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Monday, March 28, 2005

Hasta pronto

1ヶ月なんてあっという間だった。信じられない速さで一ヶ月は終わっちゃった。今から12時間後には機上の人です。そういうわけでこれから数十時間は更新が無いと思います。

ここ数日、寂しく哀しい気分だったのですが、そしてそういうのを忘れるべくして(?)ガムシャラに遊びまくっていたのですが、今夜(日曜夜)はさすがに耐えられず、次女やポルトガルの友人やその他多くの人々に携帯メールを打ったりしてる内に泣き出してしまった。

いつも帰国の段には物悲しくなるものなのだが、なんだか今回はいつもよりひどい。一昨日あたりだったろうか、「もうスペインに来ることは無いのかもしれない。これで最後なのかもしれない」という考えが急にクッキリとして。今まで見ないようにしていた箱の蓋を開けてみたといった感じ。

そんなこんなで、ひどく哀しい。たぶん寝入るまでにもう一泣きすると思う。


こんな夜に限ってコメントスパムなんかに見舞われる。むかちく。涙ふきふき削除しまくってます。

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Sunday, March 27, 2005

Dietrich

昨夜は、ちょっと仮眠とってから遊びに出た(←仮眠とらないと夜中を過ぎたら体がもたない。老身に鞭打ってます)。

ゲイ友Tomasが友達とみんなで、Dietrichというhomosexual御用達のclub(Consell de Cent通り 255; Consell de CentとMuntaner通りが交差するところ; 93-451-77-07; 地下鉄 Universitat下車)に出かけるから来いと言う。 友人美優と二人で夜中1時頃にてくてく向かう(←それくらい遅くまで家でゴロゴロしてないと体がもたない)。

途中、Hotel Axelというホテルを通り過ぎた。homosexual専用ホテルらしく、フロントの人もロビーにいるお客もそのようでした。「女の人は泊まれないのかな」と思ったけど、「同性愛者っていうことだから、たぶん女性の同性愛の人が泊まってるんだと思う」と美優。

通り過ぎると美優が、「フロントのとこにあった壁画、見た?」と聞く。私はあいにく見逃したが、メディテーションをしているような、座禅組んでるような姿勢の全裸の漢(おとこ)の後姿だったらしい。おけつプリンプリンだったって。

………というのを今ここで美優が再現してくれたのだが、組んだ足が外れなくなって後ろにひっくり返りそうになってジタバタしています。助けたほうがいいですか。


さて。
そのホテルを通り過ぎてなおDietrichに向かって歩き続けると、夜遊びを終えてホテルに戻るらしい人々とすれ違った。みなさん、見事に男二人組みだった。「みんな、宿泊客なんだろうなぁ」などと言いながら私たちは彼らとすれ違った。私たちは彼らを凝視することはなかったが、彼らは私たちを凝視しないでもなかった。

で、美優と私はふと気がついた。「彼らは私たち二人があそこのホテルから出てきたんだと思っているんじゃないだろうか」と。


そんなこんなでDietrichに着きました。ため息の出るような美しい男たちでギュウギュウでした。バーカウンターの中のウェイターも、しばし仕事を忘れて、「今日はホントにホントにホントーーッにいい男たちばっかりでもうたいへん!」とか呟いてたそうです(←美優目撃談)。

ここでも私は、いつもTomasにきつく言い聞かされていた通り、オーダーした飲み物を受け取る際に、ウェイター君に「Gracias, guapo!(ありがとう、いけめん!)」と叫ぶのを怠りませんでした。ウェイター氏(ガタイがとてもいい系)は満面の笑みで応えてくれました。やはり悪い気がしないのか、日本人の女がそんなことを叫ぶのが可笑しいのか、いずれにしても笑みを誘うもののようです。

女性陣もちらほらいました。私たち二人に目をくれる男などいません。むしろ女の視線を強く感じました。


その後、次のclubへと走りました。3:15までに入場しないと支払いが発生するようなので、尿意を堪えつつ我々は走りに走りました。そんな時に限って、夜の道路を封鎖して映画の撮影なんかをやっていて、遠回りをさせられたりなぞしました。

しかしながら、次のclub(Salvation; ronda sant pere通り 19-21; 地下鉄urquinaona下車)は、女は有料だったのでした。「先にゲイを入場させる。女はその後。待て」って。最後まで待ったらタダになるのかというとそうではなくて、待ったところで有料は有料らしかったです。20ユーロよ。3000円近いわけよ。

そうやってはじかれてる女性客が正面入り口の前にちらほらいました。「貴女たちどうするの?」などと会話を交わし、みんなで考え込み、結局、「20ユーロあれば昼ごはん2回は食べられるわよね」というところに着地したので、ゲイ友たちを入場させて、美優と私は帰宅しました。ヘトヘトですが楽しみました。


ちなみに

「entender」という動詞ですが、意味は「understand」といったところ。しかしながら、「同性愛者である」という語義もあるので、ちょっと注意が必要です。

スペイン語学習中のスウェーデン男子で見目麗しいheterosexualの子(長身で筋肉ムキムキで金髪碧眼で超短髪でという感じの子)が、clubのトイレで男性に「¿Entiendes?」と話しかけられたのですと。てっきり「スペイン語がわかるのかい?」と聞かれたのだと思って、「Sí, entiendo.(えぇ、“スペイン語が”わかります)」と答えたつもりでいたら激しく迫られる展開になってドギマギしたとか、そういう話は聞きます。

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Friday, March 25, 2005

mision

任務遂行

Abetchy
Ella Baila Solaの『marta y marilia
Pedro Guerraの『Bolsillos』
Maluの『Por Una Vez』

Mona
picos(aceite de oliva)
Nocilla(Sin Azucarが見当たらなかった)

自分用
15.95 Cachorro
(お、パッケージ読んで買ってみたけど、わりと評価よかったんだな)
(→ 『Cachorro』の感想

13.95 Hector
(まぁ、無難かな……)
(→ 『Hector』の感想

19.95 Descongelate
(高値だったわりに評価低い。失敗したかも)
(→ 『Descongelate』の感想

14.95 Carlos Contra el Mundo
(あ、これ失敗したっぽいな。でもまぁ、知ってる町が出るかもしれないからいいや……)
(→ 『Carlos Contra ~』の感想

スペイン映画の売り場がすごく小さいんだよな。そして、オスカー獲得の『Mar Adentro』のDVD発売は私が出国してから、という不運。今さっきDVDGO.comから案内が来た。


そして、曇天。見てごらん、このサグラダ・ファミリアを。不吉ですらあるだろ。
nublado nublado

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Wednesday, March 23, 2005

BCN

バルセロナに入りました。風邪をぶり返したんだか、アレルギー(花粉症)が出たんだかで、土曜から体調激悪です。が、今日(火曜)の昼にはこちらの友人とも無事に落ち合うことができ、今は彼女の家から書いてます。

取り急ぎ、生きてることを報告。

バルセロナで日・月・火でかかったお金はもう数えない、っていうか数え切れなくなっちゃった。なんだか、たいへんにいろいろとこまごまとお金を使っちゃったような気がするぞ。おそろしい。

Abtchy、Mona、体調悪すぎて、現在のところまだ依頼された買い物をこなしていません。すみません。なんとかします。


バルセロナのホテルでカタランバージョンのドラえもんを見ました。
doraemon
って、この写真、まるで意味無いな。のび太たちがカタラン(この地方のことば)をしゃべっていますっていうのがこの写真では何も伝わらない。でも、しゃべってるんだよ、カタランを。


カタランは書き言葉になってるものを理解するのは簡単だと思う。スペイン語がわかってる人なら、さほど障壁を感じることもなく読めるんじゃないかな。でも、聴くのは話が別。

例えば、旅行代理店とか銀行とかそういう場で私が何かを尋ねたとする。店員が電話で別のオフィスに問い合わせてる。スペイン語でボソボソとしゃべってる。「なんかー、今ー、うちの店にー、日本人だか中国人だかわっかんないんだけどさー、アジア人の子が来ててー……」などと切り出している。だから私はすかさず、「日本人です」と言ってみる。

すると途端にカタランに切り替えやがった。そうなるともう何も理解できない。私について何かコメントしてるんだとしても話を読むことができなくなる。カタランを聞いてて理解できるということは私は無い(例えば、レストランのオーダーをしている人の声を聞いてて、どのメニューを注文してるかを想像するとかそれくらいだったらわからないでもないけど、それは出てくるであろう単語がある程度限られており予測できている状況だからであってさ)。

しかし、ドラえもんカタラン版。これは何をしゃべってるかわかるのよ。絵に助けられるとかいう以前に、「のび太のくせに生意気な」「ギッタギタにしてやる」「のび太には貸してやらないよ」といった原則に沿って見ていればだいたいは理解できる。ような気がするぞ。


それから、スペイン人の男友だちとのディナー。
cena
何度も悔しそうに言いますが、持っていった携帯の充電口を壊しさえしなければ旅行中ずっとデジカメとして使えたわけで、このようなちょっとした写真がもっともっと気楽に大量に撮れていたはずなのでした。ほんとに残念です。

このね、トマトをすりつぶしたやつをパンに塗ってあるやつ、大好き。友人曰く:
トマトを切って切り口をビャーーってパンに塗り塗りしちゃて塗った上からオリーブ油・塩コショウ振る人もいれば、大根おろしみたくトマトを下ろしてそこでオリーブ油・塩コショウしてから、それをパンに塗る人もいる、やりかたは人それぞれ。

