響を及ぼしているものだと私なんかは思うわけでさ。

Posted by: Reine | Monday, January 12, 2009 at 20:43

 今まで見てきたスペイン映画の枠組みから外れているけれど、実人生とは簡単でいて複雑なんだと感じさせる映画ですね。何が起ころうとも人生は続くんだし、仮に子供を失ってもね。全体にざらざらしてペシミスティックな筋運びなんだが、結局のところロサーレスはオプティミストなんじゃないかな。前回は遠近法を利用した二分割画面が、セリフのカットやゆっくりしたリズムの破調だけでないことを話し合いました。次はアントニアの家族が初めて総出演するシーンで、どんな男がいいか「品定め」をするでしょ。それに倣って、私たちも・・・
(すでにネタバレしておりますが、これからご覧になる方、ストップして下さい)

 特に悪い人は出てこないが、総じて存在感の薄い鈍感な男性が多い。なかでペドロを演じたホセ・ルイス・トリージョが最優秀新人男優賞を貰ったんでした。けっこう難しい役柄ですね。
 アデラが積極的で自立心が強く、意志堅固で譲歩しないのに対して、ペドロは他力本願、自分勝手というわけじゃないが自分に点が甘く、離婚に至った原因が読めていない。
 マッチョで名誉を重んずるというスペイン男は登場しない。

 アデラは監督の分身なんですよ。ペドロを筆頭に男性陣は概してずるくて責任回避的。ペドロは息子の養育費を払わないだけでなく、高額な借金を破廉恥にもアデラに申し込む。思わず、マジかよ。
 暴力男でないだけに始末が悪い。エレナの夫アルベルト、口数の多い妻に逆らわず、一見物わかりがいいように見えるが、それは微温的な生活を壊したくないだけ。姑のお金を当てにしてリゾート地のマンション購入にも躊躇しない。「花より団子」型。

 いちばんイライラさせられる男ね。エレナから「お腹についた肉」をそぎ落とすよう皮肉られていた。そしてアデラの父親、娘が心配で毎日電話をかけてくるが、実は寂しくて孤独に耐えられない。娘を呼び戻し昔のように御飯作ってもらって暮らしたい、ひとりでは暮して行けないタイプ。冒頭部分にアデラが言う「もうパパったら!」で一目瞭然。
 これは日本でも多く見られるようになった優しい父親像。孫のミゲリートをだっこ紐で抱いていたでしょ、あれは一般的な光景なんだろうか。

 アントニアの恋人マノロ、彼の願いは孤独を避けるために、ひたすら平穏を保とうとすること。用心深くいやいや思慮深く、自らはアクションを起こさない。
 遠まわしに「干しブドウ」と揶揄されていたけど。でも一番まともなんじゃない。

 あまり生活臭がなく得体のしれないのがカルロス。こういう男性増えてんですかね。
 それぞれセリフも演技も自然で、地でやってるんじゃないかと錯覚するほど。スペイン人だって十人十色が当たり前だけど、こう揃いも揃ってられちゃね。監督は男性に厳しい。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, January 12, 2009 at 23:55

アリ・ババ39さんのコメントでこの映画を予想以上に楽しんでしまいました。ありがとうございます。

そうなの、長女エレナの夫、あたし、あの男にほんとうにイライラしたのでした。なんなんでしょう、あいつは。面の皮の厚さときたら。

Posted by: Reine | Tuesday, January 13, 2009 at 20:08

 さて女性の「品定め」、一番シンパシーを感じたアントニアから。世間によくある典型的な母親像です。娘たちの何かにつけ表面化する対立に悩んでいる。もう小さい子供ではないから、依怙贔屓なく公平であろうとするが、それが却って対立を深めてしまうのね。
 女優陣は誰もノミネートされませんでしたが、ペトラ・マルチネスが助演女優賞もらってもおかしくない。はっとするシーンがいくつもあった。例えば第4章、初めて長女の新しいマンションに案内される車の中、知らないうちに物件が大きな家に変わっていたうえ、頭金を出した自分より先に娘婿の母親が案内されていたことを知るシーン。

