Cortometrajes / 短編作品集
第5回スペインラテンアメリカ映画祭の作品紹介より:
ALUMBRAMIENTO 『始まりと終わり』
危篤の母に延命措置を施す息子。だが、死ねずに苦しむ彼女の姿は、やがて最良の死のありかたを問うことに。
・Alumbramiento@IMDb
「¡Mamá!」とうわ言を言っている病人に対しては、あのように(=母として)接するのが一番いいだろうなとは思った。
老女が喘息かなにかの発作で苦しんで……というのは、私が昔スペインで住んでいたアパートの隣室のお婆ちゃんが最近そのように亡くなった(との知らせがあった)ので、彼女が思い出された。それと、(母)親を送ることを想像したら耐えられなくなって、滂沱の涙だった。
「そんな直球の泣き方、ダメだよ。それじゃぁ、映画で感じてるわけじゃないじゃない、それ、映画と関係なくても泣いてるじゃん>我」って、冷静に鑑賞するように自分に言い聞かせたんだけど、一度涙出たらもう止められなかった。
EL DESEO 『欲望』
50歳を過ぎ、夫と別れて鬱状態だったアナ。人生のやり直しを決意し、遂には自覚のなかった性的欲望をも知る。
これは……主人公のセリフはたしか「Cógeme. (= F××k me.)」しかなかったんじゃないかな。
昔、ホルモン剤の副作用だのなんだので擬似的な更年期障害のような症状に悩まされたんだが、更年期の鬱はたいへんに強烈で厄介でありました。(私のは薬で作られた鬱状態だったのだろうけれどもね)
で、性的欲望というやつですが、これがまあ、おもしろいくらいに減退したのでした。バットがピクリとも動かない。
だから、なんつうか、主人公が鬱状態を脱するかというときににわかに性欲を認知して突き動かされていくっていう描写は、「ほほぅ、そういうこともあるのかな。あるんだね。あるのだろうな。」と興味深く見てた。そして、性欲は無ければ無いだけ生活には便利だなと思った。あると煩わしくね?
けど、映画の観方としてはこんなんでよかったのかどうか、おおいに「?」である。
BUEN VIAJE 『いい旅を』
幹線道路の料金所で働くサンドラ。単調な生活を送る彼女に、ある日人生を変える一本の電話がかかってきた。
・(PDF)カンヌの時のページ
音効が、なんか、他のと違って聞こえたような…。なんでだろう? なんか、この作品だけサラウンディングな感覚があった。気のせいね。
LA MILPA 『トウモロコシ畑』
農民たちは、唯一の望みであるそのトウモロコシ畑に雨を降らせようと、聖母を担ぎ出して神に祈った…。
『おなじ月の下で』のパトリシア・リヘン監督の短編作品。
・La milpa@IMDb
女性が、居所がおぼつかなかったり進む道を見失いかけたりして行き詰ったときに、おばあさんの粋な話を聞くことで何かを得てしっかりと立ち上がって前を見て歩き出すといったストーリーは、私の好きな『フライド・グリーン・トマト』にも似ていて、とてもよかった。
LA CORONA 『王冠』
コロンビア・ボゴタにある国内最大の女囚刑務所ブエン・パストールは、年に一度の“刑務所内美人コンテスト”の日、割れんばかりの歓声と拍手で満ち溢れる。プロにウォーキングを習い、伝統舞踊を学び、日々美しさに磨きをかける各棟の代表受刑者達に、刑務所長、看守、仲間達が声援を送る。
2006年コンテストに名乗りを上げた殺人犯マイラ、ゲリラ活動家ビビアナ、強盗犯アンヘラとアンジーは、厳しい生い立ちや監獄に入るまでの経緯、コンテストの抱負と今後の人生の希望を語る。コロンビアの社会問題を斬新な角度から浮き彫りにしたドキュメンタリーの力作!
映画祭
80th Annual Academy Awards
Sundance Film Festival
Sundance (Short shot)
(つづきはコメント欄で)
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Comments
『Alumbramiento』
ラストのdedicatoria(献辞)は、「a los familiares que ya se han ido」「y a quienes les ayudaron a irse.」とかなんとかだと思う。「すでに逝った家族へ。そして彼らが逝けるように手を尽くした人たちへ」とかそういったメッセージだったと思う。
それから、「a mi hermana 姉に捧ぐ」じゃなかったっけ?
Posted by: Reine | Tuesday, September 16, 2008 11:20
『El Deseo』
・彼女が性的商店(←ごめん、これを書くと私のブログにはコメントできない設定なんだ)に入っていったときに置いてあるパネル(?)は、Max Cortesの『Sextasis』
『Buen Viaje』
・サンドラが料金所で読んでいる本は『El doctor en su casa』(家庭の医学)
Posted by: Reine | Tuesday, September 16, 2008 11:51
『La Milpa』
・ya pasadita de edad: (23歳では)もうややいき遅れだし
・全く何も知らないのだけど、従兄のハシントが与することにしたVillistaっていう革命軍(?)は、パンチョ・ビリャ(Wikipedia) の一派ということですね?