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Sunday, March 20, 2005

miercoles a sabado

明日からはたぶんもうネッツできないと思う。ので、覚えてる限りまとめとかないとマズい。でもだいぶ忘れた。とにかく、覚えてるだけmyMEMO。

水曜日
????   ネッツ
10ヶ月前にメッセンジャーで大喧嘩になり決裂していたTomas。Tomasの友人のAbrahamからいきなりメールが入った。4月にちょっと私に仕事が入ると思う。というような緊急な重要案件。Abrahamにレスをする。「私、いま、いつもの町にいるわよ。携帯の番号は6XX-XXXXXXX」。

15前後 先生の豪邸にお呼ばれしたので菓子折り購入
1.80 バス往復
11前後 ヌードル屋さんで夕飯

食べている途中で携帯が鳴る。てっきりAbrahamかと思ってとったらTomasだった。Abrahamから私がこの町にいると聞いたそうだ。10分後、ヌードル屋さんに駆けつけてくれた。7年3ヶ月ぶりの再会。涙まじりに抱擁。相変わらず本当にオトコマエ。私の人生において、1、2を争うイケメン。「やっぱり、私たち結婚しましょう」となる。10ヶ月の決裂状態はなんだったのか。


そのあとTomás宅でTomasとAlmo(上階の住人)とMarta(その隣室の住人)とBelén(Martaの友だち)とDavid(Martaのともだち)でテレビ(Aquí no hay quien viva)を見る。このテレビドラマはあるマンションの住民一同が繰り広げるテンヤワンヤを描いたコメディー。奇妙な連帯感を有する御近所さん(=マンション自治会)の日常を描いてる。

Tomasたちは、今週は誰の部屋、来週は誰の部屋といった持ち回り制でディナーをするらしい。自分たちのマンションでもこのドラマとおんなじような御近所づきあいを実践するというplayを楽しんでいる、ということか。
aqui no hay quien viva aqui no hay quien viva

Davidはそうやって過ごした3時間のうち、ただの一度も私を見なかった。夜遅く、おいとまする時も、女性陣は皆さん、「あなたと知り合えてよかったわ」というキスをくれたが、Davidは一瞥もくれず背を向けて立ち去った。それは、本当に普通ではない行為。misóginoなのかな?とチラリと思った。(が、どうも違ったらしい。※後述)


木曜
昼、パパがpaella作ってくれた。
paella paella paella paella

前回もそうしてくれた。Antonitaも来た。今度来る時にはAntonitaにはもう会えないのかもしれない。体がもつどうかが非常に心配なところ。83歳だったとは知らなかった。行っても70代前半だと思ってた。Antonitaがスペインのおみやげをくれた。泣きそうだ。早く戻ってこなければならない。お金が欲しい。お金を稼がないといけない。

夕方、Tomasといろいろ買い物。Marioのオフィスに寄る。「検針です」と言ってドアを開けさせた。Marioに、前回来た時になぜ寄らなかったかとひどく叱られる。

町ではセマナ・サンタの準備が進んでいた。赤い幕が目抜き通りのすべての窓にかけられていた。道端に積んであるのはベンチ。これが沿道にズラーっと並ぶことになる。
semana santa

5.00 ショッピングセンターからTomas宅までタクシー
2弱くらい? 乾電池
15くらい? TomasとAlと一杯やる。


Barに行く。ウェイターのNachoから飲み物を受け取るときに「Gracias, guapo(ありがとう、オトコマエ!)」と言うようにと、Tomasに昔のように強要される。昔、いつもそう言い聞かされたものである。「『Gracias, guapo』は魔法のコトバ」(Tomasの理論)。それを言うのと言わないのとでお前の扱いが格段に違ってくるはずだから、と。

Alがbisexualとgayの違いを説明してくれた。Tomasはそういう説明がホントに下手だ。Tomasの説明ではぜんぜんわからなかったものが、Alの説明で少しはっきりとした。レズビアンのBarオーナーに私は気に入られ(たそうで←Tomas談)、3人に大いにかつがれる。

夜、Semana Santaのtraslado始まる。家の前を通って隣のhermandadに入る。ベランダからパパとママが身を乗り出していた。十字を切る人々。
traslado traslado traslado

(電池切れにつききちんと撮れなかった)(というか、私はセマナ・サンタにカメラを向けるのが好きでなく、じっくりと撮らなかったので結局こういう仕上がりになってしまったということ)


金曜
18くらい? 要らなくなったものを日本に郵送して荷物少しだけ減らした

美優ママのお宅に昼御飯目当てでうかがう。絶対無理と思ってた量の大御馳走だったが、しゃべりながらひたすら食べてたらアッサリといけてしまった。胃がデカくなっているような気がしてならない。


夕方、友人Quinoとお茶。1時間弱しかしゃべれなかったがとても楽しかった。日本に帰ったらQuinoのママ宛に一筆したためることを約束。ママの健康状態が心配。

映画『Los Lunes al Sol』の話をふった。
「私のこの町の友達はあなたも含めて非常に良い仕事を持っている。家も買ってある。経済状態も非常に恵まれているように思える。だが、あの映画では人々は職を失い、貧困に喘いでいる。どちらが現実なのだろうか」と尋ねると、ちょっと考え込んで、「僕たちの現実が現実だと思う」と言っていた。「映画だからああいう題材を選ぶわけで、ああいう状況も映画の題材としてはスペインの現状であるけれども、僕たちの現実はそれはそれでまた現状です」と。

「それと、君はきっと友人を選んだと思う」と。それについては私もそう思う。私はこの国での友人を選んで友人になったのだと思う。


15くらい? TomasとAbrahamと一杯やる

美しく写せなかったんだけど、こういうのがtapas(タパス)ね。バーカウンターにこうやってズラーっと食べ物が並んでる。住んでる頃は、夕飯や昼食をこういうので済ませちゃったりしてた。だって少量ずついろんな食材が摂れるから良さそうじゃん。
tapas

たぶんDewar'sのWhite Labelの宣伝キャンペーンなんだろうと思うんだけど、あちこちのbarで目に入ったポスターがこれ。
white label
わかる? 後ろに貼ってあるポスターとこの女の人は同一人物なの。各店のオーナーやウェイター・ウェイトレス自らがポスターに写りこむ、別の店にはその店の人々のバージョンが掲げられているというわけ。飲み歩くのが愉しくなるというか。


飲んでる最中、Tomasとの10ヶ月前のメッセンジャーによる最悪の喧嘩の経緯をAbrahamに説明する流れに。

「いや、だって、この男がさ、メッセンジャーで『Hola』って話しかけてきたかと思ったら、いきなりがあなた、『もう君をリストから外すからな。なぜって君は偽だからだ』って言いやがったからよ。『あぁ、だったら外せや』っつってオシマイよ。当たり前でしょうが。知るかよってもんよ」

「おっまえ、Reine、いくらなんでもそんな風にチャットを切り出す人間がいるわけないだろう。嘘だ。俺、そんなことゆってない」「ばか、そうだったのよ。あなたがそうやって始めたのよ。喧嘩をふっかけてきたのはあんたなのよ」「ちがうよ」「ちがくないわよ。あんた、覚えてないっつうんだったら、あん時それじゃぁ酔っ払ってたのよ」……しばし水掛け論。

Abrahamにどっちを信じるかと二人で質問したら、「俺は…Reineを信じるな。日本人は嘘つかないから」。

「そうよ、日本人は嘘をつかないの。あたしたちにはね、サムライのスピリッツが流れてるわけ。サムライは嘘つかないの。つまり、今だって、あたしはホントのことを言ってます。日本人はね、サムライなの、サムライ。俺ら日本人は、嘘つかねぇんだよ」と私が言い放つと、Tomasが負けじと、「お前がサムライスピリッツだっつうんだったら、俺だってね、俺だって、スペイン人はね、えっとえっと、ドンキホーテのスピリッツが流れてるんだから!」と言い返す。

そこで、Abrahamと私、思わず目を合わせて、「ドンキホーテは……頭ん中、妄想だらけだぞ……」と。Tomasもげらげら笑って黙り込むしかなかった。真実を述べていたのは私であるということがはからずも証明(?)されることとなった。


その後、Almo合流。飲んでてTomasとまた喧嘩になりそうになる。だが、もういいのだ。この人はそういう人なのです。AbrahamもTomasに、「Reineがおまえに頭に来たのが俺には十分に理解できたと思うぞ」と言ってた。そんなこんなでしゃべってたら、後ろのテーブルにMigel Angelが居た。7年3ヶ月ぶりの再会。また泣きそうになる。

その後、またNachoの居るBarへ。また「Gracias, guapo」と言わされる。Tomasのセオリーもあながち外れてはいなくて、実際、「Gracias, guapo!」って言ってあげると、たいていのウェイター(セクシャリティ不問)は悪い気はしないようで、わりと愛想良く接してくれるようになるものですわ。

で、レネヤマ、Nachoにligarされる(=ナンパされる,口説かれる)。「まだ帰るな、俺はまだ仕事が残ってる」と手を握られ目をシッカリ見つめられ熱く語りかけられる。「ほら見ろ、効き目があるだろ?」と得意気なTomas。


Tomasの女友達という人物が、私とAlmoには目もくれず、TomasとAbrahamだけを相手にしている。Almoが、「ああいう女をlobaって言うのよ、覚えときなさい」と。女の中には、そういう女(男だけに愛想よくして女はいっさいシカトっつう類)が居るっつうのは、日本だってどこだっておんなじことなのだが、あそこまでアカラサマにやってのけた女は滅多に居ない。興味深い。

「そういえば、Davidがね…」とAlmoに話しかけた。
「先夜、Davidは私を一度も見てくれなかった。女が嫌いなのかしら? 私が気に食わなかったのかしら?」と聞いたところ、Almoが真剣な顔で、「彼はね、極端に恥ずかしがり屋なの。誰に対してもはじめはそうなのよ。私とも仲良くなるのにずいぶん時間がかかったのよ。女に対しても、男に対しても、ゲイに対しても、彼はうちとけるのにたいへんに時間がかかっちゃう子なの」と。

