Tamaño natural [スペイン映画]
先月亡くなったラファエル・アスコナが脚本、監督はベルランガという名コンビの作品。オリジナルはフランス語なのかな? 原題は『Grandeur nature』、スペイン語のタイトル『Tamaño Natural』も、英題の『Life Size』も、「形容詞: 等身大の,実物大の」という意味。
このジャケ写で‘等身大’と言ったら、何がテーマとなっているかもうわかるでしょ?
あらすじ
45歳の歯科医ミシェルは仕事も妻との生活も平らかである。浮気もそれなりにしているが、それでも彼の日々は淡々と過ぎている。
そのミシェルがなにやら海外からの荷物の到着を港で待っている。今や遅しと彼が待っていた荷物とは、一人では運べないのではないかと思えるほどの大きな箱であった。歯科医院の奥の部屋で梱包を解く。箱の中で微笑んでいた美しい‘娘’を、彼は愛しそうに部屋の戸棚にしまった。
それからというもの、一日の仕事が終わり助手を追い立てるように帰してしまうと、ミシェルは奥の部屋に閉じこもり‘その娘’との甘美なひとときに溺れるのであった。いっしょに風呂に入り、服を着せ、写真を撮り、8mmにおさめ……。ミシェルのそうした変化にやがて妻のイサベルや老いた母親も気づく。
___________
これ、末期とはいえフランコ時代に書かれたわけでしょう? 撮影場所はシッチェスとマドリード(※どちらもスペイン国内)らしいけどお話の舞台設定がフランスとなっているのは、あのような体制下ではこんな話はもってのほかでフランスでのお話ということにでもしないと制作・公開が難しかったから、なのでしょうか??? (※求ムinfo)
IMDb的な評点は低いようだけども、いや、けっこう、けっこうよ。
興味深いという目で観るような作品でした。男性がどう見るかはわかりませんが、女としては、おぞましくもあり、そのおぞましさが怖くもある。そういう味わいの作品。Fundación Biblioteca Virtual Miguel de Cervantesにおけるアスコーナ関連記事中でも、「incomprendido e insuficientemente valorado 真価を理解されてはいない、十分に評価されているとはいえない作品」という記述があるけど、うん、示唆に富む作品でしたよ。
そう感じたのはもしかすると、この作品から30年も経った今、この物語がホントになってしまっているのを私が知っているからかもしれないね。1974年当時の人にはオハナシっぽさが強かったであろう現象が、30年後の日本(やそのほかの国々)で現実的になっているからかね。
2006年7月、そのような人形と結婚して同居する男性のYouTube動画がネット上で話題になったようで、その動画を見た若い人たちの反応としてはこんな感じだったみたいで、「きめえ」「きめえぇぇぇ」の連続である。
ちなみに私は今夜、まさに今、これらの記事を流し読みする過程で「ドーラー」なるジャンルの人たちの存在を知りました。
そういった現状に鑑みれば、アスコナもベルランガもあの時代に早くもこういう‘おもしろい’作品をよくまぁ作ったものだと、唸りませんか。
・Tamaño natural (Grandeur nature)@IMDb
監督: Luis García Berlanga ルイス・ガルシア・ベルランガ
脚本: Rafael Azcona ラファエル・アスコーナ Jean-Claude Carrière ジャン・クロード・カリエール Luis García Berlanga
出演:
Michel Piccoli ミシェル・ピッコリ... Michel ミシェル
Valentine Tessier ヴァランティーヌ・テシエ ... Mother お母さん
Rada Rassimov ラーダ・ラシモフ ... Isabelle イサベル(妻)
Lucienne Hamon リュシエンヌ・アモン ... Juliette ジュリエット
Michel Aumont ミシェル・オーモン ... Henry アンリ(友人弁護士)
Queta Claver ケタ・クラベル ... María Luisa マリア・ルイサ(家政婦さん)
Manuel Alexandre マヌエル・アレクサンドレ ... Jose Luis ※役名はナタリオだと思う
Agustín González アグステイン・ゴンサレス ... Guitarist ギター弾いてた人
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Comments
IMDbを見たところ、これはフランス作品で、もともとはフランス語のようです。だけど、現在スペインの通販などで売られているDVDではみんなスペイン語をしゃべっています。
フランス語のセリフをたぶんスペイン語で吹き替えたものではないかと思うのだけど、よくわからない。
「吹き替えものは声優がクリアにしゃべってくれるからヒアリングが楽」という人がいますが、これなんかそのパターンではないか。字幕無いけど聞き取りはかなーーーり楽です。
Posted by: Reine | Friday, April 04, 2008 23:44
語句メモ
・grandota:
→・ -ote, ta: suf. U. para formar aumentativos y despectivos a partir de adjetivos y nombres. Bobote, grandote, angelote, marquesota
・disecado: m. Acción y efecto de disecar.
→ ・disecar:
1. tr. Dividir en partes un vegetal o el cadáver de un animal para el examen de su estructura normal o de las alteraciones orgánicas.
2. tr. Preparar los animales muertos para que conserven la apariencia de cuando estaban vivos.
・estar como un tren [como para parar un tren]: frs. coloqs. U. para denotar que una persona es muy atractiva.
・cotilla: 2. com. Persona amiga de chismes y cuentos. U. t. c. adj.
・meter las narices en algo: fr. coloq. Curiosear, entremeterse, sin ser llamado.
・ruborizar: 3. prnl. Sentir vergüenza
・maniquí: 2. m. Armazón en forma de cuerpo humano, que se usa para probar, arreglar o exhibir prendas de ropa.
