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Sunday, April 09, 2006

Aunque Tú No Lo Sepas (2) [スペイン映画]

aunque前号からつづき)


前号のようにまとめると月並みな‘すれちがいモノ’にも見えるんだけど、んーー、なんというか、いやに切ないんだよな。それではなぜ切なさ度数が高いのかと考えると、階層差という要素が織り込まれているからだろう、と。

プロレタリアートのフアンが中産階級のルシアに近づくことの難しさを、観ているこっちも思い知らされるわけですよ。マージナライズされるフアンの描かれようが、週刊こどもニュースくらいわかりやすい仕上がりなの。

1) まず、JuanはマドリードのVallecas地区の出です。「un barrio eminentemente obrero 労働者層地区」「un barrio humilde y desordenado de casas bajas y calles de barro (50年代には)未舗装の道に平屋の住宅、貧しく雑然とした地区」「una gran degradación debido a la proliferación de la droga y delincuencia (80年代には)犯罪と薬物の横行によって一層の堕落」といった地区らしい。

東京で言ったら○○区だな。

ちょっと高級な車が進入して来ようものなら、近所中のチビっ子がギブミーチョコレートばりに取り囲み、どこまでも走って追いかける。そういう区域。


2) 生物学を学びたいと考えているJuanと、医者になれと強く言う父との衝突が絶えない。父は闘牛士であるが、兼業闘牛士であって日ごろは屠畜場に勤務している。

監督の音声ガイダンスはこう解説する:
「Deciden mandar a Juan a un colegio del centro de Madrid a estudiar porque los padres, como cualquier familia de clase obrera, quieren que sus hijos tengan un futuro mejor. 両親はフアンをマドリード都心の学校に入れようと決めるが、ひとえに我が子のより良い将来を願っているのである。それは労働者家庭の親なら誰もが望むことであろう」


3) フアンの地元の遊び仲間、とりわけこの地区を縄張りとする不良グループの‘総長’サンティのmerdellónっぷりが強烈に描かれてます。

「merdellón, -llona」とはこの映画中で出てきたわけでもなければ辞書に載ってるわけでもない、スペインのマラガ独自の形容詞で、フランス語の「merde de gens」が語源と言われている。 スペイン語にすれば「mierda de gente」ですわ。

「下品で粗野でお行儀悪い(出自の)人; 低民度、低所得、低学歴」と私は解釈してきた。日本語でたぶん一番近いのは、2chでいうところの「DQN」だと思っている。

よその‘不良グループ’との抗争に明け暮れ、オンナの尻を眺めて、挿れてぇなぁと欲し、追っかけて、ビリヤードとギャンブルに浸る。フアンやサンティはそういう喧嘩上等特別地区の子。


4) フアンがルシアへの恋心をサンティに打ち明ける。「セントロ(=都心)の女の子のことが好きになった」とフアンが言うとサンティが露骨に顔をしかめ、「¿Pija?」と聞き返す。

「pijo, ja」とは「上流階級気取りの,上品ぶった」という軽蔑のニュアンスを有する形容詞。あなたが社会の中段にいる時、下を見てあなたはmerdellónと蔑むし、ちょっと上を見てもまたpijoと侮るのです。いわんやmerdellónからpijoに向けられる敵意をや。

サンティの「¿Pija?」の一言がフアンの恋路の難しさを明示しているの。


5) 映画の初めの方で、ルシア(40代になったルシア)がエステでベッドに寝そべってマッサージを受けているね。そこで女学生時代からの友人に「昨日、‘ワル’を見かけたの」と話す。するとその友人は、「うっわーー、‘ワル’、懐かしい!」とはしゃぐ。Juanのことをルシア達お嬢さん連中が‘ワル’と仇名していたことがわかるシーン。

友人は続ける:
「覚えてる? ‘ワル’の、かかとの高い靴。カツンコツンカツンコツンってそこら辺に鳴り響いてたわよね」

それを踏まえて、それではJuanがMadrid都心の男子校にやって来た日の様子を見てみるのです。フアンの、プロレタリアート丸出しの服装・靴・髪型・振る舞いの全てが、中産階級=プチブル=都会っ子たちの好奇の目にさらされ、嘲笑の的になる。そこで入校早々殴り合いの大喧嘩になる。