そういうことだったのかと、Davidがいじらしくなる。「それにしても……オトコマエよね」と呟くと、Almoも「ほんっとに美形でしょう」と溜息。「残念ながら、gayなのよね」と二人で溜息。


ひたすらambienteバルめぐり。(注: ambienteという語の解説はこちら
また別のところでcamareroの若い可愛い系の男の子に「Guapo」連発させられる。Tomasが言え言えとうるさい。私が注文するたんびに「Guapo」と言わされる。しかし私がそう言ってあげるたんびに相好を崩す男の子。たまんねぇ。けど、彼もまたgay。いかんともしがたい。

もう一人のウェイターは体を作りこんでいた。Almoが、「彼みたいな人はvigorexico」と教えてくれた。anorexiaが拒食症ならば、vigorexiaは「ボディビルとかに強迫観念のある人のこと」。のようだ、察するに。「vigor=力強さ,活力」という語から造られた用語だろう。


土曜
昼から、Abrahamとしゃべっていたうちはまだ幾分大丈夫だったが、その後、MarioとTomasとClaudioと合流した頃にはアレルギーがひどくなっており、呼吸もままならず、目も開けていられなくなったので、昼御飯は断って帰ってひたすら寝る。

11くらい? ヌードル屋さんで夕飯

長女がお別れに立ち寄ってくれた。次回は私は夫を連れてくるようにと。そして、かなうものならば、互いの赤ちゃんを見せ合おうと。しばし抱擁。泣きそうだ。

荷造りをさきほど終えた。次女がいったん帰宅して、明日早朝に私が起きる時にはちゃんと自分も起こしてくれと言う。「いや、早すぎるから起こしては申し訳ないから、一人で発つ。もうタクシーを呼ぶ支度も整えてある」と言うと、「あんた、明日の朝起こしてくれなかったら、二度とこの家の敷居をまたがせないわよ」と叱る。


明日にはこの町を離れる。できるだけ早く戻ってくる。必ず帰ってくる。泣けてくる。


そして………三女はどこへ? かれこれ30時間、あの娘は家に帰っていないぞ。
___


土曜の夜、それもセマナサンタのバケーションを間近に控えた土曜ということで、若者は夜通し町で遊んでました。夜中の3時4時に、東京の真昼間の雑踏のような大騒ぎでした。一晩中ガヤガヤガヤガヤ聞こえてくる。なぜって、お店に入らないで道端や広場でみんな好き勝手に仲間同士で飲んでるからです。

町一番の広場が若者で埋め尽くされてる写真は残念ながら撮れなかったのですが、たとえば夜中の3時にこういう感じ。道端でみんな昼下がりみたいに立ち話してるでしょ。車はひっきりなしだし。あぁ、ほんと、あの広場の夜中3時4時の状況を見せてあげたい。
plaza

mona、9月にこの町に行ったりしたらさ、撮って来てよ。

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Wednesday, March 16, 2005

colegio

こないだ『Mala Educacion』を観た。男の子だけの学校が舞台だったりしたので、ちょっとその辺を次女やママにきいてみた。長女と三女は公立の共学の高校に行ったんだけど、次女だけが私立の女子高だったので、ちょっと興味が湧いたのよ。

なんでその女子高に行ったのかと聞いたら、次女がなぜかちょっと恥ずかしそうに、「わたしはあの当時は“おばかさん”でね」と。と言っても、勉強ができなかったという意味の“おばかさん”ではないようで、次女は説明を続けた。

「わたしには勉強はたやすくこなせるというものではなくて、ちゃんと努めて勉強する心で向かわないことには勉強ができなかったのよ。で、共学の公立高に行っちゃうと、きっと私は流されてしまうだろうというのがわかってたの。妹の話なんて聞いてると、公立の共学高はね、いや、レベルが低いとかそういうんじゃないのよ、そういうんじゃないんだけど、やっぱり学校側の管理は私立校ほど徹底してないの。もっと自由なのよ。

わたしのような、言ってみれば“ガリ勉”タイプの子にとっては、公立高の気風は自由すぎるわけ。妹なんかは、たとえば、先生を教室に閉じ込めて生徒たちみんなで校庭で遊んじゃったりとかだったらしいのよ。楽しそうなのよ、それはいい思い出だと思うのよ。でもね、私はそういう空気に流されて勉強についていけなくなるんじゃないかというのが怖くて仕方なかったわけ。

わたしは勉強をしないと勉強できないの。でも、学校の雰囲気がそういう“自由”な感じだったらどうする? 私一人だけ教室に残ってちゃんと授業を受けたいですとは言い出せないでしょ? “おばかさん”ってみんなに後ろ指指されちゃうでしょ? それが怖かったのよ。だから、私立校に進みたいってお母さんに言ったの。お母さんたちはそりゃ公立高に行ってほしかったと思うわ。学費が安いんだからさ」。

感心してしまったわ。


で、今度はママの話
7歳から14歳までを修道女系の女子校で過ごしたらしい。ママは現在62歳ですから、1950年から1957年までってこと?

その学校では「お金持ちの娘」と「貧しい娘・内戦とかの孤児など」は隔てられていたそうです。学校にお金を払うのはお金持ちの家だから、お金持ちの娘は厚遇だったと。貧しい娘たちは上階で縫い物とか読み書きなどを教わり、お金持ちの娘はもっと別の教育を受けたと。

お金持ちの娘がインク壷を倒しちゃったりなどすると、修道女(先生だわな)が鈴を鳴らす。そうすると貧しい娘が下りてきて掃除をする。ママ(お金持ち側)はそういうのが心底イヤで、自分で始末したかったと。でも、先生が許さなかったって。お金持ちの子は貧しい子が掃除するのをただ黙って見てなきゃいけなかった。そして、もちろん、そういうのを気分良く感じていられるお金持ちの娘も当たり前にいたと。

貧しい娘たちは髪を短く揃えられていた。頭にシラミ?がわかないように。金持ちの娘だったママは髪を三つ編みにしていて、リボンをいつも貧しい娘にあげてたと。家に帰ると「また失くしたのね」と小言を言われたけど、「お母さんは私が失くしたんじゃなくて誰かにあげたんだというのがきっとわかっていたと思う」と。

ママにとっては貧しい娘と金持ちの娘が隔てられてるその環境が苦痛であったと。一人の修道女(先生)だけはママのそういう感じ方を支持してくれていた。そして後年、その先生は、隔てるのをやめる改革をしたって。でも、貧しい娘と自分のとこの娘がいっしょの教室でいっしょの授業を受けるなんていうのが気に入らない金持ちの家も多く、娘を別の学校に転校させた家族もいた。

って。

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domingo a martes

ネッツ代はもうめんどくさくて数えない。

日曜日
12.00 有名な海辺のレストラン 長女・長女夫・次女・私
5.00 次女にアイスクリームおごり

海辺にはchiringuito(チリンギート; Quiosco o puesto de bebidas al aire libre.)という出店が並んでる。屋台といった感もあるけど、もっと大きめの店舗も含めて海辺に並ぶオープンエアの飲食店。手っ取り早くイメージ検索するとこういうこと

有名なチリンギート(El Tintero II)に行きました。日本に、この町出身の友人がいるのですが、彼にも「Tinteroに行った?」と訊かれました。やっぱり有名なのね。日曜のお昼時、しかも大寒波の異常気象の冬がやっと終わったようで、やっと春らしくなった最初の日曜ということで、超満員だった。混み混み。予約しとけばよかった??? とも思ったけど、予約は受け付けてくれてるのかどうか。

これが外観なんだが、店が見えない。日曜ということで、海岸の遊歩道には地べたにシートを敷いてる物売りがたくさんいました。って、その物売りの姿もまたよく見えない写真だな、こりゃ。
playa

ここは、頭のいいシステムになっていてね。「回転寿司の人間版」です。ひっきりなしにウェイターが料理皿を持って厨房から出てきては、歌い上げるような調子で、おぉ、ちょうど市場のセリみたいなトーンです、ああいう大声でメニューを知らせてテーブルの間を回るのです。お客は食べたいもの(を持ったウェイター)が出てきたときに呼び止めればいい、と。
playa playa playa

そしてお勘定はお皿の種類と数で決まってくる。そして面白いのは、お金を受け取る係のウェイターも随時巡回してくれてること。彼もまた「Yo cobro(私が支払いを受け取ります), yo cobro, yo cobro ……♪」と声を張り上げつつ回ってくれる。支払いたい客はその人をテーブルに呼びつけて支払えば良い、と。これだとレジ付近が混雑するっていうことがない。

よくできてる。うまいことできてる。

のべつあのようなトーンでウェイターが巡回してると、お客は煽られるように注文してしまうのです。そういう昂奮状態にあってはなんとなく焦った気持ちになるので急いで注文してしまいがちで ―― しかも実際の空腹感以上の量をね ―― また、常にダミ声が飛び交うような状況では急き立てられるような気持ちも生じるので、支払いもサッサと済ましてしまいがち。つまり、テーブルの回転が異常に良いはず。それで常に満席とあっては、混んでいるという事実がまた客を呼ぶことになり………あの店、すごく儲かってるんじゃないだろか。

ちなみに。きれいとはとても言えない写真でほんとに申し訳ないのだが、そうやって煽られて短時間で食べ散らかすことになっていた我々のテーブル
playa
ほんとにね、気づいたらこうなってたという感じなのよ。


この日くらいからやっと暖かくなりました。やっと春っぽくなった。
playa

なので、打ち寄せる波を素足で感じながら散歩する人や、
playa

早くも泳いでる北欧っぽいカップルを目撃。ちなみに、女の方はトップレスだった。海水浴してる時点から前戯が始まってるようなイチャイチャぶりでした。「ちょっと入っちゃってんじゃねぇの?」とツッコミたくなる、そうにぅ、もとい、そういうカップルでした。
playa

