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Sunday, February 13, 2005

El Viaje a Ninguna Parte [スペイン映画]

El Viaje a Ninguna ParteスペインでDVDを買う時、値段を見て(←まずソレかよ)、やっぱりストーリーが大事なので箱(ジャケット?)に書いてあるのを読んで、ホラーとかサスペンスじゃ無さそうだったらOKとして、ドカスカ買い物カゴに入れてたの。このDVDは「旅芸人一座の面白くて情感溢れるストーリー。愛があり別れあり出逢いあり」とか書いてあったしさ、ジャケ写が明るい色だし、皆が明るい表情で愉しげに上向いて歩いてる感じだし…

…ホノボノ・ウキウキ・クスクスする映画なんじゃないかなって思って買って来たんだけど。寂しかったなぁ……。哀しいのとは違う。涙が出るとかじゃない。胃が痛むわけでもない。ただ寂しいの。


Carlos役(José Sacristán ホセ・サクリスタン)とMaldonado役(Juan Diego フアン・ディエゴ)の俳優は、青年期から晩年までの長~い年数を演じてる。メイクが上手いとかそういうんじゃなくてホントに上手いんだと思う。実年齢がさっぱりわからなくなったもん。Carlosが内戦(1936~1939)終了後からの半生を回想する形でストーリーは進みます。(時は1973年。73年と言えばまだフランコは生きてます。)

Carlosたちの一座は村から村を渡り歩いていた。小さな村の小さなBarなどで喜劇を演ずる旅芸人一座。父、従妹、叔母、みな生まれた頃からそういう生活を共にしてきた仲間。そんなCarlosのもとへ、ある日17歳の若者がやってきた。昔ほんの数日間つきあった女が産んでいた子であった。初めは喜劇役者になることに抵抗を示していた息子 ―― 全く使い物になりそうもなく、Carlosを失望させたりもしたのだが ―― も、少しずつ乗り気になる。一座の旅は続く。

彼らを取り巻く状況は厳しかった。人々の娯楽は芝居からサッカーやラジオドラマへと移っていたからだ。そして映画もライバルであった。村々を廻って映画を上映しているSolis氏はCarlosたちの行く先行く先に現れ、仕事を奪ってしまう。Solisは富む一方、Carlosたちは食べ物に困ることさえあった。「El teatro se muere. Sobre todo el teatro de vagabundos. (芝居は絶えるだろう。ドサ回りの芝居は真っ先に)」。皆、どこかでそれに気づいている。

貧困と疲労と空腹には勝てない。血縁関係と愛情で結ばれている一座の、強いはずだった絆もほころびを見せ始める。役者としてのプライドも守り抜きたかったが、生きるためにはもはや叩き売るしかないのか。………っていう話。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


彼らの会話は楽しい。勢いがある。愛もある。みんな仲間を愛してた。誰が憎み合ってたわけでもない。喧嘩しつつも友人として接し続けたり。別離にしたって、温かかったと思うよ。憎んで去って行った人はいないんだもん(←ネタバレすまん)。皆、別れを惜しんで愛を残して立ち去っていたじゃないですか。そーんなに温かい映画のはずなのに、なんでこんなに寂しいかなぁ。

貧しい時代を見るのがキツかったのかなぁ。観ていてなんだかションボリしてくるのは、戦後ニッポンもああいうとこから這い上がってきたんだろうかなどと、そっちまで考えちゃったからだろうか。なんだろな、この寂しさ。

時代の変化のスピードについていけなかった人の苦悩というか。もっと小利口に・器用に生きてくれという、苛立ちを伴った切なさというか。貧しさから抜け出そうともがいても、頑迷で自分の中身を変えることがどうしてもできず外界の変容に順応できないようでは相手にされるわけもなく、みな遠ざかってしまって、気がつけば自分は極端に貧しい孤独の中に取り残されてる。

Carlos一座の不遇はそのまま当時(だいたい1930年代末~1970年代初頭)のスペインの姿を表してるのかい??? そういうことなのかなぁとボンヤリと解釈した、今。

でも、だとするとオチをどう解釈するのか、と。考えます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆


(語句メモなどはコメント欄で)
(スペイン映画)


El Viaje a Ninguna Parte @IMDb
El Viaje a Ninguna Parte @Yahoo! Cine
Premios Goya(ゴヤ賞)(≒スペインのアカデミー賞)で、Fernando Fernan-Gómez(フェルナンド・フェルナン・ゴメス)に監督賞。作品賞・脚本賞も獲っている。

・スペインで(バルセロナのFnacで?)購入。6.95ユーロ(1ユーロ=130円当時)
・これは何だろう? カセットブックか @amazon
El Viaje a Ninguna Parte (Letras Hispanicas)