・escultura.: f. Arte de modelar, tallar o esculpir en barro, piedra, madera, etc., figuras de bulto.
・jorobar: 1. tr. coloq. Fastidiar, molestar. U. t. c. prnl.
・indispuesto, ta: 1. adj. Que se siente algo enfermo o con alguna novedad o alteración en la salud.
・tocamiento: 1. m. Acción y efecto de tocar
・pelma: 4. com. coloq. Persona molesta e importuna.
・tila: 3. f. Bebida antiespasmódica que se hace con flores de tilo en infusión de agua caliente.
・jeta: 4. f. coloq. Cara humana.
・moharracho: 1. m. Persona de ningún valer o mérito.
・pocilga: 2. f. coloq. Lugar hediondo y asqueroso.
Posted by: Reine | Friday, April 04, 2008 23:46
キャプチャできるなら見せてあげたいくらいなんだけども、ドールが輸送されてきた箱の外側に書かれた「こわれもの注意」などの文字が奇妙。そのフレーズならこう書くんだよと日本人に紙に書いてもらったのを外国人が文字の形を真似しただけのような、なんか不思議な文字です。
「Mr. MICHEL BARREL
AEROPORT ORLY
PARIS
FRANCE
MADE IN JAPAN
HANDLE WITH CARE
上
FRAGILE
こわれもの注意」
とも書いてあるので、このドールは日本製という設定のようですが、どうなのですか? (←って誰に何を答えてもらいたいのだ?)
Posted by: Reine | Friday, April 04, 2008 23:55
ここからはネタバレ気味かも
↓↓↓↓
これ、3週間くらい前からプツプツ切りながら見てきたから記憶にやや自信無しなのですがね。んーーーっと、どうだったかね? たぶん彼はドールの名前を決めていないよね。そのときどきで適当な名前で呼んでいる。
面白い描き方だと思った点です。あれほど愛しているようでいながら名前をつけはしないミシェルの姿勢を世に問いたいというか。問うな。
上述の「ドーラー(?)に対する若い人たちの反応」の中にこんなのがあるでしょう:
31. Posted by 名無しクオリティ 2006年07月21日 21:22
奥さんを紹介する時
「従順で…」
っていう言葉を使ってるのにひいた
32. Posted by 名無しクオリティ 2006年07月21日 21:25
妻を紹介する時に
「従順で…」
って言葉使ってるのがキモス
129. Posted by 名無しクオリティ 2006年07月22日 14:47
「従順」って嫁は犬かwwwwwww
ミシェルはドールを連れてテーラーに行き、採寸までしてもらって服をあつらえたりもする。店主に「マネキンですか?」と聞かれミシェルは「NO」と答える。「じゃぁ、彫刻ってことかしら」と聞かれ、「私にとってはひとりの女性ですな」と答える。
だけど、ミシェルさん、ドールに名前をつけてやらないのってどーよ。結局さぁ、あなたもドールのことモノ扱いしてんじゃんって。‘その娘’を人間扱いするのは自分がそう扱いたい時だけかよ、と。
他にも、人間の女性として心の底から愛しているのであったらそんな荒々しいこと普通はできないでしょって咎めたくなるような乱暴な所作に及ぶこともある。
するとミシェルの内面がちぐはぐに思えるわけだけど、だからこそ、彼の気分屋ともいえそうな性格が徐々に極端になっていく様子が観察でき、そこから我々が狂気を感じる作りにもなっているわけです。
Posted by: Reine | Saturday, April 05, 2008 00:15
本作でもう一つ描かれている今日的なテーマといったら、ミシェルの母親の態度だな。
ミシェルの母親はドールを見つけた時に……
いや、これは書かないでおいた方がいいと思う。見ればわかるから。
考えすぎかもしれないけど、『カット』(フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督;1996年)に遠回りに通底してるような。
Posted by: Reine | Saturday, April 05, 2008 00:23
上で「おぞましい」と書きましたが、んーーーー、そうだなぁ……
ミシェルのドールとの愛の交歓の仕方、早い話が「プレイの仕方」に対して、女性はもしかしてもしかするとちょっと生理的嫌悪感を抱くかも。と、うっすらと忠告はしておきます。
別に直接じゃないんだけどね、見えたりするわけでもなんでもないんだけどね。でもなんつうかな、「スパンキング(というプレイのつもりなん)だな」「で、次は、しゃぶらせてる(っていうつもりのプレイな)んだな」と見受けられるシーンや、女性としては見るに堪えないシーンなんかもあるので、イヤっちゅう人はイヤかもよ。生理的にね。
友人らの説得も空しく、ミシェルが自分とドールのためだけの世界を作り上げていってしまうさまはホラーと受け止めることもできそうである。リアルではないドール、つまりいわゆる普通のお人形をミシェルがどう扱ったか。その一瞬のシーンも不気味であった。
ドールをついに紹介された時の、妻イサベルや友人アンリらの表情がたちまち凍りつく様は、わりと‘来る’。
今こうして私も「人形を紹介された時」などと書いてしまっている。単に「見せられた時」と書くべきなのに。これは私までもがミチェルの暴走に巻き込まれたというのを物語っているのでしょう。
Posted by: Reine | Saturday, April 05, 2008 00:32
ギターをピロピロ器用に軽快に弾いてる人。Agustín GonzálezってIMDbには書いてあるけど、Agustín González、あんな顔してたんだっけ? でも、Agustín Gonzálezの趣味は「ギターを弾くこと」だったようだから、そうか、あれはやっぱりAgustín Gonzálezだったのだ。ほほう。
(El Paisの追悼記事参照)
Posted by: Reine | Saturday, April 05, 2008 00:35
(この先は雑談と文法事項説明を続けますが、まだ書き上げてないので、何かありましたらお先にどうぞ)
Posted by: Reine | Saturday, April 05, 2008 00:39
映画はもちろん、このテーマ自体に非常に興味があります。(興味持つな。)
ドールに名前を付けないってのは、人格の無い相手しか愛せない(性欲の対象と出来ない)ということなのかな。名前が与えられた瞬間に、彼にとっての「ドール」の意味が変わってしまうのでは・・・などと思いました。
Posted by: abetchy | Saturday, April 05, 2008 01:17
そう、Abetchy、そういうことかもしれません
>人格の無い相手しか愛せない
ミシェルはドールに人格を求めているようでいて無視したりもするのです。その辺のアンビバレントが興味深かったですよ。いずれお貸ししますよ、そしたら。
ただ、それこそ「きめー」シーンも多く、私の鑑賞中のメモにも「いや、もうやばいって」「もう、ほんとやばいよやばいよ」とあります。ミシェルを見てひいてる感じのメモ。
Posted by: Reine | Saturday, April 05, 2008 09:00
母親: ¿No estás enfadado? おまえ怒ってないでしょう?
