La Hija del Caníbal / カマキリな女 [メキシコ映画]
くだらない。おばはん(蔑称)の御都合ファンタジー。※「おばはん」ってのは私を含めてくれてかまわない
「私」の内面は、酸いも甘いも噛み分け数々の修羅場をくぐってきたフェリックスじいさんが認めて褒めて信じて支えてくれる、オンナとしての「私」の外見や肉体は、息子とすら言えるような年頃の筋骨たくましいベビーフェイス系いけめん(?)の青年アドリアンが一途に求めてくれて、「私」がいくら断ってもアドリアンは諦めてくれず「私」を誘惑し続けてくれて、「私」はついに抱かれるの、むっはー♥
ストーリー的に邪魔なのは「私」の夫で、亭主元気で留守がいい展開なら嬉しいんだけど、あら、映画冒頭の2分でそれはアッサリと片付いていたんだわ、だって、「私」の夫が失踪するところからこの話は始まるんですもの……
という、主人公のおばはんにとって実に都合のいいおはなし。
ストーリー:
ルシアとラモンは結婚12年になる夫婦。正月休みで南米旅行を計画するも、夫ラモンは搭乗前にトイレに立ったきり消えてしまった。ルシアが途方に暮れているところへ、マンションの下の階に住むフェリックスじいさんが手助けを申し出る。「Orgullo Obrero(労働者の誇り)」という聞きなれない団体名を名乗るものから電話が入る。「だんなは預かった。2000万ペソ用意しろ」。夫は誘拐されたのか。やがて何者からか花束が届き、夫の筆跡のメモがある。「おばさんの遺産があるからあれを奴らに払ってくれ」と。
夫の指示通り銀行から大金を引き出し、スポーツバッグに詰めてフェリックス爺さんと二人でえっちらおっちらアパートに持ち帰ったところで、金を奪い取ろうとする悪党どもに襲われた。偶然に階段を降りてきた若者アドリアンの助けと、意外なことに凄みのきいた敏捷性を見せたフェリックス爺さんの奮闘により、お金は守った。
ルシアは夫の素性を怪しみ始め、「¿Quiénes somos, realmente? 私たちは誰なんだろう?」と自問する。急に孤独を覚えたルシアはフェリックスとアドリアンを誘い、3人での共同生活はこうして始まった。誘拐犯からの次のコンタクトを待つが……
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各サイトでジャンルを見てみようか:
サスペンス ドラマ
エロス ミステリー・サスペンス
Comedy / Drama / Mystery / Romance / Thriller
………etc.
その全てが中途半端。中途半端だからこそこんなにいくつも挙げられちゃってんだろ。ある建物の一階ホールから幾つも階段が伸びている。サスペンスの階段、エロの階段、ミステリー階段、コメディ階段……それらを数段登るたんびにそこで降りて来ちゃってるの、この映画は。降りて来ちゃぁ、またちょこちょこと別の階段を登ってる。んで、またしたり顔で降りやがる。
どこがサスペンスかと。サスペンス、途中ほったらかしだったじゃん。
ドラマ? 人間ドラマ? 人生訓みたいのはモノローグで済ませてたじゃん。
コメディ?