周りではやしたてる都会っ子らの靴と、フアンの靴を見比べると、たしかにフアンの靴だけが異形である。かかとの高いブーツ。


そういうシーンがこれでもかと詰め込まれているので、フアンがルシアに近づくことをどうしてああも躊躇うのかがイヤでもわかります。

都心部の祖父母の家で過ごす自分は、本来の階級とは違う世界に紛れ込んでしまっている場違いな存在であって、クラスメートたちから孤立したのと同様に、ルシアからも拒絶されるのではないかというのを恐れている。まさか自分から話しかけたりはできないから、双眼鏡で覗き見ることで彼女を知ろうとするしかなかったのだろう。


ルシアの住む地区の住人について監督音声ガイドではこう説明している:
cómo son la mayoría de la gente que habitaba ya de los años sesenta en estos barrios del centro de Madrid, que la mayoría de ellos serán personas que venían de las afueras, también de Extremadura, de Andalucía, del Norte, que llegaban al centro de Madrid y querían pertenecer a una clase social por encima de la que ellos realmente eran y luego marginaban a chicos/as, a personas que venían de otro barrio de extrarradio, como Juan que es un chico de extrarradio ......

「自らもエクストレマドゥーラやアンダルシアや北部からマドリードの中心部へと移り住んで来たのだが、自分たちの出自よりも一クラス上の社会階級にどうにか入り込もうと望み、マドリードの郊外から来たフアンのような人間のことを疎外しにかかる人々」


(この先、コメント欄でますますネタをばらしにかかるから)

↓↓↓↓

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Comments

昔私のことを好いてくれ(そして私がアッサリと振っ)たあの人が、何年も経った今まだ私のことを好いてくれてるかもしれないと心のどこかで期待するというのは、多くの人が経験してませんかね。

‘かつて自分に惚れた人は永久に自分に憧れ続けてくれてるだろ’論


「期待」といえば聞こえがいいが、ハッキリ言って打算でうぬぼれで傲慢で。高を括っているわけで。

ましてや相手がまだ独り身でしかもいい男になっていると知り得た上で、今度はこっちから接近を試みるというのは、いかにも下心が見えすぎである、馬鹿にするのもいい加減にしとけ……。25年後に急にフアンを追うルシアの行動をそのように受け止めるか否かは…

…どうだろうな……。当事者のフアンはそのように感じたかもしれんわな。


しかし私は違うと思うんだよ。ルシアにはフアンを落としたい・落とせるだろなどという魂胆や慢心は極めて希薄だったと思うんだよな。

ルシアが現恋人マリオに言った、「吹っ切れていないことがある」というセリフの方を私は重く見るのである。

申し訳ないことをした、謝りたい、あの瞬間に戻って自分のセリフをやり直したい、私は愚かだった、あの時に私がYESと受け容れていたらどうなっていただろうか、私にとって幸せな選択だったのではないのか、なぜ私はあの時にNOと言ってしまったのか、彼を傷つけた、どうして私は……って、こっちだって吐き気がするほど後悔してんだよ!

「こっち」って誰よ。

あなたを傷つけたと私が自覚していないとでもあなたは思っているのか。あなたを傷つけたことを悔いて、取り返しのつかない絶望に苦しみ、自分を責め続けた私の年月をあなたは知らない。謝らせてももらえない苦痛から逃れたいんである。楽になりたかったのである。

Posted by: Reine | Sunday, April 09, 2006 at 15:29

(スペイン映画)

監督: Juan Vicente Córdoba  フアン・ビセンテ・コルドバ
撮影: Aitor Mantxola  アイトール・マンチョラ
出演:
Silvia Munt シルビア・ムント
Gary Piquer  ゲイリー・ピケル
Andrés Gertrudix アンドレ・ヘルトゥルディス
Cristina Brondo  クリスティーナ・ブロンド
Daniel Guzmán  ダニエル・グスマン

Aunque Tú No Lo Sepas @Imdb

・(機械的に)直訳した場合、「Although you don't know it」くらいなのかなとも思うけど、英題は『What You Never Knew (あなたがついぞ知らなかったこと)』であり、その方がストーリーに対してシックリ来るように思う。

・『Modelos De Mujer (Fabula)  Almudena Grandes (著)』に収められた一篇、『El vocabulario de los balcones』を基にした映画作品。
・そして、Luis García Monteroの『Aunque tú no lo sepas』という詩からもヒントを得ている
・DVDGOで12.92ユーロで購入した