ミシェル: ¿Por qué iba a estarlo? 怒ってるわけがないよ
『Curso de Perfeccionamiento』より、「ir a + 不定詞」について:
Valor de negación en frases interrogativas y exclamativas.
例) ¡Quién lo iba a decir! (= Nadie lo hubiera dicho).
例) ¡Qué va a saber ese chico latín! (= No lo sabe).
例) ¡A ti te lo voy a contar! (= No te lo contaré).
例) ¿Cómo voy a decir yo una cosa así? (= Yo nunca diría una cosa así).
『Gramatica Comunicativa del espanol 2巻』より、「Sobre los actos de habla y la información」の33.~:
Para rechazar enérgicamente una relación sujeto-predicado (主語-述語) implícita en algo dicho por otro, o planeada explícitamente, se usa 「¡qué/cómo + irの現在形または線過去(=不完了過去) + a + infinitivo!」
例)
A: Es precioso.
B: ¡Qué va a ser precioso! ¡Es horrible!
例)
A: Es tardísimo ... Deben de ser las tres ...
B: ¡Cómo van a ser las tres! Si acabamos de levantarnos ...
Cuando el enunciador rechaza dicha relación sujeto-predicado (主語-述語) porque, según él, falta un lugar, un momento, un modo, un sujeto, una razón, etc., para que sea posible, la estructura usada es :
「¡dónde
¡cuándo
¡cómo
¡quién
.....etc.」 + 「irの現在形または線過去(=不完了過去) + a + infinitivo!」
例)
A: ¿Ya habéis acabado la traducción?
B: ¡Y cuándo la íbamos a haber hecho si nos la trajiste anoche!
例)
A: Quita eso de ahñi.
B: ¡Y dónde lo voy a poner!
例)
A: Por favor, un poco de música.
B: ¡Pero cómo voy a poner música si no hay luz!
『中級スペイン文法』より、「ir a」:
感嘆文での反語表現
¡Cómo voy a comprarlo! 私がそれを買うって!(買うわけはない)
Posted by: Reine | Saturday, April 05, 2008 09:37
さて、私ちょっとよくわからないのですが、本当のダッチワイフ(?)ってのはいったいどのように梱包されて家に届くものなのでしょう? ミシェルのはポリウレタンで等身大にみっちりと作られている製品だったから、全身が収まるような大きな箱、つまり棺おけのような直方体の箱で届いたんだが、空気を入れて膨らませる浮き輪とかゴムボートのような製品ならこんなに大きな箱で届かないでしょ?
え? あれ? ダッチワイフ(?)ってものはどういった材質でできているのでしょうか。浮き輪みたいに膨らますんじゃないの???
参考: 空気嫁
本作のダッチワイフ(?)は、どうも肉感があるというか、「空気嫁」というような材質とは見えないのだ。なんか、舌とかもちゃんとある。
え、でも、ほら、私の友人は秘密の女性を膨らませて激流下りをしていたよ? だもんだから、私は膨らませて使う浮き袋のような物体なのだとずっと思っていたのでした。
いろいろあるんだねぇ……。ドールっつうのは、もっと、こう、なんつうか、みっちり肉のつまった物体なのですねぇ…φ(`д´)メモメモ...
Posted by: Reine | Saturday, April 05, 2008 09:59
ちなみに先月、この記事を書くために上記の友人からいろいろ説明してもらったのでまとめます。
私: あの「秘密の女性」って、「ダッチワイフ」という物品なのですか?
彼: そうです。正真正銘のダッチワイフです。
私: あの「秘密の女性」の材質・形状・使用法・注意点・秘密の女性としての使用感・川を下ってみた使用感について教えてください。
彼: でも、その後、実際に本来のダッチワイフとして使った事はないですよ(笑) 川を下った時は、ただの浮き袋ですからね…目立つけど…
ちなみに、彼は当時シーカヤックに熱中しており、お仲間と川下りをしようという計画を立てて盛り上がっていたのだそうです。そして…、
カヤック乗りがカヤックで川下っても当たり前すぎる
↓
ビーチで使うマットとか、プカプカ浮く王様の椅子みたいなもので下ったら、面白いんじゃないかな
↓
ビーチマットの部分を冗談でダッチワイフでと言ったら、すごい受けて盛り上がった
↓
彼自身は冗談のつもりだったが、お仲間の一人が翌日さっそくアダルトショップへ本当に買いに行った
曰く:
本来あのダッチワイフは、SMセットといって、今でいう、にしおかすみこが着ているようなものをまとってました。
アダルトショップの人に、「実は明日、川下りをするんですが、洋服とか鞭とかは必要ないんですが、中身だけ買うんでディスカウントしてもらえませんかねー」って言ったら
「うーん。まあ、これは、バラ売りできるからね。半額でいいよ」といって、1万5千円ぐらいするものを8000円ぐらいで買ってきました。
だそうです。有益な情報をthx!