海辺にはズッラーーーーとレストランが並んでいるので、この辺にはネコがたくさん。
playa
妊娠してるネコなんか見ると胸が苦しくなったりしたけど、そんな心配することも無いのかも。あの地域ならネコたちも飢えることは無いのだろう。そして何よりもネコにとって住みやすかろうと思うのは、人々がネコを生活の一コマとして見ているようだから。「地域ネコ」とかしこまって定義づける必要も無いようで、風景の一コマみたいな、そういう存在としてネコが在る感じ。動物が生きやすい国だと思う。(と、信じたいところ)


月曜日
16.43 ママの従妹のお宅訪問にあたり菓子折り購入
2.80 夜、ロシア人の友達とおしゃべり

火曜日
3.00 朝遅刻しそうだったのでタクる
12.00 ヌードル屋さんで昼ごはん
2.90 たばこ
5.00くらい 水とかジュースとかお菓子とか
3.00 室内履き。ピンクの可愛いやつ。

だいたいそれくらいだっただろうか。

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El Lobo

lobo昨夜は三女と『El Lobo』(DVD)を観た。

Eduardo Noriega(エドゥアルド・ノリエガ)主演。実話に基づく。73年から75年くらいにスペイン警察が仕掛けたETA掃討作戦を描いたもの。ETA内部にEduardo Noriegaを内通者として送り込んで…という話。

※ETAとはバスク地方の独立を求める過激派、 「バスク祖国と自由」。


内通モノ(ってそんなジャンルがあるかどうかはさておき)は、だいたいアラスジって決まってるでしょ? 途中でバレそうになったり、拷問めいたシーンが入ったり、グループ内に不和が生じたりとか。警察とのやりとりもだいたい見当がつくじゃないですか。だいたい内通モノは起承転結が万国共通よね? だから“なんとなく”話を追うことができたけど、どうだろ、ヒアリング的にはちゃんとついていったという自信はあんまり無いぞ。

あと、音効はよくなかったと思う。三女も「ぜんぜん聞こえない」とぶつぶつ言ってたし。というか、ファミリーのママが大声で廊下で電話してて。そっちの声の方がよく聞こえてたので、映画の序盤、まったくといっていいほどヒアリングができてなかった。何度も一時停止して「いま、なんつった?」と三女に確認。「この人は、イイモン? ワルモン?」と。


あるシーンで、人々が警察に捕らえられた。そこでシーンが切り替わり、次のシーンではEduardo Noriegaが取調室ではないところで刑事とサシで話している。彼の口角は切れていてちょっと血が滲んでいる。うっすらと痣らしきものも見られる。だから私は、「取調べにおいて暴力の行使があったと考えるべきところか」と解釈した。

刑事とEduardo Noriegaの会話は篭っていてよく聞こえない。おまけに廊下ではママが長電話を続けているのでますます聞こえない。そこで私は一時停止して三女にたずねた: 「さっき逮捕されたでしょ? で、取調べで拷問みたいにされたってこと?」

三女は「はぁ?」とkyotonly。「だって、ほら、口んとこ血が出てるじゃない。暴力があったってことなんじゃないの?」と聞いた。「あたしまったく聞き取れなくって」と私が済まなそうに言うと三女も済まなそうに、「っつうかね、あたしは何も見えてないの」と。

三女はコンタクトレンズをはずし、メガネをかけてDVDを観てた。メガネだと三女はほっとんど何も見えないらしいのだ。「Eduardo Noriegaなんだろうなぁってのはボンヤリと見えてるんだけど、なに? 血が出てるって? あたしには血なんて見えないわけ。あの辺が顔なんだろうなぁって推測してるだけなの。だから、あたしも話についてってないわけ」と。

そして三女はげらげら笑い。
「あたしたちアレみたい、ほら、あの映画、何ていったっけ? 『見ざる聞かざる目撃者(SEE NO EVIL, HEAR NO EVIL)』よ、アレみたいじゃない? あたしは見えてなくて、Reineは聞こえてないのよね。Reineは見る担当ね、私は聞くのを担当するから」。


昨夜の映画は、隅っこに小さい字で「1974年○月△日、マドリード」とか「二年後」などと表示が出る映画だったんだけど、そういう文字も三女には一筋の線にしか見えてない。だから、何か表示が出るたんびに私の脇腹をひじで小突くのです。そうすると私が大急ぎで読み取って「75年11月20日、マドリード!」などと叫ぶのです。

そして、早口や小声の会話のシーンには、私が三女の脇腹を小突き、彼女がザッと説明してくれ……、という感じでようやく最後まで観ました。たいへんでした。

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Saturday, March 12, 2005

viernes

金曜日のまとめ

学校に行った。こないだまで携わってた書籍の中で出くわしたさまざまな疑問点を解消するための授業。「ここってこうじゃないですよね?」「これって間違ってますよね?」っていうのを片っ端から先生にぶつけてって、確認する作業。

おおむね(ほぼすべての疑問箇所において)私が正しかったということが確認できた。問題の書籍の編集作業中に私がヘンテコリンさに気づいて「これ、違うんじゃないですか?」と申し上げても、偉いセンセイたち(っつうか、一人、偉~いのがいて、ソイツが特にガンだったんだが)が却下(無視)しやがってた箇所のほとんどすべてにおいて私が正しかった。こちらの先生も、「おい、なんだこりゃ? こんな基本的なことを堂々と間違えて…」とヒき気味で。「『reneyamaの言ってることの方が正しいです』って僕たちが連名で日本のお偉方に文書で証明してあげようか?」とか(冗談だが)言ってくれた。

ほんと、勘弁してほしい。これらの疑問点がこうして晴れるまでのこの数年間、私がどれだけ混乱したと思ってんだ。「ここにはBは来てはいけない、Aであるべきなのだ」と思っていた法則の、ことごとく逆を行かれて、それまで当たり前だと思ってた確信をひっくり返されて、この数年間、私がどれだけクビをかしげてたと思ってんだ、がっでむ。

その辺を解決するにはこっちの先生に聞くしかねぇやとか思いつめて(?)、ついにはこっちまで飛んでくるハメになったんだ。飛行機代を請求したいくらいの勢いで頭に来ているが、それくらいの勢いで溜飲が下がったりもしている。

★゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜

さて。
そうやって授業を受けているうちに、一点、私が理解できない事柄に行き当たり。そのフレーズを使った例文を先生がいくつか挙げてくれたんだが、私はどうしても飲み込めず。それは月曜にもう一回考えることになった。

それが午後中ずっと気になっていたので、夜にファミリーの次女(28歳・保母さん)と三女(22歳・心理学専攻の学生)を夕飯に連れてった時に、二人にも尋ねてみた。そのフレーズを使った例文をいくつか作ってみてくれと頼んだ。娘たちは苦労しながら例文を作ってくれたんだが、それでも私は飲み込めず。食事する手も止まりがちになるほど3人で考え込み。ずっとそのフレーズを口の中でゴニョゴニョと呟きながらの夕飯になった。

お店を出たとき娘たちがゲラゲラ笑っているのでナニゴトかと聞いたら、私の後ろのテーブルの30代くらいのカップルもずっとそのフレーズを挙げて考え込んじゃってたんだと。そのカップルもああでもないこうでもないと空を見つめて例文を作り続けてる様子だったと。

「っていうか、たぶんほかのテーブルの人もそうだったと思う」と大笑い。


一人で夜の通りを歩いている時にカメラを構えて写真を撮るという行為は、いくら人通りが激しい町一番の大通りとはいえ、やはり躊躇われるので(←ひったくりなどに目をつけられるのではという危惧の念)、こうして友人と連れ立って歩いている時にまとめて撮っちゃうように心がけてます。
noche noche

…と三女に言ったら、「そんなこと言ったってレネヤマー、あたしといっしょに居るから安心ってことは無いわよ? 私がたとえば屈強な男だっていうんならまだしも、こんな華奢な小娘じゃ抑止力にもなんにもなりゃしないわよ。二人まとめてやっつけられちゃうだけよ」と言われた。ごもっともです。

だから、「私が写真撮ってる間、あなた脇で空手の型でもやっててよ。これ見よがしに空手っぽいポーズとかとっててよ」と頼んだ。


三女の友人に会いました。息子(4歳)の写真を撮ってあげたら彼は大喜びで、私を好いたようでした。別れ際には頬っぺたにチゥをしてくれました。今回の旅行で私にキスをしてくれた唯一のスペイン人男性でした。(背後で組み立てられつつあるのは、セマナ・サンタ(聖週間)の行列を見届けるための座席。かな)
oscar oscar


La Posada de Antonio」という名前のbarです。
noche
二階席もあってとにかく店内が広かったという記憶がある。……あれ……以前はただ「Posada」という店名だったような…と思いながら通り過ぎようとしたら、三女がすかさず説明してくれた。「Antonio」って冠がついたのはこの俳優が買い取ったからだと。あぁ、なるふぉど。彼はこの町の出身だったね。


そして我々はその隣の小さな小さな立ち食いbarへ。
noche

店の表まで人が溢れてます。小雨が落ちてきましたが構う人などいません。
noche


その夜、三女は彼氏と出かけた。
次女と私にもいっしょに町に出てくれとしきりに言う。
なぜかと言うと:

三女の彼氏は男友達と出かけることになってたのだ。男友達に誘われたので、「あぁ、いいよ、遊ぼうぜ」と言い切ってしまったのだ。だが本心は、男友達なんかと会ってるよりもカノジョ(三女)といっしょにいたい。そこで、彼氏と三女は、夜の町で偶然に出くわした風を装うことにしてあったのだ。何時ごろにドコソコの店の辺りで“偶然に”鉢合わせようではないか、と。そういう打ち合わせをしたのだ。