どこがエロスか。セシリア・ロスの、別にありがたくもない乳首がほんの数秒見えたくらいのもんだろ。アドリアンがミゾオチからスーッと舐め上げた程度ですよ。へそ下三寸じゃないよ、へそ上じゃん。それで、「Esa noche algo se despertó en mí. Y es que esa noche volví a sentirme viva, hermosa y deseada. Esa noche Adrián me llevó al cielo. あの夜わたしの中で何かが目覚めた。生きていることを、美しく愛される存在であることを、私は再び感じたのだった。あの夜、アドリアンは私を天へ連れて行った」だって。陳腐にもほどがある。
見苦しいおばはんのウットリ昇天ドリームズ・カム・トゥルー。………おや……なぜか今、林真理子の厚く暑い顔が浮かんだんだけど、どうしたんだろう、あたし。いや、他意は無いすけど。
…とにかく、馬鹿馬鹿しくて、blogに書くという使命感でも無きゃとてもとても観ていられないね、こんな映画。
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主演Cecilia Roth、なんでこんな作品に出たのかね。どうかな、大地真央、そうだよ、こんなのは大地真央にやらせとけばいいじゃない。ヒステリックに泣き喚いたり、セクシーぶって若いツバメと痴態を演じてみたり、できるでしょ。んで、アドリアン役のKuno Beckerの代わりに照英でいいよ、照英で。顔がどっか似てるから。フェリックスじいさん役は、仲代達矢くらいの年恰好でもっと安っぽい人いないかな、その人でいいよ。
その3人で2時間サスペンス枠でやればいいよ、これ。それで昼下がりの再放送枠。それでも観なくていい。そんぐらいの映画。観ていられるのは最初の20分だけ。そこからの90分は耐え難い苦痛。
メキシコのタクシーはビートルなんですね、可愛いねってのが数少ない収獲。
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(※メキシコ映画; スペイン)
・La Hija del Caníbal @IMDb
・La hija del caníbal @Yahoo Cine
・カマキリな女 DVD
・カマキリな女 DVD情報
・原作 La hija del caníbal (Rosa Montero著)
主演セシリア・ロス(※アルモドバル作品でよくみかける)
・Cecilia Roth @IMDb
・オール・アバウト・マイ・マザー
・セクシリア
・ブエノスアイレスの夜
監督: アントニオ・セラーノ Antonio Serrano
原作: ロサ・モンテロ Rosa Montero
脚本: アントニオ・セラーノ Antonio Serrano
出演:
セシリア・ロス Cecilia Roth
クノ・ベッケル Kuno Becker
カルロス・アルバレス=ノボア Carlos Alvarez-Novoa
人名はなるべくスペイン人が読む感じでカタカナ表記したかった私ですが、「クノ・ベッカー」にしときましょうか。
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Comments
1) 日本に入ってるスペイン映画DVDで幾度も抱く疑問: なんでこんな作品が?
セシリア・ロスが『オール・アバウト・マイ・マザー』で名が売れたから? だからこの作品を持ってきたの? こんなの持ってくるくらいだったら、『Martín Hache』にしてよ。いや、あれよ、『Martín Hache』は私も最初に観たときにはスペイン語が難しすぎて話がわからなかったんだけども、『カマキリな女』なんかとは比べ物にならないほど意味があった作品だと思うので。
『Martín Hache』には若い頃のJuan Diego Bottoが出てるから、美味しそうなラテン男優漁りという意味で、照英、じゃないや、Kuno Beckerをぶつけてくるんだったら、それと変わらない効果はあったでしょうよ。
『Martín Hache』に無くて『カマキリな女』にあるものって言ったらセシリア・ロスの裸ですけど、それ、そんなにありがたかったか? どうなのよ? あの裸を見て、「あぁ、この映画を入れてよかったな」って思ったの?
ねぇ? どうなのよ? なんでこんな作品を?>入れると決めた人々
2) 原題の『La hija del Caníbal』は「食人男の娘」。
なにがどうして「食人男」かというと、主人公ルシアのお父さんが売れない俳優で、お母さんはかつて有名女優だったもんだから、「妻の名声を喰って生きている男」という嘲笑から「caníbal=食人」とアダナされていた。ルシアはその娘だから、「食人男の娘」。
じゃぁ、邦題『カマキリな女』は?
原題の「食人」から「人食い」→「共食い」と来て、「メスがオスを食べちゃうよ」っていうカマキリへと連想ゲームをやった結果、こんな五月みどりみたいな邦題にしたんじゃないの?
ホントにイヤになるな。そういう決定の過程からなにから、この作品を日本に入れるのに関わった人間たちの浅知恵がスケスケで薄っぺらでイヤになる。
Posted by: Reine | Friday, December 30, 2005 15:02
3) 語句メモ
・chambear: [自][コス、グア、ホン、メキ] Trabajar, tener una chamba. 働く
・chela: [女][メキ] ビール
・ni fu ni fa: まあまあの,可もなく不可もない.
・estrellato: スターの座,スターダム
・chanza: 冗談,からかい
・cortina de humo: 煙幕
・la punta del iceberg: 氷山の一角
4) アドリアンが引用する語録(※彼の部屋には『箴言集』みたいな本まであった)
・El hombre que no teme las verdades no teme las mentiras. (真実を恐れぬ男は嘘も恐れない)
・Una mentira nunca vive hasta hacerse vieja. (嘘は長続きするものではない)
・"Si Dios está de nuestra parte, ¿quién puede estar en contra nuestra? (神が味方なら誰が私たちに敵対するだろうか)
Posted by: Reine | Friday, December 30, 2005 15:08
フェリックスじいさんが銃の扱いに慣れていることがわかりとても驚くルシア。ちょっと探りを入れる。
ル: Ahora si me vas a decir por qué demonio andas con esta pistola.