Posted by: Reine | Saturday, April 05, 2008 10:14
そんなこんなで私、別の友人からドール系の怪談を聞きましたので、ちょっと検索して見つけてきました。もうそろそろ落ちてしまうスレッドだと思うので早いうちに読んでおいてね。よくできてますよ。
↓↓↓
http://human7.2ch.net/test/read.cgi/ms/1203153860/26-30n
(【恐怖】既女が語る恐い話【心霊】23)
(もとはオカルト板のラブドール関連のスレッドにあったらしい)
Posted by: Reine | Saturday, April 05, 2008 10:25
そんな話をしていたらその子が、『30 minutes』にドールを用いたお話があったぜと教えてくれた。
http://www.megavideo.com/?v=JRRCMVQ5
けっこうちゃんと重そうだ
Posted by: Reine | Saturday, April 05, 2008 10:33
何が何でもこの作品お借りしたくなりましたよ。そのおぞましい場面をぜひ見てみたい。
今回初めて上記のオリエント工業のホームページでじっくりとリアルドールを拝見しましたが、いや、よくできていますね。美しい。隣の奥さんに似ていたのに、ぎょっとしましたが、日本人の男性がグッとくる顔の平均値がこれなんでしょうかね。アメリカのならもっと挑発的な顔してそうですが、どうなんでしょう。(プレイボーイとか見る限り、噛み付いてきそうな表情が多いですよね)
Posted by: まるを | Sunday, April 06, 2008 08:57
まるをさん
そしたら今度お持ちしますよ。オリエント工業のショールーム見学に行こうと、友人Nisimuraと計画していますので、まるをさんも是非。
>隣の奥さんに似ていたのに、ぎょっとしました
↑
あなたはまたそういう黒いことを言う
>プレイボーイとか見る限り
↑
いや、プレイボーイとか見ないから、あたし。
>噛み付いてきそうな表情
↑
噛みちぎりそうな表情ってことですか? え? あなた、なんか局部的な話をしてますか? 特にしていませんか? ん?
Posted by: Reine | Sunday, April 06, 2008 16:19
ゆうか(っていう人がいるのね?)ぽい顔をしているけれど「うちが先ですからっ」という主張をしていたというエピソードを聞いたことがあるよオリエント。そういう風情(顔つき・表情)が良いのであろうね。
というところで連想した「人形について」。なんというか、“名前を付けていない”という所に、それに気づくかどうかに、あるいはそれに違和感を感じるかどうかに、対象に魂を感じる精神みたいなものを感じたり、所詮そんなものよねを感じてみたり、逆に感じているが故の始末の負えなさを感じたり。
Posted by: Nisimura | Sunday, April 06, 2008 22:15
対人形、対ペット、対妻云々(ひとくくりにすんなよ!といろんな方面から怒られそうだ)の“愛情の注ぎっぷり”に触れるにつれ思い出すセリフ。自分自身が接したのは小学校高学年~中学校にかかるあたりなので、自分的にはまさしく中二カテゴリーに入ると思うんだけど、ええ、三原順です。大人びた友人と出会った少年のストーリーにて。
その“大人びた”少年が主人公テオ(お母さんが喘息なので家に持ち込めない、怪我した野良子犬を廃屋で世話している)に言ったセリフ。
---
幼児は最初人形で遊びたがるんだ
意志のない
思い通りになる対象とね!
それから小動物
こいつらは動きまわるがしゃべらない
人間が連中のする事を好きに解釈できるし
連中に批判されはしないし
それから
やっと自分と対等にやりあう"人間"とつきあう様になっていく
---
ね。何か通ずるものがあり感ずるものがありはしませんか。人形愛。対象はロボットでもペットでも妻でも子どもでもいい。
Posted by: Nisimura | Sunday, April 06, 2008 22:22
アリスたんかわいいよアリスたん、はさておいてだな(でもかわいいよね。アリスたん)。
人形に名前を付けていないというのは実に面白い。
結局の所、相手に人格認めてないじゃん? と同時に、あたりまえのように名前をつけているけど、結局の所“しゃべらないし批判もしない”相手に対し勝手に人格(めいたもの)を認めている(つもりになっている)のは、それはむしろ線引きができてないのに線引きをしてるつもりになってる分イタイのかな、とか。そういう事を考えたりした。
*
数年前マザー牧場で買ってきた犬のぬいぐるみがかわいすぎてヤバイです(リラックマかわゆす、とは違う、うちで飼ってた犬猫へのかわいさに近い感覚)。あたくし、ちょっと目覚めてしまったかもしれません。
映画から脱線しちゃってゴメンよー。
オリエント工業、行こうね。我々の数年来の願望ですものね。
Posted by: Nisimura | Sunday, April 06, 2008 22:30
いやぁ、もう、ほんっとありがとう、これ書いてくれて>Nisimuraさん
「なるほどこれは興味深い」という思いが強烈すぎて他にコメントのしようがないほど面白いコメントをありがとう。
>結局の所“しゃべらないし批判もしない”相手
↑
あ、話がまたそれちゃうけど、そういえばね…。
この『Tamano Natural』にて、主人公ミシェルっつうおっさんが奥さんに「ジャジャーーン」なんつってドールを紹介しちゃうシーンがあってだね、「この子は女みたいにガタガタ言わないし、ピーピー泣いたりしないんだ」とかなんとか、軽~い口調で言い放つのよ。
