« El baño del papa / 法王のトイレット [ウルグアイ映画] | Main | Ó Paí, Ó / オーパイオー [ブラジル映画] »

Thursday, September 18, 2008

Tony Manero / トニー・マネロ [チリ映画]

LBFF第5回スペインラテンアメリカ映画祭の作品紹介より:
1978年、チリの首都サンチアゴではピノチェト軍事政権による独裁体制下、秘密警察によって反政府派の市民が粛清されていた。ラウル・ペラルタは映画『サタデーナイトフィーバー』の主人公、ジョン・トラボルタ演ずるトニー・マネロに異様なまでの憧れを抱き、自らも数人の仲間とバーのショーで踊る50 男。

テレビ番組“トニー・マネロものまねコンテスト“への出場と優勝を夢見て、あらゆる社会生活、道徳、人間関係に背を向け、自分のアイドルに病的に傾倒していくラウルの姿を通じ、チリ暗黒時代の絶望感とアイデンティティの喪失を描く。カンヌ国際映画祭で話題を呼んだ衝撃の問題作!end

(メモだけ)

・重く苦しい映画だった。

・うん。まじめな作品

・苦しいし、怖いわ。でも嫌いではないです。でも軍政下モノは私はだめなのね。直接的に描いてなくても想像しただけで((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルになっちゃうのよね。

・チリ現代史

・ついさっき『頭のない女』のコメント欄にメモったことと合わせて観てみる。


(つづきはコメント欄で)


Tony Manero@IMDb
Tony Manero 公式かい?

・こんどのアカデミー賞のチリ代表作品として選出されたとのこと
Tony Manero fue seleccionada para postular al Oscar - 25/09/2008 - 18:10

映画祭
カンヌ 監督週間 など

監督: Pablo Larrain
脚本: Alfredo Castro アルフレド・カストロ  Mateo Iribarren マテオ・イリバレン  Pablo Larrain

出演:
Alfredo Castro アルフレド・カストロ ... Raúl Peralta ラウル・ペラルタ
Amparo Noguera アンパロ・ノゲーラ ... Cony コニ (ラウルの彼女というか愛人)
Paola Lattus パオラ・ラトゥス ... Pauli パウリ (コニの娘?)
Héctor Morales エクトル・モラレス ... Goyo ゴジョ (青年)
Elsa Poblete エルサ・ポブレテ ... Wilma ヴィルマ (宿・酒場の店主)

|

« El baño del papa / 法王のトイレット [ウルグアイ映画] | Main | Ó Paí, Ó / オーパイオー [ブラジル映画] »

Comments

ラスト、カメラは彼の目線で彼の目の見る方向(にいる人)を映し出して、あたかも彼がそれらを見つめているかのような絵図で終わるのかなぁとなぜかそのように思って固唾をのんで見守っていたが、そのようには終わらなかった。

そのような構図で終わるだろうとなぜ感じたのかな。なんか、当然のようにそういうカメラ位置で終わるだろうと思いこんだんだよな。

私が勝手に想像した構図で終わった場合と、実際のラストシーンの構図とでは、心象風景の描き方や主題の見せ方なんかがガラッと違ってきちゃうんだろうな。

そうだな。
私の想像した構図ではダメなんだ。
やっぱりラストはあの角度じゃないといけないのねぇ。
映画観るのって難しいな。

あたし、そういうの(撮影の文法みたいな。うまく言えないけど、そういう意図みたいなもの)、一度きちんと知りたいんだよな。真剣に‘達っちゃん’に聞いたらひょっとして教えてもらえるんじゃないかしらと妄想するくらいだ、最近は。

Posted by: Reine | Friday, September 19, 2008 at 10:40

体調悪いのであんまりたいしたこと加筆できないんだけど、

>チリ暗黒時代の絶望感とアイデンティティの喪失

ジャケ写では顔が見えないのはそういうことを表してるのかしら?と漠然と思った。ジャケ写が小さすぎるから見えないだけ?とも思ったけど、公式のギャラリーのすこし大きめの写真でも結局、顔も脚も見えないんだよね。