・なんか、花火の音がよく聞こえてたと思うんだが。こないだの『デフィシット』でもずっと花火の音が聞こえていた。
私は『デフィシット』のプロデューサー質疑応答まではいられなかったのだけど、どうやら花火についても質問があったとか? そして説明は、「あの地域は何でもお祝いをする習慣があって盆地なので花火のような音が続くという演出にしたらしい。とか。」
・地主に水まで搾りとられて…。
・酒を持ってくれば肥料と替えてやる。
・肥料じゃなくて水が欲しい。
・貧乏人にとって革命は最後の希望。
・土地を奪った敵。
・「Así mismito fue.」
・「Mi niña se va a la guerra.」
そろそろ旅立つ私の女友達にアンヘラ婆さんのこのセリフを捧げます。良い旅を。
↓↓↓↓
・いい男は居る所には居る。
・捜しにいくのが一仕事だけど、いつだって手遅れなんてことはない。
Posted by: Reine | Tuesday, September 16, 2008 12:09
『La corona』
華やかな色どりと輝く女性の表情と、時折ふっと差す影、瞳の奥に隠れている絶望、そして想像される‘このあと’の現実の暗さと重さなどなど、昨年の映画祭の『線路と娼婦とサッカーボール』から感じられたイメージと似てはいる。
映画祭プロデューサーのアルベルト・カレロ氏は女性を描いた作品を意識して持ってくるようにしておいでだそうで、『La Corona』をこうして観ることができたわけです。いつもいつもいい作品を本当にありがとうと、映画祭が終わって落ち着いた頃にきちんとお伝えしたい。彼の、作品を選ぶ眼の確かさは尊敬しております。
Alberto, ¡te queremos!
Posted by: Reine | Tuesday, September 16, 2008 12:39
・なんでもかんでもミスコン、ミスコンの国、コロンビア。
・でも刑務所のミス女囚では優勝したって女優への道が開かれるわけでもない、億万長者に見染められ玉の輿に乗れるわけでもない。
・だけど、ミスコンテストは女囚たちにとっては希望の光。
・その期間だけは自由を得られたかのように錯覚できるから。現実から逃れられるから。
・「出場する意義は?」だったか「優勝をしたらどうする?」だったか尋ねられた一人が答える: 「patio(=自分の収監されている監房棟)のみんなが喜ぶわ」
Posted by: Reine | Tuesday, September 16, 2008 12:50
・戦闘状態のような混乱の続く社会情勢と、最悪の治安と、手の施しようのない貧困と。飢えに苦しんで、耐えがたい屈辱をいくつも味わって、何を自由にできるでもない、そんな風に生まれ落ちたら、悪銭を稼ぐ以外にどうやって生きて来られたというのか。
・何人も殺してきたよ。もちろん金をもらってね。遅かれ早かれ刑務所にぶちこまれるか、墓場に行くんだろうねって、そう思ってた。人を殺して生きのびてきた。(そんな風に語る殺し屋マイラの鼻梁の傷が印象に残った)
・だけどあたしだって「una dama 淑女」だよ。あの女、あたしにツバ吐きかけやがった。淑女にツバ吐くかよ、ふつう。
・優勝を逃した女囚がぽろぽろ泣いて房の仲間に慰められる。
・一方、優勝した女囚の房の仲間は、「あいつずっと泣いてんだってさ」「自殺でもしちゃってんじゃないの」「元から自殺願望でもあるみたいだったからね、そろそろじゃないの」「あははは、マジ、ウケるー」
Posted by: Reine | Tuesday, September 16, 2008 13:32
最終選考に残った候補者への質疑応答(うろ覚えだけど):
・人生最後の日に赦しを請うとしたら誰に?
・人生で最も大切なものは?
・一日だけ政治家になれたらコロンビアの子供に何をしてあげる?
・コロンビアは情熱の国と言われているけれど、それはどうしてでしょう?
Posted by: Reine | Tuesday, September 16, 2008 13:47
監督Amanda Micheliの質疑応答。
・もう一人の監督Isabel Vegaはコロンビアの人で、コロンビアに特徴的な美への固執を描きたかった。
・女性たちが、身ひとつを使い、女と言う性をとおしてアイデンティティを形成していく過程を描きたかった。(というようなこと言ってたかな???)
・女囚たちが刑務所内で私服で自由に過ごしているようにも見えたかもしれないが、あれはコロンビアには囚人服を揃えるだけの予算がないからああなっているだけである。
・音楽がふんだんに取り入れられている、というわけではなくて、あれらの曲はみな撮影の場で実際に背後でかかってしまっていたのである。かかっているからと言って囚人たちに「それ止めてくれる?」とは言えないし、映画に音楽が入りこんでしまうとどうしても権利関係でお金がかさんでしまうので、いやはやたいへんだったんです
・撮影許可を取るのもたいへんでした。red tape (=お役所的形式主義)で、「あっちに聞いてくれ、ここでは何ともお答えしかねます」の連続でタライ回しに遭ったから。
・彼女たちは釈放になる日を夢見ているが、釈放になったら自由になれるのかと言っても、現実は塀の外の暮らしの方がもっと辛苦に満ちているかもしれない。現に、優勝した女性は釈放されたのち、1年も経たないうちに路上で殺害されました。
Posted by: Reine | Tuesday, September 16, 2008 14:01
ごめん。話題ガラッと変えちゃうんだけど。
2番目の『El Deseo』で主人公のアナという婦人が性具商店に行くシーン。(※うちのブログのコメント欄で‘性具商店’を英単語で書くと投稿できない)
あのシーンで、昔セビージャの男友達から聞いたスパニッシュジョークを10年以上も経ってふと思い出し、上映中にニヤニヤしちゃったんだよな:
中年女性が性具商店に入って行く。
女性: ……あのぅ……ハ゛イフ゛が欲しいんですけど。
店員: ハ゛イフ゛だったらあちらの棚です。最新型のから何から品揃え豊富ですからどうぞ選んでください。
女性はしばらく棚を眺めていた。
店員: お決まりですか?
女性: えぇ。あのいっちばん端の赤い大きいヤツくださる?
店員: あ。…えーっとですね、ハ゛イフ゛の棚は消化器の隣からこっちなんすよ。
(※前にもこのジョークは書いてる; どんだけ思い出深いんだ>我)
Posted by: Reine | Friday, September 19, 2008 22:14