Historias mínimas / Intimate Stories [アルゼンチン映画]
誰のどんなにつつましやかな暮らしにも大胆な一歩を踏み出すときが訪れるということ、この映画が見せてくれる。遠回りでもいいじゃないか、亀の歩みでもかまわんじゃないか、失敗しても次があるさ、と。
『ボンボン』(2004)の監督の、前の作品(2002)。『ボンボン』が好きだった人にはぜひ観てほしい作品。『ボンボン』に出てきた人々のはにかみぶりが好きな人、『ボンボン』でパタゴニアの空の青さに涙した人、どうかこの作品も観てください。
控え目で物静かな人々の小さな望みとさりげない思いやりに溢れた旅物語です。その温かいストーリー展開の隅っこに、人間のちょっぴり卑しくて醜くて哀れな部分をチクリと添えるのもこの監督の持ち味なのかな。何度でも見直したい作品。
というかその前に、ぜひ日本盤を出してもらいたい。心の底から願います。こんな幸せな話が観られないのは本当にもったいない。
ストーリー
幹線道路沿いにフィッツ・ロイという寂れた町がある。電気もろくに通っていない小さな町。青い空は高く広く、冷たい風が土埃を運んでくる。
フスト爺さんは50年前にこの町に軽食レストラン兼雑貨屋を開いた。この店で爺さんは食事に立ち寄る何百人何千人のトラック野郎を迎えては見送ってきた。もう隠居して店は息子夫婦に任せている。足腰もずいぶん弱くなった。最近は視力も落ちた。
店の前に座って陽を浴びながらマテ茶を飲んで、近所の子どもたちとたわいないことをして時間をつぶす。「フスト爺さん、耳を動かしてみてよ」「今度は右耳」「今度はこっちの耳」。爺さんの耳はぴくぴく動く。それが爺さんの一日。
今日、顔見知りの運転手が爺さんに言った。「サン・フリアンの町外れで‘ブサイク’を見かけたよ。あれは間違いなくお宅のあの犬だったよ。一目でわかった。あの犬、迷子になってからどれくらいだっけ?」。
―――「‘ブサイク’は迷子になったんじゃない、出て行ったんだ」。
マリア・フローレスもフィッツ・ロイの住人である。自分は労働許可もない、夫も失業中の身、おまけに幼子をかかえて生活は楽とはとても言えない。今は知人のところに居候をしている。
テレビ番組に出場希望のはがきを何通も出してきたが、なんと出場権が当たったようである。うまくいくと高額商品を手にできる。マルチフードプロセッサーが目玉商品だが、最高額商品は一家ブラジル旅行だそうだ。明日サン・フリアンの局に赴かなければこの機会を逃してしまう。
ロベルトはセールスマン。仕事柄、家を空けることが多かった。多忙で留守がちだったことが災いして、結婚生活は長く続かなかった。サン・フリアンのある商店の主人がこのあいだ交通事故で亡くなった。子供を抱えてその店を切り盛りしようという未亡人にロベルトは思いを寄せている。
彼女との世間話から、明日がその子の誕生日だというのはわかっている。ロベルトはサプライズのバースデーケーキを届けようと計画した。
フィッツ・ロイから数百Km。ささやかな物語を編むために三人はめいめいサン・フリアンを目指す。
・Hisotrias mínimas@IMDb
直訳: 最小の物語
英題: Intimate Stories、Minimal Stories
←このamazonの商品はリージョン1かな?
監督: Carlos Sorin カルロス・ソリン
脚本: Pablo Solarz
出演:
Antonio Benedicti ... Don Justo Benedictis フスト爺さん
Javier Lombardo ... Roberto ロベルト
Javiera Bravo ... María Flores マリア・フローレス
Mariela Díaz ... Amiga de María: マリアの当選を知らせてくれた友達
Julia Solomonoff ... Julia フリア: 生物学者; フストを車に乗せてくれた
María Rosa Cianferoni ... Ana アナ: フスト爺さんの息子の嫁
María del Carmen Jiménez ... Panadera 1: 最初のケーキ屋さんの奥さん
Mario Splanguño ... Panadero: 次のケーキ屋さん
Rosa Valsecchi ... Panadera #2: その奥さん
Aníbal Maldonado ... Fermín フェルミン
Carlos Montero ... Losa ロサ(常田富士男似)
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Comments
語句メモ
・concurso: 1 Competición o prueba entre varios candidatos para conseguir un premio:
例) un concurso de televisión.