哀しい写真だなぁと思ってさ。

あとはあとで。

Posted by: Reine | Thursday, September 25, 2008 at 22:43

メモ
・『マチュカ』は、アジェンデ政権の末期の日々が舞台。1973年9月11日のクーデターの様子も描かれ、その後の国情を十分に想像させてエンディング。

この『トニー・マネロ』の現在は1978年ということだから、つまり『マチュカ』のあとの時代。『マチュカ』の記事の冒頭から長々と私が書いていったような時代が舞台。

・toque:
→ ・toque de quedaだよね: 1. m. Medida gubernativa que, en circunstancias excepcionales, prohíbe el tránsito o permanencia en las calles de una ciudad durante determinadas horas, generalmente nocturnas.

「軍が厳しいから早く(家に)帰った方がいい」っていうセリフもあったし、道を歩いてる人の姿なんかもまばらだし、向こうからぎゅうぎゅうに兵隊を積んだトラック(?)が来るとラウルなんかはスッと身を隠さなきゃいけないし。

おっそろしい時代だなぁと思ってさ。
(´・ω・`)はぁ……苦しいのぅ……。

・あぁそうだ。
テレビのニュースだったかな、「クエカが国定舞踊に決まりました」みたいな報道が聞こえてくるシーンがあったよね。

・cueca: . f. Baile de pareja suelta, en el que se representa el asedio amoroso de una mujer por un hombre. Los bailarines, que llevan un pañuelo en sus manos derechas 右手にハンカチを持って, trazan figuras circulares, con vueltas y medias vueltas, interrumpidas por diversos floreos. Bailado en el oeste de América del Sur 南アメリカの西部で, desde Colombia hasta la Argentina y Bolivia, tiene distintas variedades según las regiones y las épocas.

cueca@Wikipediaだけども
>recién en el año 1979 se oficializó la Cueca como danza nacional.

Posted by: Reine | Saturday, September 27, 2008 at 01:23

「ピノチェト」で検索していて

1) 「中小企業診断士の第2次筆記試験過去問題と設問分解練習法を大切にする『中小企業診断士 2次試験対策』の専門機関です。」というサイトでこんな練習問題を見かけた。

PDF 日本経済新聞 春秋 2006年12月12日


2) CHILE TORTURE AND THE NAVAL TRAINING SHIP THE "ESMERALDA"
>extrajudicially executed

『トニー・マネロ』の中でもあっさり‘処刑’されてたよね。逮捕の手続きもなければ司法の判断があったわけでなく、見つかって追いかけられて追いつかれて殴られたらすぐに殺されてたもんね。


3) PDF 2)の報告書の日本語による簡単なまとめ

とかさ。あんまり調べたくないのでこの辺で。

Posted by: Reine | Saturday, September 27, 2008 at 12:23

1) ラウルが執着する『Saturday Night Fever』のトニー・マネロ(ジョン・トラボルタ)のダンスは、特にこのシーンだよね?
↓↓↓
jhttp://jp.youtube.com/watch?v=PUAWI2c5hG0

たしかにこのトニー・マネロ(ジョン・トラボルタ)は(・∀・)カコイイ!! 

でもラウルは52歳。どれだけ真剣に模倣しても体はついていかないから膝を傷めたりする。床が悪い。床の下からライトアップされてないといけない。ミラーボールが無きゃいけない。

ラウルは性的にも勢いはもうなくて、愛人には「あなたはガラスの床にしか興奮しない」と言われる。

「映画のトニーは歳をとらないけど、あなたは歳をとる」「あなたはgringoじゃないのよ、あなたもこの国の私たちとおんなじなのに。同類なのに」


ラウルの耳にはもうそんな声は届かないね。この前に何人殺してきたんだろう。そしてこのあと何人殺すのかな。早く止めてあげてって思うけど、どうやって? いつどういうきっかけがあったらこの人は止まれるのかね?