監督: Fernando Fernán Gómez フェルナンド・フェルナン・ゴメス
脚本: Fernando Fernán Gómez

出演:
José Sacristán ホセ・サクリスタン ... Carlos Galván カルロス・ガルバン
Laura del Sol ラウラ・デル・ソル ... Juanita Plaza フアニータ・プラサ
Juan Diego フアン・ディエゴ ... Sergio Maldonado セルヒオ・マルドナード
María Luisa Ponte マリア・ルイサ・ポンテ ... Julia Iniesta フリア・イニエスタ
Gabino Diego ガビーノ・ディエゴ ... Carlos Piñeiro カルロス・ピニェイロ
Nuria Gallardo ヌリア・ガジャルド ... Rosita del Valle ロシータ・デル・バジェ
Fernando Fernán Gómez フェルナンド・フェルナン・ゴメス ... Don Arturo ドン・アルトゥーロ
Agustín González アグスティン・ゴンサレス ... Zacarías Carpintero サカリアス・カルピンテーロ

内戦についてのメモ

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Comments

(1) Carlosが出会った俳優・女優・監督…の名を挙げる。

María AsquerinoJorge MistralLola FloresRabalMiguel MihuraRuiz IriarteBerlangaAntonio Vico

スペイン人はこれらの名前にどう反応するんだろう。私たちが「長谷川一夫」「山本富士子」「原節子」「嵐寛寿郎」「大河内伝次郎」っていう名に対して抱くイメージと同じような感じだろか。

あれらの人々のネームバリューがわかってるか否かでこの映画の観方(見え方)って違ってくるんだと思う。そこがガイジンの私には無理なハードルなのでした。

Posted by: Reine | Sunday, February 13, 2005 at 00:29

(2) (まぁ、私のあの解釈が合ってるかどうかはわからんのですが)ちなみに、フランコ時代のスペインがひとりぼっちだった件についてスペインハンドブック (三省堂)より。立石博高先生の解説 :

…しかし国際連合は、1946年2月「スペイン排斥決議」を採択し、12月スペイン駐在各国大使の召還を勧告し、フランコ政権は国際的孤立に陥った。……略……

1940年代のスペイン経済は破滅的状態にあった。国際的に孤立したために産業の復興は遅々としていた。……略……

Posted by: Reine | Sunday, February 13, 2005 at 00:53

(3) 昔の女が産んでいた息子(Carlitos)が17歳になってある日突然Carlosを訪れた。息子に名前を聞くシーン、息子は名を答える。

「苗字だよ、苗字は何て言うんだ?」「Piñeiro López, como mi madre. No llevo el apellido de usted.(苗字はピニェイロ・ロペスです、母とおなじ。あなたの苗字はつけていません)」

Carlosは「名:Carlos  姓1:Galván 姓2:ほにゃらら」だから、Carlosとその女の間に生まれた子のフルネームは、「名:Carlitos 姓1:Galván 姓2:Piñeiro」となる。のよね。

《名前+父の父方の苗字+母の父方の苗字》の順になるんだっけ? 何だっけ? いっつもあたしこれわかんなくなるんだよ。

「スペイン人 名前 父方 母方」の検索結果

Posted by: Reine | Sunday, February 13, 2005 at 11:42

(3') そのシーンの続き。ustedで話し続ける息子に向かってCarlosが、「Túteame, eso de llamar de usted a los padres es muy antiguo.(túでしゃべってくれ。親に対してustedでしゃべるのは古いぞ)」

すると息子が「Yo no le llamo de usted porque sea mi padre, sino porque no le conozco.(あなたが親だからustedで話しかけているのではないです、あなたは知らない人だからustedで話してるんです)」

ustedやtúについては、『Atraco a las 3』や、『Solas』でふれたとおり。

Posted by: Reine | Sunday, February 13, 2005 at 11:50

(4) この息子、ちょっと何かしら障害があるんじゃないだろかと思われる。Carlosが息子を喜劇役者にしようと奮闘するが、息子はとても愚鈍である。その父子のやりとりは可笑しい。

(4-1) 「僕は喜劇役者になんてなれないよ、だって、父さんわからない? 僕ガリシア訛りがあるでしょ?」「急にガリシア訛りが出てきたな、おい」

(4-2) 台本を読む特訓中に鼻をホジホジしてる息子。「鼻をほじるのをやめないかっ」「だってムズムズしたんだもん」「お前はそれじゃぁお尻がムズムズしたらやっぱり掻くつもりか!」「そりゃそうだよ」

「役者っていう仕事はな、どこが痒くなっても我慢しなきゃならない職業なんだよ」「奴隷みたいな仕事なんだね」「っていうか役者だけじゃないぞ、みんな我慢するもんだ、司祭だってミサの最中は我慢するさ、弁護士も、先生も、保険の業者だって、兵隊だって国旗に忠誠を誓うときなんてそうだろう」「ひどい仕事ばっかりだ」……

(4-3) サッカーの試合に誘われたので明日の芝居をほったらかして出場するというバカ息子。激怒する父親。

「趣味でやるんじゃないよ、パパ」「趣味じゃないならいったい何だ」「だってあそこではおやつをくれるんだもん」

(…空腹は承知してるので黙りこむ父Carlos)

Posted by: Reine | Sunday, February 13, 2005 at 11:58

この映画、言葉遣いはたいへん面白い。「芝居をやる人々」が主役だからかことばの扱いが凝っている。ちょっとした会話に現れる語彙が豊潤。なのでメモをたくさん取ることになった。が、キリがないやと気づき後半はおろそかに。