・canasto: 2. m. Ven. Cesta grande, redonda, de boca ancha.
・cerro: 1. m. Elevación de tierra aislada y de menor altura que el monte o la montaña
・andinistas: 1. com. Persona que practica el andinismo.
→・andinismo: 1. m. Am. Mer. Deporte que consiste en la ascensión a los Andes y a otras montañas altas.
・¿A que no adivina a quién vi?:
→・¡A que ...! / ¿A que ...?: 《相手に向かって》きっと…でしょう
・「Andamos tirando. ぼちぼちやってるよ」:
→・tirar: 31. intr. Dicho de una persona o de una cosa: Durar o mantenerse trabajosamente.
例) El enfermo va tirando.
例) El camion tirará aún un par de años.
→・tirar: [Uso/registro: coloquial] Seguir subsistiendo 《una persona o una cosa》 trabajosamente:
例) Mi abuelo va tirando aunque está muy mayor.
・injerto: 1. m. Parte de una planta con una o más yemas, que, aplicada al patrón, se suelda con él. 接ぎ木
・ramera: 1. f. Mujer cuyo oficio es la relación carnal con hombres.
・desquiciado, da: 常軌を逸した,混乱した; 取り乱した
・gajo:
・galpón: 小屋,掛け小屋
・vialidad: 《集合的》道路(網); 道路の維持管理; 道路施設
・petiso: adj. Arg., Bol., Chile, Par., Perú y Ur. Dicho de una persona: Pequeña, baja, de poca altura. U. t. c. s.
・abatatar: 1. tr. coloq. Arg., Bol., Hond., Par. y Ur. Turbar, apocar, confundir. U. t. c. prnl.
・Vivimos de prestado.:
→・de prestao:
1. loc. adv. Con cosas prestadas.
例) Hoy voy de prestado.
2. loc. adv. De modo precario, con poca estabilidad o duración.
・guitarrear: Improvisar. Afirmar algo sin tener sustento. Bolacear.
「¿Le patina algo a usted?」
→・patinar: Fracasar en una gestión. Sufrir un revés. Gastar dinero en exceso. Frustrarse un negocio o proyecto.
・cucha: 1. f. Yacija del perro.
・mantención:
・mercería:
1. f. Trato y comercio de cosas menudas y de poco valor o entidad, como alfileres, botones, cintas, etc.
2. f. Conjunto de artículos de esta clase.
3. f. Tienda en que se venden
・rubro: 2. m. Am. Título, rótulo.
Posted by: Reine | Saturday, December 13, 2008 09:16
『ボンボン』のときも書いたけど、「R」の音が私の聞き慣れた音ではない。マリア・フローレスの世話好きな女友達を演じているのは、『ボンボン』のココ小父さんのキレ気味の娘と同じ女優だが、彼女にはその「R」の音が顕著。
あと、フスト爺さんの息子の嫁役の人も同じ「R」。
たとえば:
rueda→シュエダ
rebanadas→シェバナダ
raro→シャーロ……と聞こえる
「お義父さん、今日の午後はraro(シャーロ)よ」と嫁が言うと、フスト爺さんは、「Raro(ラーロ), わしが?」と聞き返すシーンがあるので、そこで音の違いがはっきりわかると思う。
Posted by: Reine | Saturday, December 13, 2008 14:28
あるシーンでマリア・フローレスの住んでいる家を外から映すのだけど、それが一瞬『バグダッド・カフェ』っぽくて懐かしいような気持ちにもなった。アングルのせいか、小屋のたたずまいのせいか。
それで思ったのだけど、『バグダッドカフェ』の青は、あれはフィルタをかけてあったんだよね??? 当時そんなようなことを映画誌で読んだ気がするんだけど。
『Historias Minimas』や『ボンボン』の、カルロス・ソリンの青はそういう青ではないのですよね?