肉体を殺してもらえる時しかないような…。
だってもう精神は死んでしまっているから。


これは『Tony Manero』のオフィシャルトレーラーだけど、「おさらいビデオ」という感じだな。鑑賞済みの人が観たらいいと思う。
jp.youtube.com/watch?v=qBNyxSp_RSc

Posted by: Reine | Saturday, September 27, 2008 at 13:09

 いろいろ話題を残して、サン・セバスティアン映画祭も終わりました。この作品もラテン部門で上映され、ラライン監督が記者会見に臨んだ。「ピノチェト軍事政権下の1970年代後半、トラボルタ演ずる『サタデーナイトフィーバー』のヒーロー《トニー・マネロ》に、異常なまでの執念を燃やす五十男ラウル・ペラルタの、社会からはみ出してしまった落ちこぼれ人生の断片を描いたもの」と語っています。
 それでラテンビートには監督でなく、主人公のアルフレッド・カストロさんが……

 そういうわけじゃないでしょ。最近東京で開催されたラテン映画祭で、カストロが最優秀男優賞を頂き、彼の努力も報われたと語っています。ラウル役は、年齢的にはハードで、危険でもあったでしょうからね。映画のできも良かったし、受賞はみんな納得ね。
 ラテンビートが紹介されたわけですね。カレロさん、読んでるかな。

 それにしてもアルフレッド・カストロは、アル・パチーノに似てない? 落ちぶれてしまったせいで栄養の足りてないアル・パチーノに。
 !?

 今年のラテンビートの一押しに選ぶ人、多いね。若い女性がハマっている。これも『頭のない女』同様、メタファー満載の映画と思うけど、抵抗なかったの。
 サイトやプログラムに時代背景が書いてある。それを読んで選んだのではないかな。YouTubeで予告編も見られたし、なかにはトラボルタのファンも。

 予告編だとミュージカル・コメディと間違う人も? まあ、昨年の『マチュカ』でハンカチ絞った人もいただろうし、ハリウッド映画だが、イサベル・アジェンデの小説を映画化した『愛と精霊の家』、アリエル・ドルフマンの小説『死と乙女』、年輩の人には『戒厳令下チリ潜入記』、音楽ファンには拷問のすえ非業の最期を遂げたビクトル・ハラ……すべてあの時代のことだね。
 1973年9月11日、もう一つの9・11です。犠牲者は公称3200人だが、実際は2倍、3倍とも。 

 「ポール・トーマス・アンダーソンの『ブギー・ナイツ』と『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を足して2で割ったような映画」と言った友人がいますが、鋭いね。
 確かアンダーソンは、ララインが尊敬する監督のひとりです。世代的にも近い。

 アンダーソンは1970年、ララインは1976年生まれ、若いね。そのほか好きな監督として、ピエル・パオロ・パゾリーニ、ベルナー・ヘルツォーク、フランソワ・トリフォーとか、ううーん。
 ララインのフィルムは、冷酷でクレージー、エゴのかたまり、欲望、恐怖、道徳的破綻、目的達成のためなら盗み殺人なんでもござれ、アンダーソンの寓意性に近い。

 でも、フェリーニ的でもある。右も左も主義主張が嫌い、徹底した何かのアンチではないと思う。フェリーニは黒シャツを裁かなかったし、ララインも殺人鬼をギロチンにかけなかった。ユーモアのブラック度も。

 変化球の反ピノチェト映画といってもいいですかね。
 アンクル・サムの傀儡政府たるピノチェト体制からエスケープするのに、アメリカ文化のグローバリズムの権化としてのトニー・マネロに執着する、このパラドックス。キツイね。アメリカ文化を代表するマクドナルド、スターバック、コカ・コーラ、辿り着く先は、CIAか。

 CIAの指導のもとで秘密警察が、反体制派の市民を殺害していったんですね。
 ベトナム戦争で習得したノウハウを生かしたんです。そういう時代だった。

Posted by: アリ・ババ39 | Monday, September 29, 2008 at 23:16

アリ・ババ39さん
いつもいつも本当におもしろい(←真面目な意味で)コメントをありがとうございます。アリ・ババ39さんの解説を心待ちにするくせがついてしまいました。

映画祭観た人、なるべく多くの人がこのブログに気づいてアリ・ババ39さんのコメントを読んでくれるといいんだけどなあと思っています。

つづきを楽しみにしています。
よろしくお願いします。
(↑ 丸投げか……)