フ: Porque yo antes tuve otras vidas.
ル: ¿Ah sí? ¿Y por qué no me las cuentas? Me encantan las buenas historias.
そしてこの後、フェリックスじいさんの過去が語られる。カストロのもとで戦術訓練を受けたことがあるとか、そういう。今は亡き妻にも話したことがないことをルシアに語るのです。
だったらば。
先ほどの会話はこういう意味だと思うのです:
ル: いったいどうして銃なんかを持ち歩いているの?
フ: 以前私は違う暮らしを送ってたから
ル: あらそう。じゃぁ話して聞かせてよ、いい話は大好きよ。
しかしながら、字幕では:
ル: なぜ銃を持ち歩いてるの?
フ: 他の者の分も生きるため
ル: 本当に? なぜ黙ってたの? いい話は大好きよ
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othersとかanotherとかthe otherとかって混乱しないようにって受験英語で習ったじゃないですか。問題はその辺にあると思う。スペイン語から英語へ、英語から日本語へ訳される途中で何かが誤訳されてると思うのですけど、勘違いしてるのは私か?
Posted by: Reine | Friday, December 30, 2005 15:18
Beetleについて、メキシコに来てから少々興味が沸いたので少し情報を集めたことがあります。
ボクはドイツ語全然分かんないですけど、volkswagenって国民の車とかそういう意味なんですって? Beetleは1930年頃に、ヒトラーの指示によって開発製造されたものなんだそうです。
ドイツ本国ではとっくに生産が終了してましたが、メキシコではつい最近まで生産が続けられていました。割と本格的な工場設備がメキシコに備わっていたようです。品質はどうなんでしょうね。
とにかく安いんですよ、Beetleは。
徐々に雇用が増えて、ちょっと金を持ち始めた貧乏人がまず買う車がBeetleだったと思われます。タクシーも貧乏なLibreのタクシーだけです、Beetleは。無線のちょっと高級なのは日産車です。
時代が変わりました。
現代の中流階級のステータスはVW車のJETTAでしょうね。ボクはJETTAに乗ってましたが、どうしても譲ってくれというのでメキシコ人に売りました。彼らにとっては新しいか古いかは問題ではなく、車種で決まります(たぶん)
なんだか意味不明なコメントですが、
1つだけ言えるのは、日本ではお洒落なイメージがあると思いますけど、絶対に違います!
ということです。
ボクが知っているのは、タダのポンコツだということでございます。
Posted by: ユースケ | Saturday, December 31, 2005 16:45
えー、ビートルショック。
でも、ほんと、鮮やかな、バッタみたいな緑色が可愛いじゃないですか。って思ったんだがなぁ。
Posted by: Reine | Sunday, January 01, 2006 22:00
> 『Martín Hache』に無くて『カマキリな女』にあるものって言ったらセシリア・ロスの裸
↑↑↑↑↑
ちょっと修正
『Martin Hache』でもセシリア・ロスの裸 ――97年当時でもありがたくなかった―― がありました。といっても、乳首。なぜならトップレスで日光浴をしていたから。
今、『Martin Hache』を見直して65分のところまで来ました。あと65分くらいの間にこれ以上の裸があるかどうかは不明。
私はあと65分を観ていられるかどうか、いまとても不安である。『Martin Hache』がツマラナイからではないです。つまらないからもうほっぽってしまいたいと言うのではないです。
『Martin Hache』は難解すぎるのです。難し過ぎて白旗寸前なのです。ここまで65分、足掛け4日、病み上がりの体でよくがんばって観てきたと我ながら思う。
台詞回しから哲学っぽいことから何から、全てが私のキャパを超えているのです。97年に観た時に、ストーリーに感動してとかじゃなくて別の意味で呆然として涙ぐんだ。あの時から私の人間性もヒアリング能力も、少しは成長したかもしれないというのに賭けていたんだが、フタ開けてみたら成長の幅は小さい小さいもんでした。
これは、あと半分(65分くらい)をやり遂げられるかどうかは私の体力気力次第です。キツいぜ。
というわけで、繰り返しますが、『Martin Hache』にもセシリア・ロスの胸部は出てきました。経過報告を終わります。
※『Martin (Hache)』をがんばって観たよ。
Posted by: Reine | Monday, January 02, 2006 01:11
>おばはん(蔑称)の御都合ファンタジー
そうだったんですね!