そのためには、カノジョ(三女)が一人でふらついているのは不自然なので、次女と私といっしょにふらふらしている体でいたいと、そういう計画だった。だから三女は執拗に私達を誘ったのだ。

次女は「いかにも若いコのやることだわ」と鼻で笑ってた。男子が、男友達に誘われた時に、「いやぁ、俺、今夜はカノジョと出かけたいから」と断るのは、どうも沽券にかかわるようだよ。「あぁ、いいぜいいぜ、カノジョなんてほっといたっていいんだぜ、俺はカノジョなんかぜんぜんかまわないような男なんだぜ」というところを見せないとならぬと、そのくらいの世代の男の子は考えるもののようだ。


結局、次女と私は三女にはかまわずDVDを観ることにした。
PEDRO ALMODÓVARの『La mala educación』(『バッド・エデュケーション』)。(詳細は後日

「今夜はお父さんがいないからこれを観よう」と次女が言う。「そうね、それがいいわね。アルモドバルの映画は親といっしょに観られないからね」と私は言った。前に母といっしょに別の作品を観てイタい目を見たので(詳細は後日)。

すると次女が、「性的なシーンがあるからっていう恥ずかしさもお父さんといっしょに観られない理由ではあるけど、そうじゃなくて、うちのお父さんの“政治的見解”みたいなもんと衝突するだろうという懸念からも、きっとこの映画はダメなの」と言う。「お父さんはきっと、『こんなにあの時代のわが国のことを悪く描き過ぎる必要などないのだ』ということでも機嫌を損ねると思うのよ。『おおげさに表現してる』ってブーブー言うと思うわ」と。

その辺はさておき(さておくのか)、観ることにしました。

ら、パッケージの中にDVDが入ってなかった。前の夜にお父さんは一人で観てしまったようでしたよ。


唐突ですが、夜のAlcazaba
noche


そんなこんなで土曜の朝。
両親がいないのをいいことに、三女は仮ベッドを自室に入れて、彼氏といっしょに寝てるようです。次女が出かけ、私も出かけようとすると、三女は目をこすりながらわざわざ起きてきた。内側から鍵をかけると言う。「今日はお父さんたちは帰ってこない日だけど、万が一のために」と。「だって、そんなこと言ったって、帰ってきちゃったらあなたどうすんのよ」と聞いたら、「彼はベランダに追い出すとか、ベッドの下に隠すとかする」と。

が、がんばれ、若人。

そんなわけで閉め出されたので、私は数時間は家には帰れません。


閉め出されている間にAlcazabaという近所の史跡に行ってみた。またもや曇天。残念。快晴のつもりで見ていってください。

alcazaba alcazaba alcazaba alcazaba

城塞の向こうに港
alcazaba

公園?
alcazaba

ちょっと離れたとこに闘牛場
alcazaba

alcazaba alcazaba

これだって、青空と白壁と緑とオレンジの実が全てクッキリと写ったならどんなに美しかったか。
alcazaba

地面に小石で模様
alcazaba

alcazaba alcazaba

城の外にはローマ劇場の遺跡
alcazaba

「ビラ貼り禁止」の表示も可愛らしく
alcazaba
____


P.S.
昨日(3/11)はマドリードの列車テロから一年。各局が特別番組を流していた。
11m
11m
あの日は、死傷者の携帯が列車の残骸の中で鳴り続けていたのだそうだ。もうすぐ東京の地下鉄からも10年。合掌。


木曜日メモ
1万円をユーロにしたら69くらいだったかい?
14.40 友人宅訪問にあたりお菓子を購入
 8.5  ヌードル屋さん 
10くらい? 雑費

金曜メモ
5くらい? 雑費
17.50   夜ご飯娘たちと

土曜メモ
5くらい? ネッツ代等
1.90  閉め出されてる間に近所の史跡に行ってみた
8.5  ヌードル屋 

持ってきたユーロを大事に大事に使ってたつもりでいたのがあまりにも早い時点で底をついてしまった時、緊張の糸が切れてしまった。ずっとこまめにお金をメモってきてたのに、ふつりと切れてしまったわ。でも、今回の旅ではまだ一着も洋服を買っていない。だってバーゲンの時期じゃないからさ、定価では買う気がしないのよね。

がんばれ、おいら。何も買わずに帰国しろ。

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Thursday, March 10, 2005

escuela

水曜日
学校のお金を払い込んできた。そろそろ始まる。私が昔いっつもいっつもちょっかいを出していた男の(私と同い年の)先生が私の個人授業に当たるのだそうだ。可愛らしい男性なので、私は昔ことあるごとに彼にちょっかいを出していました。しかし彼は、自らは一切宣言をしていませんが、おそらく女性には興味がない人ですので、何を仕掛けても無駄なのです。その彼が私の担当に当たってしまうとは、なんという不運だろう(彼にとって)。

前回この町に来た時も、ごく少数でカフェテリアでしゃべった際、彼には私から求婚したのです。すると、「いや、僕はイビキをすごくかく人だから、君は僕との結婚生活にはとても耐えられないよ」という当たり障りのないセリフで断ってきましたが、「いや、私もイビキすごいかくみたいだし、歯軋りもするらしいから、その辺はダイジョウブ」と言い返し。

「僕はそれに料理ができないから」と言えば、「いや、私の作るもんも相当ヒドいよ? だからダイジョウブ(何がどう)」と返し。「ぼ、僕は、えっとえっと、部屋の片付けとかもできないから、君は本当に苦労するよ」と言えば、「いや、私も散らかしっぱなしだから、ぜんぜん問題無し」と返し。

そんな彼が私の担当になるとは。不憫でならない。


MEMO
  8.50 ヌードル屋さんで昼ごはん
36.00 がっこう
90.00 がっこう(クレジットカードで引き出し)
13.00 観光バス
 7.00 ネッツなど雑費

友人monaに写真をいっぱい撮って来てとリクエストされてたので、わざわざ私、観光バスに乗りました。

カテドラル
malaga tour malaga tour

市庁舎?
malaga tour

やっぱ空は青に限るね
malaga tour

ビーチ。前回の旅行では、2月1日の時点でビーチにはビキニ姿の女性が目撃できたのだが、今冬はやはり異常な寒さだったのでしょうか、3月上旬というのにビーチは閑散としてた。
malaga tour malaga tour

Alcazaba
malaga tour malaga tour

この辺から始まる通りでは「建築様式をお楽しみください」と車内アナウンスがあった。風見鶏が可愛かったりとか。
malaga tour

空に虹が。
malaga tour malaga tour
____

持ってきたユーロがまだまだ残ってると思ってたが、けっこう早く底をついた。どっかで落としたりしたんだろうか。ざーーっと計算したら567ユーロくらいすでに使ってる?! マジで?

今回は何を見ても買わないようにしてきているつもりでいたのに? 宿代もかかっていないというのに? 10日ばかしで8万?! なんということだろう。まぁ、でも、携帯とEMS(〒)と学校と飛行機というのが大きかったからな。あとは、この町の残りの日々と最後のバルセロナでどれだけ節約できるかにかかっているな。


昨夜のベジタリアンレストランの食べ物がまずかったのか、生理のせいか、風邪薬のせいか、それらすべてが相俟ってか、昨夜はとにかくひどい吐き気で苦しかった。まだ様子がおかしい。私は吐くことができないので、余計に苦しかった。吐く苦痛よりは吐き気と闘って我慢する道を選んだ。ほんとうに苦しかった。今回の旅は肉体的に非常につらい。やはり、もう、体力が無いんだわな。

今日、学校帰りに、さかってる犬二匹を見かけた。が、両方ともオスだった。片方がマウントすると、もう一方はしばらくは耐えており、我慢しきれなくなると逆にマウントを取りに行っていた。ずっとそうやって乗っかり合ってた。なんつうか、二匹のつながりがめまぐるしく入れ替わる様子はメビウスの輪のようだった。

dos machosdos machosdos machosdos machosdos machosdos machosdos machos

いつになったら「俺ら二人ともオスじゃん!」と気づくのかが気になりしばらく見守ったが、ずっと続きそうだったので終焉を見届けずに帰ってきた。

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Wednesday, March 09, 2005

pijama

火曜日
MEMO
12.00 ネッツ (昨日のと合わせてこれくらいに達するか)
24.90 パジャマ。Women Secret
11.60 生理用ナプキンとか風邪薬
53.50 バルセロナまでの飛行機片道
13.00 夕食(次女と)(クレジットカード)

ネッツ代はだいたい一日5ユーロ弱は行きそうだな、とメモ。

さっき、信号待ちをしてたら昔の先生が隣に立ってて。二人でギョっとして。そしてたった今、このインタ-ネットカフェで、前の列の人が席を立ったのを何気なく目で追ってたら、また別の先生で。7年ぶり。ちょうど私は友人と電話でしゃべってるとこだったのですが、その先生を目と手振りで大騒ぎして呼びとめて。電話はあわてて切っちゃって。いやぁ、先生とはいえ(?)、むかしなじみの顔に会えるってのは予想以上に嬉しいもんだな。

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Monday, March 07, 2005

SPAIN

3/5(土曜日)の朝早くにLisboaを出て、昼下がりにSevillaに到着。

※注意
昔々の旅で、リスボンからセビージャまで12時間以上かかったのは、直行バスでなく、いろいろ乗り継ぎ(国境の川をフェリーで越えなければならないなどなどの様々な苦難を乗り越え)ようやく辿り着いたのでそれだけの時間がかかったわけで、今回のは直行バスだったので、8時半(ポルトガル時間)に発って14時(スペイン時間)には到着したのです。

______

早朝、リスボンのバスステーションに向かう。バス停で私と同じくSevillaを目指すスペイン人の小父さんと会話を交わす。近くの席に座る。バスは出発。乗客は4人。タクシーかよ!