そしたら奥さんが「その子は、それで、あんたのことをこうやってひっぱたくこともできないのよ、できないのよ、叩かないのよ、叩かないのよぉっっっ!」って、半狂乱になってミシェルを乱打するんだわ。
奥さんに打たれるままになっているミシェルを見て、「あぁ、もうあちらの世界から戻って来(られ)ないだろうな」って感じた。そういうシーンなんかもありました。
しかし、それにしても貴女、テレッと一絡げにしましたね
↓↓↓
>対人形、対ペット、対妻云々
>対象はロボットでもペットでも妻でも子どもでもいい
Ummmmmm。この作品、深いよなぁ。
Posted by: Reine | Sunday, April 06, 2008 22:56
あ。ちょっと待て。
>オリエント工業、行こうね。我々の数年来の願望ですものね。
↑
「我々」って何よ、「我々」って。
貴女は数年来かもしれないけど、私は知らんかったぞ。
Posted by: Reine | Sunday, April 06, 2008 22:58
君たち(三人)はチーム・ドールだな。
Posted by: abetchy | Monday, April 07, 2008 00:25
チーム呼ばわり……
さて、昨夜スペイン映画の集まりでAさんが
「『Tamano Natural』とカリエールが脚本を書いた『昼顔』とでどこか通ずるところがあるのだけど、『Tamano Natural』の脚本の欄にカリエールの名もあったから、もしかするとその二作品が似てるっていうのはカリエールが一枚噛んでいるということによるのかもしれない」
とおっしゃったのだけど、
Tamano Natural@IMDbによれば、こういう役割だったようです。
Rafael Azcona: screenplay
Rafael Azcona: story
Jean-Claude Carrière: dialogue
Luis García Berlanga: screenplay
Luis García Berlanga: story
「screenplay」は「シナリオ, 台本」で、「story」は何? 「原案」? そしてカリエールの「dialogue」ってのは何だろ?
アスコナとベルランガが二人で書いた脚本のフランス語化をカリエールが担ったということ???
Posted by: Reine | Wednesday, April 09, 2008 09:11
あ、あとそうだ。
昨日の席で、私が知人にスペインで買って来てもらったベルランガDVD5本組に収録された作品を挙げたんだけど、間違えてました。何度確かめても間違えちゃうんだよね。どうしても覚えられないです。
私の持ってる5本組はこれです
Colección Luis G. Berlanga
Disco 1: Tamaño Natural
Disco 2: La Vaquilla
Disco 3: Patrimonio Nacional
Disco 4: Plácido
Disco 5: Nacional III
そして、この5作品はそれぞれ単品でも売られています。
Posted by: Reine | Wednesday, April 09, 2008 09:50
MEMO
「story」は「原案」って感じか。
スペイン人のアスコナとベルランガが書いた脚本で、スペインで撮影しつつも、舞台はフランスで「スペイン人」という役柄でスペイン人の役者が演じている以外はフランス人の俳優たちが出ていて、IMDbでは言語の欄はフランス語となっている作品なので、たぶん、「dialogue」というのはフランス語の会話をカリエールに書いてもらったということだろうか。
Posted by: Reine | Wednesday, April 09, 2008 15:34
お借りしたこの作品、観てみました。やばいです。シーンによっては一人で叫んでしまったぐらい、いろんな意味で、やばかったぞ。
しかし、何というか、すごく良く出来た映画だと思いました。ベルランガ、さすがだな。と。
あ、もうやめてあげてよ!とか思っちゃう自分に気がついてギョッとしたりしてしまった。
このドールちゃん(ちゃん付けする始末・・)は日本製だね。「もう日本に帰るかい?」なんてセリフがあったでしょ?すごいね、日本の「ものづくり」の技術力は。そりゃぁ、この時期に飛躍的な経済成長を果たしたわけだわ。これだけの技術力があれば、世界が市場になるんだわ。
Posted by: abetchy | Sunday, April 13, 2008 21:53
Abetchy
面白いでしょう、ベルランガ作品。すごいでしょ。
ベルランガ作品はまだ4作しか書いてないけど、たぶん今年中にあと4作書き足します。
どれも字幕なしですが『Bienvenido Mister Marshall』と『El Verdugo』はたぶんそんなに苦ではないと思います。ただ『Placido』はヒアリングはキツいでしょう。でも、このブログでかなーーーり細かく説明しちゃってあるので、参考になればと思います、僭越ながら。
Posted by: Reine | Monday, April 14, 2008 08:59
外見上は単純にみえて、実は複雑な作品というのが第一印象です。ベルランガ=アスコナのコンビが果敢にタブーに挑戦して感動ものだとも。監督が「検閲との戦いで疲労困憊した作品」と述べているのも大袈裟じゃないね。
本題に入る前に質問、オリエント工業のショールーム見学お済ませですか。オリエント工業の創業は、残念なことに1979年でした。勿論、映画と関係なく見学は有益だと思いますけど。最初は連想ゲーム風にオリエント工業かなと考えましたが、あそこはシリコンを使用しているので違うかなと。ポリウレタンとありましたが、私の印象では合成ゴムじゃないか・・・ナタリオにレイプされた罰に顔を殴られたとき凹んだまま元になかなか戻らなかったし、重たそうなので(ああ、横道に逸れ過ぎました、軌道修正)