Posted by: Reine | Tuesday, September 30, 2008 at 00:18

 ラウルは自室の窓から、老婦人が3人の暴漢に襲われているのを偶然目撃してしまう。躊躇することなく駆けつけ、婦人を助けてアパートまで送り届ける、なんと優しい男。ところがそこで、予期しない唐突な殺人が行われる。犠牲者の姿は映らない、ラウルが振り下ろす棍棒と、頭蓋骨が砕ける音だけ。まさにチリの《9・11》の再現だよ、これは。すぐそこに、すぐ隣りに別の世界があるんだね。
 ここで観客は凍りついてしまう、すごい導入部です。語ることのできないことをフィルムに語らせるのじゃなく、フィルムに語らせないで観客の想像力を引き出してしまう。

 老婦人暴殺はフィルム上ではラウルの最初の殺人になるが、観客は、ラウルが初犯でないこと、これからも続くことを予想してしまう。
 そして、最後のトニー・マネロ物まねコンクールの優勝者夫婦殺害を暗示させて、円環的にぐるぐる回って閉じられない。エンディングには光の欠けらもない。

 ハンディー・カメラがラウルの後ろ姿を執拗に追っていく。ダニエル・ブルマンの『僕と未来とブエノスアイレス』の導入部、カンヌ・キラーと言われるベルギーのダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』などを思い浮かべました。この映画は、社会批判の映画を撮ってるんじゃない、と常々語っているダルデンヌ兄弟の映画とも一脈通じるものがあるかな。不鮮明なカラーも。
 カメラを接近させクローズアップにするが、顔を映さないで後頭部、項にかかる髪のほつれで、観客に表情を想像させる。『頭のない女』でも繰り返し採用されていた。
 ああ、ヒロインのベロニカを長回しで撮った部分ね。低予算だと経済的? いや皮肉でなくさ。

 ラウルのアクションはピカレスク的、ガールフレンドというかセックスフレンドの腐れ縁のコニー、その娘パウリ、その恋人ゴヨ、食堂の女主人ウィルマ、この5人のパーソナリティーが面白い。
 ラウルとウィルマは深い仲だね。ウィルマの役者うまい。ラウルとどこかへ逃げ出したい。でもどこに逃げ出したらいい? パウリともやっちゃってる。別にそれほどやりたいわけじゃない、お腹空いてなくてもご飯食べるのと同じ。

 ゴヨは、反政府ビラ作りをしながら、一方でトニー・マネロにも夢中。
 「ゴー・ホーム・ヤンキー!!」と叫びながら、「帰るときには僕も連れてって」というわけ。ラウルはそういうオタメゴカシは我慢ならない。コンクール用の真新しい衣装をクソまみれにするシーン……純白のスーツのメタファーが何かを考えると。
 ゴヨのカリカチェア化に反発する人、チリでは多いらしい。
 それはそうでしょう、海外の映画祭で成功しても、本国でも同じかと言うと、話は別。「いい加減にしろ」と言う人あって当然、いつも言ってることだけど「みんなを満足させる必要はない」。

 カストロさんはQ&Aで、「評価は賛否両論だった」と言ってました。
 私は最終日に見て、そのときは残念ながらQ&Aはなかった。どういう反対論があったのだろう。
 よく覚えてないけど要するに、ピノチェト政権の総括ができていないというこじゃないかな。
 当たり前ですよ、ついこのあいだ死んだばかりでしょ。少なくても孫の世代がいなくなるまで出来ない。それに、アジェンデ=善、ピノチェト=悪という図式の映画じゃないよ。それに、反発には監督自身の経歴が関係してるでしょうね。

 具体的に言うと? 
 一息入れましょう。

Posted by: アリ・ババ39 | Wednesday, October 01, 2008 at 14:37

アリ・ババ39さんのコメントは本当に面白いです。もっとたくさん読みたいです。(勝手なリクエスト・・)

カストロ氏の舞台挨拶の時に見ていました。きちんと覚えていなくて申し訳ないのですが、この映画が本国で上映された時、やはり政治や経済などの権力を保持している層(既得権益集団というのでしょうか)にとっては不快な内容なので、彼らを苛立たせることになったとか、あと、一般大衆のレベルでも映画の途中で映画館から出て行ってしまう人もいたとか、そういうことをおっしゃっていました。