4月25日橋(Ponte de 25 de Abril)を渡る。クリスト・レイ(cristo rei)がテージョ川対岸に見えてくる。
tejo

橋を渡る途中で振り返ればベレン地区が見える。
belem
リスボン出立の日にこんなに晴れ上がるとは…。ベレンをこの青と白で撮りたかった(←曇天だったのがほんとうに悔しかったらしい)。

酔い止め薬でスコンと眠りに落ちた。しばらくして寝汗を掻きすぎてて目が覚めた。そしたら森、森、森、森だった。行っても行っても森。森の中の一本道をとことこ進んでた。辺り一面、森森森森。
arbol

で、森が切れた。あっちへひたすら進めばスペイン。えっと、リスボンから右斜め下に進んでるとこ。
camino

2時間くらい経った頃だったか、Bejaという町でトイレ・軽食のために15分くらい休憩。バスステーション内の柱に絵が描いてあった。この、デカっ尻でしゃがんでいる人の絵を、デカっ尻の私も同じ姿勢で撮っておいた。
Beja


バスは再び走り出す。私はまた眠気に襲われて目を閉じた。しかし、しばらくしてガクガクガクンとスピードが緩まったので目が覚めてしまった。ほんの1分間くらい徐行運転だったので、何気なく窓の外を撮っておいた。里程標だろうかね。ちっちゃくてコロンコロンしてて可愛い石だった。
miliar

バスはまた走り出す。私もまた深い眠りへと落ち………

………なかった。落ちれなかった。落ちさせてもらえなかった。リスボンのバスステーションから仲良くなっていたスペイン人の小父さんが私を頻繁に揺り起こすのでした。私のことを「写真好きな人」とでも思ったのか、窓の外に城跡が見えてくるたびに私を揺さぶって、「ほら、お城だよ」って指差して教えてくれるのでした。

そのたびに私も「わーー、お城だー♥」と言ってシャッターを切るもんだから、小父さんはますます親切心を発揮してくれて、古城跡地が見えてくるたんびに起こしてくれるのでした………。町ごと郡ごとに古~~~くて崩れ落ちてしまいそうな城跡があるわけですが、そのたんびに揺さぶられ、「お城だよ」「わー、お城だー」……というのを繰り返す我々でした。

だから、こういう写真↓がいっぱいいっぱい撮れました。
castelo
castelo
castelo
castelo

それらを‘城シリーズ’とでも呼ぶならば…………‘コウノトリさんシリーズ’もたくさん撮れたんです………。
ciguena

コウノトリがね、道端の鉄塔とか高木にね、やたらと巣を作っていたのね。それも小父さんが教えてくれてね。それでね、私が「わー、おとぎ話みたいだね!」ってはしゃいだからね、小父さん、コウノトリが見えた時もいちいち私を揺さぶって起こしてくれるようになってね。

でも、コウノトリ、やたらといてね。鉄塔ごとに必ず巣があるくらいの頻度でコウノトリがいてね。コウノトリがいると、必ず私は起こされるサダメでね。寝ることが許されない状況になってね………。


さて。セビージャに着きました、と。

Sevillaで一泊してもよかったんだけど、もう疲れきっていたからこそ、早いうちに今の町まで進んでしまいたかった。ので、バスの切符を買いました。が、私のすぐ後ろに来た家族(二家族くらいの団体)が同じ町に行くようなことをガヤガヤとしゃべっており、それが、まぁ、DQNスパイラルを絵に描いたような人々で、子供らが私に無礼を働くなどし、そんな連中と同じバスで移動するなんてたまったもんじゃないので、切符売り場に戻って、ひとつ後のバスに替えてもらいました。

取り替えて正解でした。ずっといっしょのバスだったら、ぬっ殺してたかもしれない。


で、土曜の夜8時半には今いる町に落ち着きました。土曜夜と日曜はみんなで映画を観たりし、友人の家で今は静かに暮らしてます。窓ガラス越しにカテドラルが見えます。
catedral


※西村さんへ
母が私に電話をかけたけどつながらなかったというのは:
私がリスボンで買った携帯(の中に入れるチップ)はポルトガルの電話会社のものであり、スペインに入ってからも使用可能にするための手続きを申し込んでおくか、あるいはスペインの電話会社のチップを入れるか、という必要があったのでした。母は、ちょうど私が国境を越えてしまったあたりで電話を入れたのでした。

そんなこんなで、携帯ももうスペインのものに替えたし、4月から始まる仕事のいろいろと気がかりの多かった書類のやりとりも一段落し、この町で行こうと思ってる学校の手続きもだいたい進み、風邪もやっと少し軽くなり ...... ようやっと人心地つきました。


土曜MEMO
 7.00 朝タクシー
28.25 国境越えバス
 1.20 トイレ休憩の町Bejaで軽食
 5.00 Sevillaのバスステーションから別のバスステーションまでタクシー
16.00 セビージャで昼ごはん
13.42 セビージャからバス
 1.00 セビージャからポルトガルへ公衆電話
 6.00 ここに着いてからタクシー

セビージャのバスステーションに隣接するレストランでガスパッチョ食べた。
gazpacho

月曜MEMO
 0.30 朝ちょっとネッツ
 2.65 タクシー
35.00 日本まで書類郵送(EMS)
25.00 vodafoneのチップ購入
 5.40 ヨーグルトドリンク
18.00 ベジタリアンで昼ごはん
 0.50 チップ
????  今やってるインターネッツ代

※こういう長旅をしていてネッツができなかった日に限ってコメントスパムなんかに見舞われるのですね。がっでむ。

※みなさんひらがなでメールをくださいますが(ありがとう)、リスボンにおいても、読むのは漢字も読めてたの。だから、みなさんはひらがなでメールを書いてくれなくてもよかったのです。ごめんよ。リスボンの友人のパソコンからは日本語で書くことができなかっただけ。今いる町では、漢字も打てるネッツ喫茶があるので、こうして漢字でも打ってます。別の町に移ったらまたひらがなだらけに戻るかもしれないけど、当分の間は漢字入力ができる環境です。

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Saturday, March 05, 2005

Despedida

ポルトガル人の友人は、この週末は恋人の実家に行かなければならず、今さっき二人は出発しました。私はこうして一人で彼女の家に残ることになったのです。

当初のプランでは私がリスボンを出てしまうほうが早いはずだったのですが、ちょっと事情が変わり。私が二人に見送られて旅立つはずだったのが、旅立つ二人を見送る側になってしまったわけです。どっちも悲しいもんだけど、どうかなあ、こっちのほうがイヤかもな。一人で残るのは寂しさが倍増。

彼女とはペンパルという関係でしたよ。14歳とか15歳とかそのくらいから始めた。「よく まぁ 20年間も続いたもんだ」と、今回 感心し合った。長くしゃべるのは今回が初めてなんだよな、実は。以前にも何度か会ってるけど、私がリスボンのホテルに宿泊してる時に会いに来てくれたとか、私がスペインに住んでる時に遊びに来てくれたとか、それくらいの短い時間しか一緒に過ごしていない。ちゃんとした会話を楽しむのは20年目にして初めてのこと。

それでわかったんだけど、 二人、性格が恐ろしく似ていた。神経質なところ。

何かひとつ気がかりなことがあると、もう気になって気になって眠れなくなるから夜中にゴソゴソ起き出してちょっとでもなんかせずにはいられないとか、これがこうなったらこう、ああなった場合にはどう、それがそうならなかった時にはこう........ などと、 先回り先回り考えすぎて、自分にも他人にも説明しすぎるところとか、そうやって考えていると選択肢がたくさん出て来過ぎちゃって、頭の中だけでは覚え切れなくなるのでノートにメモったりしないとやっていられなくなっちゃうとか。

あまりにも似ているので、相手がいっぱいいっぱいになってるのが実によく理解できる。(※今回わたしは日本と、ちょっと厄介なやりとりをしなければならず、そのことが気がかりでしかたなかった。彼女は彼女で仕事がたっくさんになっちゃっててたいへんで。お互い、若干てんぱってた)

「いやぁ、 あたしたち 似てたんだな」と、二人でビックリした。健康のことやら寄る年波のことなどしゃべっても、同じことを考えており。「あぁ こんなだから 20ねんもつづいたのね」と。


そういえば ペンパルとしての ペースも 似てたんだね、と。思い起こすと、おんなじペースで返事してた。ヒドいときは1年とか2年とか平気で途切れる。どっちが返事を怠ったかは知らない、たぶん互いにおんなじリズムで怠ってたと思う。

それで、2年もブランクがあったのちに、ある夜突然に国際電話がかかってきてもお互いにふつうに喜んでただけ。互いに筆不精を過度に謝らなかったのもよかったんだと思う。謝ると後ろめたさが生じてしまう。過度に謝らなかったというか、「謝らなかった」。

そんなこんな の 20年でした

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Friday, March 04, 2005

regalo

にほんにかえってから こちらにおくってあげるものリスト

かつおぶし
ほん
のり
あさつき
わかめ
ほかろん
かおをあらうときのネット
MUJI etc.