冒頭のドールが入っている箱の「こわれもの云々」の注意書きや、abetchy さんが、車でセーヌ河に突っ込む前のミシェルのセリフ「日本に帰るかい」などから、日本製と思わせながら、実はこれはベルランガ一流の皮肉の記号で、アメリカという超大国と戦いボロボロになった国なのに、今や世界を席巻するほどの技術大国に成長した、それに引きかえ負けたわけでもないのに我がスペインは、未だに民主主義からも見放され・・・という嘆きなのではないか。実際のドールはアメリカでもフランスでも、どこでもよかった。冒頭と締め括りのシーンに「日本」を出したのには、ヨーロッパのみならずアジアからも取り残されてしまっている、自国への苛立ちや悲嘆のメッセージが込められているのではないか。
DVDを見る以前から、スチール写真などでドールの顔は見ていた。『昼顔』でセヴリーヌを演じたドヌープが見せる冷たい無表情に似てるなと思っていました。これはさまざまな情報からそう感じたのかもしれませんが、実際に見て、とりわけミシェルが狂気の世界に入ってしまって、ベッドの下に隠しておいたドールを引き出して見る場面では、「セヴリーヌだ」と叫んじゃいました。
2作品の関連については、ずーっと後で触れます。ここでちょっと休憩。
これを見て、つくづく吹替え映画の限界を思い知らされました。オリジナルのフランス版を見ないとダメですね。つまり大きなテーマの一つ、現代人が抱える意思疎通の困難さ、コミュニケーションの不可能性が見えてこない。みんなスペイン語しゃべってるんだから。おそらくオリジナル版でも、アンダルシアからの移民たちはスペイン語をしゃべっていた。だからスペイン語を解さない主人公が「なに言ってんだか分らん」というのが活きるわけです。
Reine さん、screenplay はシナリオ、台本、storyは構想とか筋、プロットや脚色も含めるようです、dialogueは会話の部分、ダイアローグでいいのでは。この映画の場合は、カリエールがフランス語のダイアローグの部分を担当したということです。原作・原案・脚本・脚色・台詞とカテゴリーの区別が細かいですよね。ちなみに『昼顔』は、ジョゼフ・ケッセルの小説の映画化なので、カリエールは「脚色」となってます。カリエールは多国籍企業なみにグローバルに活躍してますが、続編といわれる『夜顔』にはタッチしてません。オリヴェイラ老監督じゃ互いに敬遠したのかも。
周りをぐるぐる回って、なかなか核心に入れない。どうしよう、コーヒーでも飲んでから仕切り直ししようかな。テーマは何、ドールのメタフォラ、主人公とドールの無理心中の意味、母子関係の秘密、多彩な登場人物、素晴らしかったモーリス・ジャールの音楽、当時のスペイン移民の実情、アスコナの女嫌いはホント? エトセトラ
Posted by: アリ・ババ39 | Tuesday, April 29, 2008 17:50
アリ・ババさん。
いつも非常に興味深いコメントをして下さるので、とても勉強になります。
さて、本作品で、冒頭と最後の辺りで「日本」が織り交ぜられていることの意味についての見解については、なるほどー!!とまたもや唸ってしまいました。私なんて、日本の輸出について思いを巡らせたりして、全然スペインの立場に立っていなかったんだ・・と自分の視野の狭さに愕然としてしまいました。
> 映画と関係なく見学は有益だと思いますけど。
お茶を吹き出しそうになりました。そうです。きっと映画とは関係なく、ドールを見学したいのですよ。こいつらはね・・。(どこのどいつらだ。)
Posted by: abetchy | Wednesday, April 30, 2008 01:17
長ーいコーヒータイムをとりました。
この作品の公開は、海外が1974年、スペインは1978年まで待たねばなりませんでした。製作は前年でしょうね。フランコは1975年11月に鬼籍に入りましたから、1973年は社会の底流では大渦が巻いていた。しかし現実には病身とはいえ、まだ息をしていたから、検閲する側は却って厳しかったと想像できる。
変態小父さんのドールごっこの映画なら、目くじら立てて検閲する必要はない。経済破綻を救うためポルノを量産、欧州各国に輸出して外貨を稼いでいた。ヘアーが見える見えないの問題じゃないですよね。実際のところフランスのみならず興行成績はよく国家に大いに貢献したのでした。
ミシェルとは何か、または誰か、ドールのメタフォラは何か、に神経を尖らせたのではないでしょうか。それにスペイン移民が海外でしでかす傍若無人ぶりのシーンは、たとえ事実としてもわざわざ恥をさらすこともないだろうと体制が考えても理解できる。現在のコロンビアやベネズエラが「シカリオもの」を嫌うのと同じ心情です。スペイン料理を無理に口に入れられて、結局ミシェルが吐き出してしまうところ、ハサミを入れたかったでしょうね。ベルランガ全作品に通底する深いペシミズムに胸が痛んだシーンでした。
スペイン映画には、失語症に罹った人物がよく登場する。サウラの『カラスの飼育』1975(理解に苦しむタイトル)にも、耳は聞こえるが喋れない祖母が出てくるでしょ。喋らないのは喋ると危険だから「沈黙は金なり」と老人の賢さで喋らないともとれる、フランコ時代の民衆のメタフォラなんでしょう。巧みに検閲を潜り抜けた名作です。ドールは失語症に罹った大衆、ミシェルという権力者 el Caudillo には限りなく従順に、ナタリオに凌辱されても抵抗せず、マリアとして担がれ、結局、狂気の主人と死出の旅に立たされ、セーヌ河を浮き沈みしながら、どこまで漂っていくのでしょうか。ベルランガ=アスコナの絶望に、思わず涙がはらはらと。