 子供が結婚すると、たいていの親はこういう洗礼を受ける。シナリオが実に行き届いている。
 『ローサのぬくもり』の名老け役マリア・ガリアナを思い出しませんでしたか。あの作品のテーマも「孤独」でした。
 
 エレナはマンションの頭金ほしさに自宅売却を母親に迫る、そうすればマノロと同じ屋根の下に住めるじゃない、願ったり叶ったりよ。冗談じゃないよ。他の娘たちの板挟みで堂々巡りをしたあげく決心するけど、本心からじゃない。長女には遠慮があるのかな、観客は理由をあれこれ想像する。
 画面には現れない理由があると。得てして長女というのはどこでも自己中心的で権力志向の人が多い。

 しかし母親に付き添いニエベスの担当医の説明を聞きに行ってくれるのは、イネスじゃなくてエレナ。長女としての責任を持っているし、アントニアもどこかでエレナに頼っている。
 マリア・バサンの押しの強さ、たっぷりした腰、太い二の腕、まさにハマリ役です。

 ニエベス、理想の男性にレアル・マドリッドのゴールキーパー、イケル・カシージャスの名を挙げていて、がっしりタイプが好き。これは余談だが、バルセロナ生れの監督は、現在マドリッドに住んでいる数少ないバルサ・ファンだそうです。医者から禁止されてるタバコが止められない、この映画でタバコを吸うのは女性、なにかメタファーがありそう。癌が発見されてからは、死の恐怖から不安定で不機嫌だが、担当医から完治したと言われた時のパッと輝くような顔、あれ、こんなに美人だったかしら。
 コントラストを鮮やかに演じ分けていた。ヌリア・メンシアはラモン・サラサールの『靴に恋して』(2002)に出てるようです。
 ああいうアンサンブル・ドラマにチョイ役で出て、才能を発掘される。『イン・ザ・シティ』でも触れたけど、若い監督で成功率が高い。ギャラの高い大物は必然的に起用できないから。

 Reineさんは、ニエベス三女説でしたが、ちょっと迷い始めている。
 字幕ではイネスがアデラに「妹の回復も順調なの」という個所があるの。シネフィルの内容説明を読むと「次女が癌で」と食い違っている。人によって感じ方が違ってていいのよ。固執しないけど、末っ子はどうしても甘やかされるから我慢しないでポンポン言う人多い。自分抜きで事が決まり「いつだって私が最後」と文句言ってたよ。真ん中は押しくら饅頭されるから寡黙な人が多い、姉でも妹でもあるから両方の言い分がわかるのね。

 ミリアム・コレアが演じたイネスが、形見分けのシーンで母親愛用の「リネンだけでいい」と言うシーン、なんか切ないね。総じてセリフは自然で飾り気がないが、とくにここはいい。
 母親の使っていたリネンにくるまって寝たい、失って初めて知る親の愛情の大きさね。形見分けが争いにならず、却って姉妹が和解した雰囲気が伝わってくる。

 しんがりはアデラ。わが子を失って宿命論に屈したように見えながら、新たな道を見つけて歩き始める芯の強いヒロインを好演している。
 監督が「ソニア・アルマルチャは私への贈り物」と述べているように、成功の鍵はソニア起用にあるでしょうね。ここの二つの死のように、死は何の前触れもなく一撃のもとにやってくることもある。観客は突然断ち切られた二つの人生に、筋の通らない衝撃を受ける。でも人生は続くんだと映画は言っている。

 前にアデラは監督の分身とおっしゃってた。無口で控え目だが、人間に対する深い洞察力。夫婦の亀裂が愛の喪失だけでなく、ウラにお金が絡んでいることをちゃんと入れてる。三姉妹のいざこざもお金絡みです。
 自然な雰囲気の中で過剰な演技を避けさせ、演技させてないように演じさせている。ゴヤ賞受賞で話題になったことで、各人活躍の場が広がったようですよ。

Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, January 15, 2009 at 12:28

 2008年度のゴヤ最優秀作品賞・監督賞・新人男優賞を受賞しましたが、こんな地味な作品が受賞するなんて、やはりサプライズでしょうね。
 ノミネートでさえサプライズでしたから、受賞となると尚更ね。一番驚いたのは監督自身かも。私も前評判で『永遠のこどもたち』を本命と考えていましたから、まだ見てもいないのに驚きました。
 五月のカンヌでも話題になったんでした。
 しかしカンヌの後、夏に勝負を賭けて封切りにしたが、マドリッドでさえ2館だけだった。すべての資金を製作につぎ込んでいたから、マーケティングに回せるお金が残っていなかったそうです。

 弱小プロの場合、事情はどこも同じでしょうね。
 ところがノミネートされるや、特別上映会が企画されたり、学生や映画ファンを囲んでの討論会が催されたりした。「自分のようなマイナーな映画監督が特別のイベントをしてもらえるなんて、かつてなかったこと」と述べています。
 つまり、ノミネートだけでも意味があったわけですね。

 だから受賞が分かると、再上映館が30館になり、ファンからのDVDが手に入らないという問合せでたちまち増刷、より幅広い観客のところに作品が届けられたわけです。
 映画館で観てもらうのが一番だが、海外にいる私たちを含めて、来られないファンにも観てもらいたい。
 ロサーレスもDVD の役割の大切さを、インタビューで語っています。こういう独立系のの映画作りをしている、特に若い監督にとって受賞は、大いに励みになったでしょう。必ずしも成功するとは限りませんが、失敗は成功の母と言いますから、当たって砕けろです。

 5段重ねのハンバーガーも食べ続ければ飽きる。お金に余裕があれば懐石料理、なければないで味の吟味されたザル蕎麦を、となります。
 誰の口にも合う映画ではありません。淡々と進むので飽き飽きして疲れてしまった、つまり《退屈》だったという人も大勢いると思います。いつも話していることですが、みんなを満足させる映画が仮にあったとしたら、これはこれで《危険》ということです。

Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, January 15, 2009 at 14:36

数日寝込んでいたので(ってほど大げさな話でもないのですが)遅くなってしまいましたが、アリ・ババさんありがとうございました。

いつも言っていますが、あんまり強烈にグっと来たわけじゃなかった作品でもアリ・ババ39さんの解説を読んでみるとなんだかすごくいい作品だったように思えてくるから不思議かつ素敵です。

>頭金を出した自分より先に娘婿の母親が案内されていたことを知るシーン。

あのシーンはほんとうにカチンときました。
私なんかはあれを小姑の立場で眺めていましたから、たとえば私の実母がアントニアのように頭金を出していたとして、義兄がアルベルトのようにああいうのを気にしないでヘーーーーゼンとしていたりしたら、ものすごく気に食わないな。義兄のこともうちの姉のことも。

だからあのシーンはカチンときてザラッとしたあとで、「あるある」ってニヤニヤしてしまいました。


だいぶ記憶が薄れてきましたが、イネス(短髪)が二女でニエベス(病身)が三女と思った理由を今更ながら思い起こしてみると、あれかも、「二女=はみだし者」っていうイメージがまず頭の中にあったのかも。

じゃぁその「二女=はみだし」という先入観はどこからやってきたのかっていうのを辿って行くと……、Ummmm、なんでしょうね……『大草原の小さな家』だったのかもしれません。おねえさんおねえさんしたメアリーがいて、おてんばではちゃめちゃなローラがいて、甘えっ子ちゃんなキャリーがいて、っていう見方だったのかなぁ。

Posted by: Reine | Sunday, January 25, 2009 at 09:49

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