Friday MEMO
5.33 continente
7.00 pilas KODAK
10.60 bacalhau coentrada
2.40 sumo laranja natural
3.90 queijo amanteigado
1.00 propina

夕飯。
bacalhau
多すぎてとても食べられないので、そういう時は「持ち帰り用に包んで」って頼むとパックに入れてくれる。それは、私はポルトガルでもスペインでもN.Y.でも、わりとしょっちゅうやる。

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Belém

Thursday

ベレン地区に行った。彼女に車で乗せてってもらって、あとは一人でウロウロした。

(※以下、写真は水と空が真っ青なつもりで見ていってください。快晴のつもりで)


descobrimento
発見のモニュメント(Padrão dos Descobrimentos; エンリケ航海王子の碑ですよ、でかいでかい美しい建造物)

descobrimento

descobrimento
向こうに見えるのはテージョ川にかかる‘4月25日橋(←74年4月25日の無血革命の前にはサラザール橋と呼ばれていたもの)’、そして対岸のCristo Rei(←ブラジルのリオのを模したもの)。

descobrimento descobrimento descobrimento descobrimento

「エンリケ王子と、‘海の道’を拓いたポルトガル人に捧ぐ」
descobrimento

喜望峰とか、
descobrimento

ブラジルを‘発見’し
descobrimento

日本も1541年に‘発見’したのだそうです
descobrimento
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やっぱ、なんつうのかな、こちらの男の人は「道を女が一人で歩いている場合には一声かけないと失礼」くらいに思ってるんだろうかな、うるさくてかなわない。気持ち悪いと言った方がより正確な表現か。

発見のモニュメントを見てからTorre de Belém ベレンの塔(要塞)までてくてく歩くのに、やっぱり途中でそういう男に出くわしたわけよ。シカトしてベレンまで辿り着いたはいいが、ベレンを見終わってまたそっちに戻るのがイヤだったのね。参ったなぁと思ってたら、日本人の卒業旅行中の若者がいて。

ベレンを見た後どうするのかと聞いたら、発見のモニュメントを見に行くと言う。だから、いっしょにそっちまで行っていいかい?という流れに持っていった。歩きながらしゃべり。「やっぱり危険なんですか?」と彼が心配そうに聞いてくるので、男の子にはなんてことはないと思う、けど、女にとっては、時々、“あんまり気分がよいものではないこともあるにはある”といった程度のことで、リスボンはそんなに警戒する必要の無い町だ、と説明した。

「昔はなんとも思わなかったけど、それは私が若かったからで。若いっつうのはモノを知らないってことで、知らないものは怖くない。だけど、こうして無駄に歳をとってしまうとちょっとしたことが怖くてしかたなくなる。あなたはまだまだ怖がらなくていい」と説明した。

発見のモニュメントに着いて、ちょっとした案内をしてあげてからお別れした。「ありがとうね」と言ったら、彼は帽子を取って会釈をし、「こちらこそありがとうございました」と。なんだい、あの爽やかさは! 飛んでいってしまったボールを拾ってもらった時の野球部員のような爽やかさは! あの子は間違いなく中学時代には野球部だったな。

オトコマエだった。なんかしちまいそうだった。


今日残念だったのは、今日に限って曇天だったこと。発見のモニュメントは青空と白い石のコントラストを写真におさめたかった。曇天では映えない。


manuel alegre
ベレンの塔の前にあったベンチに彫ってあったManuel Alegreの詩。「船でずっと行った遠いとこに住んでるけど、いつか必ず故郷の川まで帰って来る」(サケの歌じゃないよ、船乗りの歌だよ)(そしてこの詩についた曲を、たぶんアマリア・ロドリゲスが歌ったりしてる)

belem belem

belem ベレンの塔にいる間、頭ん中でずっと「♪ ビッケ、ビッケ、ビッケは海の子バイキング ……略…… ぼーくーたーちー、仲間だーっ ……略…… そーれ、世界の海に出っ航~だ~ ……略…… Hey!」の歌がかかってた。地理的にも時代的にも大いに間違っているのだろうが、‘大砲’とか‘砦’とかって言うと何故かビッケなのさ、おいらの場合。

belem belem belem belem

青い空と白い石のコントラストがあったら、この日の日記はどれほど美しい仕上がりになっていたか。残念でならない。11年前に使い捨てカメラで撮った写真は美しかった。あれらをスキャンして、このたび撮影した風を装って載せてしまおうかという衝動にも駆られる。
belem belem


そして、こんなコッテコテの観光電車も。乗客はたった一人。

comboio


………あたしな、あたし。


あぁ、そうさ、乗ってたのはあたしだけだよ。かまわない。「市中引き回しみたいな状況でも、なにを恥じることもなくカメラを構えて乗っている孤高の俺」というお題に挑んだのよ。
comboio

Jeronimos修道院。
Jeronimos Jeronimos
この時、急に雲がどいてくれて待望の青空が覗いてきたんだけど、そういう時にこそ発見のモニュメントとかベレンとかを撮りたかったんだけど、そんな好機に限って私は観光電車に拘束されてたのでした(←自分で乗ったんだろ、自分で)。

electrico electrico
市中心部(カイス・ド・ソドレ駅)方面へ戻るため、市電(electrico)15番に乗る。この黒いジャケットの松葉杖のおじさんが切符の使い方を教えてくれた。

British Bar Cais do Sodré駅で降りたら、近くのRua Bernardino Costa通りに「British Bar」がある。映画『白い町で(原題: Dans la ville blanche)(あらすじ等はこちら)』に登場するBar。


View Larger Map

British Bar

British Barで、私はこの作品を17、8歳の頃に深夜のテレビで観た覚えがあるのですが、理解するには至らなかったんだと思う。何も覚えてないもん。上記サイトなどであらすじ紹介を読んでみてようやくボーンヤリと浮かんでくるか来ないかといった程度。そんなわけで、この時計のことも全く覚えてない。逆回りの時計。

この時計が、なんか、主人公とヒロインが(?)知り合うきっかけになったんだとかなんとかなんだよな、聞くところによれば。しかし……まったく覚えてないんだよなぁ。たしか、テレビで夜中に放映されてるって気づいた時にはちょっと始まっちゃってたんだよ。そうだよそうだよ、たぶん初めのうちのシーンで出てきた時計なんだろ。だから見逃したんだろ。そうだろそうだろ。


坂道をのぼっていくと、
alecrim

Praça de Luís de Camões(カモンエス広場)に行き当たる。
camoes camoes

あぁ、カモンエス真っ黒だ、ごめん。見えないや。

大学時代、年度末の会話のテスト。ポルトガル人の教授との一対一のテスト。不真面目な学生だった私は会話のテストなんてほんとに自信が無く、困り果てていた。すると、先輩の誰かがアドバイスをくれた。

「レネヤマはきっとなんにもわかんないと思う。でも、『なんたらかんたらなんたらかんたら‘cultura(=文化)’がどうでこうで』って聞こえたらな、いいか、‘cultura’っていう単語が聞こえたらだぞ、その時はとにかく『Camões.』って答えとけ。‘cultura’が聞こえたら『Camões.』だからな。‘cultura’→Camões、だぞ。そう言っとけば合ってるから。何もわかってなくてもそれで合ってるから」。

私はたぶんこれのおかげで及第しました。


更に坂道を進むとIgreja de São Roque(サン・ロケ教会)に。
sao roque

そしてAscensor(ケーブルカー)のGloria線の高い方の駅に。
sao roque

すぐそばにMiradouro de São Pedro de Alcântara(サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台)。
miradouro miradouro miradouro miradouro miradouro

そこから見える景色
miradouro

Sé(カテドラル)
miradouro

Castelo de São Jorge(サン・ジョルジェ城)
miradouro


さっきのケーブルカーで坂を下る。
ascensor ascensor ascensor

そうするとレスタウラドーレス広場に着き、一気に人・車の行き交う都会の景色に。

広場にあるオベリスク
restauradores restauradores

11年前の旅行の時、ここでサンドイッチとかを軽く食べた。
restauradores

mixta
その時から、ポルトガルで食べるミックスサンドは私は好き。普段はバターなどを塗るのが大嫌いなのだが、ポルトガルのミックスサンドは何故か好き。

さて、「レスタウラドーレス」ですが。
「restauradores=復興者」ね。スペイン支配に反旗を翻し1640年にポルトガル独立を勝ち取った兵士たちのこと。だと思う。それで名づけられた広場、「レスタウラドーレス広場」。リスボンの中心地。この名の地下鉄の駅もあれば、バス停もあるだろう。そういう地名です。

大学の時、長文読解のような授業でなんか物語を読んだんだよな。近現代小説だったかなぁ。随筆みたいのだったかなぁ。ジャンルはよく覚えてないけども、歴史書ではなかったと思うぞ。その文章の中で、市電だかバスだかに乗ってるシーン:

「『次の駅はァ、‘レスタウラドーレス’、次はァ、‘レスタウラドーレス’』と車掌は声を上げました」

と訳すべきところ、俺ら、文法とか文脈とか頭に入れてなくって、目に入ってくる単語で意味がわかりそうな手ごろなヤツをどうにかこうにか繋げてって文っぽくこねくりまわすくらいな浅知恵しかなかったので、

「『おお、復興者よ!』と車掌が叫びました」とか(←その『おぉ』はどっから湧いてきたんだよ、どっから)、もっと劇的な人なんぞ、「叫んだ車掌、その人こそが復興者だったのです!」なんていう酔っ払った和訳をしてましたよ。

といったわけで、地下鉄のレスタウラドーレス駅を撮っておきました。十数年経った今でも、この駅名を耳にすると反射的に「叫んだ車掌は復興者だった……。」と心の中で呟いてうつむいちゃうレネヤマです。
restauradores

farmacia
この日、風邪っぴきな私は薬局で薬を求めました。薬局に順番待ちの発券機があったりするので油断ならないです。

bicos
その夜、友人に連れられディナーへ。
車を停めた場所がちょうど「Casa dos Bicos(くちばしの家)」の前だった。

Delhi Palaceというインド料理店。
indian


MEMO
4.00 pilas
3.00 Belén
2.10 agua limon lipton
3.00 comboio turistico
1.30 eléctrico
1.50 British Bar (Chá com leite)
8.40 restaurante
0.60 propina
1.10? Ascensor (desde São Pedro de ...)
0.65 metro (simple desde Restauradores)(17:47 3 de março)
11.67 Continente (Roupa Interior ... )
4.68 Farmacia (garganta)
5.00 Delhi Palace