橋の上に人影がひとつ、次第にカメラが近づいて行くと
死んだはずの××××が、一瞬戦慄が走ったところでエンドマーク。見事な tragicomedia でした。
ミシェルが神父役になってドールを跪かせ懺悔させるシーン、堕落したカトリック教会を揶揄してるんでしょうね。権力者には検閲など面倒、できることならボツにしたかったでしょう。
テーマとして意思伝達の困難さ、孤独、母子関係の謎など積み残しですが、また中座します。
Posted by: アリ・ババ39 | Wednesday, April 30, 2008 15:10
ベルランガとアスコナには、意思伝達が難しい時代を長く生きているせいか、社会権力にはいくら頑張っても勝てないし、抵抗は骨折り損のくたびれ儲けという絶望的な孤独が横たわっているようにみえる。『死刑執行人』から、いや長編第1作『ようこそ、マーシャルさん』からずっと続けているテーマを、手を替え品を替えしているだけなのではないか。
孤独は「孤独死」とか「孤独老人」とか、マイナス・イメージで使われることが多いが、孤独だと強い精神力が培われ、他人に縛られない自由な発想ができるプラス・イメージもある。ベルランガは後者のケース、権力との駆け引きをあれこれ試しながら映画を作っていたのではないかと思う。そうじゃないと、あの独特のユーモアは生まれてこない。
重要登場人物は、ミシェルとドールの次に母親、この母子はいわゆるフツウの親子関係からは遠い。連弾でドールにピアノを聴かせるシーン、母親の80歳の誕生日に
二人向き合ってケーキを食べるシーン、海岸みたいなところで「三人」が遊んでいるところを撮ったビデオをミシェルがドールと見るシーン、どれをとっても不気味。
母親役にフランスの大女優ヴァランティーヌ・テシエを配したところからも重要性は窺える。父の存在の無視と関係あるんじゃないか。
ドールの存在にショックを受けた妻が「人形なら喚かないし叩いたって文句言わないし」と逆上するシーン、ドールはしないが妻はしていたという意味でしょうか。アスコナの女嫌いは、つとに有名ですが(「実は違う」とアスコナが亡くなったとき、D.トゥルエバが語っている)ちょっと引けましたね、面白かったけど。
後半のピッコリの演技は見ものでした。特にドールがいなくなってから狂気に走っていく過程、場面展開もスピードが速くなり、一気にセーヌに飛び込むまでの演技。『昼顔』『夜顔』のユッソン役よりずっと良かった。
ロケはフランスらしいが、セットはマドリードですか?セットもフランスのような気もするが、スペインのほうが経費は安上がりだし・・・・
スペイン移民の描き方、痛烈ですね。1978年に見た人「こんなに酷くない」と怒ったのでは。でも外国人の視点でスペイン人を見たらこんな風ですよ、ほんとに救われない感じだったでしょう。辛い点付けたくなりますね。ベルランガを理解するには何十年もかかるんです。『ようこそ、・・・』がカンヌで認められ受賞した賞は、なんとユーモア賞でした。ベルランガ、苦笑したでしょうね。「まあ、何賞でもいいや、貰っとこう」と。
マリア・ルイサを演じたケタ・クラベルは、監督の同郷人、脇役専門だが舞台出身らしく上手くandaluza に化けました。ナタリオのマヌエル・アレクサンドレは、ベルランガ学校の常連さん、ギター弾きのアグスティン・ゴンサレスはアスコナ同様故人になってしまいましたが、F.トゥルエバの『ベル・エポック』でウナムノの本を握ったまま首吊り自殺した司祭を思い出します。若い時から髪の毛が後退してしまいましたが、うまい俳優でした。トゥルエバの作品もタイトルとは似ても似つかぬキツーイ映画でしたね。
モーリス・ジャールの音楽は如何でしたでしょうか。音楽を入れるタイミングのうまさ、ドールのテーマの美しさ、彼がスペイン映画に曲をつけるの珍しいのではないか。デビッド・リーンの『アラビアのロレンス』やスペインで撮影した『ドクトル・ジバゴ』のララのテーマなど、懐かしい作曲家です。YouTube で映画をバックに指揮している姿が見られます。映画もサワリが見られるので、興味のある方検索してください。ジュラルディン・チャップリンの姿も。撮影現場を見学に訪れたカルロス・サウラが、彼女に一目惚れかどうかは定かではありませんが恋に落ちて、以後18年間の長きに亘ってジュラルディンは、サウラのムーサだったのでした。それで名作『カラスの飼育』などが誕生したわけ。横道に逸れ過ぎですね。
つまり、なにが言いたかったかというと、総合的に見て他人の評価はなんであれ、私の格付けは☆☆☆☆以上です。(ここまで読んでくださった方、お疲れ様でした)
Posted by: アリ・ババ39 | Friday, May 02, 2008 01:28
アリ・ババ39さん
「映画を読む」ことを教えてくださってありがとうございました。アリ・ババさんのコメントを読んでいるうちにジワジワと感動してしまいました。やっぱり、本当にすごい作品だったのだなと、ズシンと来ています。
その、言葉の吹き替えの件。
スペイン語に吹き替えていることがテーマをちょっとぼやけさせちゃっているかもしれませんね。
オリジナルの作品では、誰がどの言語を話していたのかがよくわかんなかったので、私、鑑賞中にも困っていたのです。
ミシェルたちフランス人登場人物がフランス語をしゃべっている環境に、スペイン語を話すスペイン人の登場人物がドヤドヤとなだれ込んでくるシーンは、オリジナルで観た場合はいったいどういう感情を観客に与えたのだろうかと、考えさせられた点でした。下書きの時点でそれについてメモしていたのですが、書いているうちに何が何やらわからなくなって、自分が何を言いたいのかもわからなくなって、ボツにしちゃったのでした。
アリ・ババ39さんのコメントを読んで、もやもやが晴れてきそうです。