Posted by: Reine | Sunday, April 09, 2006 at 15:42

以下、DVDの監督自ら休まずしゃべってくれる音声ガイドから:

監督が女友達から「この本を読んでみてよ。主人公の‘ワル’が、昔のあなたみたいだから」と薦められた。読んでみて映画化したいと強く感じたので著者のAlmudena Grandesに連絡をして話をした。

小一時間しゃべった後、著者Almudena Grandesが、「あなたがこの映画を撮ってくれていいわ。しゃべってみて思ったの、あなたの昔の‘ワル’っぷりがピッタリだわって。あなたしかこれは映画化できないわ」と。


実際、監督はJuanのような下町のワルガキ的な青春期を送っていたそうである。父親が兼業闘牛士であることも、母の名前がTere(テレサか)であることも、同じ。


Juanが幼馴染と、ほとんど垂直かと思える急斜面を一気に駆け下りるシーンでは、あまりの斜度に俳優達がすっかりビビってしまって動けなかったと。

だから監督が「俺が駆け下りてみせよう。もしも俺がこの坂を無事に駆け下りることができたら、君達も四の五の言ってないで演じるんだ、約束だ」と。俳優たちも、「もしも監督が失敗したら、このシーンは撮影しないってことで」と受けた。

監督曰く、「あんな坂は子供の頃には何千回と駆け下りていたのだからワケもなかった。僕がやってみせたので、俳優たちも観念した。それでやっと撮影できた」。

Posted by: Reine | Sunday, April 09, 2006 at 15:47

引き続き監督音声ガイドより:

70年代を描こうとしたらやはりどうしてもフランコ政権の描写を入れないといけなかったとのこと。

「あの当時は街角に焼け焦げた車が放置されているのはよく見かけた。それと、道行く人に身分証の提示を求めるgris(灰色→警官; Miembro de la policía armada cuyo uniforme era de ese color. 灰色の制服を着た国家警察の警官)の姿もね」。

デモ隊と警察が衝突して警官が殉職したとか、それでデモに参加していた肉親が逮捕されるとかは、監督の従姉の事件をベースにしていると。その従姉はFRAPの活動家だったとか。(※ 監督は「patriota」ではなくて「popular」と言ったけど、ちょっとした言い間違いですか?) 

従姉はCarabanchelに1年間収監された。

Posted by: Reine | Sunday, April 09, 2006 at 16:23

そのエピソードを本作でもなぞっている。Carabanchelに身柄が移されるウンヌンというセリフもある。

Cárcel de Carabanchelのことだよね? カラバンチェルって拘置所?刑務所? なんか逮捕されてからが早くないか? なんでもありの時代だったのですか? まぁ、でもいいか、その辺は深く考えないことにした。


ところで、Juanの育ったVallecas地区は、伝統的に「La tradición obrera de Vallecas ha llevado a que sea un barrio predominantemente de izquierdas, donde las elecciones el PSOE y en menor medida IU han obtenido la mayoría de los votos. 左派優勢; 社会労働党と『統一左翼』とで票の大部分を占める」ということらしいな。


さて、「Carabanchel(カラバンチェル)」と聞いて、マノリートを思い出す人もいるのではないか。(めがねっこマノリートManolito Gafotas

「En Carabanchel, que es mi barrio, por si no te lo había dicho, todo el mundo me conoce por Manolito Gafotas.」と自己紹介してたね。

Posted by: Reine | Sunday, April 09, 2006 at 16:31

さて、Reino de Reineにおいて最初で最後で最大のネタバラシをこれからしますから。

↓↓↓↓

(エンディングまでの数分間を丸ごと)

↓↓↓↓

フアンは言った:
Aunque tú no lo sepas, aquella noche ... aquella noche me partiste el corazón. (君の知ったこっちゃないだろうが、あの夜……あの夜、君は僕の心を引き裂いた)」

ルシアはフアンの手に自らの手をそっと重ねて言った:
Aunque tú no lo sepas, tú has sido lo más bonito que me ha pasado en la vida. (あなたは知らないでしょうけど、あなたは私の人生でいちばん美しいできごとだったのよ)」 