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Thursday, March 03, 2005

Cascais

水曜日 風邪気味。
Cascaisにいった。Cascaisは3回目。ん? 2回目?

cascais cascais

Centro Cultural de Cascais(カスカイス文化センター)
ピンクの建物で可愛かったので撮っておいた。
ccc

Museu Condes de Castro Guimarães(カストロ・ギマラインス伯博物館)
guimaraes

ここは、10年前に律子(仮名)といっしょに来たことがある。1.65ユーロでガイドさんによる館内説明ツアーをしてもらえる。10年前にも当然してもらったはずなのだが(※ガイドさんつきでないと入館できないきまりなので)、今日の説明で初めてわかったことが多かった。というか、ほとんどすべてが初耳だった。

10年前のことだから忘れちゃったとかではなくて、10年前には(何語で説明してもらったかは忘れたが)、とにかく、なんにも理解していなかったんじゃなかろうか。今日の説明でようやくちゃんと理解できたように思います。ガイドのオネイサンが苦労しながらポルトガル語とスペイン語と英語のちゃんぽんでしゃべってくれたので助かった。

(※ポルトガル人にとって、スペイン語を受信するのは何も苦ではないが、発信する段になるとやや難がある模様です。私のポルトガル人の友人もそうだった。“外国語の文を組み立ててしゃべっています”という様子だった。友人の彼氏には昔スペイン人の彼女がいたらしく、そのおかげで彼氏はスペイン語の発話にはあまり困らない。とは言ってもやはり、私とスペイン語でしゃべるのが“スペイン語を思い出すためのいい練習になる”と表現していたのから察するに、“外国語”という位置付けであるのはたしかなようだ。という気がした。)


さて、Cascais。

昔のサイト(Reino de Reine)からこのブログを読んでいる人にしかわからない話で申し訳ありませんが、律子(仮名)の「らいとぶるー、みどるぶるー、でぃーぷぶるー。う゛ぇりぃ、びゅーてぃふぉーぐらでーしょん。あいらいくひあ。ぐっどるっきんぐ、ないすびゅーぽいんと!!」というセリフで有名(?)なバルコニーには今日は登らせてもらえませんでした。
guimaraes guimaraes

Castro Guimarães邸はたいへん楽しみました

さて、次はBoca do Inferno(地獄の口)に向かいます。Boca do Infernoに向かってテクテクと一人で海外の歩道を進みました。こういう綺麗な海とか小さい崖が途切れ途切れ現れます。
guimaraes

海辺の岩場に一人でボーっと立っている男がいた。年齢は30代くらいだろうか。「あ、こいつ、露出狂だな」と、よく見つめずともわかった。私が横を通り過ぎると、私に合わせて体の向きを変えているようだった。

Boca do Infernoまではまだまだけっこう歩かねばならず、あいにく海岸沿いには人は少なく。露出狂らしき男の脇を通り越したあたりでやっぱり怖くなり(だって、この先ずーっと後をつけられたりでもしたらどうすんのよ)、ちょっと前を歩いていた老夫婦に駆け寄った。

「すみません、 あのー、 えっと、 あそこの岩場のとこに男の人がいたんですけど、んっと、露出狂なんですけど」と言ったら(スペイン語とポルトガル語とちゃんぽん)、老夫婦(イタリア人)は驚いており。奥さんは、「まぁ、気持ち悪いこと。悲しいことに、世界中どこにでもいるものなのね」とか言い、だんなさんはやや楽しそうで。

「警察とかには通報しなくてよいのかしら?」と聞いたら、警察が来るころにはもう逃げちゃってるだろうから、と。「怖いのでお二人についていっていいですか?」と聞いたら、どうぞどうぞとのこと。3人でしばらく歩いた。

私がそっと振り返ると、男は岩場から歩道に出てこようとしているところで、しかしながら私が老夫婦に告げ口してるのがわかったようで、その辺の茂みに隠れてた。「あいつですよ、あいつ、ほら、隠れてるでしょ」と言ったので老夫婦も振り返って。結局、男はコソコソと逃げていった。Boca do Infernoとは逆の方向、つまり、Cascaisの駅の方へ向かって小走りに逃げていった。

老夫婦は、Boca do infernoのちょっと先の辺りに車を停めてあったようで、「もしも怖かったら、そしてBoca do Infernoは既に見たことがあるから今日は見なくていいやというんだったら、貴女、我々の車でいっしょに戻りますか? これから駅の方まで戻るとこなんですけど」と言ってくれた。

Boca do Infernoは10年前に見たことがあるので、そりゃぁたしかに今回の旅行でもBlog用に(!)写真を撮ってきたかったのは山々なのだが、もう諦めて、安全に駅まで帰れる方を選ぶことにした。

老夫婦に駅まで送ってもらった。やっぱり安全第一。諦めるときは諦めないといかん。あれで無理にBoca do Infernoを見に行って、一人でまた何kmも歩いて駅まで戻るなんていったら、何があったかわからん。男はそっちの方向に立ち去っていたわけだしさ。

あとで、ポルトガル人の友人(とその友達)に露出狂がいてどうのこうのと説明したらたいそう驚いており。生まれてこのかた(彼女たちは35歳と28歳)露出狂は見たことがないと言っていた。わたしは普通に日本で暮らしていて3回くらいは見たことがあると言ったら、なんだか感心(?)していた。

まぁそんなこんなで。(※露出狂報告、終わり)

そのあと、彼女たちと、昔は火薬工場だったが今は公園みたいな施設になっているところ(Tagus Park???)に行った。寒すぎた。

のどが痛い。寒すぎ。とにかく寒すぎて観光をする気力が奪われる。

日本では10月くらいから3月くらいまで、一年の半分くらいは、外出するときと夜寝るときにマスクを必ず着ける私だが、ここではマスク姿はあまりにも異様でみんなにぎょっとされてしまうだろうから、つけることができない。それが私にはつらい。風邪ウィルスのウヨウヨ飛んでいそうな冬の汚い空気(特に電車の中とか地下街とかのよどんだ空気)を吸いたくない。でも、ここでは吸うしかない。それが非常にイヤです。

人々が咳払いをするのが呪わしい。イヤだ。

MEMO
carcavelos a cascais 0.95
Castro Guimarães 1.65
propina 1.00
agua ...?
fábrica de polvora (café) para amigas 7.00

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Tuesday, March 01, 2005

frío em Lisboa

Tuesday

すぐ近くにショッピングセンター(Centro Comercial Colombo)があるので ちょっと行ってみようと思うのだが、寒くて動きたくない。髪の毛を乾かしたいんだが、ドライヤーが見つからず、でもぬれた髪のままで表に出たら確実に風邪をひくのでさっきからミロみたいな温かい飲み物ばかり飲んでいる。すごくモタモタしています。だって寒そうなんだもん。

ロンドンの空港での飛行機の中で過ごした時間があまりにも寒すぎた。風邪ひいちゃったかもしれない。寒い。

昨日の夜も空港で彼女(ポルトガル人の友人)との9年ぶりの再会の感動モーメントをすぐに写真におさめようと思って準備していたのに、あまりにも寒かったので立ち止まったりしていられず、すぐに彼女の車に乗り込んでしまい、結局かれこれ14時間が経過したが一枚も写真を撮っていない。

って、私は前回の旅行のときも膨大な時間をインターネッツに費やしていたな、馬鹿か。

だって、寒そうなんだよ、表が。アクティブにあちこちを探索なんて無理です。寒そう過ぎ。

それから、my父の発案だった"まごのて"を おみやげに持っていこう という企画は成功だったようです。大うけ。やっぱりおみやげってウケをとってなんぼだよな。

___

ショッピングセンターCentro Comercial Colomboに行ってきた。
colombo

向かいにBenficaのスタジアム。
colombo

おひるごはん
colombo colombo

1.60 sopa legumes
10.60 bacalhau cozido
2.40 sumo laranja natural
0.30 pão
3.90 queijo
1.30 azeitonas temperadas
0.90 café com leite
合計 21.00 (+2.0 ちっぷ)

colombo colombo

Hipermercado Continenteで夕飯の買い物など
colombo colombo colombo colombo colombo colombo

MEMO
http://www.telemadre.com
http://www.casashops.com/

manta 6.00
movil 79
cartão 25

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chegada

Monday

2時間くらい前にリスボンの友達の家に着いた。そろそろ寝る(時差は日本マイナス9時間)。もうまぶたが落ちてきて仕方ない。

成田-ロンドンの飛行機は学生の旅行者で満席。一人がカップラ-メンをもらってくると、みんながみんな席を立ってカップラーメンをもらいに行くので、四六時中ザワザワしててたいへん。で、ラーメンが終わると、今度はみんながみんなトイレに行って歯を磨くだろ? 歯なんて数時間くらい磨かないこと、日常では平気でいるはずっぽく見えるけど、飛行機の中だと磨いてみようという気になるのかよ、彼らは。

エコノミーってこんなに厳しいものだったかと、今回はさすがに思い知った。いつもは全然なんにも苦痛じゃないんだけどね。今回は辛かった。


ロンドンで寒すぎて飛行機がなかなか飛べなかった。滑走路だか機体だか、凍結してるだかなんだかで。飛行機の羽になんかロボットみたいのが乗っかってきて、シューって蒸気みたいのでなんか氷を溶かしてる?みたいだった。飛行機の中で2時間待つことになった。飛行機の中もすごく寒くて、風邪ひいちゃうよという感じだった。疲れた。

リスボンはこの冬一番の寒さと言ってもいいくらいの寒さだそうで、ほんとに寒い。

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