今回のラテンビートの中で、(質疑応答の時の空気の重さも手伝って)個人的には一番重苦しい気分を味わった映画でした。

Posted by: abetchy | Thursday, October 02, 2008 at 01:05

 ラテンビートのQ&Aに出席していたabetchy さんのブログ書き込みで、「カストロさんの話によれば、映画の途中で帰ってしまった観客がいた」ということですが、然もありなんですね。途中退場の理由は何であれ、ムチは大事にしないと。昔の寄席ではハナシが面白くないと、暖房用に持ち込まれた火鉢でお餅を焼いたり、寝そべってハナクソほじくったりしたそうです。
 現在のブーイングですね。そうやって若い才能を鍛え育てた?

 そうですね。叩かれてダメになるようなら《まぐれ当たり》です。実は、ラライン監督の父親エルナン・ラライン・フェルナンデス氏は、チリでは誰知らぬ者もいない保守派の大物政治家です。1994年からUDI(Union Democrata Independiente 独立民主連合?)の上院議員で弁護士でもある。2006年には党首に選ばれたという人物、勿論、一族は富裕層に属している。敵がいるのは当たり前。
 チリの「セレブ」というわけですね。お金持ちのお坊ちゃんだったの?

 お坊ちゃんかどうか知りませんが、「親の七光り」組であることは否定できないでしょう。実際、第1作 『Fuga』(2006)の資金は、友人、伯父さんたちを含めて援助してもらっている。「パパの《お友達》には出してもらっていない」ということですが……。まあ、一族のなかではクレージーな変わり者にも資金援助を惜しまなかったということですね。6人兄弟の一人フアン・デ・ディアスと Fabulaプロダクションを設立している。映画の資金作りに原子力発電所で働いたという、ダルデンヌ兄弟のような苦労はしていない。
『戒厳令下チリ潜入記』のミゲル・リティンのもとで仕事をしたのがキャリアの出発。独立してコカ・コーラやテレフォニカのコマーシャルの制作などをしたということです。

 軍事政権時代に辛酸を舐めつくした人にとっては、出来不出来にかかわらず生理的に‘NO’。キタナイお金かもしれないという感情論もある?
 多分ね。『Fuga』は見てないけれど、カンヌで銀獅子賞をもらって、滑り出しも順調、強運の人だね。でも海外の成功イコール「故郷に錦を飾る」にはならない。このときも結構「授業料」を払わせられ、それが肥やしになってるのでは。出る杭は打たれる、打たないと危険でもあるからね。
 これにラウルを演じたアルフレッド・カストロが出ています。これが銀幕デビューだそうです。

 このときの抜群の演技力にララインが惚れ込んで、今回の抜擢になったんではないの。彼は脚本にもマテオ・イリバレンと共同で執筆しているようだね。ラテンビートでは、脚本賞がなかったのは残念。監督にとって、映画の決め手は優れた脚本に出会えるかどうかだというのにさ。
 本業は舞台俳優だそうです。
 ラウルのような人工的な役柄には、舞台俳優の発声法がぴったり。残念ながら無口な役でしたが。

 落ちぶれたアル・パチーノとか言ってませんでした?
 それは、フィルムの中でのこと。ラウルがトラボルタの口に合わせて《英語》の歌を練習する場面、あの異様なまでの真剣さ、悲しくて涙が出ませんでしたか。英語で、に意味があるんですよ。

 チリの名物料理エンパナーダを食べたような映画です。ファミリーは崩壊しているというか、初めからないようだ。それにセックスに愛は無用と言わんばかりだ。愛情に飢え、癒しを求めている人々向きじゃない。
 ラウルの生き方が、だんだん嘘っぽくなっていく。監督は意識してそうしている。人生に意味など探し求めるな。老婦人を暴殺したのは、どうして? どうしてだか分かりません、ラウルに訊いてください。ラウルの沈黙は、コミュニケーションの不在とも取れる。共生は遠い存在、話せば分かりあえるという幻想を抱くな、ということ。仮に100歩譲って、理解ができたとしても納得したことにはならない。理解と納得はまったく別、観客に納得は求めていない。