フアンは手をスッと引く。ルシアはフアンのすげない態度に悄然とする。


ルシアはこの家を引き払うことにした。家具も処分したその家で、最後の夜をルシアは過ごす。翌朝、ルシアは床に並べたクッションの上で目を覚ます。向かいの家の窓からフアンが見ている。ルシアはベランダへ一歩出た。


長い沈黙のあと、フアンは窓を閉めて奥へと引っ込んでしまうのだった。


フアンの姿が見えなくなり、ルシアは床にへたり込む。


放心状態のルシアがふと窓の外を見下ろす。


フアンが通りを横切って渡って来るところであった。


呼び鈴が鳴った。


ルシアは立ち上がる。

Posted by: Reine | Sunday, April 09, 2006 at 16:39

監督の説明音声をディクテーション:

(公開当時、映画祭の会見などでラストシーンについてあの後どうなったのかとよく訊かれた) Yo les decía que era una película para que cada persona, para que cada espectador, pusiera su propio final. Yo no sé qué iba a pasar. Para mí realmente lo interesante de este final era que al cabo de los años, no por encima de rencor y las cosas del pasado, se puede perdonar, se puede hacer tabla rasa, y a partir de un momento determinado reiniciar, como este caso, una amistad. Aunque sólo sea por eso, merece la pena cruzar la calle.

観る人がそれぞれ想像してくれていい。僕自身、あの後に何が起こるかを知らない。遺恨も何もなく、赦し赦されて友情が再開するかもしれないという、たったそれだけのことであっても、あそこで道を横切ることには意味があった。

(あそこでJuanが道を渡らないでほしかったと、ルシアが自分の過去の重さを感じるというようなエンディングを望む声もあった)

Sin embargo, mi estado de ánimo en estos momentos, en los que hice la película, en los cuales monté la película, y además queriendo ser absolutamente fiel al final del cuento de Almudena Grandes, me decía, me repetía a mí mismo que realmente el personaje de Juan tenía que cruzar la calle.

この作品を撮影してきた僕自身の気持ちとしては、あそこでフアンは道を横切らねばならないのだと、何度も自分に言い聞かせた。アルムデナ・グランデスの原作にも沿いたかったしね。

Yo no soy una persona rencorosa, no soy una persona que me quede en el pasado. Y creo que siempre todo en la vida se puede solucionar y hay que dar nuevas oportunidades.

僕は恨みがましい人間ではないし、過去に閉じこもりはしない。人生では解決のつかないことはなく、何度でもチャンスは与えられるべきだと僕は考えている。

Posted by: Reine | Sunday, April 09, 2006 at 16:42

語句メモ

・macarrón: proxeneta, chulo

・macarra:
1. adj. Dicho de una persona: Agresiva, achulada.
3. m. rufián (??hombre que trafica con mujeres públicas).

・Era todo un personaje.
→ personaje: 重要人物,名士,要人.
→ todo+不定冠詞: まったくの,完全な.

・pasarle a +人 por la cabeza: (人)が思いつく,(人の)頭に浮かぶ

・Lleva como un año viviendo por aquí. この辺に住んでだいたい1年になる
→ LLEVAR + 現在分詞 ⇒ いつかperifrasisの特集で説明するでしょう。
→ como: Aproximadamente, más o menos.

・Está bonísimo.
estar + bueno,na: 《俗》セクシーな

・¿A qué se dedica? (職業は)何をしているの?

・Mira, conmigo coñas no, ¿eh?
→ coña: f. vulg. Cosa molesta

・PREU: (preuniversitario, ria) 大学進学課程,スペインの以前の教育制度.1年の課程で略してPREUと呼ばれていた.COUの前身

→ COU: (Curso de Orientación Universitaria) スペインの大学予科,コウ.17歳で入学して1年間就学する

→ 父親がPREUといったのでJuanが「COUだよ、パパ」と訂正する。「Bueno me da igual cómo lo llamen ahora.」

・hacer de todo una montaña: 針小棒大に言う
→ montaña: f. coloq. Dificultad o problema de muy difícil resolución.

・kilo: m. coloq. Un millón de pesetas. (Porque, en billetes antiguos de 1000 pesetas, pesaba casi un kilogramo).