(※これらの語句メモ、どういう規準? って訊かれたけど、特にないんだよね。だいたいは、(現地での)学習者だったら張り切ってメモしそうかなぁと想像してみて抜粋してる。留学初期の私だったら嬉々としてメモっていたんじゃないかなぁと思われる語句ね)

en persona: 個人的に、じかに、実際に
zangolotino: 赤ん坊のような、幼児的な
estirón: 急に成長すること
quinto: 新兵、徴兵
función: 上演、上映、興行
vocacion: (職業や生き方への)傾向、あこがれ

tienes un hijo del tamaño de una catedral → como una catedral: (とっても大きい、けた外れの)

peliculero: 映画関係者、映画人
galán: (若い美男の)主役、二枚目、主演俳優
cachondo: 欲情をもった、むらむらした; (動物が)さかりがついた

pregonero: 呼び込み商人; お触れを伝える役人 (※『Bienvenido Mister Marshall』でもpregoneroが村の中央の広場で大声でいろいろ知らせてた。pregoneroっていつ頃まで実際にあった(いた)んだろう。⇒ 友達に訊く

a tientas: 手さぐりで
hacer de cuerpo: 排便する
pelar la pava: (男が女を)口説く、(恋人同士が)愛を語り合う
bártulos: 持ち物; 道具、器具
partir el alma: (人を)めった打ちにする、叩きのめす

braguetazo: 金目当てで金持ちの女と結婚すること
hacer la puñeta: (人を)困らせる、不快にさせる
camerino: 楽屋
mala racha: (一時的な)不運、悪い巡り合わせ

vagabundo: 放浪者、宿無し、浮浪者
división azul: 青い旅団
hacer caja:(店・個人が)売り上げる、稼ぐ、収入がある
bar de camareras: ホステスのいるバル

Caudillo: (El Caudillo) フランコ総統、フランコ将軍
usurero: 高利貸し
revista: 《演劇》レビュー
de trapillo: 普段着の、普段着(のまま)で

lentejuela: シークイン、スパンコール(衣服につけるきらきらした飾り)

vedette: スター、花形女優
número: (興行の)出し物、演目、曲目
viejo verde: 好色な爺さん
cuajar: 結実する; 一流になる、大成する; 気に入る

mocerío: 若者たち、青年男女
¿A qué viene +名詞/不定詞: なぜ~なのか
pan: 食べ物、食糧; 生活の糧
a destiempo: 時機を失して、折り悪く

mendrugo: 鈍い人
fuerza mayor: 不可抗力、やむにやまれぬ事情
chupado: 簡単な、やさしい
autostop: ヒッチハイク

dar las (últimas) boqueadas: 今際の際にいる、死にかけている
estar (nervioso) como un flan: びくびくしている
troncharse (de risa): 笑いこける
amnesia: 記憶喪失、健忘症
de mala muerte: つまらない、下等な

Posted by: Reine | Sunday, February 13, 2005 at 11:58

面白そうな映画だなあ。ずんごく見たい。
2年ぐらい前に日本の大衆演劇の人たちに話を聞く機会があったのだけど、それこそテレビも映画もない時代の隆盛期から今に至るまでの歴史は、本当にドラマだと思ったものでした。
「芝居をする」ということに対する熱意とかプロ根性は、ドサ廻りをしている大衆演劇の人たちが一番強烈かもしれない。

で、Carlosが出会ったという女優の中で、Lola Floresはとりあえず知ってたりする。
たしか、フラメンコの大スター(故人)のビデオに出演していた。元フラメンコ風歌謡の歌い手で、その後は国民的女優さんになったのだと、さる評論家がおっしゃってました。「美空ひばりみたいに偉い人なんだよ」って。

<参考資料>
ttp://megmimi222.hp.infoseek.co.jp/viaje96/latino/a_hable_con_ella.htm(←のページの一番最後に、ローラ・フローレスについての話がちょこっと出てきます)

Posted by: pia | Tuesday, February 15, 2005 at 00:47

さんきぅ、pia。そうそう、私もLola Floresの名はぼんやりと(あとMiguel Mihuraの名前だけは授業で覚えがある、名前だけは)。

Lola Floresの息子がAntonio Flores(故人)よね?

そして娘がRosarioだよね。私はスペイン音楽にはなぜか興味が湧かず、スペイン滞在中も全くと言っていいほど聴かなかったのですが、それでも記念としてわずかに数枚購入してきた中の1枚がRosarioの『Mucho por vivir』(@amazon)。

全く全く関係無い話:
私は、まだスペインのことなど何も知らなかった時に、友人にSevillaまでおびき出された挙句に置き去りにされたのですが(※詳細は『最初のスペイン旅行』をよろしく)、あの晩ヘトヘトになってSevillaのホテルに辿り着いてTVをつけたら男の人のコンサート映像が流れてて、あれがもしかしたらAntonio Floresだったんじゃないだろかって時々思います。あの曲をもう一回聴きたい。そう願いもしますが、調べてみようにも何の手がかりも無いまま早11年が経ちますのね。

Posted by: Reine | Tuesday, February 15, 2005 at 10:15

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