Mi primer viaje 初めての旅行 [第5章] 余談
第3章で、タクシーの運転手さんと私はテレパシーで会話をし、わりと綺麗なホテルまで乗せていってもらえたわけですが、このホテルのことがまったく思い出せなかった。
旅行から10数年が経ち、2008年の秋、これを書いています。(投稿日時の2000/10/01というのは旧サイトにこの旅行記をアップした日づけであって、今この文を書いている日付ではないです)
KLE4cさんのblogでGoogleのストリートビュー・スペイン版が開始というニュースを目にし、もしかしてあの、私にとって記念すべきスペイン第一夜を過ごしたホテルが映っているかもしれないと思ったのでした。それで、セビーリャ旅行記をこのブログにまとめなおそうと思い立ったのでした。
ホテルの名も番地も思い出せないで10年も15年も過ごしてきた。どうしても思い出せなかった。調べようとしたこともあった。でもそのたびに断念した。
ただ、あのホテルで一晩過ごし、明朝早くから起き出してサンタ・マリア・ラ・ブランカ通りまで歩いたルートはおぼろげに記憶に残っていた、というよりむしろ身体が覚えていた。
「そうだ。だからあの道をサンタ・マリア・ラ・ブランカ通りから逆さまにたどればいいのだ」。そう思いついた私はGoogle Mapでサンタ・マリア・ラ・ブランカ通りを起点とし、元来た道を戻るように歩いてみた。
まっすぐに歩いてきて……そうそう……大きな通りに面していたのではなかった……奥まったところ……ここじゃない……ここか? ここの小路か?……いやここでもない……と辿ってみた。立ち止まってはストリートビュー、ダメとわかればまた歩き出し、また目星をつけてはストリートビューでぐるぐる見てみた。
…んーー、こんなに歩いたっけーー? やっぱり記憶が間違っているんだろうか、もうホテルがつぶれたのだろうか……
と、諦め半分で開いて見た小路にあったよ! あったよ!
この階段を運転手さんは私の荷物をかついで駆け上がってくれたんだ。そう! ここ、ぜったいここ! 行き止まりみたいなところにあのホテルはあったの、そう! ここ!
おかしな話、私、おもわず涙ぐんでしまった。よくインターネット上のいろんな新機能が公開されると、「感動ー!」とか安易に言われていて何を大げさなと思っていたのだが、これは本当に感動した。このホテルをこんな風にある種のタイムスリップで再び訪れることができようとは思っていませんでした。
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黄金の塔の前で出会った男性二人組(第4章)。彼ら2人の出会いも珍妙だったと聞いてます。
まだ二人が知り合いでもなんでもなかった時のこと、マドリードの駅で、英語圏人とおぼしき観光客がスペイン人警察官に職務質問されて困ってたんだって。共通の言語ツールを持たない2人の人間だから無理もないね。
そこへ、AさんとBさんが別々に通りかかったらしい。なんとなく目が合ったA・B両氏は、観光客と警官に近づいていったそうだ。
英語圏人観光客: スペイン語まったくダメ
スペイン人警察官: スペイン語ONLY
Aさん: スペイン語ほっとんど知らない、英語圏留学経験者
Bさん: スペイン語はOK、英語は普通の日本人程度
この4人で会話をしなきゃいけなかった。
A君が英語で観光客に、Can I help you? 的なことを、B君はスペイン語で警官に、Le ayudo? 的なことを、 それぞれ申し出たって。そこから先は………
警察官-(スペイン語で)
↓
B君-(日本語で)
↓
A君-(英語で)
↓
観光客-(英語で)
↓
A君-(日本語で)
↓
B君-(スペイン語で)
↓
警官-(スペイン語で)
↓
B君………
という具合に延々やったらしいです。国籍は?名前は?ここで何してるんだ?に始まり、延々と。それが縁でA君とB君は友達になりましたってさ。
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ところで、スペイン語ですが。
ポルトガル語科の教授が昔、「スペイン語は全く勉強してませんでしたが、ポルトガル留学中にちょっとスペインまで旅行に行く際、電車の中でザッと文法書を読んだら後は問題無しでした」と言っていた。
そういえば私も、リスボンからセビージャまでのバスの中で旅の六カ国語会話会話集(※たしか、間違えてポルトガル語の入っていないのを持っていってしまっていた)をいっしょうけんめい読みましたよ。