この作品のポジションがはっきり分かって、気分すっきりです(笑)
ル: なぜ銃を持ち歩いてるの?
フ: 他の者の分も生きるため
ル: 本当に? なぜ黙ってたの? いい話は大好きよ
元の台詞と字幕は大分ニュアンスが違っていたんだと、Reineさんの記事を読んで初めて知りました。
この会話の後写真を見せたので、“先に死んだ奥さんの分も長生きするために、用心してるって意味かな?”と勝手に想像しちゃいました。 この会話の時点では、まだ彼の過去が明らかにされていなかったので。
そして、フェリックスのこの答えを聞いて、ルシアが「いい話」と決め付けたのも謎でした。
Posted by: 哀生龍 | Thursday, August 02, 2007 07:02
哀生龍さん、おつかれさまでした。
>ル: ¿Ah sí? ¿Y por qué no me las cuentas? Me encantan las buenas historias.
>ル: あらそう。じゃぁ話して聞かせてよ、いい話は大好きよ。
元々の字幕の「いい話は大好きよ」を残して書いておきましたが、もっと言っちゃうならば、「あたし面白い話は好きなのよ」とか、「なんか、面白そうじゃない+(0゚・∀・) + ワクテカ +」だったのだと思うんです。
よぼよぼだと思っていた、これまでに特に関わらないで暮らしてきた隣人の意外な冒険譚をこれから聞かせてもらおうとするのですからね。
で、そこからフェリックス爺さんの昔語りが始まって、亡き妻の写真など見せたりしてくれて、ルシアが耳を傾けるシーン(そこはたしか、カメラは引きで、ルシアの心の声がかぶさっていく形ですよね)へと流れていくんですよね。
やっぱり、「他の者の分まで生きるため」っていうのは誤訳だと思うのです。ネイティブなどの誰にも確認してもらっていないので正否は明らかでないですが。
Posted by: Reine | Saturday, August 04, 2007 14:18
「御都合ファンタジー」ですが……まぁ、我ながらヒッデェまとめ方したもんだとは思います。
でもさ。
ルシアと似たり寄ったりの年齢で、というか20代末期から既に老化・加齢を恐れて、大げさなハナシ、人生に絶望してきた私としては、もーさー、アドリアンがしつっこくしつっこくルシアに入れあげてくれちゃって、ルシアも「イケナイな子ね」的に冷たくあしらってる風でありながらも「まんざらでもないわい( ̄ー ̄)ニヤリ」という表情を浮かべているシーンを観ながら、「んなことあるわけねーだろ」と、ラ行は巻き舌でツッコまずにはいられなかったのですわ。
そこへもってきて、人間性の方は老練なフェリックス爺さんに認めてもらえる特典つきという設定 ――つまり、お墨付きを頂戴できたかの如き磐石セッティング―― に、ますます白けたのでした。
朝ドラのつまらなさ・くだらなさ・ありえなさを表現するのによく「主人公マンセー」というフレーズが用いられますが、この作品におけるルシアはちょうどそういう感じ。だからつまらなくてくだらなくてありえないのです。たぶん。
Posted by: Reine | Saturday, August 04, 2007 14:41
“以前私は違う暮らしを送ってたから”“なんか面白そうじゃない 聞かせて!”と言う会話ならば、違和感なく話が通じますね。
細かい部分をありがとうございます。
>磐石セッティング
「監督ってば、オバサン心をよくお分かりで!」と思ったら、原作者は女性だったのですね。
かなり願望が入っていたのでしょうか?
Posted by: 哀生龍 | Monday, August 06, 2007 12:28
そうそう。それ。
原作者、女の人なんでしたっけね。
小説発表の当時、ちょうどそういう、弾けたい女性・殻を打ち破りたい女性という気運でもあったのでしょうかね。
Posted by: Reine | Wednesday, August 08, 2007 22:16