 前に、監督はラウルをギロチンにかけなかった、と言ってましたが、良い悪いの判断はしない?
 うーん、しないというより出来ないということ。よく「真実のナニナニ」という表現あるけど、真実などほんとにあるのかな。そんなもの時代とともに変化するんです。過去に真実とされたことが、現在ではそうじゃなかったことの繰り返しでしょ。人間と言うのは、間違う唯一の動物だと思わない? 
 伝統的なストーリー構成を拒否していることは確か。ラウルのニヒリズム、オブセッション、センセーショナリズムを不透明にしなかった。

 更に《模倣》の重要性、人マネとかいって模倣を軽蔑する傾向にあるけど、とんでもない。模倣のない創造はありませんよ。模倣、大いに結構。私たちはモーツアルトでもピカソでもありませんから。
 ラウルのオブセッションは、アメリカ文化のカリカチェアだけではない?
 と思います。しかし、シナリオにも綻びがあるね。最後のシーンは、1978年は昔のことになっても、状況は依然として現在も未来も続くというメッセージだと思うけど、最初の老婦人殺害が予測できなかったのに比べ、最後は予測可能で平凡、もう一捻り欲しかった。

 今年、2008年はアジェンデ生誕100周年だそうです。それに合わせて、カルメン・カステージョの『Calle Santa Fe』という映画が、マドリードのカサ・デ・アメリカで上映された記事を読みました。「アジェンデ時代のノスタルジーで作ったのではなく、ピノチェトの影は、依然自分たちの足もとにあり、危険は続いている。今日のチリを描いた」とインタビューに答えています。
 どこの国でも同じだが、政治的変革でもイデオロギーでも、もはや共通のコンセンサスはない。自由に自分の意見が言える、これこそチリの国民が望んでいたこと。何か言ったら、翌朝道路で冷たくなって転がされていた時代じゃなくなったということだといいけど。

Posted by: アリ・ババ39 | Friday, October 03, 2008 at 15:24

アリ・ババ39さん
いつもありがとうございます。何度か読み返してしまいました。いつものことですが、アリ・ババさんのコメントは、読んでいる途中で唸り声が出てしまいますね。(→たとえば『En la Ciudad』の時なんかもそうでした)

面白くてしかたないです。
私なんかがもしもアリ・ババ39さんのコメントを「THE 正解!」として受け止めたりしようものなら、たぶんアリ・ババ39さんはやや照れたように「これは私の感想にすぎないから」とおっしゃると思います。それはわかっててもね、やっぱり唸ったり頷いたりしちゃうんだよね。ほんとに面白いです。ありがとうございます。

これ……どうしましょうか。
いや、「お礼」をね。こういつもいつもお世話になってしまっては。

なにかさしあげないと。
と思うので、今後はお会いするたんびにたとえばBerlangaもののDVDなんかを持って参ります。

Posted by: Reine | Friday, October 03, 2008 at 23:08

The comments to this entry are closed.

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/33847/42511985

Listed below are links to weblogs that reference Tony Manero / トニー・マネロ [チリ映画]:

» El Custodio / ボディーガード [アルゼンチン映画] [Reino de Reine]
([E:danger] わりとサラっと観たので注意点がいくつかあります。[E:danger]) Latin Beat Film Festival 06 / ラテンビートフィルムフェスティバル2006 / 第3回スペイン・ラテンアメリカ映画祭で上映された作品。 当時の映画祭サイトより、作品紹介: 2006年ベルリン映画祭アルフレッド・バウアー賞受賞。 ボディガードの仕事は大臣を常に見守ることである。大臣が車から出ると、彼もあとに続き、大臣が左へ曲がると、彼も後に続く。大臣がうたた寝するときは、その... [Read More]

Tracked on Monday, January 12, 2009 at 00:12

« El baño del papa / 法王のトイレット [ウルグアイ映画] | Main | Ó Paí, Ó / オーパイオー [ブラジル映画] »