Posted by: Reine | Saturday, December 13, 2008 14:35
語句メモつづき
(1) フスト爺さんが偽名で済まそうとしているところへ顔見知りがやってきてしまう。「やっべ」とばかりフストは顔を伏せたが、知人は親しげに話しかけてくる。
「この御老人を御存知なんですか?」と問われ、その知人が言う: 「¿Cómo no lo voy a conocer si hace más de 20 años que ando por Fitz Roy? フィッツ・ロイの辺りを行き来して20年になるというのにこのお爺さんを知らないなんてことがありましょうか(=知っているに決まっているでしょう)」
この「ir a (反語表現)」については前にもどこかで説明したような。
↓↓↓
『Tamano Natural』で説明済です。
(2) 知人にマテ茶を勧めながら、「¿Gusta un matecito? マテ茶を飲むかい? いかがです?」
→・gustar: 2. tr. experimentar (= probar)
他動詞としての「gustar」についてアカデミア疑問辞典より:
2. Como transitivo significa ‘querer o desear’ y su empleo es escaso fuera de fórmulas de cortesía:
例) ¿Gusta usted una cerveza?
(Victoria Casta [Méx. 1995])
例) —¿Le molesto si escucho las noticias?
—Haga como guste.
(Plaza Cerrazón [Ur. 1980])
Posted by: Reine | Saturday, December 13, 2008 14:47
去年、過去のゴヤ賞受賞作を調べてみたときに、「‘カルロス・ソリン、ロード・ムービー、爺さん’なので買う」と記しておいたものですが、間違いなかった。買って良かったよ、本当に。
息子たちに年寄り扱い・子ども扱いされている爺さんが老獪に立ちまわったりまた逆に子供じみた嘘をついて逃げようとしたりする姿を、ついつい可愛いイキモノを見るような目で見てしまっていた。その辺は『EL Cochecito』のアンセルモ爺さん(ペペ・イスベルト)を見ていたときと気分は似ていたかも。
どうして爺さんって小動物みたいに見えてくるんだろうな。
Posted by: Reine | Saturday, December 13, 2008 16:54
特にフスト爺さんに顕著だけれども、「よそさまに迷惑をかけちゃいけない」って遠慮し合っている感じ。つつましくつましい人々の暮らしが、なんだか古き良き日本の姿みたいに思えるのかな。って私は古き良き日本を知らないけれども。
ああ、この人たちみんな幸せになってくれたら良いなあ。という素直な気持ちになれる作品です。是非。
Posted by: Reine | Monday, December 22, 2008 23:10
sheepokino.exblog.jp/8989950 (御にあ市~Kinoさん)のブログにもこの作品の感想がありますが、ちょっと解釈が私とは異なっています。こういう場合はあちらにコメントを投稿すべきなのかどうか悩んだ上でこちらにメモします。
ストーリーの核心に触れなければならないので、くれぐれもご注意を
↓↓↓↓
>老眼のために過って愛犬を車で轢いてしまったおじいちゃん
↑
フスト爺さんが轢いてしまったと人に打ち明けるのは「犬」ではなく「人間の男」だったと思っています。
人間の男を轢いてしまったけれども恐くなってそのまま放置したというのです。それを見ていたのは飼い犬の「ブサイク」ただひとり。「ブサイク」はそんなフストに腹をたて、一晩中鳴いていたが朝になると姿を消していた、と。
3年前に犯したその罪の意識が、フスト爺さんを今回これほど強い力で長旅に駆り立てているのでしょう?
生物学者に出会った時、フスト爺さんは尋ねます。「動物って…犬って…わかるのかね」と。「わかるって、いったい何がです?」と聞き返されフスト爺さんは続けます。
「ものごとがさ。ある出来事が正しいか正しくないのかがわかるんだろうか? 間違っていることは間違っているってちゃんと思うんだろうか?」
この唐突な質問は生物学者とわれわれ観客をきょとんとさせますが、ずっと後になって、いよいよフスト爺さんの告白が始まった時に、「ああ、それであんな質問を!」と腑に落ちるのです。「ブサイクは迷子になったんじゃなくて自分の意志で出て行ったのだ」と何度もフストが断言していた理由がわかるのです。
たとえばこれはどういった出どころのPDFかわかりませんが:
アルゼンチンの大学の先生兼博士課程の人の文章
ネットで探すと、犬説を採っているサイトもありますが、スペイン語字幕では「De repente, me llevé a uno por delante. No lo vi.」と、英語字幕では「Suddenly, I ran someone over. I hadn't seen him.」と言っているのです。
よほど考えすぎない限り、スペイン語で直接目的語に「前置詞 a」をつけているということは、それが《人間》であったことを意味するでしょう。
(百歩譲って犬を轢いたにしても「愛犬」を轢いたのではないと思います。よその土地に行った帰り道で轢いたのですから)
Posted by: Reine | Monday, December 29, 2008 12:48