「ポルトガル語のあの単語がスペイン語ではこうなるわけね。ほほぅ。ふむふむ。えっと、それで、んっと」っていうのをダダダとギューッと詰め込んでおいたら、後はそんなに困らなかった。ような気がする。
スペイン語の音はポルトガル語よりはっきり聞こえたのだと思う。聞き取るのはポルトガル語より楽だったよ。だからこそ、一人で、ガイドブックも地図も持たなくても1週間楽しく過ごせたんだろうって思う。
後年、スペイン語を勉強し始めてからスペイン語学科の人々が言ってるのをよく耳にしたんだけど、「スペイン語をやってるからポル語も簡単にわかります」って。あれ、違うと思うのね。
スペイン語学習者が、スペイン語と似ているからポルトガル語を理解できるって思い込んでるのは、たいそう安易かつ危険な発想だと思ったわけ。ポルトガル語はそう簡単には聞き取れないだろうと思う。書き言葉ならたしかに酷似してるから読解にはほっとんど何の支障もきたさないだろうけどね。
あれは、でも、逆ならばおおむね正しいと思う。つまり、ポルトガル語学習者がスペインに立ち寄って、「あぁ、言ってることけっこうわかるじゃん、うん、うん」って思うのは大いにありうる。スペイン語の方がポルトガル語よりもずっとずっと音がクリアに聴こえる(と、このセビーリャ旅行を通して私は実感した)のでした。
だけど、スペイン語の音に慣れているという人がポルトガルにフラッと立ち寄って、はたしてポルトガル語を理解できるかどうか、ってのはけっこう疑問です。
さて、旅の続きを話します。第6章ではいよいよセビーリャを去ろうとします。
卒業旅行顛末
1章: リスボン着
2章: セビーリャを目指す
2章の補足 位置関係
3章: セビーリャ 朝~昼
4章: セビーリャ 夕~夜
5章: 余談
6章: セビーリャを去る
7章: ポルトガルへ
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Comments
失礼かもしれないけれど、いやもう、腹抱えてよじれさせて笑わせて読ませてもらってます。これっていったい、どこのドタバタ喜劇よ~!みたいな。
でもReino de Reineさんってスペイン語学科の人じゃなくて、実はポル語ガル学科の、しかも子供の頃から文通なんかしてた人だったんですね~。これはかな~り意外。
Posted by: KLE4c | Saturday, November 15, 2008 13:40
その文通相手とは英語でね。彼女とは今でもほとんど英語ですね。ポルトガル語は活用がわからないし、代名詞の位置がわからないし、だいいち語彙が無いし、わけがわからない。英語の方が楽です。彼女が英語をよくわかってるから。
私の歳の離れた姉がやっぱり中学生くらいからそういうことをやっていたので、その影響ですね。「影響」もなにも、姉の文通相手が知り合いの子を私に紹介してくれたんですよ、たしか。(たぶんAFSとかそういう活動内での知り合いだったのでしょう)
そして姉たちの文通はもう終わってしまっていますが、私たちの文通はまだ続いていて、今でもメッセンジャーでよく連絡とりあっています。2005年にもリスボンで数日間泊めてもらってました。(またイベリア半島に行く時はリスボンから入ると思います。そしてバスで国境越えw)
もう、だから、25年近く? 私たち自身も「よく続いたよね」とときどき話すけど、彼女の友達なんかにもけっこう驚かれるようです。
Posted by: Reine | Saturday, November 15, 2008 21:16
張本人のM子さんからのメールをここに書いちゃうよって了承とれましたのでコピペします。了承とれなくてもコピペするつもりだったけど(←こら):
こうなったら、薄れ掛けた(というか完全に消えかかっている)記憶をたどって、私とK子さんがセビリヤの街で最初に泊まった宿(確か通りに面していて、扉が緑)探してみよーかな!! いまさら、待ち合わせできないけど……。
シャワーが水しか出なくて、ベッドの毛布がじとっとしていて寒くて扉も軽く助走して体当たりしないと開かないつくりになってたのよ。
他の宿は覚えてないけど、セビリヤのあの宿だけは妙に印象に残ってる。あのときは、私、頭の中でカルメンの音楽がなりっぱなしで完全にイッてしまってましたよ、今思うと。(『カルメン'77』ね)
そっちかい。
Posted by: Reine | Saturday, November 15, 2008 21:30