Posted by: Reine | Sunday, April 09, 2006 at 20:08

・17歳のJuanが熱中して見ていた番組は、動物学者Félix Rodríguez de la Fuenteの動物の生態モノ。

・成人したJuanはbiólogoとしてCasa de Campoの動物園で働いている。

・Juanの机の上にSantanaのCaravanserai

・Pablo Guerreroの『A Cántaros』(Tiene que llover, tiene que llover, tiene que llover a cántaros ...)や、Joan Manuel Serratの『Lucía』、El Luisの『Yo te lo digo cantando』などの音楽、そして洋服などの70年代の若者風俗がうかがえて、たまらない人にはたまらないのではないかと思う

・本屋でルシアが探してた本はたぶんヘルマン・ヘッセの『デミアン』。そして、後日、フアンはそれを匿名で贈ったのだろう。と思う。

・その本を贈る際に、「Si alguna vez la vida te maltrata もしも人生に打ちのめされる日があれば」の詩(前述)の詩を'74年のフアンが書いておいたのだが、あの4行の詩は実際には、たぶんだけど'94年に発表された(?)Luis Garcia Monteroの『Habitaciones separadas』に収められた『Dedicatoria(献辞)』という詩だと思う。(※いま調べ中)


そして、ネタバレ関連で

↓↓↓


Luciaの「Aunque tú no lo sepas, tú has sido lo más bonito que me ha pasado en la vida.」という肝心のセリフは、Gladys Knight & the Pipsの『You're the Best Thing That Ever Happened to Me』から採った。

Posted by: Reine | Sunday, April 09, 2006 at 20:22

おしまいに一つ。

「なんだよその髪型! そんなのが流行ってたのかよ!」と初めはギョッとしましたが、フアンの地区の‘番長’であるサンティが憎めなくって私は好きだな。腕っ節の強さで人をねじ伏せて来たけれども、圧倒的に強いからこそ恐れられ憧れられ慕われて来たような子。

特に、Juanが「好きな子ができたんだけど、その子にはカレシがいるんだ」と悩みを打ち明けた時の、まず「ヌヘヘヘヘヘッ」と笑い飛ばしてから「¿Y qué? (それがどーしたよ)」と聞くサンティ。

「お前は、まったくいいやつだよ」と呆れ気味に呟きながらも、フアンを見つめる目は慈しみに満ちてますよ。そして彼なりのDQN理論をぶちかましてから目線を逸らし女のケツを引き続き鑑賞するのだが、口元はまだ穏やかに微笑んでいるのでした。

あのシーンは私は大好きだ。


縄張り抗争で喧嘩に明け暮れるサンティたちの姿は、『ワンダラーズ』を思い出させたりもするもので、嗚呼なんとノスタルジックかと、著しく民度の低い町で乱闘上等の小・中学校時代を80年代前半までに過ごした私は、懐かしい町を見るようにサンティたちを見たのでした。

Posted by: Reine | Sunday, April 09, 2006 at 20:46

MEMO

check

> al cabo de los años, no por encima de rencor y las cosas del pasado, se puede perdonar

Posted by: Reine | Wednesday, April 12, 2006 at 14:57

つい先日(2007年3月末)発売された『小学館 西和中辞典〔第2版〕』を立ち読みしてきた。「merdellón, -llona」が見出し語になっていた。思わず書店で「おぉぉ」と唸った。

メモ
・マラガ特有の表現であるという説明は無かった。
・語義も、私が上で書いたような「日本語で言うところのDQN」というのとは若干違うことが書いてあった――ああ、何て書いてあったかなあ。失念。すみません――

※けど、マラガという町での理解のされ方は私の書いたとおりで間違いないと思っています。

Posted by: Reine | Wednesday, April 04, 2007 at 19:41

(↑ つづき)
この夏、『小学館』買ったのでした。それでですね、「merdellón, llona」の意味、写してみますね:

1. 不潔な奉公人[使用人].
2. 《俗》にやけたやつ.

でもね、ほんと、こうではなくてね、やっぱり違うんだよな。「にやけたやつ」では言い表せてない。やっぱり一番うまく表現できているのは「DQN」だと思います。それ以上にピッタリくる一語って無いと思う。

今ちょっと私は見繕っていられないのですけど、「merdellón」の検索結果をつるっと眺めてみると掴めると思います。

Posted by: Reine | Friday, November 02, 2007 at 22:03

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