>本題に入る前に質問、オリエント工業のショールーム見学お済ませですか
↑
え……もうみんな忘れただろうと思っていたのに……やっぱりなの? やっぱり、私は見学に行かなきゃなの。゚(゚´Д`゚)゚。
じゃぁ、nisimuraとまるをさんに連絡とらなきゃなのか……。
あの二人はすげぇ+(0゚・∀・) + ワクテカ +で準備しそうで怖いです。
Posted by: Reine | Saturday, May 03, 2008 14:22
>スペイン映画には、失語症に罹った人物がよく登場する
↑
これ、制作年はもう少し新しくなります(=検閲時代じゃない時代の作品です)が、『Ay Carmela!』でもそうでしたね。グスタベテという内戦孤児が「何らかのショックで話せなくなったらしい」と描かれていましたよね。
>ドールは失語症に罹った大衆、ミシェルという権力者 el Caudillo には限りなく従順に、ナタリオに凌辱されても抵抗せず、マリアとして担がれ、結局、狂気の主人と死出の旅に立たされ
↑
ここ、悲しくて鳥肌たちました。
ほんと、アリ・ババ39さん、ありがとう。
もうそれしか出てこない。
さっきから私、コメントを読みながらどれだけうなづいたか。赤べこ並みにうなづいてます。
>ベルランガ、苦笑したでしょうね。「まあ、何賞でもいいや、貰っとこう」と。
↑
これは、ニヤニヤしちゃいました。
注: >現在のコロンビアやベネズエラが「シカリオもの」を嫌う
↑
sicario: 1. m. Asesino asalariado.
m. hired killer, hired assassin
[familiar] hit man
コロンビアの映画制作人たちも、どうしてもやっぱりシカリオをテーマに据えた作品を作っちゃうので暴力シーンなんかが多くて怖い、その手の作品が日本で紹介されることを大使館などは快く思っていないようである……ってなことを習いました。
そしたら、じゃぁ、アリ・ババ39さんのコメント中の作品で当ブログに何かしら書いてある作品を:
・『カラスの飼育』
・『ようこそ、マーシャルさん』(このころはまだあんまりきちんと観てない)
・『死刑執行人』(このころもまだ流してるね、すみません)
・『ベル・エポック』
Posted by: Reine | Saturday, May 03, 2008 14:52
たぶん、っていうか絶対にぜんぜん違ったジャンルの映画だけど、人形ものらしいので。「人形もの」って、そんな、あなた、「人情もの」みたいに。
・Lars and the Real Girl@IMDb
・音注意: ラースと、その彼女
Posted by: Reine | Tuesday, December 09, 2008 23:04
こないだ年末にショールーム見学に行こうとAbetchy、まるを、nisimura、私の四人で大はしゃぎで計画を立てていたのだが―――名前をさらすか、この文脈で、しかし―――「秘宝館みたいのを想像してもらっちゃ困る。女性はお断りしている」と断られてしまいました……。
(´・ω・`)ショボーン
Posted by: Reine | Saturday, February 07, 2009 13:38
オリエンタル工業女性は行けないのですか…!みたい人が多すぎるのでしょうか。私も見てみたかったのですが。残念です…。
名前について、子供用の人形をトイレに連れて行っている女の子に名前を聞いて、その子の名前をドールに付けているシーンがありました。それを見てミシェルはペドなのか?と初め考えましたがそうでもなくて、子供ですら完全には思いのままにならずよりドールに愛着を持つということなのかな、と思いました。
ミシェルは歯医者さんで、しかも当時では珍しいであろう矯正歯科のようですが、その辺りにも美に執着する姿勢が表れているのだろか、とか。
人形の扱い方が、最初は人間として扱っているように見えたのに、次第にポリウレタンでできた人形であることを最大限に生かした暴力的な楽しみ方をしているように見えました(顔を変形させるとか、水分を吸い出すとか…)。
日本人として人形の出自の意味が気になって仕方ないです。まさか、ハラキリさせるためではないですよね…。30年以上前のスペインで、「日本」という単語が観客に何を想像させたのか興味深いです。
こちらの記事、コメントを拝読して、寓意の話など気づかされることが多く、二度映画を見たような充実感です。鑑賞中はひたすら人形というのはそれほど男性に魅力的なものなのか、ということだけを考えていたので…。
ポリウレタンの肌って冷たそうですが、一切反抗せず、好きなようにできて、幻想を投影できるのでいいのでしょうか。
人形の振りをした奥さんを洋服ダンスに転がすところにはゾッとしました。
Posted by: bananafish | Friday, February 25, 2011 11:03
bananafishさん
いつもお世話になっております。
> こちらの記事、コメントを拝読して、寓意の話など気づかされることが多く、二度映画を見たような充実感です。
↑
これは私がいつもアリ・ババ39さんに感謝していることです。アリ・ババ39さんのコメントにはいつも「あれにはそんな意味があったのか(゚д゚)」と教わっています。読んでいて「ああっ」って小声で叫んでしまうこともあります。
「スペイン映画は判じ物」で、理解や解釈が難しくて、難しいからこそいろんな受け止め方が生じて、生じるからこそおもしろいのだということをアリ・ババ39さんや皆さんに教えていただいたと思っています。
これからも勉強していきますので、bananafishさんもいろいろヒントをください。今後もよろしくね
Posted by: Reine | Friday, February 25, 2011 22:55